宵の宮〈2〉




 動揺するリシュを気にする様子もなく、スウシェは言った。



「まあそうですが、今は空き家も同然ですし、他の場所より安全という意味もありますし。

 でも一番は、陛下があなたを自分の目の届く範囲に置いておきたいという御意向なのだと思いますわ」





 (なにが意向よ。ここならわたしが逃げ出さないように見張りやすいからだわ)



 どのみち、部屋を選ぶ権限など自分にはないのだ。





「だったら自由にさせてもらうわ。わたしのこと姫なんて呼びにくくなるくらい、わたしは勝手気ままに過ごすつもりだから」






 屋敷の者たちを人質にされて、強引に連れて来られて。




 リシュに出来る精一杯の反抗など、この程度の態度をとることくらいなのだが。





「……なんだか、懐かしゅうございます。リサナ様もそうでしたわ」




 スウシェは笑って言った。



「行き先も告げず、侍女も同行させずに、いつも宮を抜け出して。でも時間だけはいつも侍女に告げて、必ず守って帰られましたが。

 リシュ姫さまも戻られる時間くらいはリィムに告げてお出掛けくださいね」




「……お願い致します」




 リィムがスウシェの横で、少しだけ不安そうにリシュの顔を見ながら言った。




「わ、わかりました……」




「それではわたくしは朝議がありますので、これで戻りますが。

 ……ぜひ近いうちに、姫さまをお茶会にお誘いしてよろしいでしょうか」




「……構いませんが」




「まあ嬉しい! ありがとうございます」




 スウシェの、艶やかなその笑顔は、眩しい大輪の花の如く美しく。




 微笑みだけで、その場を華やかな雰囲気にできる。



 スウシェ・カルノードはそんな女性だった。





「ではリィム、後は頼みましたよ」




 リィムのお辞儀を見届けると、スウシェは頷き、部屋を出て行った。





 ♢♢♢



「ではリシュ姫さま、まずはお召し替えを」




「え、服?」




 あらためて、リシュは自分の格好を見つめ直した。




 そういえば、屋敷を出たときから眠り続けていたので、着替えてもいない。




 ───さすがに着替えなきゃダメよね。




「奥の間に姫さまのために揃えたご衣装部屋がありますわ」





「わたしの荷物はどこ?」




「荷物ならその奥の間ですが」





「服は屋敷から持ってきたものを着るわ。馴れない場所で、服も着慣れないモノを身につけるのは嫌なの」




「……そうですか。でしたらどのようなモノをお持ちになったのか、私にも見せていただけますか?」




「いいけど……」





 リシュの返事に、リィムは可愛らしく笑った。





 ♢♢♢




 奥の間、とリィムは言ったのだが、リシュが思っていた以上の距離があった。





(正妃用の宵の宮ってこんなに広いのね)




 入ってすぐに、リィムはクローゼット扉を順に開けていく。





「気に入ったものは全てご試着してみてくださいね。もしかしたら、中には寸法を直さないといけないものもあるかもしれませんので」





 ぎっしりと並ぶその数の多さに、リシュは眩暈がした。





「……リィム、扉を閉めて。なんだか目がクラクラするから」




 言いながら、リシュは部屋の隅に置かれてあった自分の荷物を解いた。




「わたし、こういう服がいいから」




 鞄の中から、リシュは着慣れた服を数枚選ぶ。




「……姫さま。今朝はそういった服装は控えた方がよいと思います」




「なぜ?」




「この後の朝食はラスバート様と陛下が同席されます」




「えぇっ⁉ いきなり陛下と食事? ふつう謁見とかが先じゃないの?」




「さあ……。陛下の御意向ですので、私には計り兼ねます。ですから姫さま、もう少しお洒落していただけますか?」




 リィムの可愛い声と、潤んで瞬く上目遣いの丸い黒眼に。




 リシュは何も言えなくなってしまった。





「窮屈でない服がお好きでしたら……あれやそれやこれ、こちらのモノも派手ではありませんが、よくお似合いになると思います。陛下とご一緒の席に着る装いとして、とても良いと思いますわ」




 リィムが選んだものは、どれも貴族の装いに相応しいものばかりだった。





「ここには、庶民の服が一つも無いわね。……あたりまえだけど」




「お気に召しませんでしたか?」





 リィムがとても悲しそうな顔をしたので、リシュは慌てた。



「違うの、そういう意味じゃないの。……いいわ、リィムに任せるから、選んでくれる?」




「はい! かしこまりました、姫さま」




 スウシェの笑みには及ばないけれど、花が咲いたように明るい笑みを浮かべて、リィムは張り切って服を選び始めた。



 そんなリィムを見つめながら、リシュは思った。



 ───今頃になって……。



 こんな気持ちになるなんて。




 リシュは苦笑する。




 ジワリと押し寄せる緊張感。


 来たのだ、という思い。




 城へ。


 王宮へ。




 とうとう帰ってきてしまったのだという想いが混ざりながら、緊張と共に膨らむ。






 今頃になって、なのか。


 今だから、これからだから……なのか。




(昔過ごした王宮で、こんなの毎日感じていたはずなのに)




 ざわつく心。


 久しく忘れていた。



 ここにいた頃のことを。




 ───いろいろ思い出さなきゃ。……面倒くさいけど。





「? 姫さま、何かおっしゃいました?」




 リィムが振り返って言った。




「なんでもないわ。

 ねぇリィム、わたし先に顔を洗いたいわ。それから久しぶりに帰ってきたから、忘れちゃってること、たくさんあるの。だからもう一度、いろいろ教えてもらうと思うわ。よろしくね、リィム」





 リシュの笑顔にリィムは一瞬見惚れたように赤くなってから頷き、そして笑顔を返した。






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