Dead end?

 ジリリリリリリ、ジリリリリリリンッ!

 気がつくと、京馬は自分の部屋のベッドから体を半分起こし、茫然としていた。けたたましく鳴るチャイムを止め、


「夢……? だよな、やっぱ。しかし、こんな夢見るって俺の頭ん中は自分が思っている以上に相当ファンタジックなことになってんだな」


 全く……嘆息しながら京馬はつぶやく。

 ベッドの左横にある窓から、輝かしい朝日が昇っていた。

 その輝かしさは初夏の始まりを告げている。

 京馬は時計を見る。日時は六月二日、月曜日七時三十分となっていた。

 昨日は休日だったのだが、部活の練習で相当疲れていたのか、練習後は家でぐったりしていた。

 もしかしたら、その疲れであんな変な夢をみてしまったのかも知れない。と、京馬は思慮する。


「昨日はそんなコテコテのファンタジーものの漫画読んでたか? 全然記憶にないなぁ……」


 呟きながら京馬は服を着替え、学校の支度をする。


「京ちゃーん! ご飯の用意できたから、準備が出来たら下へいらしゃーい!」


 そんな母親の声が一階から聞こえてくる。

 学校に行く準備を終え、京馬は一階にある大広間で食事を摂る。


(……今回もいつも通り、バターと蜂蜜をかけたトーストにハムエッグか。なんというか、無難というか、面白みがないというか。これがアニメや漫画だったら、もっと工夫を凝らしたメニューだったりするもんだけど。そして、美人な母親に、厳格でかっこいい父親、可愛らしくて兄にべったりな妹っていう家族構成なんだけどね)


 そう京馬が思うように、京馬の家族はいたって普通な家族である。

 まず、母親は主婦業とともにパートを勤めるごく普通のおばさんである。

 父親は技術系の小とはいかなくも中企業の規模を誇る会社の部長でこちらもちょっと優しい普通の中年おじさんである。

 妹にいたってはまず存在しない。

 いるのは弟で、捻くれた考えを持ったごく普通で健全な中学二年生である。

 しかも、悔しいことに自分よりも頭が良く、某有名大学の付属高校へと進学を考えているらしい。

 おまけに彼女がいる。本当に悔しい。

 そんなことを考えながら京馬は食事を摂り終え、玄関へ向かう。


「いってきまーす!」


 挨拶をして、京馬はゆっくりと学校へ向かう道路を歩きだす。

 京馬の家族はみんな家を出るタイミングがバラバラである。

 まず、弟は徒歩十分くらいの距離にある中学校に通っていて、最も遅いタイミングで家を出る。

 それなのにこんな時間に一緒に食事を摂るのは、家族みんなと一緒に食事を摂りたい……というわけではなく、単純に早起きして授業の予習や復習の時間を設けるためらしい。

 本当に出来た弟である。

 また、父親の勤める会社は住宅街から少し離れた工場地帯にあり、自宅から車で二十分ほどで着く場所にある。

 一方、京馬の通う天橋高校は自宅から十分弱の駅に向かい、電車で二十分、さらに徒歩で十分弱と最も遠い場所にある。

 そのため、基本的に京馬が一番先に家を出るのだ。

 行く先の道路脇にある木から鳥が囀り、飛んでゆく。

 京馬にとって、何も変わらない日常が始まろうとしていた。

 しかし、風はいつもより強く、そして少し熱を込めていた。



 電車に乗り込み、京馬は視線を横に向ける。

 向かいの車両に同じクラスの葛野葉美樹がいた。

 お互い、手を振り、一瞥するとそのまま視線を逸らし、電車から見える景色を見た。


「はぁ……また挨拶しかできなかった。くそ、俺の意気地なし! 一緒の小学校だったっていう共通点があるのに上手く活かせてないなあ……」


 京馬は落胆する。

 折角のチャンスを無駄にし続けてかれこれ二カ月。

 入学式当日に美樹の名前を見て、京馬はこの少女と小学校の時の同級生であることに気付いた。

 しかし、小学校の時には感じなかったが、美樹は可愛さの中に、妖艶な美しさを秘めた美少女となっていた。

 そのため、入学した直後から一年男子の人気がすごかった。

 色々なクラスのイケメンが美樹に携帯アドレスを聞きにいくなど、美樹のモテっぷりは尋常ではなかった。

 しかし、美樹はこの二カ月間、全ての誘いを断り続けている。

 そのため、『難攻不落の鉄壁美人』などと呼ばれ、今はその誘いが大分落ち着いてきた。さらに京馬が噂で聞いたのだが、美樹を高嶺の花としてアイドルのように扱うものも出ていて、葛野葉美樹ファンクラブというのも裏では結成されているらしい。

 京馬はそんな美少女と小学校からの幼馴染である。昔はよく二人で遊んだりもしていた。しかし、美樹は親の考えで中学は女子校に行くことになり、京馬とは離れ離れになってしまった。

 その後は全く面識はなかったが、高校で再会することになる。だが、京馬は美樹に話しかけることができなかった。

 何故なら、言い寄る男が多すぎて話す機会が奪われたり、また京馬自身がクラスに慣れるために必死になっていて、とても美樹と距離を縮める算段を考える暇がなかったというのもある。

 他にも、自分は覚えているが、美樹自身は過去の出来事を覚えているのか不安になり声をかけづらかったという理由もあった。


「でも、今は周りも静かになったし、話しかけるチャンスは結構できたはずなんだよな……」


 それでも声をかけられない自分の意気地の無さに京馬は腹を立てる。

 と、前に見覚えのある後ろ姿が見えた。


「よぅ! 賢司!」


 京馬はそう言って、後ろから賢司の肩を叩く。


「お、京馬か。今日の朝、小テストがあるのに随分と余裕そうだな」


 げ。と京馬は思う。

 そうだ、今日は数学の小テストがあるんだった……


「ああ、やっべえ忘れてたわ。まあ、たかが小テストだし、なんとかなるだろ」


 実際、京馬はなんとかなる自身があった。

 この学校での京馬の成績は中の上と、無難な成績を収めている。

 弟の出来が良すぎるだけで、決して京馬は頭が悪いわけではないのだ。

 対して賢司はそこまで頭は良くない。

 成績で言えば、中の下ぐらいか。


「お前のその余裕が羨ましいよ。まあ、実際余裕なんだろうが。せめてお前ぐらい頭良くなりたかったぜ」


 賢司は口を尖がらせて、愚痴を言う。

 賢司は京馬がこの高校で出来た最初の友達である。と、同時に同じバスケットボール部に所属する部員の一人でもある。


「ところで、今日の朝は葛野葉とは進展あったのかよ? まあ、あったら俺を含め、男子全員からの嫉妬で恐ろしいことになるがな」


 ニヤッと笑い、そんなことはない前提であるのを確信しながら賢司は京馬に尋ねた。


「はいはい、結果はお前のお察しの通りですよっと! ……だからその笑い止めろ!」


 京馬の答えに賢司は笑いながら、


「ははははっ! わりぃ、わりぃ……いやぁ、京馬くんが奥手でこちらも助かりますよ。まあ、幼馴染ってだけであの『難攻不落の鉄壁美人』が崩落することはないと思うけど」


 まあ、その通りだな。と、京馬は思う。

 人の心はうつろいやすいもの。

 女の心ってのは余計にうつろいやすいってのはよく聞く話で。

 昔どんなに仲が良かろうとそれは所詮昔の話で今は違うわけで。でも……


(美樹とは良く目が合うんだ。こちらを良くちらちら見てくるし、まあ、俺も良く見てしまうんだけどね。勘違いでなければ、少しは気がありそうなんだよな……俺もそんなに見た目悪いわけではないし)


 確かに、京馬のルックスは悪くない。

 芸能人ほどではないにしろ、ジャニーズ系のなかなかに整っている顔つきではある。


「お前もほどほどにしろよ。女なんてのは世界に有り余るほどたくさんいるんだから、いつまでも高嶺の花にくらいついてると他のチャンスをなくすぜ」


 賢司は言う。

 実際、そんな簡単に割り切れることができたら苦労はしないのだが。


「実は俺、今は峰岸のこと狙ってるんだよね。そんな可愛いってわけではないけど、話しやすくて気が合いそうっていうかさ。この前、アドレスゲットできたし」


 へへっと笑いながら賢司は言った。


「はいはい、俺はお前の手の早さには脱帽ですよ。つーか、前に狙ってた白井はどうしたんだよ」

「お察しの通りです」


 どうやら、玉砕したらしい。

 この賢司の恋愛に対するアグレッシブさは見習った方が良いのか悪いのか。



 学校の授業が全て終わり、京馬はバスケットボール部の部室へと向かっていった。


「はあ……今日も進展は全くなしか。せめて、同じ体育とかで班が一緒になるとかあったらもっと話しかけやすいのに」


 嘆息して、京馬は部室の戸を開けようとした、その時。


 ジリッ!


 京馬の頭の中が一瞬真っ白になり、ラジオのノイズのような音が聞こえた。


「あ、がっ、……」


 そして、意識を失い。その場で倒れた。



 目を開けると、視界に白い天井と蛍光灯が見えた。

 少し、視線を逸らすと緑のカーテンが見える。

 窓からは校庭。

 そして、小さい机にはピンクの熊のキャラクターのぬいぐるみ。

 京馬はここがどこか確信する。

 ああ、さっき意識を失った時、保健室に連れてかれたのか。

 時計を見ると、気を失ってから二時間は経っていることに気付いた。

 連れて行ったのは恐らく、賢司だろう。後で謝りついでに何かおごってやろう。

 と、考えを巡らし、起き上がって横に視線を向けると予想だにしない人物が座っていた。


「おはよ。京ちゃん。あ、もう夕方だから、おはようじゃないか。こんにちは。久しぶりに話したのに、なんかごめん」


 その人物は微笑む。

 そこに座っていたのは葛野葉美樹だった。

 一瞬、驚きの余り、京馬は思考がフリーズしそうになる。


「あ……えと、美樹、が俺をここまで運んできてくれたの?」

「ううん。私が発見して、近くにいた先生に頼んで運んでもらったんだ。最初は先生含めて、バスケットボール部のみんなが京ちゃんの側にいたんだよ。でも先生は事務あるし、バスケットボール部のみんなは練習があるから、私が付き添いをして他の人を帰らせるようにしたの。先生は、倒れたのはただの疲れによるものだっていうから、時間もかからないと思って」


 そう言って、美樹はまた微笑んだ。


「ありがとう。悪いね、美樹に時間とらせちゃって。もう、俺は大丈夫だから帰っても大丈夫だよ」


 何を言ってるんだ俺は!

 と言葉を発した後に京馬は後悔した。

 もっと話して、距離を縮めるチャンスなのに!


「いいよ。私が勝手にやったことだし、この後の予定も買い物だけだしね。……それにやっと話すタイミングが出来たわけだし」


 え? 美樹の言葉に思わず京馬は反応してしまう。


「話す……タイミング?」

「本当はずっと京ちゃんと話したかったんだよ。でもなんか周りの目もあって話しかけづらくて……なんか京ちゃんも妙にそわそわしてて余計に話しかけづらかったし」


 嘆息して美樹は言った。


「ごめん、俺は美樹のこと覚えているけど、美樹は俺のこと覚えているのか不安でさ、声をかけづらかったんだよ。でも覚えてそうでホッとした。昔、山で遊んでいた時に迷子になった時のこと、覚えてる?」


 美樹の言葉に安堵し、京馬は言う。

 しかし、理由の一部である綺麗になりすぎた美樹に緊張して声をかけづらかったなんてことを京馬は言えなかった。


「うんうん、覚えているよ。あの時は大変だったよね。周りはもう真っ暗でさ、私も足に怪我しちゃって歩けなかったし……」

「あの時は美樹をおぶって、下山して、大変だったなあ。でもあの時の経験のおかげで大分、足腰鍛えられあげたかも」


 笑いながら京馬は言う。


「もうっ! ……でもあの時の京ちゃんはとっても格好良かったよ。ねえ、あの時、私に掛けてくれた言葉、覚えてる?」


 京馬は美樹の格好良かったという言葉に一瞬、心臓が高鳴る。

 そして、過去に美樹にかけた言葉は思い出そうとする。


「あっ」


 京馬は思い出す。

 自分が美樹にかけた言葉を。同時に変な恥ずかしさが込み上げてきた。


「確か、『どんなにつらくて大変な時でも美樹を一人にはしない、絶対に、必ず、助けて見せる!』だったっけ?」


 京馬は照れくさそうに笑う。

 なんとうか、クサくて今では絶対言えそうにない言葉である。

 子供の時の無垢な心だからこそ言えたセリフだろう。


「うん、正解! 自分も傷つきながら息を荒げて辛そうなのに、私にそんな言葉をかけてくれた。……あの時の京ちゃんは本当に格好良かった。今でも、忘れてない。だってあんな言葉かけてくれたの、京ちゃんだけだったんだもの」


 照れながら、美樹は言う。

 そんな美樹を見て、京馬は激しい感情の高鳴りを覚える。

 そして、


(もしかしたら、もしかするんじゃないのか……?)


 今まであった、ぼんやりとした京馬の考えが明確に近づいてきていた。


(もしかしたら、美樹は俺のことを──)


「俺は今でも──」


 言いかけた瞬間だった。


 ガラッ


「おーい京馬ー。部活終わったし、帰ろうぜ! さすがにもう起きてるだろ! ……あ、あれ? 葛野葉? てっきりもう帰ったものかと……」


 はっ、と賢司は悟った。

 自分は今、友人に対して、ものすごく、とてつもなく、大きな邪魔をしてしまったのではないかと。

 見れば、ムードを白けさせられた二人の白い目がこちらに向けられていた。


(やばい、やばい、この深山賢司、人生最大の失態! どうすれば良い? どうすれば良いんだ! つーか、葛野葉も俺らバスケットボール部員と先生と一緒に部屋から出て行ったよな? 何で戻ってるの? つーか、何であんな良さ気な雰囲気になってるわけ? 一年生男子代表として葛野葉と京馬が良い雰囲気なっているのをぶち壊すのは良いことなんだろうけど、このままじゃ俺の京馬に対しての友人の面子がああああっ!)


 賢司は高速に頭をフル回転させる。

 この間、約一秒である。


「あ、やべ、部室に忘れ物しちまったみたいだ! 京馬は先、帰っていいぜ! むしろ帰ることをお勧めする! ちょっと探すのに時間かかりそうだからよ!」


 ガラガラピシャッ!


 そう言って、賢司は戸を閉めていった。


「……」


 二人の間を沈黙が支配する。


「そ、そうだな! 賢司の言うとおり、そろそろ帰ろうか! 俺も完全に体調治ったみたいだし」


 沈黙を打破するように京馬は言う。


「そ、そうね! 帰ろっか! 私も買い物あるし」


 重ねるように美樹も同意した。


「……ここでお別れだね。また、明日。じゃあね!」


 駅前まで来て、美樹は言う。

 美樹はこれから夕飯の買い出しで駅近くのスーパーに行くらしい。

 京馬は美樹と一緒に駅前に来るまで、好きなテレビ番組の話など、他愛のない話をしていた。

 しかし、昔のことは保健室で話したきり、話題にはならなかった。

 何故だか、互いで触れてはいけない気がしていたのだ。

 後ろに振り返り、歩いていく美樹を見つめ、京馬は思った。

 今度こそ、チャンスをものにしなければならない。ここで動かないでいるなんて……男の意地を見せてやる!

 そう思い、気が付いたら京馬は美樹に声をかけていた。


「美樹!」

「えっ?」


 美樹は振り返る。


「アドレス! そういえば、アドレス聞いてなかったわ! 折角、また仲良くなったんだ。アドレス交換しよう!」


 美樹は間を置くことなく答えた。


「いいよ! そういえば、あんなに話したのにアドレス交換の話してなかったね」


 そう言って、美樹は携帯電話を翳す。

 そして、京馬も携帯電話を出し、お互いの携帯アドレスを交換する。


「……京ちゃん。そういえば、賢司くんが保健室に入ってくる直前、何か言いかけたようだけ

ど……」


 携帯アドレスを交換した後、美樹は思い出したように京馬に尋ねてきた。


「あ、あれは何が言いたかったんだろうなー。思い出せないや!」


 京馬は恍けて言った。

 今の雰囲気ではあの時に言おうとした口説き文句を言えそうになかったからだ。


「そっか、ならいいんだけど……じゃあ、今度こそお別れだね! また明日!」


 そう言って、美樹と京馬は同時に手を振った。

 美樹は京馬に背を向ける。

 しかし、京馬はそんな美樹の後ろ姿をしばらく眺めていた。



 家に着き、自分の部屋に入ると同時、京馬は終始、気持ち悪いくらいニヤニヤした顔をしていた。


「いよっしゃああああっ! 美樹と話せたばかりではなく、アドレスもゲットできたぞ!しかも、あの雰囲気……もしかしたら、もしかするかも!」


 思わずガッツポーズをとる。

 自分でも異常なまでのテンションの上がり具合なのがわかる。

 でも、それを抑えられないぐらい嬉しいのだ。


「今日は変な夢見たり、突然気を失ったりして変な一日だったけど、代わりにこんなハッピーな出来事もあったし、素晴らしい一日だった……!」


 ベッドに飛びこみ、枕を抱きしめながら、京馬は呟いた。


「明日からの学校が楽しみだなあ。クラスの男子からは妬ましい目で見られるだろうが、むしろどんと来い! 美樹を手にするのはこの俺だあああああっ!」


 コンコンッ


 京馬がそう呟いていると、部屋の窓を叩く音が聞こえた。

 京馬はその音に反応して振り返る。

 しかし、誰も窓にはいなかった。


「……? なんだ? なんかのホラー現象か? 今日はホント、変な日だなあ」


 半ば、そんなホラー現象なんておきないであろうと京馬は思っていた。

 自分の疲れでの幻聴と思いながら、それでもなんとなく京馬は窓を開けてみる。……ほら、やっぱり誰もいない。


「色々ありすぎて疲れてるのかもな。俺」


 窓を閉めようと思ったその時だった。

 急に視界が真っ暗になる。


「う、あ……え、」


 なんだかよくわからない眩暈を起こし、京馬は気も失った。



 京馬が目が覚めた時には、周囲がただひたすら真っ白な壁に阻まれた一室にいた。

 そこに佇む人が一人いる。

 視界がまだぼやけて、よく見えない。

 薄っすらと見える人は口を開いた。


「やあ、京馬くん。いきなりこんなところに招待して済まないね。ああ、僕は椎橋桐人っていうんだ、よろしくね」


 視界がはっきりし、京馬はその人を見る。

 知的な感じのクールな佇まいを持ったイケメンだった。

 その場にいるだけで女子を釘付けにしそうなぐらい端正な顔立ちをしている。

 また、今時のジャケットを羽織り、高身長であり、細身筋肉質で、モデルと言ってもおかしくないぐらいのスタイルである。


「突然で悪いけど、一ヶ月間……場合によって何カ月も君を拘束することになった。世界平和のためなんだ。我慢してもらってくれると有難い」


 桐人がそう言って、京馬は今の自分の状況に気がついた。

 京馬は椅子に体ごと縛り付けられていた。

 幾重にも重なる極太の鎖が京馬の体にしっかり食い込み、全くといっていいほど体が動かない。


「っ……! なんだこれ、動けない! なんだよ、世界平和って! 俺を縛って拘束することが何で

世界平和に繋がるんだよ! つーかアンタ何者だよ!」


 言いたいことは山ほどあるが、とりあえず思い立った京馬が聞きたいことを叫んだ。


「納得するために、まずは何から説明しようか……」


 桐人は顎に手をやり、考え込む。


「では、まず君が如何に特別な存在なのかを説明しよう。さて、君はオカルトとか魔法とか……信じるタチかい?」


 突然の桐人の問いに、京馬は「突然、何を言ってるんだこいつ」と思った。

 こんな端正な顔立ちのイケメンなのに、頭はお花畑で残念なことになってるのか?


「生憎、そんな非現実的なものは信じてないですよ。というか、もしかして宗教の勧誘?そのためにこんな大仰な真似をしてるんですか?」


 京馬は嘆息して冷めた口調で話す。


「世の中には限度ってものがあります。いくら宗教信者が少ないからって、こんな勧誘方法はないですよ。訴えられてもおかしくない──」

「ああ、ああ、わかった、わかった。君がその手のものを信じないタイプなのはよーくわかったよ」

 左手を前に向け、額にもう片方の手を当て、京馬の言葉を遮るように桐人は言った。

「よく考えれば、それが普通の反応だよね。じゃあ、これを見れば、その非現実的なものも信じてもらえるかな?」


 そういうと桐人は、左手の薬指に指輪をはめ、口づけをした。


「──オリエンス、来てくれ」


 そういうと、桐人の周りに風が巻き起こり、その左手には桐人の体の二倍ほどある長い剣槍が緑色の粒子の収束によって発現した。

 切っ先は常にライトグリーンの閃光を美しく放ち、さらに鋼色のボディには同色の流麗なラインが施されている。


「これは、僕が自身の中に存在するオリエンスという悪魔に認められることで発現することが出来た、『シルフィード・ライン』っていう武器さ」


 手首を回転し、シルフィード・ラインを回しながら、桐人は言う。


「さらに、こんなこともできる」


 桐人はシルフィード・ラインを持った手とは別の手を前に翳した。と、同時にその手を中心に緑色の魔法陣が展開される。


「行け!」


 ズバババババッ!


 そう、桐人が言うと、無数の風の刃が部屋の真っ白い壁に幾重にも突き刺さる。

 音が鳴り止んだ後、真っ白い壁は塗装が剥がれ、ぶ厚いコンクリートが深々と抉られていた。


「そしてこれは、君が信じていない魔法というものさ。このような魔法も悪魔に認められることで使用可能となる」


 魔法陣もシルフィード・ラインも消し、桐人は平然と何事もなかったかのように話す。


「そして、君もそのような力を使うことが出来る。──最も、君の場合は悪魔ではなく、天使の力だけどね」


 この状況を京馬は未だ把握できていなかった。

 ──悪魔、天使、魔法? 自分もあんな力が使える?


「信じられないかい? まあ、無理もないよね。でも君は認めなくてはならない。君は運よく神に選ばれた人間なのだから。そう本当に運よく、ね。──ほぼ無償で『ガブリエル』の力を得たのだから」


 桐人は続ける。


「実際、こちらも君がどのようにしてその力が得られたのかはわからない。ただ、その力の氣を感じることが出来る。君のその力の氣はこちらにあるデータベース内の『ガブリエル』のデータと合致しているんだよ」


 ガブリエル─その天使の名前を京馬は聞いたことがある。

 確か、とても位が高い天使で、神のメッセンジャーの役割を持っている天使だったような。

 しかし、何故自分なのか、いつその力に目覚めたのだろうか──

 ふと、京馬は今朝見た夢を思い出す。

 あの時、天使が墜落した際に飛来してきた羽。

 あれに触れた時、京馬に何かが入り込むのを感じた。

 あの時──


「はっ!」


 突如、京馬は夢の中で青白い閃光に包まれた後のことを思い出した。

 自分に語りかける天使の言葉を──


『お前はお前であって俺でもある。力を振るい、示せ! 記せ! 己が道を──人の道を!』


 天使の言葉を思い出した直後、京馬は自身の中に宿る力が溢れ出るのを感じた。

 ──止まらないっ!


「ぐ、あ、ああ、あああああああああっ!」


 青白い閃光とともに京馬を縛る極太の鎖は千切れ、爆散した。


「へえ……そろそろ覚醒する頃だとは思ったが──まあ、初期にしてはまあまあかな」


 そう言って、桐人は結界のような格子を京馬の周りに展開していた。

 そのおかげか、先ほどの爆発でも、真っ白い部屋と桐人はほぼ無傷だった。


「な……なんだ、この力は? これが『ガブリエル』の力……?」

「納得してくれたかい? 自分が如何に特別な存在なのか──」


 また、桐人は平然と何事もなかったかのように言う。

 京馬は戸惑い、自身の両手を見つめる。

 が、しばらく考え、視線を桐人へと戻し、ゆっくりと口を開いた。


「それは今、十二分にわかった。だけど、それと俺を縛って拘束するのはどんな関係があるんだ? それに世界の平和のためだとも言ってたけど──」

「それについては今から説明する。」


 コホン、と桐人は説明する前に咳払いをする。


「まず、君の内に入ったガブリエルの化身は非常に珍しい存在なんだ。通常の悪魔や天使、神の化身は少なくとも必ず百年に一度は人の中に入り込み、発見される。同時期に同じ化身を宿したものが発見されるのもざらにあることだ」


 そう言って、桐人は京馬を指さす。


「しかし、君の宿すガブリエルの化身は百年どころか、千年も前から発見されていない。まあ、うちには千年どころか、今まで発見されていなかった化身を宿した子もいるけど、それは置いていて──」


 桐人は京馬に向けた指を戻し、説明を続ける。


「実は僕達は神の組織と敵対している。──いや、天使の組織と言ったところか。君も名前は知っているであろう天使ミカエルがトップでね、とんでもない鬼畜なんだ。ミカエルは、神が創った『本来の人』と悪魔が交わることで生み出された『僕達のような人間』が大層嫌いなんだよ」


 桐人は顎に手をやり、京馬が理解しやすいよう、言葉を考える。


「例えば……そう、君も聞いたことがあるだろう『ノアの箱舟』はミカエルが色々こじつけて行った鬼畜大虐殺ショーだったのさ」


 桐人は思いついて指を鳴らす。


「ミカエルはそれでも天使の化身を宿した人間は割と気に入ってるのさ。だから、天使の化身を宿した人間を探し、精神波によって操り、身に置きたがる。そして、僕達のような敵対するものと戦わせようとする。しかし、その天使の化身の中でも君の宿したガブリエルは、ミカエルに対しても僕達に対しても特別なのさ」

「特別……? 何で?」


 京馬は首を傾けて、問う。


「先ほど言ったようにガブリエルの化身はとても珍しい存在で、うちの組織の発足当初、千年以上前に一度しか発見されていない。故にミカエルも滅多に姿を現さないガブリエルの化身を探し続けている。また、ガブリエルはこの地球を創りし神に人の『意志』を伝えることが出来る、数少ない存在なんだ。」

「人の『意志』を神に伝える……?」


 それは、どういった意味合いなのだろうか。

 京馬の疑問に桐人は答える。


「そうだ。本来では人が到達できない隔たりに存在する神に人としての主張や願いを伝えることが出来る貴重な存在。それが『ガブリエル』の化身だ。この地球の最も神と近い場所で心身ともに成熟したガブリエルの化身を宿したものが神に語りかければ、その主張や願いが叶うという。だが、君を拘束するのは別の役割のためだ」

「なんだ? その役割っていうのは?」


 段々と、説明を理解するのに疲れてきた京馬は、急かすように言う。


「ガブリエルはその性質故、ミカエルの精神波に影響されない。よって、ガブリエルに化身を宿したものはミカエルに操られない存在なんだ。ミカエルは基本的にこの世界に直接、現界することはない。けれど、精神波の影響を受けないガブリエルを仲間引き入れるために、その体を現界する。その行動は早いだろう。何せ、千年以上ぶりの再会だ。さぞ、愛おしいだろうからね。だから──」


 桐人はその次の言葉を、自身でも発するのに戸惑いがあるのだろうか。

 一寸の間の後、一呼吸入れ、口を開く。


「君にはここで拘束されて、そのミカエルを誘き出すための囮になってもらう。位置が固定されている方がミカエルの現界位置を特定しやすいしね」

「ちょっと待ってくれ! それでミカエルを誘き出して、一体何をするんだ!? まさか──」

「そう、そのまさかさ。天使ミカエルを倒す。そして世界を脅威から救い、さらには世界をあるべき世界へ戻すのを目的としているのが僕達の組織さ」

「だったら俺も協力するよ! せっかく、すごい力を得たんだ! こんなとこでずっと監禁されて世界の行く末を見守るなんてのはまっぴらごめんだ!」


 京馬は叫ぶ。

 折角、そんな昔憧れていた正義のヒーローの様な役割を、自分が出来るというのに――その間、なんちゃってお姫様状態になるなんてと、京馬は思い、訴える。


「──いいや、だめだ。何せ、君は君が思っている以上に弱い。他の天使にでも見つけられて、誘拐されたら全ての計画が台無しだ」


 だが、桐人は京馬の気持ちを踏みにじる一言を放つ。

 桐人の冷静に指摘に、項垂れ、思わず京馬は閉口する。。


「すまないが、しばらくは再度、拘束させてもらうよ。この『屠殺者の鎖グラシャラボラス・チェーン』でね」


 そういうと、桐人はまた指輪に口づけし、


「出てこい!グラシャラボラス!」


 オリエンスを呼ぶ時とは違う荒々しい呼び方で悪魔を呼びつけた。

 どうやら桐人はいくつもの悪魔をその身に宿しているらしい。

 そして、京馬の周りに先ほどより太く、しっかりとした漆黒の鎖が体現され、それは京馬を縛りつけた。


「ぐ、あ、ああ……」


 途端に意識を失って、京馬を眠りについた。


 ──はっと、京馬は目を覚ました。

 頭がぼんやりし、意識が朦朧としている。

 一体、何日間、京馬は拘束されているのだろうか。

 もう、日にちどころか、時間の感覚すらわからない。

 それでも精神が発狂していないのは、皮肉にも自分をこのような状態にしたこの力のおかげだろう。


 ズドォォォォォンッ!


 突如、大きな爆発音が外から聞こえた。

 爆発音は途切れることはない。

 まるで、この世界に無数の隕石が降り落ちている音のようだ。

 ビシッと、この真っ白い壁一面の部屋にヒビが入る音がする。

 ──一体、外で何が起きているのだろう。

 まさか、誰かが助けにきてくれたのだろうか。

 否──あの非現実な力を前にそんなことできる人間に心当たりはない。

 それにさっきからする、この嫌な予感は──


 ビシッ!ビシッ!バコォォォォォォォン!


 壁面が歪み、亀裂、部屋が壊され、外の風景が覗かれる。

 京馬は除かれた風景を見渡す。

 ──辺り一面、焼け野原だ。

 倒壊するビル、横たわる電車、まるで映画の人類崩壊の一シーンを見ているような感覚だ。下には無数の横たわる人が見える。


「こんなん……ありかよ……! 俺はッ! 絶対に認めねええええええええええ!」


 横たわる人の一人が震える足を立たせ、手に炎を纏わせる。

 そして、対面する余裕の笑みを浮かべた金髪の美少年へと突進する。

 猛る炎を纏わせた一撃を振り上げる。が、

 金髪の美少年の持つ黄金の剣で防御される。

 そして、美少年は悠然と笑みを浮かべ、剣を反らす。

 滑るように剣は虚空を舞い、体勢を崩した男の脇へと振り上げられる。


「くっそおおおおおおお! ミカエルゥゥゥゥゥゥゥッ!」


 黄金の剣が胴体に潜り込む。

 そして、黄金から深紅の色へと剣が染まる。


 ブシュウウウウゥゥゥゥッ!


 鮮血が飛び散る。

 雄叫びとともに声の主は上半身を切断された。

 ミカエルと呼ばれた青年は、軽くその場で跳躍し、京馬のいる部屋の地面に足をつける。


「……やあ、ガブリエル。久しぶりだね。本当に久しぶりだ。しかし、驚いたよ。君がこんな典型的な、矮小で、如何にもとした、屑の人間に宿っているとはね」


 ミカエルは純粋無垢な瞳を輝かせて、京馬に言った。

 その瞳の輝きは眩きすぎてどことなく狂気を感じさせる。

 ミカエルは、とても嬉しそうにこちらに歩み始める。

 一歩、一歩、足音は徐々に喜々となる。


「さあ、そんな屑の人間の殻に閉じこもってないで出ておいでよ。もう世界は一掃した。これからは下衆の悪魔とその子供である人間が一切いない、とてもきれいで、すばらしい、我が父とその子供達だけの世界が出来上がるんだ! さぁ!」


 グサッ!


 ミカエルはその黄金の剣を京馬に突き刺す。

 容赦のない一撃は京馬の腹部に深く突き刺さった。


「が、あああああ、止……め、ろ。俺はガブリ……エルじゃ、ない! 京……馬、だ」

「いいや、君は個を名乗るほどの存在ではない。所詮はガブリエルが隠れ蓑にした──そう、君達で言う、皮だ! それも醜い野犬のね! ふふふ、ガブリエル、今からこの野犬の皮を剥いで、君に会いに行くよ。はははは」


 口を深く吊り上げ、狂気の言葉を発し、ミカエルは京馬の肉を抉る。


 グチャッ!グチャッ!


 内臓がシェイクされる音が内からも、外からも響く。

 ミカエルは宝物を見つけた子供のように喜々としながら、剣を捻じ込む。


「はははははっ! どうだい、『野犬』? 君の内から、汚物が飛び出ているよ? さあ……ガブリエル。出ておいて、君に会いたくて、仕方が無いんだよっ!」


 痛い。

 痛い。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 怖い。

 怖い。


「ぐ、うあ! が、ああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 激痛、嘔吐感、そして、何より、京馬の中を占めるは、死への恐怖。

 それらは、徐々に京馬の精神を冒し、絶望の声を叫ばさせる。


「う、うああああああああああああああっ! 止めろおおおおおおおおおおおお!」


 京馬の絶望の叫びが世界に響く。

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