◆11:Fw:地誌レポ五班の皆様

 ガラス張りの冷蔵庫の中から、午後ティーのペットボトルを取り出した。ラベルにキャラクターが印刷されたデザインのもので手にとっただけで気分が高揚する。誰が言ったか、かわいいは正義。



 入川舞夏は冷房を利かせた部屋の中に閉じこもっているのがつまらなくて、とっぷりと暮れた夜闇の中、コンビニまで足を運んでいた。


 夜空でも眺めながら夜の散歩としゃれ込もうと思ったのもつかの間、すぐに喉の渇きを覚え涼しいコンビニの自動ドアをくぐってしまったのだから、自分って現代っ子だなあと少しあきれてしまう。四十五十のおじさんおばさんに揶揄されても文句が言えない。そして、左手には習い性のように週刊誌。やむを得ないとは言え、あまり持っていてかわいいものでない。


 紅茶と週刊誌を持って店内を反対側へ移動する途中、見知った人影を見つけた。女の人だ。反射的に商品棚の陰に隠れた彼女がスマートフォンで現在時刻を確認すると、待ち受け画面がメールの着信を表示していた。


 差出人は前坂鷹来。

 少し煩わしく感じた彼女は細く整えた眉を片方歪めたが、件名を見て気持ちが変わる。開いて宛て先を見るとCCでまとめてメールを送っているらしい。メールでやり取りしているのはライングループをまだ作成していないためだ。彼にとってはご苦労なことだろうけども、舞夏にとっては思いがけないプレゼントだ。そのままスマートフォンを両手で挟んでこの夜空の下、どこかにいる前坂君を拝んだ。


 震える指先でまずは伊比君のメールアドレスを登録する。


 表情筋がとろけ落ちそうになっているのがわかる。手の平の付け根でぐいぐいと持ち上げてみたけど、どうにもならなかった。


 すっごい、すっごい、嬉しい。

 幸せ。

 最高。

 もう、超最高。

 超、超、最高。


 鼻がツンとなって目尻に涙がにじむ。いつまでもアドレス帳を眺めていられそう。だけど、今はメールだ。名残惜しさ最高値MAXのまま、前坂君のメールに戻る。




「件名:地誌レポ五班の皆様」



「皆様日本の熱帯夜をエンジョイしているかい?

 冷房つけずに扇風機でがんばってる?

 そんなオレはもうバテそう。


 このメールを出したのは楽しい楽しい夏休みのためです。やるべき課題を楽チンかつちゃちゃっと終わらせてしまうために、地誌レポ五班の皆さまへお知らせとやって欲しいことがあります。


 まず川見不神社の見学ですが、夏祭りが近いのであまりスケジュールに余裕が無いそうです。だけどご好意で一時間だけお話しを聞けることになりました。明後日の十二時にお時間をいただいたので、川見不駅かみずえきに午前の十時に集合です。全く下調べをしないで行くと失礼なので、各自ネットなどで軽く予習をして置いてください。


 明日の放課後は必要な文房具などを買い出しに行くので、心ある人は名乗り出てください。ちなみに誰も行かないと詰むので伊比は強制で買出し班です。オレは秀英と市役所に行かなくてはならないのでお願いします。


 メルアドは今日交換したからみんな知ってると思います。近原サンだけオレは知らないので、知っている人がいたらこれを転送して教えてあげてください。いなかったら明日終業式の後オレから直接伝えて見ます。

 また明日皆様にも改めて伝えますが、イチオー連絡網でした。


 いい夜を!」




 何これ。



 メールを読み終えて舞夏は片方の眉を持ち上げた。グループのリーダーに前坂君を選んだのは正解だったようで、行動力もあればバラバラな班員を取りまとめる統率力もある。というか、今時ラインでもメールでもメンバー全員が繋がれないなんてバラバラにも程がある。


 前坂君を評価しつつも、ぼんやりと気に食わないのは、彼が部分恣意的に物事を進めているような気配を嗅ぎ取るからだ。

 けれども、それを理由に臍を曲げるのであれば曲げた方が大人気ないというもの。むしろ彼の思惑に乗っかってしまった方がハッピーなのだから、つくづく嫌な男である。

 舞夏は口元に笑みを引き結びメールの返信画面を立ち上げる。



「あら」


 メールに夢中になって忘れていた。


 明らかに舞夏をみとめた高いトーンの声に、びくりと肩をすくめる。隠す必要もないのになんとなくポケットにスマートフォンを隠してしまう反射神経が情けない。


「マリーちゃん」

「こんばんは。あなたは確か、二年生の、えーと」


 人差し指を顎に当て首を傾げる彼女は生物を担当している室井真理だ。一本の三つ編みにまとめられた長くて太い髪がトレードマーク。いつも通り飾り気のないメガネ、ブラウスにプリーツがしっかりしたロングスカートを履いて非常に古風と言うか前時代な空気を感じさせる人だ。ただ器量は良いためなかなかに愛らしい。作らなくても可愛い。羨ましい。


「入川舞夏です」

「そうそう」


 真理、マリーちゃんはおっとりと手を打って合点する。それから舞夏の姿を頭のてっぺんからつま先までざっと検査するように視線を動かした。舞夏はティーシャツにホットパンツ、かかとがすれたミュールと言うせいぜい近場のコンビニまでが許されるラフすぎる格好だったから居心地悪く足を閉じ合わせる。

 夏だからこのくらい肌を出していた方が涼しくて気持ちがよいのだ。


 ここのコンビにはたまに彼女と鉢合わせるから避けていたのだが、深夜だから会うことも無いだろうと油断したのが悪かった。


 マリーちゃんの買い物籠には野菜やハムなど調理を必要とする商品が入っている。今まで知らなかっただけで、彼女がこの時間帯の常連客であることは容易に想像できた。


「そういう格好は危ないと思う」

「いいじゃん、別にー」


 案の定の指摘に苛立ちつつも明るい声を保ってやり返す。


「マリー先生もその格好、どうにかした方がいいよ。メアリーポピンズみたい」


 古めかしい時代がかった格好だと揶揄したつもりだったが彼女には通じない。


「仕事でロングパンツばかりはいてるでしょ。オフならスカートをはきたいじゃない」

「それでもそのスカートとブラウスの組み合わせはないって」


 薄くとがった鼻に代表される、はっきりしているのに薄味な顔パーツと文学少女的に古風なスタイルが奇妙にマッチして、白衣を着ると可憐な女子医大生風になる彼女はまだ二十代の半ばだったはずだ。


 白衣が似合いすぎてマリーキュリーと一部であだ名されている。もとが良いだけに守りに入った彼女のファッションが気に食わない。女性としての華やかさに欠けるのだ。もっと身の程をわきまえた格好でいて欲しいと思う。こうやって顔を合わせると会話しなくてはいけないのだが、それが舞夏には恥ずかしかった。TPOをわきまえていることとファッションセンスがあることは別なのだ。



 せめて同時にレジは並ぶまいとマリーちゃんが会計をしている間クーラーの中に積まれたアイスクリームを選んでいるふりをした。長い時間をかけてバニラのアイスバーを選び、コンビニを後にする。


 空を見上げると分厚く靄がかったように真っ暗だった。ぐにゃりと赤く歪む月が空の端に引っかかっているだけ。乾いて奇妙に軽い空気が全身の皮膚感覚を分解する。


 そういえばあの時はどうだっただろうと思い返した。あの時も月は出ていたのだろうか。一週間ほど前、交通事故がここであったとき。赤く燃え盛る炎が地上を明るく照らしていたあの日は。



 ここはいつも花太をつれて歩いていた道だから、花太の足元を追い越し追い抜かすかさかさした毛の感触や、意味の無い鳴き声がないと寂しさと不安に拍車がかかる。花太のにおいが恋しい。


 レジ袋をぎゅっと握り、背筋に走った怖気を振り払う。不安がどんどん押し寄せて心臓が音もなくつぶれて行く。お守りにすがるような気持ちでスマートフォンを取り出した。


 誰かにメッセージ送ろう、と思う。


 せっかくだから伊比君にメールを送りたかったがどんな言葉で送れば良いのか、送ってどう思われるのか考えると、この不安定な状態でまともな文章を打てる気がしなかった。


 心と裏腹に、スマートフォンの画面は既にメールの返信画面を開いている。そう言えばさっき前坂に返信しようとしてそのままだった。舞夏は買出し班に立候補し、前坂から届いたメールをスナオに転送する。


「件名:Fw:地誌レポ五班の皆様」。


 舞夏とスナオは腐れ縁とも言うべき長い付き合いだったため、本人ですら忘れているかもしれないメールアドレスも残っていた。メールを転送するとすぐに別のメールを受信する。案の定前坂からで買出し班への参加とスナオへの転送を感謝する内容が書かれていた。ほぼ同時に亜樹からの「やっぱ近原さんはハズそう。あの子、団体行動向いてない」という文面のメールが届く。少し迷ってこれに返信するのはやめた。



 だいぶ気がまぎれてきたので、買出しの話題にかこつけて伊比君へメールを送る。アイスクリームを買ったことを書き添えた。ガードレールに寄りかかってアイスクリームをかじりしばらく待っていると、三行の短いメールが返ってきた。



『買出しありがと。なあ、空見た? 今日満月だって。俺もアイス食べたい』



 首だけを九十度上空に向け、長い髪を地面へ垂直にたらす。夏の熱い風が右から左に流れ、円い月が薄雲の陰からその姿を現す。


 空の月はもう恐ろしいものに感じられなかった。



 大丈夫、つながった。

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