[3]吸血鬼の眷属

「危ないですよ」


「――っ!?」


 いつの間にやらすぐ後ろに立っていたスワヴェルディが耳元でささやいたことで、至誠は肩をビクつかせ、目を白黒させながら手を止めた。


「自由にしていただいてかまわないのですが中にはけんぶつもございますゆえぜんにお声かけいただけるようお願い致します」


 至誠が振り返ると、ていねいに頭を下げる男性がいた。


 スーツあるいは礼服れいふくに近い黒いふくそうしたこの男性が、テサロの言っていたスワヴェルディという人物だろうとさっする。

 その雰囲気ふんいきたんてきに言い表すなら、執事しつじと表現するのがもっともてきせつだろう。


「す、すみません……」


 己の行動をしゃざいすると同時に、日本刀を手にしたいというしょうどううそのようにかき消え、そのことにまどいを覚える。


「食前のスープをご用意しております。どうぞこちらへ」


 そんなもんを感じている間に、スワヴェルディはえんたくに座るよううながしてくる。


 ――この声、目が覚めた時に近くにいた男性かな?


 声の印象の通り、二十代半ばほどのよう姿にすらっとした長身。金髪の髪が緩やかになびく様は落ち着きを感じさせ、一言でまとめるならばイケメンだ。


 イケメン執事とか、紫乃しのの大好物だろうなぁ――なんて妹のこうを思い出しながら円卓えんたくちかると、スワヴェルディがを引いてくれる。


 お礼を言ってちゃくせきすると、一枚のスープ皿とキッチンポットらしき食器が準備される。銀色をしたスープ皿もキッチンポットも至誠の知識とそれほど違いはなく、手前に置かれたスプーンも同様だ。


 ゆいいつの違いは、豪華ごうかさを感じさせるそうしょくだ。

 しかし、あくまでデザインが異なっているだけであり、ようは同じだろうと理解できる。


「申し遅れました、私はスワヴェルディ・ネロフィと申します。スワヴェルディとお呼びいただけますと幸いでございます」


「スワヴェルディさん――ですね。僕は加々良至誠です。えっと。テサロさんが、こちらではあまりめいで呼ばないと言っていたので、僕のことも至誠で構いません」


 スワヴェルディは「かしこまりました」といちれいすると、スープレードルを手に取り、ゆうしょで乳白色のスープを至誠の前に置いてあるスープ皿へとそそいだ。


「こちらはえいようが高く、それでいて味のさっぱりとしたものをえらばせていただきました。味がお口に合わなければ調整いたしますのでねせずお申し付けください」


 色味や香りはポタージュに近い印象を受ける。特に具はない様子で、ポタージュほどのとろみはない。


 マナーとかどうなっているのだろうか――と考えてしまうのは、スワヴェルディが白人に見えるからだ。


 残念ながら至誠は日本以外の食事マナーにはうとい。

 もっとも、日本においてのマナーというよりは、実家における家庭内ルールとでも言うべきかもしれないが。


 しかしマナーを気にしすぎて萎縮いしゆくするのもかえって失礼な気もする。指摘してきされればなおそう――と考え、スプーンを手に取るとスープを口に運んだ。


「――っ!」


 それはポタージュに近い味だが、もっと味に深みがあるような……あるいは濃厚さがあるものの、その中にさっぱりとした口あたりなのが不思議に思えた。

 少なくとも思わず息をのみ、舌をまくしさなのは間違いない。


「とてもしいです」


 グルメレポーターのような語彙力ごいりょくがあれば良かったが、至誠はただただ素直な感想を告げた。

 だが言葉がなくとも、その満足そうに緩んだ表情によって満足であることが無事に伝わったようだ。


「それはようございました。まもなくメインディッシュが届きます。それまでのひとときをスープと共にお楽しみ下さいませ」


 そう返すスワヴェルディもまた、表情をほころばせていた。






 至誠がスープをひとしきり味わうと、スワヴェルディは視線を日本刀へ向け「ところで――」と、問いかけてきた。


「先ほどあちらのに興味をお持ちのようでしたが――」

「あの、すみません、勝手に――」


 改めてそう謝罪すると「いえ、大丈夫ですよ」と柔らかい物腰で答え、聞きたいことは別にあるようで言葉を続ける。


「よろしければ、なぜ『あれ』に興味を持たれたのか、お聞きしてもよろしいでしょうか? 例えば『手にしたいというしょうどうられた』など――」


 至誠は、ハッと先ほどの光景がよみがえる。


 確かにこんなところに日本刀があることに興味を抱いた。

 しかしだからと言って、他人のものを勝手に扱うのははばかられると理解していたはずだ。


 本棚に収められいている本を取らなかったのも、勝手に触れることをはばかったからだ。


 それでも日本刀に手を伸ばしたのは、触れたいという漠然ばくぜんとした衝動がえていたからだ。

 思い返してみると、自分が自分でなくなったような、不思議な感覚だ。


「確かに――そういった感覚が、少なからずありました」

「現在もその衝動は続いていらっしゃいますか?」

「いえ……今はまったく」


 何か事情を知っているらしい雰囲気を感じ取りながら、至誠は首をかしげる。


「ならば問題ございません。むしろアーティファクトの管理体制が不十分だった点、深く謝罪しなくてはなりません」


 頭を下げるスワヴェルディに「い、いえ、そんな――」と頭を上げるようにうながしつつ、至誠は話題を変えるために問いかける。


「あ、えっと。その、アーティファクトというのは何でしょうか? 『古代の出土品』という意味で合っていますか?」


語源ごげんとしては間違ってはいませんが、現代げんだいではもう少し幅広はばひろく使われます。より正確には『未知の力や特異現象とくいげんしょうゆうする物体ぶったい生物せいぶつ事象じしょう』となります」


 説明してもらったもののいまいち意味が分からず、至誠は首を傾げた。


「どうやらアーティファクトそのものを全くご存じないようですね」


 どうやら心境が顔に出ていたらしい――と至誠は「はい……」と苦笑いを浮かべる。


「アーティファクトという単語自体は聞いたことがあります。ですが、その、未知の何とかというのは……どういうものかいまいち想像がつかないです」

「なるほど、では具体的にあのアーティファクトを例に説明致しましょう」


 そう告げつつ、スワヴェルディは日本刀の方へと腕を向ける。すると日本刀が床から離れ宙に浮かんだかと思えば、彼の方へ飛んでくる。まるで強力な磁力で吸い寄せられたかのようなそれは、既に彼の手中に収まっていた。


 何が起こったのか分からずぜんとする至誠をよそに、スワヴェルディはその柄に手をかけると、さやから刀身を抜いた。


「例えば、こちらの刀は『累積血刀るいせきけっとう』と呼ばれるアーティファクトになります。通常の打ち物であれば、ただ切るだけの武器や道具でしかありませんが、これには通常ではあり得ない『とくせい』を有しています」

「特異性……ですか?」

「ひとつは、先ほどシセイ様が影響を受けたせいしんせんです」


 物騒な単語が聞こえてきたことで目をまたたきながら続きを聞く。


累積血刀るいせきけっとうの精神汚染はいくつかの段階に分かれており、第1段階は所有欲求です。誰にも所有されていない場合、刀を目視した人物を対象に、この刀を持ちたい、手に入れたい――といった欲求をゆうはつさせます」


 先ほど至誠が感じた不自然な心理状態がこれに当たると解説され、なんだか恐ろしく感じた。


「第2段階に移行すると、累積血刀を使ってみたいという衝動しょうどうられます。はじめは物や植物での試し切りから始まり、第3段階で動物を経て、第4段階にて殺人衝動に行き着きます」

「えっ……では僕も――」

「いえ、ご安心下さい。第1段階では他人からの声かけ程度で簡単に影響を脱することができ、かつ後遺症は残りません」

「そう、なんですね」


 わずかな安堵あんどを抱きつつも、内心ではよく分かっていない。言葉としては理解できるが、非現実的な言葉に心が付いていかない状態だ。


「こちらの精神汚染は、複数人に対し同時に発生しないことが確認されています。また、誰かに所有されている間は他者の精神へ影響が及ぶことはございません。今は私が所有しておきますので、ご安心下さい」

「はい。……あ、でも、そうなるとスワヴェルディさんが――」


 いきなり斬りかかられるのは怖い――と顔に書いてあったらしく、スワヴェルディは丁寧に補足してくれる。


「私は精神汚染に対して強いたいせいを持っていますのでこの程度のアーティファクトであれば影響を受けることはありません。その点もご安心ください」


 突拍子とつぴようしもなく説明について行けない部分は多いものの、今は「な、なるほど……」と納得しておく。内心では首をかしげながら。


「他にも『血液を吸収し、その累積量で切れ味が変わる、自己修復する』といった特異性もございますが――それよりも一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「あ、はい。僕に分かることでしたら」

「先ほど累積血刀のことを『ニホン刀』と表現していましたが、どのような意味でしょうか」

「えっと……その特異性? ――に関しては聞いたことがありませんが、日本刀という刀の形状によく似ていると思います。日本というは僕の祖国の名称なんですが……ご存じありませんか?」

「私の知る限り、ニホンという名称めいしょうの国家は存じ上げません」


 余計よけいなことは考えないようにしていた至誠だったが、その台詞せりふで大きく心が揺さぶられる。


 至誠は彼らの国名を知らない。

 彼らは日本を知らない。

 加えて先ほど見た地図らしき絵画は全く心当たりがない。


 一度は投げ捨てた非現実的な可能性がさいねんし、ここが地球ではないのではないかとねんのうしんしょくする。


「至誠様の知るニホン刀は、先ほど私が話したような特異性は存在せず、完全に打ち物――刃物であると考えてつかえないでしょうか?」


 妖刀伝説ようとうでんせつのような話なら別だろうが、それらは科学的には何の根拠こんきょもない話だ。

 ここで語るのはなんだか違う気がしたので、動揺どうようする心を必死ひっしおさえつつ「はい」と肯定する。


「累積血刀と同等の形状をしたアーティファクトはいくつか存在します。しかしこれらはいつどこで誰がどのように造り出したしろものか分かっていません。そのため、もしシセイ様の祖国で作られた武具であれば非常に興味深い話です。ですので、ぜひとも詳しくお聞かせいただけますと――」


 スワヴェルディの言葉は途中でフェードアウトしていった。

 と同時に彼の視線は至誠から外れ、扉の方へ向けられる。


 何かあるのかと至誠もつられてそちらへ振り向くと同時にガチャリと扉が開かれ、リネーシャと、緑色の髪をした至誠と同年代くらいの女性が部屋に入ってきた。

 いや、緑髪と表現するのはややへいがある。光の反射加減で赤や青、紫もかいえる様は『玉虫色たまむしいろ』と表現するのが一番適切だろう。


 そんな玉虫色の髪をした女性は、十代後半ほどの印象があり、身長が160㎝ほどで、豊満な胸元が服の上からでも分かる。


 深いローブに身を包んでいるが、デザイン性はテサロとよく似ている。手にしているつえまでそっくりだ。


 だがテサロと違い、緊張しているようで、その動きは少しぎこちない。


 二人の後を、かくしきたかいホテルなんかで見られるような配膳車はいぜんしゃが二台ついて入ってくる。台車のシートはわずかな慣性かんせいと空気の流れから揺れ、そこに描かれた細かな装飾も相まって高級感をかもし出している。


 至誠の位置からは何が運ばれてきたのか詳しく見て取ることはできなかったが、すぐにしそうな肉料理の香りがこう刺激しげきした。


 気になるのは、一緒に部屋に入ってきた台車を誰も押していない点だ。遠隔操作や自動運転かとも考えたが、モーター音を始め、機械らしき音はまるで聞こえない。


「ご苦労様です」


 スワヴェルディが事務的な口調で女性に告げると、その女性は緊張した面持ちをこわらせ会釈えしゃくする。


「他にやるべきことがありましたら何なりと」


 スワヴェルディは「では――」と次の指示を与える。


「細かい調整はこちらで行いますので、リッチェは配膳はいぜんをお願いします」

「はいっ」

 リッチェと呼ばれた玉虫色の髪をした女性は、少しれな様子を見せながらもテキパキと動き始める。


「さて――」


 意識がそちらに向いている間に、気がつけばリネーシャが至誠の右隣の席に座っていた。


「体の調子はどうだ? 食事をとっても問題なさそうか?」

「あ、はい。今のところ問題はないと思います」


 至誠が問いに答えると、リネーシャは満足そうに口角を上げ、視線をリッチェの方へ向ける。


「では先に紹介を済ませておこう。彼女はリッチェ・リドレナ。シセイのせいに関しては補助ほじょ雑務ざつむをこなしてくれた」


 リッチェは紹介されると、一度その手を止めてお辞儀じぎする。


「リッチェとお呼びいただければ幸いです」

「えっと、加々良至誠といいます。助けていただいて、ありがとうございます」

「いえ。自分のような未熟者みじゅくものでは力不足を実感するのがせいぜいでした」


 少し気恥ずかしそうに、あるいは申し訳なさそうに感じているようで、シセイの謝辞に少し目を泳がせた後にらした。


「なに、はじめから完璧な者などいるはずもない。役に立てなかったと感じているだろうが、周囲の足を引っ張らなかっただけでも十分だ。これからの働きに期待している」

「――っ、恐れ入ります」


 リネーシャの評価を受けリッチェの仕草は平身低頭へいしんていとうする勢いだが、その表情はあん歓喜かんきかいえていた。


 そんな折に質問するのは最適か分からなかったが、自己紹介の会話の中で聞いておいた方が良いだろうと考え、至誠は「そういえば」と問いかける。


「リドレナと言うことは、テサロさんとは――」

「師匠であり、母になります」


 そう答える彼女の口調に変化は感じられなかったが、至誠は――あっ、これは他人が安易あんいれない方がいいな――とさっする。


 高齢者こうれいしゃに見えるテサロと十代後半の女性が親子関係とすれば、十中八九訳ありだろう。りのない親戚しんせきの子どもを引き取ったとか、ようえんみで親子となったとか、可能性はいくつかある。だが初対面の相手が土足で踏み込むべき話題ではないだろう。


「それでは私はお食事の準備を進めさせていただきます」


 紹介が一段落したところで再び会釈えしゃくし、リッチェは台車の方へ戻っていく。


「そういえば、テサロさんは皆さんを呼んでくると言っていましたけど……戻ってきませんね」


 行き違いを心配する至誠に、リネーシャがたんてきに答える。


「いや、もう一人を呼びに行っている。戻ってきたら紹介しよう。――それよりも、スワヴェルディの紹介は必要か?」


「先ほど挨拶させていただきました」


 至誠が答えると、リネーシャは「スワヴェルディは優秀ゆうしゅう執事しつじだ。不足があれば何でも言うといい」と告げ、後ろにひかええていたスワヴェルディは「何なりとお申し付けください」と改めてお辞儀じぎする。


 彼や彼女らの言動を見ていると、明確に序列じょれつがあるように思えた。


 リッチェよりもスワヴェルディの方が上で、リネーシャはさらにその上の立場のようだ。


 人間関係に上下があるのは不思議ではない。たとえ子供であっても、権力者や富豪ふごうれいじょうであれば周囲の大人がかしこまるのはあり得る話だ。ましてや聞いたこともない国ならなおさらだだろう。


 そんなかいしゃくの最中に、再び扉が開かれる。

 姿を見せたのはテサロだった。部屋に入るとすぐに脇に避け、次に入ってくる人物に頭を下げる。


「ん――っ! やっと今回のえんせいも終わりねぇ」


 そう伸びをしながらをこぼすのは、一見すると中学生ほどの年端に見える少女だ。


 前髪がぱっつんの短髪で、純白のドレスで着飾っている。だが純白なのは服装だけではない。その髪の毛から指先まで全てが真っ白だ。肌は血液の赤さが影響して完全な白とはいかないものの、髪の毛は純白のドレスに引けを取らない白髪をしている。


 それがアルビノと呼ばれるとくちょうこくしているように思えた。

 至誠は実際に見るのは初めてだが、本当にそれがアルビノなのかは自信がなかった。


 アルビノのひとみの色は血の影響で赤が多いと聞いたことがある。だが彼女のひとみは、宝石とまがうほどきらびやかにとおそらいろをしているからだ。


「結局私の出番ほとんどなかったわね。ひまで逆に疲れたわぁ」

「疲労とはえんだろう」


 アルビノらしき少女の愚痴ぐちに対し、リネーシャが軽口で返す。


「だとしても気はるものよぉ? リネーシャも相手してくれないしぃ」


 肩をすくめ、少女はリネーシャへの不満を口にする。その語調ごちょうはたから見ても気心きごころ知れた相手への冗談だと分かるもので、からかってはいるがいやみたらしくない。


 その間にアルビノの少女は歩み寄ってくると、至誠をなめまわすように見下ろす。


 彼女の身長はリネーシャよりも一回り大きいがリッチェよりも小さい。もくさんで140㎝台で、椅子に座っている状態ではやや見上げなくてはならない。


「あら、思ってたよりわいい顔をしてるわね」


 少女はひとしきり至誠の容姿を見つめ、にっこりとほほみ感想を口にした。められたのかと思ったが、そのひとみ獲物えものを見つけた肉食獣にくしょくじゅうのように見えた。


 どう返すのがいいのか悩んでいると、少女の方から名乗り、そしてこうを差し出してくる。


「エルミリディナ・レスティアよ。貴方あなたは?」

「――えっと、初めまして。加々良至誠です」


 違う文化圏で育っていれば、あるいは違ったしょを見せたかもしれない。しかし至誠は日本人で、手を差し出されればあくしゅをするのが脊髄せきずいみこんでいた。


 もしかしたら握手をすることがれいに当たるかもしれないと気付いたのは手を離した後のことだ。


 ――どうするのが正解だったんだろう? こう、手の甲にキスする感じに? ……いや、それはない。というかできない。日本人にそれはみがなさ過ぎて無理だし、もし間違っていたら最悪だ……。


 そんな懸念けねん杞憂きゆうだったか、エルミリディナに気にしているりはなく、むしろ積極的に会話を掘り下げる。


「カガラシセイ……。ん~、どう呼べばいいのかしら?」

「テサロさんからこちらでは家名では呼ばないと聞いたので『至誠』で大丈夫です」


 先ほどと同じように答えると、エルミリディナは「そう」と笑顔を浮かべる。


「じゃあシセイ、よろしくね。私のこともエルミリディナで構わないわぁ」

「えっと。はい。よろしくお願いします。――エルミリディナさん」


 一見するとエルミリディナは年下のように思えるが、立場や身分も分からず、かつ女性をいきなり呼び捨てにするようなことはできなかった。


「ところで、『カガラ』が家名でいいのよね?」

「はい。『加々良』が苗字みょうじです」

「家名の方が先に来るのねぇ。レスティア皇国ではそういう順番の名前は珍しいわね」


 至誠にとってそのあたりは欧米文化おうべいぶんかとの違いとしてよく聞くところなので特に不思議にも思わなかった。


 それよりも別の疑問が頭をよぎる。


「レスティア皇国……そういえば、エルミリディナさんの苗字みょうじはレスティアと――」

「ええそうよ。こう見えても私はレスティア皇国第一皇女で、レスティア皇国は私が所有する国になるわね」


 エルミリディナはようえんな笑みを浮かべながら、自身が皇族だと名乗る。


 その真偽は至誠には分からない。

 もし仮に全ての話が真実だとして、皇族といった身分の人物が直接出てくるのが最もに落ちない。


 ――小さなうそよりもきょくたんに大きな嘘の方が信じさせやすい場合もあるらしいし、これはまゆつばをつけて聞いておいた方がいいのかも?


 諸々もろもろ信じられない心境ではあるが、まずは助けてもらったことの感謝をエルミリディナにも伝えておく。


「えっと……皆さんには助けていただいたみたいで、ありがとうございます」


 エルミリディナの立場が一番上なのだとすれば、一度は直接伝えておいた方が無難で、不足するよりは少しぶんなくらいがちょうどいいだろうと考えてのことだ。


 エルミリディナは至誠の左隣の席に座りながら「おやすようよ」とほほむ。


「顔もわいいし、きちんとお礼の言える子は好きよ、私。――ねぇリネーシャ、私がもらっていいかしら?」

「ダメだ」


 人のことをもらうもらわないなどとぶっそうな会話が至誠の両隣の椅子で交わされる。


「えぇー、いけずぅ。――まぁいいわ。帰ったら満足するまでリネーシャに相手してもらうんですもの。一ヶ月もの禁欲生活はつらかったのよ?」

「さて?」


 何のことやら――そんな顔を浮かべるリネーシャに、エルミリディナは口をとがらせる。


 そんな二人に挟まれてどのような言動をするべきか分からない至誠が困った表情を浮かべていると、スワヴェルディが助け船を出してくれる。


へい殿でん。シセイ様が困惑していらっしゃいますよ」


 スワヴェルディのしんげんにリネーシャは肩をすくめ、エルミリディナはなんとも思っていないような雰囲気をかもしている。


 話にはついて行けなかったが、そのやりとりを見ていると、皇族を名乗るエルミリディナに軽い口調で返すリネーシャもまた少なくともそれだけの立場だとるいすいすることができた。


「……ん? 殿下というのは、第一皇女のエルミリディナさんのこと……であってますか――? なら、陛下というのは……」


 至誠が疑問をそのまま口にすると、なぜかエルミリディナが自慢げに答えてくれる。


「リネーシャのことよ。リネーシャには私の国を貸してあげているの。だから肩書きとしては皇帝こうていね」


 命を助けてもらったと思えば、その人物がこっげんしゅでした。などと言われてすぐに受け入れられるはずもなく、至誠は言葉を失ったまま固まった。



 その間にリネーシャは別の誰かに声をかける。


「ミグの方はどうだ? 問題ないか?」


 その言葉は至誠に向けられているが、至誠本人を見ているわけではない様子だ。視線を落とし、腹部の方へ向いている。


『特に報告すべきことはないっすね~。おなかもすいたんでご一緒しますよ~』


 その声は至誠にも聞こえた。だが不思議と『音』として聞こえてこなかった。耳をふさいで声を出したときのような、直接脳裏に響くような不思議な聞こえ方だ。


「もし観測に変化があったら報告しろ」

『ちょっ! 待って下さいよ陛下ぁ! ウチもおなかすきましたって! 一緒に食べますって! げんにウチの分の食事も用意されてるじゃないですかっ!』


 脳裏に響く声は若い女性のような印象を受ける。少しばかりお調子者のような雰囲気に感じたのは、リネーシャとのやりとりが原因かもしれない。


「別に食わなくとも問題はないだろう?」

『栄養的には問題ないですけど! でもしい食事をとらないと精神力が回復しなんっすよ!』

「なら念のため核はそのままだ。預かっていたふくぞうの方を返すぞ」

『りょーかいっ!』


 会話が収束すると、リネーシャは右手を軽く握り、至誠とは反対方向へ腕を伸ばす。

 直後、こぶしすきからドッとあふれ出したのは赤黒い液体だ。


 至誠にはそれが『大量の血液』に思えた。

 びっくりして椅子から立ち上がり半歩後ろに下がりかけたところで、エルミリディナに両肩をおさえられる。


「大丈夫よぉ。安心して?」


 至誠の気づかないうちに彼女も立ち上がり、蠱惑こわく的な声音こわねささやく。


 リネーシャの出血量しゅっけつりょうは、明らかにその小さな体よりも多い。失血死しっけつしになるどころの話ではないが、当の本人は全くかいしていない様子だ。


「んぁ――っ!」


 直後に聞こえてきたのはそんな若い女性の声だ。それが先ほど頭に響いた声質と同一であることを、至誠はすぐに認識にんしきした。


 声の主はりゅうどうする血液をうねらせ、肉体らしき部分が形成する。その様がゲームでよくあるスライムを連想れんそうさせたが、次第に人体じんたいした形状で落ち着くと、顔もまた人と違わない造形ぞうけいす。だが皮膚ひふは見当たらず、その全てが血のかたまりだ。


「いやぁ、今回はうちが一番がんばりましたよね――っ!」


 人の形を成した血液からそんな声が聞こえてくる。

 その声音は、先ほどまで至誠の頭に響いていた声質と同一人物だ。よく見ると、人の口に当たる部分が、人と同じように声に合わせて動いている。


「そうだな。ミグがいなければせいの成功率はそれなりに下がっていただろう」

「でしょでしょ~? 帰ったらごほうの話、進めちゃいますね~」


 言葉を失う至誠とは対照的に、リネーシャはさも当然のように言葉を交わしている。


「例の予算の件ならこうりょしてやろう」

「いぃっやっほぅ!」


 血液の塊はかんの声を上げながらガッツポーズをかかげた。


 それはまさに人とそんしょくないようそうで、けいせいされたよう姿は二十代前半ほどの女性のようだ。


 そう考えている内に、彼女はリネーシャの背後をぺちゃぺちゃと通り過ぎ、至誠の目の前まで歩み寄ってきた。


「っと、ほったらかしで勝手に盛り上がってごめんね! いや~、それにこういう容姿だと初めての人はびっくりしちゃうよね」


 彼女は毎度まいどのことだと言わんばかりのれた口調くちょうで至誠に話しかけてくる。


「ウチはミグ・レキャリシアル。流血鬼りゅうけつきっていう種族なんだけど、絶滅危惧種ぜつめつきぐしゅっぽくってあんまり知名度ちめいどないんだよね。でもま、取って食べたりしないよ。よろしく!」


 そういいつつ、左腕で握手あくしゅを求めてくる。正確には左腕の形状をした血液の塊だ。


 至誠が思考力を取り戻すよりも早く、エルミリディナが皮肉を挟む。


「言葉が出ないのは貴女あなたの外見じゃなくて、いきなり全裸で握手を求めるヘンタイさについてじゃないかしらぁ?」

「あっ、しまった! いや~、他人なかに潜ってると服とかを気にしなくていいからつい忘れちゃうんですよね。でもまぁ単なる露出ろしゅつなんて、殿下でんかに比べたらむしろせいですよ」

「あらそうね。じゃあ例の予算の件、こっちで凍結とうけつしておくわぁ」

「ちょちょちょ! 待って下さいよ皇女殿下様ぁ! 殿下ほど倫理観りんりかん道徳心どうとくしんを持った人格者じんかくしゃはいないっすよ! いやぁあこがれちゃうなぁ! さすがれんめいりんいんかいの会長をけんにんしているだけのことはありますわぁ!」


 部外者である至誠にまで伝わるほどの白々しいゴマすりを口にする。


「あら、分かってるならいいの。次に余計なこと言ったら流血鬼の性感帯せいかんたいがどこにあるかの研究、ミグを被験者ひけんしゃとして立ち上げるから」

「変な研究を立ち上げようとしないでくださいっ!」


 ミグがツッコミを入れている間、その体表たいひょうが黒く変色していく。


「――んじゃ、とりあえずこれでいいっすよね」


 それは凝血ぎょうけつと表現するのがもっとも近く、まるで黒いそでしのインナーと短パンでも着ているかのようにどうの一部が黒くなっていた。


凝血ぎょうけつは服じゃないって結論は出てたはずだけどねぇ。……まぁ、おおやけの場でもないし、今はそれでいいわぁ」


 エルミリディナがうすわらいを浮かべつつ、肩をすくめている。

 そんな彼女を尻目しりめに、ミグは相変わらずほがらかな笑みを至誠に投げかける。


「ってことで、改めてよろしくね!」

「は……はい」


 至誠はどうするべきか結論は出なかったが、再び差し出したミグの手を取った。その判断に至ったのは勢いに押されたとひょうするのがもっとも適切てきせつだろう。外観がいかん以外の第一印象が悪くなかったのも大きいかもしれない。


 その感触は人の手というよりも水風船に近い印象だ。


 手を離しても至誠の手に血は付いておらず、その不思議な感触に気を取られている間に、ミグは満足したように笑みをこぼしつつ、リネーシャの右隣の席に座った。


 そんなやり取りの間に食事の準備が整っていたようで、エルミリディナの左隣にテサロが、さらにその隣にリッチェが腰を下ろす。


 唯一、スワヴェルディだけはリネーシャのそばに立ったままだ。その手にはワインボトルらしきびんを手にして。


「さて諸君しょくん。夜も更けてきたが、日付が変わらないうちに食事にしよう」


 せいじゃくを破りリネーシャが口火を切る。

 いや、その静寂は彼女が口を開くのを周囲が待っていたことを物語っていた。


「まずは、ひと月半におよぶ任務をきんべんにこなしたことをねぎらおう。ご苦労だった」


 リネーシャの言葉は、至誠以外の全員に向けられていた。同時に、至誠とリネーシャ以外の面々は、手を太ももの上で組み、頭を下げる。

 それはリネーシャに向けられたものだと至誠もすぐに理解できたが、彼女の座っている位置が至誠の右隣のために少し居心地が悪い。


 同じようにした方が良いかとも考えたが、どのような文化なのか分かっていない以上、下手にをするのはかえって失礼な気がした。


 かといって何もしないのもどうなのだろうかと感じ、どうするのが最適なのか考えているうちに周囲の頭が上がり、リネーシャが言葉を続ける。


「ではここから先はれいこうだ。食事を楽しんでくれ」


 各々が料理に手を付け始めると、スワヴェルディはリネーシャのワイングラスに飲み物をそそぐ。ドロッとした赤黒い飲み物で、トマトジュースではないのは間違いない。


 ミグに目をやると、鶏の丸焼きらしき食事に手を付けている。

 手羽先に付けられた紙を持ち、足をちぎってから食べている。


 そうやって取って食べるためなのか――と思いつつ他の人にも目を向けると、エルミリディナとテサロ、リッチェはナイフで鶏の丸焼きをきちんと切り取っていた。


 雑に引きちぎるのはミグだけのようだ。それに食べるのも速く、至誠が周囲に目を配っている間に既に足先が半分くらいになっている。


「どうした? 食べられそうにないか?」


 リネーシャがワイングラスから口を離しつつ、食事にまだ手を付けない至誠を案じる。


「あ、いえ。こういう種類のお肉は故郷こきょうにはなかったもので」

「シセイの祖国はニホンと言ってたかしら? そこではとりにくを食べる習慣はなかったのかしらぁ?」


 上品に肉を切り分けるエルミリディナが日本という固有名詞を口にして問いかける。おそらく見えないところでテサロから聞き及んでいるのだろう。


「あ、これ、とりなんですね……。日本でも鶏肉とりにくは食べてました。……ただ、翼が6枚もあるとりは……はじめて見ました」


「へぇ、面白いわね。普通、鶏肉と言ったら翼の枚数が多いほど高級なものなのに」


 まぁとりあえず食べてみなさいな――とエルミリディナにさいそくされたので、六枚の翼のある鶏の想像を後に回し、恐る恐るナイフとフォークを手に取る。ミグ以外の食べ方を参考にしつつ、手羽先の肉を切り取り口に運ぶ。


「――っ!」

「どうかしら? 口に合わなければ他のを用意させるから、えんりょなく言いなさい」

「いえ、とてもしいです」


 シンプルにして率直な感想を口にしつつ、反射的に笑みをこぼす。それほどごくじょうの肉質に思えたからだ。


「それじゃあ冷めないうちに食べてしまいなさい。おかわりもたくさんあるわよ」

「ありがとうございます」

「あ、おかわりオネシャス!」


 そんな会話の最中に、すでにミグは完食しておかわりをしょもうする。


 ほどよい肉質と焼き加減は、ジューシーで舌の中でとろけそうな感覚すら覚える。味付けはシンプルに塩。香辛料こうしんりょうも使われているようだが具体的に何かは分からなかった。唯一、至誠が間違いなく言えることは、白米はくまいが欲しくなるという点につきる。


 現状で気になることも分からないことは多く、比例して不安も大きい。


 しかしこんな状況下でも、おいしい食事をたんのうできるだけで人という生き物は少なくない充実感じゅうじつかんを得られるようだ。

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