第8話 捜索

 眺める街並みは活気溢れ、たくさんの人々が道を行き交っている。

 その人達は皆笑っている。家族で並んで歩いている。ベンチに座って友達と話している人達が多数いる。見た事のない店がたくさん並んでいる。

 ヴェルト達がいた時代では見掛けることのない、今では古くさいと言われてしまうような車が、間を空けずに前を通り過ぎていく。それらが色取り取りで綺麗だとヴェルトは思った。

 これほど多くの車が一度に通る光景を見たことがない。中の世界にいた時も、そこまで遠くに行く機会も無い上に、貴重度が増し高騰したガソリンに金を使うくらいならと、徒歩や自転車で移動する者が多く、車を利用する者はそこまで多くは無かった。

 いや、それにそもそも、この街に住んでいた時も見た事がない。

 ヴェルトは、始まりの街と呼ばれるようになった後のこの街しか知らない。街も人も荒みきり、暗い雰囲気を漂わせていたヴェルトの知っている街はそこには無く、明るく笑い声と車のガス音が絶えない、人が溢れる街しか見当たらない。

 先程の草原のような場所から少し歩いてこの街に入った。それから観光気分でこの街をいくら歩き回っても、人が途切れることはない。

 ヴェルトにとっては今目の前に広がる光景には見覚えがない、斬新なものばかりだ。勿論斬新であっても、それは寧ろ時間的には古いものばかりになるのだが。いや、正確には目で確かめるのは初めてだが、話自体はトムから聞いていた。それでも実際目の当たりにすると、驚かないことは出来ない。


「こんな時代もあったんだ……」


 隣にいるミリアも意外そうに、驚いた様子で街の様子を見つめている。

 ミリアも同じ。廃れた後のこの街しか知らない。生まれた時から住んでいたヴェルトとは違い、途中から来て、ほんの一年ぐらいで出て行ったミリアでも驚いてしまうのは無理はない。

 

「ああ、俺も驚いたよ。なんだよ、これ。栄えすぎだろ」


 皮肉気味にヴェルトが口にする。

 逆に言えば、これからあんな地獄に墜ちてしまうのだ。それがよく赤体病の恐ろしさを物語り、そして人間の負の部分の大きさを説いてくる。

 この世界は作り上げるのにはかなりの苦労を要する割に、壊れる時は一瞬だ。この少し後にこの栄華は崩壊する。それにヴェルトは虚しさを感じた。

 苦労を要するのは作る時だけじゃない。崩壊したものを作り直そうとするのにはそれ以上の労力が必要になる。そんなもの今まで散々見て、聞いてきたのだ。

 しかし、それでも虚しさの反面、気分が高まっているのも確かだった。自分が住んでいた街が、こんなに賑わいでいる。これが過去だとしても、確かにこの街は人々の歓喜の声で溢れていたのだ。一時の夢だとしても、それを味わえることがヴェルトには嬉しかった。

 

「ヴェルト、これからどうする?」


 予期していなかった街の姿に呆気を取られていたヴェルトは、しかしミリアの言葉で本題に思考を向ける。

 まず、やるべきこと。


「そうだな。まずさっさと感染者を見つけたい所だが、人を探すっつったって……これじゃあな」


 辺りを見回し、改めてこの街の広さと人の数を実感する。途方もない、どころか本当にここにいるかすら確証のない人探しを想像し、はあっと口から溜息が溢れてくる。

 赤体病の原因であるウイルス、デッドウイルスの潜伏期間は人によりまちまちだが、平均的には二、三週間と短い。しかもその上、風邪に酷似した症状で発症したかと思うと、そこからはあっという間に体を蝕んでいく。

 それにそもそも元の時代から持ってきた薬は、未完成と前段階の薬。どこまで効力があるか定かではない。

 確実に救出する為に求められるのは、早急に、かつ少ない手掛かりで見つけ出すこと。

 この街の中から何の情報も無しで一人見つけるだけでも骨が折れるというのに、更にその個人の特定すら出来ていないとすれば、どれ程困難かが分からない筈がない。

 

「それでも俺らに出来ることっつったら、手当たり次第にそういう症状の人がいないか聞いていくしか無いよな」


「……そうだね。あとは、人が多い店を狙って行くっていうのも良いと思う」


 こちらに向き直したミリアが、出した案にヴェルトは頷く。現状、それが唯一にして最善の手だと二人とも理解しているからだ。

 それから二人は、目の前に赤髪のピエロらしき生物の像が置いてあるファストフード店があるこの場所で二時間後に待ち合わせる約束をしてから、二手に分かれて聞いていくことにした。

 といっても、最初はミリアが何故かやたらにヴェルトを心配して一緒に捜索しようと主張してきた為、別れた方が効率が良いとヴェルトが押し切ったという形なのだが。最終的には、渋々ながらもミリアも了承した。

 ともかくそんな訳でミリアと別れたヴェルトは、まず周りの人に聞き込みをしていった。しかし勿論、そんな簡単に見つかることはない。

 そのまま続けていくと、ある店の前で賑やかな声が聞こえてきた。声に釣られてその外の看板に、『HELLO WORLD』と書かれたレンガ造りのその店に入るとそこは酒場のようだった。

 店内を眺めると、入って少し進んだ右側にカウンターがあり、その向こうの棚には様々な種類の酒瓶が置いてある。それ以外のスペースには円形テーブルが散在されているが、それを囲んでいる人も少なくない。

 そんな状況を見て、まだ昼間にも関わらず、良い大人がこんな所で飲み耽っていることに驚きを感じた。

 特に店の丁度中央辺りの席で、あごひげ生やしたような男数人が、酒を飲みながら騒いでいる様子にヴェルトは内心で引き気味になるが、それでも情報収集の為に入っていくことにした。


「あら、坊や、どうしたの?」


 近付いたヴェルトに先んじて、それまで男達と話していた、長い黒髪に被せるように白いバンダナを頭に巻いた女の人に声を掛けられた。

 黒いTシャツの上にした白エプロンから見て、この店で働いている人だろう。


「あっ、ちょっと尋ねたいことが――」


「おい、坊主。ここはお前のようなまだガキな奴が来る場所じゃないぞ」


「まあ良いじゃねえか! せっかく来たんだからお前も飲んでけよ!」


「おっ、いいね、いいね!」


「いや、俺は別に……」


「そうよ、ダメじゃない。まだ子供じゃないか、デニスさん。というか、あなたもう酔っ払てんじゃない?」


「俺か? 俺はまだまだだよ! ガッハッハ!」


 ヴェルトが喋ろうと思うも、男達は遠慮なくどんどん喋り、若干雰囲気に呑まれ気味になる。

 そんな中、ヴェルトに酒を勧めてきたデニスと呼ばれていた、チェックの服の上からでも分かるガタイの良さと筋肉を持つあごひげの男が女性に注意を受けるも、まるで意に介さないかのように愉快に笑っている。釣られて、全員で笑う。どうやら、この人がグループの中心人物らしい。

 それにしても、来て間もないというのにすっかり親しげに接してくるなと、ヴェルトは戸惑ってしまう。


「でも本当にどうした、偉い若いもんが昼間っからこんな所にやってきやがって。なんだよ、ひょっとして暇なのか?」


 いや、それお前らだろ! とヴェルトは一人の男が言った言葉に内心で反論する。

 いい歳したおじさんが、昼間から酔うぐらい飲むなよ。

 当然のことだが、この店にヴェルトぐらいの歳の者がやってくるのは珍しいらしく、それが嬉しいのか男達と女性は水族館にいる猿を見るように物珍しげな目で、かつ興味深げにこちらを見つめている。


「ある理由でちょっと調査してるんです。聞きたいことがあって来ました」


「おっ、刑事ごっこかよ」


「おっ、俺も昔やった、やった」


「いや、違いますけど!」


 あっはっはっと再び起こる大爆笑。

 ちょっと黙っててくれないかなと思いつつも、ヴェルトはとりあえず話を続ける。


「聞きたいことっていうのは、誰かこの街で、最近四十度を超える高熱になった、あるいはよく血を吐くようになったという人を聞いたことありませんか?」


「んっ……? 聞きたいことって、熱、血だあ? 知らねえな」


「へえ、デニスさん知らないのか、医者のくせに」


 飲んでいる集団の中の一人がおどけたように笑いながら言う。

 その言葉にヴェルトは素早く反応する。


「えっ、あなた医者をやっているんですか?」


「いや、医者って言ったって、大したもんじゃねえよ。家族と数人の医師で経営してる個人病院をつい半年前ぐらいから経営してるぐらいだよ。そんな訳で患者もそんないっぱい来るって訳じゃねえし、それに当てはまる患者は最近では見てないな」


 で、お前らは? というデニスの問いに、他の者も顔を見合わせ首を横に振ったり等、知らないというアピールを見せる。


「私も知らないわね……。あっ、でもヘルマンさんっていう常連さんなら、四十度とまではいかなくても最近三十八度ぐらい熱出して寝込んだって聞いたけど」


「それ、本当ですか?」


 女性の情報に前のめりになってヴェルトが尋ねる。

 三十八度だとしても、今後病気の症状が出る可能性がある。マークしておかない手はないとヴェルトの期待値が上がる。


「ええ。でも、血なんか吐いてないし、今日見かけたら昨日治ったってピンピンしてたけど」


「ああ、それ完全にただの風邪ですね」


 期待した分っというのも無礼だが、その分がっくりと肩を落とすヴェルト。

 

「でも彼、面倒だからってあと三日は仕事休んでやるって言ってるのよ」


 いや、別にヘルマンさんの情報は求めてないんだけど、とヴェルトは気落ちする。

 ていうかヘルマンさん、それただのサボりじゃねえか! そしてそんな中、外出る勇気凄いな! 

 呆れるを通り越して、ヴェルトは見た事のないヘルマンさんに感心してしまった。


「えっと、その、ヘルマンさんのことはもう良いんですけど、とりあえず他は無いということですよね?」


「俺、飲み過ぎて頭痛いわ!」


「俺も、俺も!」


「それは?」


「いや、それはじゃないですよ! それ最早、風邪も何も関係無いじゃないですか!」


 あんたらがどんぐらい酔ったかとか、んな情報いらねえから!

 口々に冗談を言ってくる男達にヴェルトが大声で指摘すると、そこにいる者全員が口を開けてゲラゲラと笑い出した。


「お前、面白いな!」


 デニスが笑いが治まってから言い、また笑い出す。

 時間は無い。なのにまともに質問に答えてくれない。からかわれているのに、しかし不思議と嫌な感じはしない。ヴェルトの頬も自然と緩んだ。

 ああ、似ていると感じたから。

 あの、研究所にいる時に感じる雰囲気と似ている。皆、からかいながらも心の底から信頼しあっているあの暖かい雰囲気に。そこには悪意など何もなく、ただ楽しんでいる人達がいる。

 未来の世界ではほとんど失われつつあったものが、確かにここにはある。


「ごめん、ごめん、ちょっとからかいすぎたわね。でも、私達が知らないのは本当よ。それがどうしたの?」


 女性に問われて、何でか……、っとヴェルトは一瞬逡巡する。


「ちょっとある病気の患者を探していまして……」


 とりあえずはと判断し、ヴェルトはそれだけ答える。

 未来から来た等答えても、あまり深く話しても信じてもらえないどころか疑惑の目を向けられる可能性がある。

 あまり直接的な発言はさせた方が良いと判断した。


「あなたもしかして、医者目指しているの?」


「あー、はい、まあ一応」


 もしもこの世界を変えることが出来たなら、その時にまだ医者を目指すのかは分からないのだが。


「そうなの! なら、デニスさん、良い先輩ね」


「まあ、何かあったら俺に声掛けろよ! いつでも来いだぜ! つっても、キャリア半年程度だけどな!」

 

 暖かい笑いが起こる。


「でも、若いのに目標持って偉いなー、お前! まあ、頑張れよ」


「先はまだまだ長いんだ。焦らずいけよ」


「おっ、言うね、職探し!」


「おい、それは言うなよ! もうちょいで良い仕事見つけてやるんだからよ」


 皆思い付いたことを口々に声に出し、また話が転んで逸れていく。そんなことを続けながら、笑い合う。

 客観的に見て、出会ったばかりでいきなり変な質問をしてきた自分にこんな親しげに接してくれる。そのことが不思議で嬉しい

 さてやらなければな、と強く思う。

 さっさと出て行かなければと、ヴェルトは声を出す。


「ありがとうございました、皆さん。他の所で当たってみたいと思います」


「おっ、もう行くのか! 早いな」


「もうちょっと話していけよ!」


「すいません、あまり時間が無いので」


 一同からぶーぶーとブーイングが起こる。えっ、何でと、ヴェルトは面食らう。

 しかし、直後に再び大爆笑が起こる。


「でも、若いのに大変だな。忙しそうじゃねえか」


「まだまだ時間あるんだから、もっとじっくり味わって生きていけよ」


「そうそう、俺達を見てみろよ。昼間から飲んでるんだぞ。ある時間をたっぷりやりたいことやって楽しむのは最高だぞ」


 やりたいことをやる為に、か。

 ヴェルトは、母親が死んだ時からウイルスを消し去る為だけに生きてきた。だからやりたいことと言われても、結局はその生きる理由に行き着いてしまう。

 それでもこの人達の言っていることは分かる。やりたいことはやっておいた方が良い。

 ヴェルトもそう思う部分はある。


「でもその時間が、この先長くあるとは限らない。ひょっとしたら明日世界が滅亡するかもしれない。そこまで急じゃなくても、何も起こらない保障はないじゃないですか。だから俺は、ただ時間を無駄に過ごすんじゃなくてやるべきことをやるんです」


 突然だった。

 とは言っても、ヴェルトは直接知っている訳ではないのだが、話ではそう聞いている。

 突然前触れもなく、病気は流行りだし、あっという間にパンデミックになった。突然人々の幸せは奪われたのだ。

 その瞬間は近づきつつあることを、この場でヴェルトだけが知っている。


「おいおい随分大袈裟な――」


 デニスが言いながら、ヴェルトを見て言葉を止める。全く自分の言葉に疑心がないというヴェルトの目を見て。

 しかしそれは当然のことだ。ヴェルトの言葉は事実に基づくものなのだから。

 それをどう解釈したのか。デニスはニヤリと笑った。


「気に入ったぜ、坊主。お前、名前は?」


「えっ、ヴェルトですけど。――ヴェルト・レヴォラーです」


「そうか、じゃあヴェルトに習って、俺もちゃっちゃと店に戻るかな」


「おい、お前も帰るのかよ、デニス!」


「ああ、休日とはいえそろそろ患者が来るかもしれないしな。妻に任せっきりって訳にもいかないだろ」


「じゃあ、俺も帰るかな」


 デニスが言うと、一人、また一人、最終的には他の男達も全員席を立ち帰り支度を始める。

 自分が言った言葉でこんな展開になるとは全く予想していなかった為、呆然としていたヴェルトは、しかし数秒後我に返って動き出す。

 「それじゃ」と言い残し、立ち去ろうとした所でデニスに呼ばれたので振り返った。


「またな、ヴェルト!」


 そうですねとだけ、答えてヴェルトは出ていった。

 

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