道中、昼行灯禍難之巻

「一体貴方は何を考えているんですか!? 本当にこれで間に合わなかったら! ……いえ、最初から間に合っていませんでしたね。それでも! これで職を失ったら言い訳はできませんよ! そのあかつきには私と心中させて差し上げますからね!?」

「はっはっは、いやなに久咲が魅力的すぎるのが悪いんじゃないか。俺は最善を尽くしたよ。今だってこんなに急いでいるじゃないか」

「貴方が私に魅力を感じるのはこの耳だけですか!? ……違う、そうじゃない。こんなことで最善が尽くせるなら、この世は今頃もっといい方向に向かっていることでしょう。急ぐのは当然ですが、少しは自分の身を省みてくださいな」


 あんなに嬌声をあげていたのに、もう少しかわいげがあってもいいのになぁ。と、ぼそりと呟けば、顔どころか耳まで真っ赤にして。


「あれは……仕方ないでしょう! この耳は敏感なんです! それをあんなに無遠慮に弄んで……。その、もう少し優しくしてくれれば……いやそうじゃなくて、ああいうことをするなら先に断ってからにしてください! くるとわかっていても心の準備ができていないことの方が多いんですから」

「それはつまり許可さえ出れば好き放題してもいいと、そういう意味で捉えてもよろしいのかな?」

「ぅ、その、えー、お手柔らかにお願いしますね?」


 胸の前で頼りなさげに指をこすり合わせ、目を潤ませて上目遣いでこちらを見てくる久咲に、またも欲望が抑えきれなくなりそうになりながらも道を急ぐ。


「はっはっは、さすが遅刻頭。お熱いですなぁ!」

「おあついですなぁ! おあついですなぁ!」

「おあついですなぁ! はははははは」


 俺の家の近くの住人たちは俺が急いでいるのを見て、今日も相変わらずだなぁ、とばかりに呑気に野次を飛ばしてくる。

 実際ご近所の家を持っている中では一番年若だし、そういう生暖かい目で見られるのは慣れてしまった。別に俺と久咲はそういう関係ではないのだが……。

 ちなみに、大人連中に混じってからかいを投げかけてくるクソガキどもは許されんから、仕事終わりに仕置してやることにしている。俺があいつらを宙に浮かしてやれば、毎度いい悲鳴をあげやがるからな。一体そんなお仕置きが待っているというのに、なぜあいつらはまた俺をからかうのだろうか。


「貴方って面倒見いいですよね」

「いきなりどうした久咲」

「いえ、よくあんなに子供に好かれるものだなぁ、とふと思いまして」

「好かれるも何もむこうが勝手にじゃれてくんだよ。俺はいつも適当にあしらってるだけだ」

「ふふ、あまのじゃくな人ですよね貴方って」


 そう言って微笑んでいた久咲だが、話題をすり替えられたことに今更気づいたらしく、はっとしてこちらを睨みつけてくる。口笛を吹きながらそしらぬふりをしてやれば、それがまた久咲の怒りを買うのだが、一度やわらかいところを見せてしまった久咲ならばもう怖くない。どうせさっきのやりとりが頭に残って茹だった頭では、そう的確には怒れやしないのだ。俺の戦略的勝利である。

 そうやってくだらない三文劇を繰り広げながら町を駆け抜ければ、だんだんと町並みは変わり、ふるきよきといった風情の建物はなりを潜めていく。そこにあるのは天高く聳え立つ高層建築の数々。道幅も広くなり、人よりも車の通りの方が多くなる。

 

 極東の都、摩天楼都市・遠野。


 この、の世で言うところの和の世界観を継承している地域、極東における首都だ。まぁ首都とは名ばかりで、極東の村々は各々が自立していることが多く、あやかしや獣を退治するために都から退魔師が派遣されていることくらいしか、この都市が首都である要素など皆無であるのだが。別に年貢を村々から集めているわけでもなし、退魔師を派遣した謝礼を払ってもらうくらいだ。

 だからこそ、この都市一つが国のようなものなのだ。

 古来、日本と呼ばれた地域は列島全てを支配するものがいた時期の方が短い。だからこそ国という概念でありながら、その中身が頭と体で連動しないかのごとく中身すかすかなのである。国としては存在すれど、この極東は国というよりも地域として捉えたほうが正確だというのが諸外国からしても常識だ。


 だが、それがこの遠野という都市を軽んずる事とは同義ではない。遠野の退魔師といえば、世界に名を轟かせる術師が数多く在籍しているのだ。彼の安倍晴明の子孫を謳う、安倍晴天あべのせいてんなどがその代表格だ。彼は世界的な術比べの大会において非常に優秀な成績を収めている。

 まぁ、その安倍晴天も野試合なら俺は下したことあるんだけどな!

 おかげさまでやつの腰巾着たちに睨まれること睨まれること。それでもって、やつは顔がいい上に性格までいいもんだから女子連中にももてはやされる。だからその煽りを食らって俺はいつでも女日照りのかんかん照り。やはりいい男に恥をかかせたりすると、あとが怖いのだと思い知ったものだ。

 晴天本人はいいやつだから割と仲良くしてるんだが、それもあってか退魔師業界での俺の悪評はとどまるところをしらない。嫉妬ってのは怖いな。決して、俺が巷で遅刻頭と呼ばれていることとは何も関係がないことをここに主張する。


 それはさておき、我らが遠野である。その先進的な街並みは世界的に見ても珍しく、ついたあだ名が摩天楼都市。過去の遺物に等しくなってしまった電気技術を未だに都市の根幹に使用しているという、なんとも風変わりな街だ。

 そんなことだから極東のやつらの頭はをいってるとか言われちまうんだ。

 まぁそれはいい、ところでこの街では車が多く走っているわけだが、これもまた諸外国ではここまで浸透した技術ではない。乗合車や荷車くらいならどこの国でもよく見かけるが、個人が車を持っているところなんてここ遠野以外には存在しない。

 なぜなら、


「おら、そこの車ぁ! 俺様に道を譲ったらどうだあぁーん??」

「は? 何舐めたこと言ってんだ。地獄に落とされたいのかぁ??」

「あ? やんのかごるぁ!」

「やってやらろうかおるぁ!?」


 こういうことが起こる可能性が割とあるからだよっ!

 旧世界では車は自動車と呼ばれて、電気だけで動かすことのできる便利な乗り物であったと言われているが、現代の車はそんな生易しいもんじゃない。あやかしだ。この車という乗り物は、古文書にある牛車と呼ばれる乗り物を原型にしている。

 つまり、人の乗る車を牛頭鬼や馬頭鬼、あるいは火車なんかに曳かせるのだ。こいつらがまた原産地が地獄だからか気性の荒いこと荒いこと。少し渋滞しただけで前の車を曳くやつと喧嘩をはじめるやつばかりだ。

 普段は主の命令もあるし、令もあるからおとなしくしていることが多いが、それでも我慢をぶっちぎったりするとこうやって喧嘩騒ぎを起こす。

 定期的に喧嘩騒ぎを起こされるこっちの身にもなりやがれ!


「おーし、いいだろう喧嘩じゃぁああ!!」

「いくぞおら喧嘩じゃぁあああ!!!」

「喧嘩じゃねぇよてめぇら!? 少しばかり止まりやがれ! 退魔師様のお通りだ!」


 慌てて二匹の間に割り込めば、双方から不満とかを通り越し、憎悪に近い視線を投げかけられる。ああちくしょう、こちとらこんな状況にも慣れっこですよ、ええ。


「おうおうおう、昼行灯の旦那じゃねぇか。今日は何刻の遅刻だい?」

「うるせぇ、その口閉じねぇと牛の丸焼きにしてやるぞ」

「がっはっは、ぜひそうしてやってくれ! そうしてくれりゃあ妙な因縁つけられることもなくなるわな!」

「てめぇが馬刺しにされてろ」

「なんだとおるぁあ!?」

「だからやめろっつってんだろ! とりあえずお前ら車を端に寄せろ。そこじゃ通行の邪魔だ」


 俺が怒鳴ればしぶしぶ言うことを聞いておとなしくする二匹。目線だけはいつまでもぎらぎらとしていて、油断した瞬間にでも襲い掛かりそうだが。道の端に車を止めさせた俺は、毎度恒例のお説教を始める。


「大体だなぁ、お前ら二匹は何度おんなじ騒ぎを起こせば気が済むんだ? 割と顔の区別がつかない牛頭馬頭のお前らの顔を、俺が覚えてしまっているってのがどれだけのことかわかってるのか?」

「ちっ、反省してまーす」

「むしゃくしゃしてやった。今は反省している」

「よしお前ら俺のこと舐めくさってやがるな? 今まで甘く接しすぎたようだな? ここらで一度〆といてやろうか? てか飼い主たちは一体何をやっているんだ!」


 あたりを見通せば、俺の周りの他にも人だかりができているところがあるようだ。いつの間にか車から降りた飼い主同士が腕を組み額を突き合わせている。あぁ、鬱だ。

 俺のお説教の方に来てくれればいいものを、俺にばれないように車から降りるなんて、なんであの二人はそんな無駄技術を手に入れてるんだ……。あの二人が顔を突き合わせたらそれは面倒くさいことになる。今すぐこの一件を無視して参内したいくらいには。


「どうも、牛蒡さん。今日の髭もその細長い土気色の顔に良くお似合いですな」

「ああ、これはどうも馬鈴薯さん。おや今日はその頭から芽が出ていらっしゃる。植毛ですか?」

「よし、その喧嘩言い値で買おう」

「いいでしょう。その脂肪の塊のような体でどれだけ動けるか、見ものですね」

「はっ、抜かせ。そのひょろ長い体がぽっきり折れても知らんぞ!」

「だーかーらー、あんたらもなんで毎度毎度最初から喧嘩腰なんだよ!」


 そう、確かに車を引くあやかしたちの間で喧嘩騒ぎが起こることもある。でも、それは月に数件あるかどうかだ。この二人とあの二匹が絡まなければ、だが。


「おや、昼行灯くん今日もまた遅刻かね。あまりいたずらに家内を不安がらせるものではないよ」

「家内って誰のことだよ。あんた独身だろ?」

「私のではない、君のだよ。あんな美人を捕まえて、君もなかなかやるじゃないか」

「……もしかして久咲のことか? あいつはそういうのじゃないよ。俺の立派な従者さ」


 我が有能なる従者久咲を自慢できた俺は胸を張り、ふふん、とどや顔を決めていたためにその顔を見ることはなかったのだが、久咲はそのとき凄まじい顔をしていたらしい。

 後に居酒屋で出会った馬鈴薯さんからその話を聞かされた俺は、紆余曲折の果てに一大決心をする羽目になるのだが、それはまた別のお話。

 いや、それだけが理由なわけじゃないんだけどさ。きっかけであったのも事実だ。


「あぁ、うん、君はそう思っているのかもしれないが、傍から見れば嫁さんにしか見えないからな? どっちにしろあんまり迷惑をかけるんじゃないぞ? お前さんはただでさえ素行が悪いと評判なんだから」

「おう、なるべく善処しようと思っているよ。助言ありがとうな……だけど、」

「うむ、ならばいい。さて、私は先を急ぐのでこのあたりで……」

「助言はありがたいんだが、自分を棚に上げて言われても心に響かないよなぁ?」


 後ろを振り返ろうとした馬鈴薯さんの腕をがっちりと掴む。俺の隣では、久咲が同じく話をごまかそうとした牛蒡さんの手を縛っている。この人たちは本当に何度その手を使ったら気が済むのだろうか。

 確かに最初の一回は引っかかったかもしれないが、そのあと何度も引っかかるほど俺は馬鹿じゃないぞ。……最初の一回に引っかかったのすら不本意だってのに。


「さ、今日という今日はもうだめだ。あんたら二人もあの二匹もついてきてもらうぞ。今まで罰金と口頭注意で済ましてきてやったってのに、反省が全く見られない。あんたら二人か、あの二匹か、どっちかが牢に入れば少しは改心してくれるよな?」


 なんだかんだで二人が出会いさえしなければ、各々は常識的だし、親切にもしてくれるから甘い対応をしてきたが、そろそろ庇いきれない。一度痛い目を見てましになってくれることを祈るばかりだ。

 今回の喧嘩騒ぎも一件落着した、と周りの人だかりが少しずつ解散していく。この騒ぎで一賭け席を設けようとしていた胴元どもはこちらを憎々しげに睨んでいるが、あいにく今は仕事中だ。

 こんなところでそんなことされちゃあ捕まえざるをえなくなるんだから、さっさと逃げてもらわなければ困る。娯楽が減るのはちと寂しい。


「さぁ、牛蒡さん馬鈴薯さん、それと牛頭馬頭。あんたらを喧嘩騒ぎの現行犯で詰所まで連行させてもらうぞ」


 ふと、疑問に思うことがった。あんなに騒がしくするのが得意な二匹がいるのに、さっきから静かすぎる気がする。具体的に言うとすごい嫌な予感が起きるくらいに。

 久咲の方に目をやれば、諦めろと言わんばかりに首を横に振った。ぎぎぎ、と頭を後ろに向ければなんということでしょう。牛頭馬頭のお二方がとてもやる気でいらっしゃる。


「昼行灯の旦那。今俺らを牢に入れるなんてふざけたことを抜かしましたかい?」

「地獄で罪人どもを管理する側のはずの俺達を、捕まえて使役するだけじゃあ飽き足らず、更に牢に繋ぐだって? そいつぁ我慢できそうにないなぁ」

「もちろん任意同行だよな? 拒否権はこちらにあると思ってもいいんだよなぁ?」


 いつもより冷静な口調とは裏腹にその口からは怒気の代わりに蒸気を吹き出し、どこからか牛頭は斧を、馬頭は鉄の棒を取り出している。本来家庭用の式に落とされた彼らにはできるはずがない芸当。

 それと前後して、ぼきぼきと手の骨を鳴らす二匹から妖力が漏れ始める。これはよくない兆候だ。彼らを縛る式が緩み始めたことをあらわしている。

 普段から割と自由に闘争心を燃やせるような環境を構築してた飼い主二人の責任だな、これは。この一件が片付いたら、二人には式保有に関して制限をかける必要があると判断せざるをえない。多少不便にはなるだろうが、こればかりは譲ることができないな。


 牛頭馬頭の二匹はだんだんとその身に纏う妖力を強く厚くしていく。その速度は俺の想定以上で、どれだけ自由にさせていたらここまでゆるゆるな式に仕上がるのか不思議でならない。

 鬱憤が溜まっていたのもあるだろうが、この二匹と飼い主たちはわりかし仲良くやっていたように思うから、こんなに式が緩むはずはないんだが。


「さぁ、昼行灯の小僧。貴様を打ち倒せば我らは今一度自由になれる」

「そうだ、我らを縛り上げたお前を殺せば本当に自由の身に戻ることができる」

「さすがにこんな街中では大規模な術は使えまい! 我らを倒せると思うなよ!」

「さぁいくぞ昼行灯。術の用意は万端かぁ!?」


 飼い主二人は早々に俺のはるか後ろへと逃げていっているが、それでも遠くから見守っているのは一端の責任を感じているからだろうか。

 まぁ、逃げてもさすがにこうなるとしょっぴかざるをえないので、存分に震えながら反省していてくださいって感じだ。二人の前には久咲が立っているから安全だろうし、気づけば周りには人っ子一人いなくなっているから、被害を出すことなくこの二匹をなんとかすることができるだろう。

 今にも飛びかからんとしている二匹の前で、俺はゆうゆうと懐から一枚の札を取り出す。


「しかたない、試したい術式もあったからな。寝起きの運動がてら、の試験運転に付き合ってくれ」

「もう十分寝起きの運動はしましたよね?」

「よし、寝起きの運動のくだりのことは忘れろ! 俺が相手してやる! かかってこいやぁ!?」


 俺が叫びをあげたのと同時、武器を振り上げた牛頭と馬頭が一気呵成に襲いかかってきた!



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