第肆幕・鬼譚怪力乱神

 その空気感はなんとも居づらいものだった。なんかもうまだ立っていられた局側のやつらが全員飯野に同情の視線を向けるくらいには。

 あれだけ啖呵を切っておいてその肝心の存在がこれでは……その、あれだ、元気出して欲しい。

 飯野の顔が恥に歪む。薬缶のように真っ赤になって喚き始める。


「ね、寝ていいわけないだろうが! お前の役目は出おちじゃないんだぞ!? あいつら全員倒してもらわなければ困る!」

「そっかー、大変だね。で、寝ていい?」

「人の話を聞かんかど阿呆!」


 にへら、と頬を緩ませ足をぶらぶらさせて遊んでいる、酒呑童子と思しき鬼。

 人型を取っていることからも、今の無意識で行われたとは思えない威圧からもその実力は知れるのだが、何分態度がそこらの町娘と遜色ない。

 本当にあれが彼の伝説の鬼の大将なのだろうか? 全然想像と違うのだが?

 そもそも女だし。伝承通りなら男であるべきだろ。もしかして全く違うの喚んだのか飯野のやつ。鈴鹿御前とかだったりするのだろうか。その割には刀が見当たらないが。


「くっ、まぁいい。お前の出番は後だ。俺が起こした時に起きればいい。いいか! 起こしたら絶対起きろよ!? 絶対だからな!?」

「わかったよぉ。じゃあ、あっちで寝てるからね。おやすみぃ。あっ、そっちの人たちもおやすみぃ」


 そう言ってこっちにふりふりと胸元で手を振ってくるのだが、俺はあれに振り返すべきなのだろうか? いや、かわいいし律儀に挨拶されたのだから返すべきなのだろうが、本当にそれでいいのかと悩む俺がいるのも事実だ。

 まぁとりあえず振り返しておいてあげたらまたにへら、と相好を崩して去っていったから、間違った選択はしていないんじゃないだろうか、うん。久咲の視線が厳しいが、かわいい女の娘に手を振られて反応しない男がいようか? いやいない。

 周りを見れば、立っているすべての男の局員の右手が上がっている。あの硬物局長ですら手を振っているのだから、俺の対応にはどこにも間違いはなかったと断言できるだろう。


「……全くこれだから男ってのは馬鹿なんです」

「そればかりは同感だわ久咲ちゃん」


 そして面倒なのが釣れた……。

 今ぼやく久咲に乗っかったのは局の会計の頂点。この退魔局を裏から操るともっぱらの評判のお局様だ。

 名を加茂醜子。

 名門加茂家において、生まれた時から宿命を背負ってきた運命の寵児であり、そしてそれらすべての障害を実力で蹴散らしてきた女怪である。

 双子として生まれ、兄の方に加茂家を継がせるために忌名をつけられたというのに、それを覆す結果を残して加茂家の跡取りの座を手に入れた、女傑を超えた本物の女怪である。

 正直言って関わり合いになりたくない。それにはこの女怪の唯一の趣味が起因する。


「男ってのはどうしてああいう娘が好きなのかしら? 乳臭いばかりで全然魅力的じゃないじゃない。もっと私みたいな魅力的な女に靡くべきでしょ?」


 そう、この女の趣味は男漁りなのだ。そして、こいつはその権力を振りかざすことに何の呵責も感じないし、自分の術を魅了のために使うことにも何の躊躇いもない。

 まぁ何が言いたいかというと、大抵の中級下級の男どもはこいつに喰われる。こいつに喰われなかったやつだけが上級になれると言ったほうが適切なくらい喰われる。

 下手すりゃ退魔師見習いの時にこいつに摘まれるやつだって少なくない。


 確かに名前に反してこいつは綺麗だ。それは認めよう。だが、手癖の悪さが尋常じゃない。誰が好き好んで毎日別の男と寝る女を選ぶというのか。おかげさまで上級や、現実を知った局員は大概こいつに近づかないようになる。

 それがまた気に入らないらしく、なにかと因縁をつけて押し倒そうとしてくるので評判が良くないのだ。

 まぁ、それでもこんな美人から迫られるなら本望だって層が一定はいるからそいつらを相手にしているようだが、彼女が望むのはそういうやつらじゃないらしく、日々不平不満を言っている。


 行きつけの居酒屋が一緒なおかげで、よく出くわしては愚痴を言われる俺の立場になってくれ。本当につらいんだ。特に酔っ払ってるからって全力で魅了かけてきた上でお持ち帰りかまそうとしてくるあたりが。

 なんで俺は変なのばかりに好かれるんだ……お前らはお呼びじゃねぇんだよ。間宮といいこいつといい、別に俺にこだわる必要ないじゃねぇかよお前ら。

 もっとになってから出直してこい!


「とりあえず、そういうお前の持論はいいから。局長これからどうしますか? あの明らかにやばい鬼は下がりましたが、こちらの中級もほとんどがやられました。残っているのは歴の長い熟練ばかりですので戦力としては十分ですが」

「ふむ、これは困ったな。あやつが窮地に陥ればあの鬼を起こしに行くだろう。その前に他の鬼だけでも殲滅したいところだが。なにか大規模な術はないか? ある程度の被害は許容しよう」

「それでしたら私がどうにかしてみせましょう。なに、心配はいりません。何も心配することはありませんからね!」

「いや、お前に任せたら何が起こるかわかったもんじゃねぇだろ。絶対に俺たちにまで及ぶ超広範囲高威力の魅了ぶっぱなすだろお前」

「そ、そんなことはないんじゃないかなーって。と、とりあえず私に任せてから考えましょう!」

「局長、俺がやりましょう。こいつに任せたらそのあとが怖い」

「ふむ、それが妥当だろうな。だが、呪力の方は大丈夫なのか? あれだけ大規模な術式を使っていたし、昼にも模擬戦をやっていたんだろう? ついでに言えば朝も事件を一件解決している」

「無視された!?」

「お前は少し黙ってろ。呪力に関してはほとんど底ですが、まぁ使い尽くす勢いでいけば一発は撃てるくらいですかね。そのあとの本命での戦いでは役に立ちませんが、今の時点でも役に立たなさそうなので、案山子と木乃伊くらいにしか変わりがありませんよ」


 俺の状況を聞いて、顔を顰める局長。まぁ、主力の一人がもうほとんど使い物にならないと言われれば少しは考えるだろう。

 だが、俺としてもなかなかに仕事したとは自負しているのだ。昼間模擬戦をしていなければこのあとの戦いでも活躍できただろうが、それを言えば鬼が笑うだろう。

 俺の話から晴天もある程度役に立たないことを察しただろう局長は、この鬼どもを薙ぎ払ったあとにどうやって飯野を捕らえるかについて考え込んでいる。


 そうやって俺たちがどうするかを考えている間に飯野はなんとか怒りを抑え込んだらしく、鬼どもをこちらに向かって差し向けてきている。

 鬨の声を上げて大軍勢が攻め入ってくるのは迫力があるが、さっきもっと多くの鬼を見てしまったからかいまいち感動できない。

 慌てて残った中級たちが迎撃のために術式の釣瓶撃ちを再開する。数が多いだけあって撃ちゃ当たる。だが、数は減れども焼け石に水だ。それだけでは全く殲滅できそうにない。


「ならば、この凡暗がある程度片付けたならば、残りは私が請負いましょう。術一つ使える人員が残っているかどうかで戦況は大きく変わります。何も一人であの量を片付ける必要もありますまい。私の術はあまり直接は作用しませんから、それがちょうどいい役割分担だと思います」


 その時、眼鏡をかけた問題児が提案をする。その顔からおちゃらけた雰囲気は抜け、会計を仕切る時と同じ知的な印象だけを感じる。普段からこうやって知的な美人として振舞ってくれていれば、結婚相手だってすぐ見つかるだろうに。

 そんなんだから寝る相手は見つかっても結婚してくれるやつが見つからないのだ。そして痴的美人は今日も自分を受け入れてくれる男を漁りに行くのだな。なんとも悪循環なことだ。

 加茂家は絶対に当主をこいつの兄に据えなおすべきだ真面目に。


「そうだな。それがいいだろう。よし、お前ら二人でやつらを一網打尽にしろ。残った人員で飯野と例の鬼を相手する。撃ち漏らしてもいいが、なるべく少なくしてもらえると助かる」

「了解しました。今日一番の大花火を見せてやりましょう」

「了解です。この私の美に鬼すらも酔いしれることでしょう」


 例え素行に問題があったとしても実力は本物なのが上級局員。誰もが一般常識をどこかに忘れてきたやつらばかりだが、現場に出ればその影響は侮ることは許されない。

 この女だって魅了や幻術の専門家。幻惑することにかけて局でこいつの横に立てるものはいない。


 話を終えて、局長がこちらに攻め込んでこようとする鬼どもの足止めに走る。あの人は呪力も多いが、術はほとんど使わず刀ですべてを切り裂いていくからとても燃費がいい。

 あの人が前線に立っている間はここまで鬼が雪崩込んでくることはないだろう。中級たちがちまちまと数を減らしていることもあるし。

 というわけで、安心して方針の擦り合せだ。もともと一人でなんとかするつもりでいたから、こいつと二人でやるならば新しく作戦を立てねばなるまい。

 といってもこいつの得意分野的にやることはほとんど変わらない気はするが。


「さて、どうするんだ?」

「貴方が蹴散らしたあとに私が残りを魅了。敵方から離したあとに私が少しずつ処理していくわ。魅了しちゃえば被害を出すことなく効率的に処理できるからね」

「了解した。ってことは俺がお前一人でなんとかできる量まで減らさなきゃいけないってことだな。それだとあんまり術式の規模としては変わらないんじゃないか? それよりも、お前が魅了して飯野を中心に団子にしてそれ吹っ飛ばしたほうが早いんじゃね」

「お、冴えてるわね。それでいきましょう。局長たちの出番がなくなるかもしれないけど、別に倒してしまっても構わないのでしょう?」

「よーし、それで行くぞ。久咲! 護衛! 俺ら二人は今から術式を練る!」


 方針を決定した俺たちは互いに己の術式の選択にかかる。これだけの軍勢を相手にするのだから、地獄の門くらいど派手な術式でなければ効かないだろう。実際鬼の肉体は頑強だ。それを消し飛ばすほどの火力を少ない呪力で捻出しなければならない。

 たとえ相手が固まっていて動かなかったとしても、それを倒せないのでは本末転倒だ。かなり難しい問題だな。


 だが、いつだって俺に振られる役割はそんなのばかりだ。

 俺がそういう面倒事は背負うから、あとの晴れ晴れとしたところは局長や晴天にやってもらいたいところだ。

 会計の上役であるこいつも俺と同じ日陰側。なんともまぁ、適した役割のもとに舞台は回るものよ。黒子は黒子らしく精一杯目立たせてもらおうかな。


「それはいいのですが、道臣。本当に大丈夫ですか? 今日の呪力の消費量はかなり多い。貴方でも限界なはずですが」

「なーになんとかなるさ。局長に術一回分残しゃあいいって言われてるんだ。使い切る勢いだよ」

「貴方が呪力切れで倒れると運ぶのは私になるわけですが、そうするとまた戦力が減ります。勝てる見込みを立てるためにも無理しすぎないようお願いします」

「こういう時に心配してくれるから久咲は優しいよなぁ。あいよ了解、無理しない程度に無理するよ」

「そうそう、たとえ倒れても私が持ち帰るから久咲ちゃんは心配せずに戦闘に集中してていいわよ?」

「よし、絶対に倒れないから大丈夫だぞ久咲! なんだか急に元気が出てきたんだ」


 三人揃えば漫才を始めてしまうのは割合気安い仲のやつがいる時の俺の悪い癖だ。

 まぁ、本番前に緊張感と力を抜くための茶番だから、なんの意味もないわけではない。最大効率をたたき出すためには必須の儀式なのだ。

 こういうこまめなところに意味を見出すことこそが俺の流儀。


 まぁ細かいことを抜きにすれば、


「失礼しちゃうわね。ま、頑張りましょうか!」

「さぁ、見せ場だ! 本日肆度目のなぁ!」

「不肖久咲、ここから先は通させません!」


やる気に満ち溢れていれば、大概のことはなんとかなるってことさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る