非日常、常世敷く鴉

開幕・鬼譚怪力乱神

「まぁ、こんなところで簡単に死なれちゃあ僕の立場がないんだけれど」


 走馬灯に浸りきって、空と最後に一緒に風呂に入った時のことやら、と出会った時のことやら、耳と尻尾をもふりすぎて久咲が発情したときのことやらを思い出して気を鎮めていたのだが、どうやら俺も捨てたもんじゃないようで。


「全く……状況はよくわからないけれど、君はいつも油断が過ぎるんだ。自意識過剰なのは君の美徳だけれど、戒めるべきところでもあるんだよ?」


 大穴に吸い込まれる直前で俺は宙ぶらりんに浮くのであった。

 これも晴天御大の御技のおかげだ。感謝感激雨あられ、今日の昼女運を僻んで悪夢を見せてやったことを土下座して謝りたいくらいだ。


「いやー、助かった! 晴天ありがとうよ! 今回ばかりは流石に俺も駄目かと思ったぜ!」

「そう思うなら今後は気をつけておくれよ。僕が間に入らなきゃ死んでたことなんて、片手の数じゃあ足りないだろうに君は何度だって繰り返すんだ。もう一種の呪いじゃないかいそれ?」

「言い得て妙だな。人を呪わば穴二つ。術師が呪われるのは宿命よ。実際俺なんかは恨みも買えば僻みも買ってるからな!」

「まったくもって君はそんな目に遭っても元気だね。僕も割と疲れているから、手が滑って落としてしまいそうだ」


 そう溜息を吐きながら晴天が右腕を振ったから俺は慌てたが、どうやら落とすためではなく岸まで俺を運ぶための動作だったようだ。あれほどの勢いで落ちてきた俺の勢いを殺しつつ、対象にその衝撃を一切伝えないとは晴天の浮遊術の冴えには驚かされるばかりだ。


 俺からすれば、浮遊術なんて落ち着いた場面でしか使えない戦闘向けじゃない術だと思っていたが、案外晴天は戦闘にも使用するのかもしれない。しっくりくる式がいないといって先代の後釜になる式を使っていない晴天のことだ。

 前衛がいないのでは術師は戦力半減。自身が前衛もこなせるように色々と工夫を凝らしているのだろう。そりゃ、一級の術師が格闘戦までできたら強いわなぁ。


「ふぅ、助かった。おーい、久咲! 大丈夫だったぞぉ!」


 鬼の腕の俺を掴む力も時経るごとに弱まってきている。そろそろ自分の力で脱出できるくらいになったから、地面の上に辿り着いたあたりでその支配から逃れた。

 岸に足をつけた俺は、まず大穴の淵の向こうからこちらを心配そうに見ている久咲に向かって手を振る。

 それを見て頭の上で両腕をぶんぶんと振り回す久咲。よっぽど不安だったと見える。尻尾まで凄まじい速度で横にぶるんぶるんと振られている。


「やれやれ、とりあえず君がここで足止めをしていてくれたんだろう? ここより後ろにいた鬼たちはもう対処済みだ。流石に君みたいに地獄に一旦送り返すなんて大それた真似はできなかったけどね」

「あー? あの数いた鬼どもをもう一度式に仕立て直さなきゃならないんだから、一匹ずつ縛ってたんじゃ手が足りないだろ。晴天と局長、ついでに局のやつらはどうやって対応してきたんだ?」


 懐から未だ光を灯す札を取り出し、今一度光明真言を唱えてやれば地獄への門は次第にその扉を閉じていく。

 その作業を苦笑しながら見ていた晴天は、後ろでへばっている局員たちを一度見たあとで種明かしを始めたのだった。


「ほとんどの鬼は局長が斬り捨てちゃったよ。あの刀すごいね。斬った鬼を斬る状態の直前のままに刀身に保存するんだってさ。それらの鬼の力を吸って強くなる刀だってことらしいけど、勢いもなく触れただけで鉄が斬れるのに、それを一流の武芸者が振るうんだ。空恐ろしいよね」

「局長の童子切は太古から連綿と伝わる妖刀魔剣の類だからな。もとは鬼斬りの髭切と呼ばれたらしいが、紆余曲折の果てにああなったらしい。流石に重ねてきた歴史が重すぎて、複製しようにも複製できない正真正銘の第一級の名刀さ」


 さて、どこぞの高層建築の屋上に着地した局長はいつ戻ってくるのだろうか。完全に閉じきりただの地面へと戻った大通りを、土煙上げて爆走してくる久咲を見ながら思う。

 なおも晴天の説明は続くが、結局退治ではなく封印ができたという結果は読めたのだから、ここから先は蛇足だろう。


「というわけで、大半の鬼は局長の刀に封印。残った鬼たちは僕特性のこの結界札の中に閉じ込めてあるよ」


 と思ったが、なにやら興味深いものが出てきた。


「ほう、そいつは局長の討ち漏らしをすべて突っ込んでも足りるほどに容量があるのか? そんな札を作り出すとは晴天貴様やるな」

「いや、さすがにそこまでの性能はないよ。各々に一二枚ずつ配って漸く鬼をすべて收集しきったばかりさ。これ一枚で片付けばどれだけ楽だったか……」


 苦笑を浮かべながら札を見せてくる晴天。確かに術式を読み取る限りそこまで馬鹿げた容量はない。だが、式の技術が応用されているようで、封じ込めた鬼の力を削ぐことで安定して封印を持続させることに特化しているようだ。

 これが流通するようになれば、下級の退魔師でも大概の鬼を封印することができるようになるだろう。なんともまぁ便利なものを作り出したものである。

 簡易式を更に高性能化させたこの札は、これからの式生産の要になること間違いなし。式自体の性能向上に努める俺とは全く違った発展のさせ方だ。


「いやはや、晴天お前すごいものを作ったな。これは次の技術学大会でも入選は確実だ。まったくもって素晴らしい」

「ふふ、道臣がそこまで手放しで褒めるなんて珍しいね。いつもはもう少しひねくれた言い方をするもんだけど」

「だって、これかなり革命的だぞ。今まで都市外においてあやかしに簡易式をかけるのは基本的に中級以上の仕事だった。下級じゃ力不足で死んじまうからな。でも、この札さえあれば下級だろうと誰だろうとあやかしを捕まえてこられる! もう少し改良してやれば、市販だってできるくらいのすげー術式だぜこれ」


 そう、起動に呪力を要するのは術式の宿命だが、一般人だって呪力を実用圏内まで練ることができないだけで持っていないわけではないのだ。

 まともに運用できると判断できるだけの存在が少ないだけで、見えないほどに感じ取れないほどに呪力を持つ人間ならばごまんといる。本当の意味で呪力を持たない人間のほうが珍しいくらいなのだ。

 だが、呪力持ちは特別視される。つまり、それだけ呪力を持っていることと操れることの間には大きな格差があるのだ。下級の退魔師ですら世間一般からすれば化物扱いされるくらいには、な。


 それでも、この札の術式の効率化を繰り返していけば、いつかは一般の人々ですらこの札を使える可能性がある。

 それは凄まじいことだ。先の通りならば、呪力を持っているだけの人間に呪的にできることなど本来ないはずなのだ。

 それができる。

 緩んでしまって暴走し始めた式を、退魔師が駆けつける前に飼い主自身が止められる。外から迷い込んできた危険なあやかしを、一般市民が止めることができる。


 俺にはできない発想だ。

 俺は俺自身にしか使えない。あるいは術というものを深くまで理解しようとするものにしか理解できない術式を得意としている。

 だからこその特殊術式研究部の部長という役職をもらっているわけだが、うちの部には部下が3人しかいないと言えばその窓際っぷりは察してもらえるはずだ。

 晴天が部長を務める汎用術式研究部とは格も予算も全然違うのだ……。


「そう言ってもらえると照れるね。今回の一件にも役に立ったし正式採用を打診してみようかな」

「おう、それがいいだろうよ。下級が今よりも戦力になれば俺の仕事も減るだろうしな!」


 そう言って晴天と二人で笑い合っていれば、そこに突撃してくる銀の影。

 男二人はもう展開が読めていたので、片手間で土埃から身を守る簡易結界は展開済みだ。

 まぁ、そんな予想を上回って全力で走り寄ってきたその勢いのままに俺を弾き飛ばした駄狐は、あとでお仕置き確定なのだが。


「道臣ぃ! みちおみみちおみみちおみ道臣ぃいい!」

「耳元でうっさいわだぁほ!? 今の俺が少しでも身を守ってなかったら即死だったからな!? せっかく助かった命をお前が刈り取りに来てたからな!?」

「うぁわぁああああ、たずがってよがっだぁ」


 もうぼろっぼろに泣き崩れる久咲。大袈裟な、とは思わなくもないものの実際に局長と晴天がいてくれなければさよならばいばいだったことを考えれば、あながち咎めるわけにもいかない。

 倒れた俺の胸元に縋り付いて子供のようにぐずる。鼻水が出ていないだけましかもしれないが、その涙を俺の服で拭くのはいかがなものなのだろうか。

 ついでに、それを見てにやにやとしながら晴天がすーっと後ろに下がっていくのを認めてしまった俺は、やはりやつに謝る必要はないことを再確認し、次の模擬戦ではもっとひどい目にあわせてやることを誓うのであった。


「ったく、ほら、俺は生きてるから。大丈夫だから。ちょっとだけ腕が痛むけど怪我もないよ」

「ううううぅう、勝手に死にそうになって、勝手に死なないで……」

「はいはい、気をつけるよ。俺の命はお前の命だからな。ほら、そんな胸に顔埋めてんだったら、心臓の鼓動だって聞こえるだろ?」

「はい、聞こえます。とくんとくんって……元気に」

「なら大丈夫だろ? 離れて身支度を整えな。全く、こんな大勢の前でなんて恥ずかしいことしやがるんだ」

「? 大勢の前でって、ここには私と道臣、し、か」


 もう本格的に心配のしすぎで俺以外の周りが見えていなかったのだろう久咲は、大穴が空いていたはずの地面から少し後方へと行ったところに中級の局員たちと晴天がいるのを漸く見てとったようだ。


「あ、あ、あ、ああああああああ!?」

「うるさい。あとこれ自爆だからな。俺は知らんぞ」


 瞬間湯沸かし器のごとく一瞬で真っ赤に染まった久咲は俺を押し倒したそこから飛び退くと、衆目の生暖かい目から逃れるべく遮蔽物を探すが、残念ながら大通りのしかも今の今まで鬼が暴れていたような場所にそんなものがあるはずもなく。


「うぅううううう。道臣の馬鹿ぁああああああ!」


 立ち上がった俺の鳩尾に渾身の拳を決めてくるのだった。




「自爆、だから……それ、八つ当た、り」


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