臨戦・破術者餓鬼一掃

 最初に突っかかってきた四匹は久咲が斬り伏せた。きちんととどめを刺さずに、されど動けない程度に痛めつけているのは流石だ。


 それを見て大通りからまた数匹の鬼がこちらに寄ってくる。今目の前で同類がやられたというのに、どいつもその顔にはにやついた笑みを浮かべている。どうやら仲間意識などは微塵もないようだ。近くにいるからつるんでいる、程度の間柄だろう。


「おぅ、あんちゃんも姐さんもやるやないか」

「ほなら、次はわしらの相手してもらおうかぁ!?」


 何の問題もない。開幕の虎の咆哮はこいつらをおびき寄せるための餌に過ぎない。あれだけの呪力を撒けば普通のあやかしなら逃げるところだが、今この場においてはそうでもない。こいつらは数が多い自分たちが絶対的に有利だと誤認している。前のやつがやられても自分ならば大丈夫だと世の中を舐めきっている。

 

 あやかし、その中でも特に物理的な力に優れる種類のやつらがよく取り憑かれる思想だ。自分は強い、だから負けない。自分以外のやつはすべて糧でしかない。


「そう、本気で思っているのなら、ちゃんちゃらおかしいな」


 左手に持った札を挟むように両手で光明真言五色光印を組む。これまた強引な術式になるが、俺の術式は常に欺瞞に満ちている。本来の用途としては違ったとしても、結果的に術式が発動するならば、記号としては正しい使い方なのだ。


「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」


 唱えるものも光明真言だ。そして、足先で地面に円を描き、その円の後方に立つ。地獄を破ると言われる光明真言は本当ならば、亡者の現世での罪を禊ぎ落とし悪霊からの干渉を断つために使われるが、それを曲解する。

 俺が術式を組む間も鬼どもはこぞって俺に襲いかかろうとしてくるが、すべて久咲が迎撃してくれている。


 地獄を破る効果があるというのは、現実と地獄の道行きに干渉しているということだ。ここには亡者はいないが、本来地獄にいるべき存在が目の前にたくさんいる。それを地獄に行くべき者に見立て、この術式を起動する。

 俺の書いた円の中央と四方に呪力を操って種字を描く。これをもってこの円を光明真言曼荼羅に見立てることで、地獄への門を開く。

 術式が完成に近づくにあたって輝き、呪力の風を纏う曼荼羅は、見る限りに神々しくいかにも闇を祓いそうな見た目をしているが、今回の用途は違う。


 扉を閉めるためにはその扉は開いていなくてはならない。ならば、光明真言をもって地獄への扉を閉ざすのなら、その過程に地獄への門を開くという一文を刻むのは難しいことでも何でもない。


「オン・ア・オンボッケン・パッタソワカ・アク」


 つまり、この術式は何もないところに何の意味もなく地獄への門を開くためのものだ。


 触媒となる地獄産のあやかしが一匹はいるところと若干の猶予時間がなければ起動できないことを除けば、こういう状況下で極めて有用な術式となる。

 この術式も、普段なら新しいあやかしを地獄まで捕まえに行くために使うのだが、今回はその逆だ。

 この大量の鬼どもをすべて地獄へと叩き返す。


「さぁ、お前たち懐かしの地獄だぞ、歓べよ」


 曼荼羅が一際輝いたかと思えば、その前方の地面が少しずつひび割れ開いていく。


 その真上で鬼どもを引きつけていた久咲は、術式が起動した瞬間に飛びすさび、俺の隣へと戻ってきている。そこで巻き込まれるか巻き込まれないかが実力の分かれ目だ。少しでも腕に覚えがある鬼は即座に俺らの前から撤退をかましている。

 今残っている鬼どもは俺が何をやっているかにも気づかず、ただ自分を過信した愚か者どもだけだ。段々と開いていく地獄への門に次々と飲まれていく様は、滑稽だ。


「さて、これで雑魚とそれに巻き込まれて逃げ遅れたやつらは処理できるな。久咲、あとは残ったやつらをそこに叩き込んでいく作業だ。ここからはさっきまでよりも若干強いぞ、気を引き締めろ」

「誰に言っているのですか? あの程度の有象無象ならば私だけでも十分です」

「よし、ならあの辺のいかにも俺ら性犯罪者として地獄に落ちました、みたいな顔してるやつらの相手してこいよ。あれ、絶対地獄ですら裁ききれなかった旧世界の汚物だぞ」

「いえ、その、ちょっとあの辺の方々には早急に地獄に落ちてもらいたいところです……というより、なんでそんな存在が鬼になっているんですか。常識的に考えてそんなこと起こるわけがないでしょう!?」

「いやー、一度閻魔大王様と話したことあるけど、地獄は地獄で大変だぞ? もうどうにも旧世界末期の人間というのは度し難いらしい。地獄の責め苦でも悔い改めない変態ばかりらしいからな。仕方なく獄卒に取り立てる羽目になることもままあるそうだ。それにだ、あれは純粋な鬼じゃない。欲食か執杖もしくは地下あたりの餓鬼だろう」


 久咲のことをいやらしい目で見ている鬼の一団を指させば、全力で首を振りながら涙目で訴えかけてくる。いや、さすがに俺もそんな酷なこと冗談でしか言わんぞ。冗談だとわかってるよなこの娘?


「まぁ、あんなやつらはほっておこう。ほれ、あいつら久咲しか見てなくて足元見えてないから勝手に落ちるぞ」


 言ったそばから地の底へと落ちていく。地獄への門は開ききり、その大口は大通りの端から端までを覆い尽くさんとしている。

 横の通りから出てきた俺たちが大通りに侵入する程度にしか猶予はない。百鬼夜行の群れは、もう通過したもの以外は後ろのものに押されてぼとぼとと地獄へ落ちていく。


 あまりの鬼の数に、止まろうにも統制が効いていないようだ。あのまま後続がすべて落ちてくれれば言うことはない。

 だが、もちろんその大穴を抜けた先にも鬼どもは無数にいるわけで。


「流石にそううまく一網打尽とはいかないみたいですね」

「まぁ大方の雑魚はあのまま処理できるだろうよ。もう一度式に仕立て直すまでの仮の処遇だがな」

「それにすらこの手間というのは何とも言えませんが。そして……」

「ああ、はどうしたもんかな」


 大通りへと出た俺たちを待っていたのは、周りのやつらよりも二回りは大きな体格をした鬼どもだ。しかも三匹そろい踏み。

 ほかの鬼たちがその三匹と俺たちを囲んでいるあたりからも、こいつらが木っ端ではないことは容易く伝わって来る。

 後ろは大口を開けた地獄への門。まさに背水の陣といった風情だ。


 まぁ、先行するといった時点でこういう状況になるのは読めていた。別に、鬼というのは侮りこそすれ油断できる相手ではないのは百も承知だ。

 大概の鬼は特殊な力は何もないから対処は容易い。

 だがそれは、逆に言ってしまえば少しでも力をつけた鬼は非常に厄介な存在になることを示唆している。


 目の前の三匹を見やる。

 どう考えたって何らかの神通力の類を備えるまで強くなった油断ならない相手ばかり。しかも、このくらいの相手になると一匹ずつ対処するにあたっても手こずるのに、それが一挙に三匹だ。

 もうやってられないというのが素直なところだな。


「随分好き勝手にやってくれてるやないか」

「だが、ここから先もはたして同じようにいくかな?」

「お前たち二人は頭のためにもここで討ち取らせてもらうぞ」


 頭。

 やはり、この百鬼夜行には主がいるようだ。この百鬼夜行は今までの偶発的に起きていた式の緩みとは違い、意図的に引き起こされた妖害だということがはっきりした。

 この百鬼夜行がただ酒呑童子が本格的に復活したことの余波で、こいつらに何の目的もなく騒いでいるだけだったならば、鎮圧はもう少し楽だったのだろうが。


「さて、久咲絶体絶命だ。周りは鬼どもに囲まれ、目の前には手練三匹、後ろに下がれば地獄への直通便」

「結局いつもの無理難題とあまり変わらないじゃないですか。全く……いつでもどこでも無茶振りが過ぎるのよあなたは」


 一瞬こちらに流し目を送る久咲。はい、任務だけのことじゃないって言いたいんですね本当にすいません。


「肝に銘じよう。だが、仕方ないところもあるだろうに。俺がいなければもっと面倒くさいことになっていたのも確かだ」

「だからって私たちが窮地に追い込まれていれば世話はないですね」

「違いない。半ばわかりきっていたならば一縷の望みに賭けるべきではない、と言ったのはうちのご先祖様だったか?」

「どうせ賭場のろくでもない博徒の言葉でしょうよ。貴方はなんでもそうやって人の威を借りる癖をやめたらどうですか?」

「これは手厳しい、が、だ。人の威を借り化け衣をかぶるのが俺という存在その証明。そんなことお前自身がその身でわかっているだろうに」


 明らかに緊迫した空気の中でのいつもどおりのやり取り。その効果は歴然で、少しばかり筋張っていた久咲の背も伸びきり、余計な力は抜けている。

 このようなら、緊張しすぎて手痛い失敗をするということもなかろう。最上の状態ならば、この程度の輩にどうにかされるほどか弱い識ではないのだ。


 俺自慢の、俺自身の最高傑作なのだから、結果を出し続けてもらわねば困る。そのための精神管理も俺の仕事なのは自明だ。


「ええ、その通りです。ならば、この身をもって証明しましょうか」


 ふっ、と一瞬微笑んだ久咲は、次の瞬間抜き身の刃の如く鋭く凍るような冷気を放つ。錯覚だとはわかっているが、その怜悧な美貌が硬く研ぎ澄まされる様は、いつ見ても寒々しいほどに耽美的だ。


 久咲の準備も完了し、こちらがやる気になったのを了解した鬼どももにやり、と口角を上げその牙をこちらに見せつける。

 さぁ、後ろのやつだけじゃ足りん。こいつらにも地獄を見せてやろうではないか。


「脅かし、威かし、畏れさせるのが鬼だというのなら」

「騙し、騙り、化かしきるのが狐だってなぁ!?」


 鬼退治ってのは、いつだって英雄譚として語り継がれるものなのだから!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る