世話人・若者唆竜攘虎搏

 応龍門をくぐり抜け、詰所への道を歩きながら思う。あの二人があそこまで警戒するとは並大抵のことじゃない。今回の案件はありふれた霊相の乱れのようでいて、そう単純な話ではないのだろう。

 鬼を起源とするあやかしたちの力が強まっている、というのも奇妙だ。確かに特定種のあやかしの力が強まることはままあるが、さすがにそこまでの広範囲を内包するのは珍しい。ただ鬼の力が強まっていただけならば帝もここまで危険視しなかっただろう。

 これをなんらかの凶兆と彼は捉えたのだ。

 まずは今回の案件に関連する事件の傾向の調査、そして鬼に関しての専門家である局長への聞き取り。それから式神稼業のもとに顔を出して聞き込み調査と雑事だな。

 今日は珍しく忙しい一日になりそうだ。いつもならば詰所でぼーっとしているか、家でぐーたらしていれば一日が終わっているから、こういう日はこれで悪くない。


「久咲」

「なんでしょうか」


 身長差があるので、こちらを見るとき久咲は俺を見上げる形になる。かわいい女の娘に上目遣いで話しかけてもらえるというのは、なかなかに男冥利に尽きるものだ。


「今、都内できな臭い噂が流れていたりはしないか? 井戸端会議によく出てる久咲ならある程度の噂話を把握しているだろう?」

「なるほど、そうですね……手がかりになるような噂話はなかったと記憶していますが、確かに最近式神がいうことを聞きにくくなったとぼやいていた奥さんがいたはずです。彼女のお宅の式神はもとは餓鬼だったと記憶しています」

「つまりその式も緩んでいるから式神に命令が通りにくくなっているということか。こりゃ急いだほうがいいな。まだ緩んでいるだけならいいが、もう帝が危険視するほどには開放事件が起きているんだ。これから加速度的に事件が多発するに違いない」


 今回の案件の重要性を改めて認識する。餓鬼程度のあやかしですら式を破り始めているというのだから、本格的にこれはまずい。俺が思っていたより数段深刻だ。

 本来ならば式というのは当然破れるようになんて出来ていない。あやかしを労働力として運用するための枷であり、その存在を安全に支配するための縛りなのだから、それが解けるようでは話にならない。

 だから、普段起こる式の開放事件というのは、未熟だったり力不足な退魔師がかけた式が、本来のあやかしの実力と拮抗するくらいに脆かったために起こるのが通例だ。

 そのあやかしの実力以上に強固にかけた式は、長年の経年劣化でしか緩まないはずなのだ。まぁその劣化具合にも使用者、俗に言う飼い主の影響があるから一概には言えないんだが。


 もし縛られるあやかしの二倍の霊力をもって式をかけた場合、平均すると約十年もつ。だが、逆に言えば二倍の霊力を込めても十年しかもたせることはできないのだ。

 そこで登場するのが、この式の劣化を食い止め定期的に調整をする式神稼業。特に最近ではとある式神稼業が有名になっていたりする。悪戯大好きで、どんな式にも魔改造を施す代わりに、その仕事は超一流。頼んだらどんな形になって帰ってくるかはわからないが、もう式が緩むようなことは当分起こらなくなる。

 まぁ、玉石混淆な噂話だけが先行しているような気もするが、腕だけは確かなやつだ。俺とは長年の付き合いでもある。

 このあと聞き込みに行くのもやつのところに行くつもりではあるのだが、今回はどの土産を持っていくことにしようか。やつなら大概どれを持って行っても喜ぶのだが、やはり今回ばかりはやる気を出してもらわねばならないから、やつの特に気に入りそうなものを持っていくこととしよう。


 このあとの予定について考え込んでいれば、気づけば詰所は目の前であり、構ってもらえなかった久咲がこちらをじとっとした目で見つめている。話を振っておきながら二言三言で満足されたのが悔しかったのだろうか。

 こういうところはかわいいやつである。その耳を軽く撫でてやれば、頬を赤く染め満更でもない顔をする。上目遣いで俺を見上げ、耳をぴこぴこと動かす様はもうなんというか俺の理性を飛ばすには十分すぎて、めちゃくちゃもふもふしたかったのだが、あいにくとここは詰所の前。邪魔者が入ってしまう。


「やぁ、道臣。今日もまた重役出勤だね」

「よぉ、晴天。実際俺は重役だ。権力が伴ってないだけで、こんな時間に来たところで本当は怒られるような立場じゃないはずなんだがな?」

「僕からすれば、別にどんな時間に来たって用向きをすべて処理してくれれば問題ないさ。でも、刻限指定の用くらいはきちんと果たしてくれたまえよ。君が用をすっぽかすたびに僕も局長に小言を言われるんだ。勘弁して欲しいよ」


 優男風の無駄に整った顔立ちの男が話しかけてくる。こいつこそが安倍晴天。術においては極東最高峰と呼ばれている男だ。ちなみに局長が”力”、晴天が”技”、俺が”心”の二つ名を拝領している。ま、俗世のやつらが俺らを囃したてるときにつける呼び名だけど。

 実際のところこの三人が極東の最高戦力であり、言い方は悪いがあとは有象無象と言えるほどに飛び抜けている。おかげさまで嫉妬の嵐で日々暮らしにくくて困る有様だ。例えば、今も晴天の後ろから俺を睨みつける三人組とかな。

 晴天預かりの退魔師見習いであるところの彼女たちは、基本的にいつも晴天とともにいる。おかげで、晴天と会うたびに彼女たちから不躾な視線を受ける羽目になるわけだ。別にもう今更慣れたってのはあるけど、向けられて心地いい視線なわけでもない。だから、晴天とはそこそこ仲良くやってるがあまり連れ立って動くことはないのだ。


「まぁ、過ぎてしまったことは水に流そう。実際帝も仕事と引き換えに許してくれたしな」

「へぇ、君に直々に仕事が来るなんて珍しいね。今度はどんな艱難辛苦が待っているのかな?」

「おい、ちょっと待て晴天。お前、その言い様だと前回も最初から俺が苦労するってわかってやがったな。その割には君なら大丈夫だよ、とか適当抜かしやがって」

「実際大丈夫だったじゃないか。まぁ君だけだとどうだったかはわからなかったけれど、久咲ちゃんもいたのならそうおおごとにはならないと思ったのさ」


 そう言って片目を瞑って色目を使う晴天の視線に割って入り、久咲を体で隠す。そう、どうやらこいつ久咲に懸想しているようなのだ。それが俺をからかうためのなのか、はたまた本格的に懸想しているのかは普段のこいつの態度からは透けて見えない。

 優男風の顔立ちに恥じない好青年なのだが、一皮剥いてやればこいつも食えない飄々としたやつだ。俺の周りの連中はどうしてこうも腹に一物抱えたがるのか。そうなると結局癒しは久咲しかいないわけで、そんな久咲を俺から取り上げようとするやつはみな敵になるわけだ。


「お前もよくよく諦めないな。久咲は俺の識だぞ」

「うん、今でも後悔してるよ。あの時、君にあの案件を譲らなければ良かった」

「そうだな。あの時を担当させてくれて本当に助かったよ」


 そう、あの時ひょんなことから俺があの案件を預からなければ、もしかしたら久咲は晴天の式神になっていたかもしれないし、あそこで野垂れ死んでいたかもしれない。

 今から思えばすごい偶然もあったものだ。久咲との出会いはそれこそ運命的だったといって過言でない。二人の出会いはまるで物語のようだった……と、ついこの間の話ではあるのだが。ほんの半年前の話だから、あまり昔のことでもないのだ。ま、晴天には運がなかったと諦めてもらうしかないだろう。久咲は既に俺のものなのだ。


「さて、そんなことはいいんだ。俺は今から仕事をせにゃならん。そこをどいてくれないか晴天」

「おいちょっと待てよ蘆屋! 晴天さんに対してその態度はないんじゃないか!? お前の代わりにどれだけ晴天さんが働いてると思ってるんだ! もう少し敬意を持って接しろよ!」

「はぁ、一応俺と晴天は同じ役職だ。お前ら下っ端と違って同僚なわけ。別に敬意を持たなきゃいけない理由が見当たらないんだが」

「だから、その上司のはずのあんたの尻拭いを、俺らだけじゃなくて晴天さんまでもがやってるのはおかしいだろ! 悪いとは思わないのかよ!」

「まぁ悪いとは思っているよ。感謝もしてるしな。でも、それをお前が言うのは場違いだな。なにより自分自身が言ってる敬意ってのが足りないぞ」


 穏便に立ち去ろうとした俺に、三人組唯一の男が言いがかりをつけてくる。言いがかりとはいえ一般的に見てとても正しい意見だ。だが言い方は悪いが、実力が違って立場が違う。俺はそれが許される役職に就いているからそう振舞う。実際そう振舞わなくてはいけないもある。

 まぁ、それを彼が知る由もないので仕方ない。こういう態度には慣れているんだ、悲しいことにな……。


「敬意をはらわれたければそれ相応の態度でいろって言ってるんだ! 実力だって晴天さんには及ばないくせに!」

「……ほぉう、言うじゃねぇか。いつから俺が晴天に劣ることになっているんだ? 確か前回の試合じゃあ俺の方が勝ったはずだが」

「そんなのまぐれだろ! 晴天さんがお前なんかに本当に負けるわけがないんだ! 前回の晴天さんは本気じゃなかったんだよ!」


 いいのか取り巻きお前、後ろで晴天めちゃくちゃ困ってんぞ。


「いいか! お前じゃあ晴天さんにはかなわないんだよ!」

「よし、わかった。晴天、面貸せ。こいつを黙らせるには実際やった方が早いだろ」

「しょうがないなぁ。毅のためにもいいとこ見せないとね」


 本当はこんなことしてる余裕はどこにもないんだが、しかしこのままじゃこいつらが引き下がらない。口出してこないだけで残りの二人もなんか言いたげだしな。昼行灯だなんだと囃したてられすぎて、少しいらついてたのもある。少しばかりここらで発散させていただくとしようかね。

 後ろでおろおろとこの急展開を見守っていた久咲についてくるよう合図を出しながら、修練場へと向かう。さすがに六人の大所帯なので、すれ違う人たちがみな変な目でこちらを見てくるが、無視だ無視。延々睨みつけてくるあの仔犬もいることだし、鬱陶しくて仕方がない。そんなに俺が憎いかね?

 結局俺の悪評が広がるのは晴天のせいじゃなくてこいつらのせいな気がしてるんだが、一体全体どうしたものか。


 そんなことを考えながらたどり着いた場所は、都内にあるにしては広大な何もない広場であった。


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