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 生徒会室へと向かうと、すでに詩織と恭二の姿があった。二人の横にはなぜか桐生の姿もある。

「お、ようやく来たな」

 三人に気づいた恭二がそう言って笑みを浮かべた。授業が長引きでもしたかとの問いかけに悠が大きくため息をつく。

「在原さんの迎えを渡瀬先輩に頼むからでしょう」

 ややトゲのある声音に何があったのかを察したのだろう、ああ、とつぶやいて恭二は眉を寄せた。

「うん、それは俺が悪かった」

 潔く己の非を認めて頭を下げた恭二に、悠はやや戸惑ったようにまばたきした。別にいいです、とつぶやいてイスに座る。

「はい、そこの二人もさっさと座っちゃって。時間は限られてるんだからね」

 手を打ち合わせた桐生の指示に従い、望美と薫も空いている席へと腰を下ろした。全員が席に着くと、各々弁当の包みを広げる。

「約一名不思議そうな顔しているから先に説明しちゃうけど、あたしは生徒会の顧問をしてるのよ」

 だからここにいるってわけ、と桐生が告げる。

「入部届も受理して正式に在原さんが生徒会の一員となったから、一度ちゃんと顔合わせしておこうと思ってね」

 箸を動かしながらの桐生の言葉に、なるほどと望美はうなずいた。呼ばれた理由はわかったが、それだけならば別にわざわざ昼休みにやらなくてもいいのではなかろうか。

 そんな考えが表情に出ていたのだろうか、詩織がくすりと笑みをこぼして口を開いた。

「もちろんわざわざお呼びした理由はそれだけではないのですよ。【コンクエスト】について、しっかりとお話しさせていただこうと思ったのです」

 もっとも昼休みだけでは時間が足りないでしょうから、放課後にもお時間をいただくことになりますが、と付け加える。

 詩織の言葉が終わると同時に、ほかのメンバーを経由して一冊の冊子が望美の元へともたらされた。

「志貴ヶ丘学園七不思議ガイドブック……?」

 表紙に書かれた文字を思わず読み上げる。なぜ今こんなものが回ってきたのか想像もつかない。

「あ、悪い、間違えた」

 恭二のつぶやきに周囲から一斉に非難の声が上がる。

「あらあら、何をやっているんです?」

「相変わらず詰めの甘い子ねぇ、黒崎くんは」

「えー、あれはただのドジっ子って言うんじゃないのぉ?」

「むしろなぜ間違うのか理解に苦しみます。そしてどうして七不思議関連本がわざわざ生徒会室にあるんですか?」

 散々な言われように恭二は苦笑を浮かべるしかない。背後の本棚から別の一冊を抜き取ると、今度はしっかりと表紙を確認してから望美へとそれを回した。

「文芸部謹製、【コンクエスト】に関するガイドブックだ。基本的に学外に向けた解説本だから持って帰っていいぞ」

 恭二の言葉に、はあ、とうなずきながら望美は渡された冊子を見た。表紙には【よくわかるコンクエスト】と書かれている。ぱらぱらと中身を見てみれば、【コンクエスト】に関するルールなどが書かれているようだった。

「まぁ、あくまで観客用解説本だけど、おおまかなルールはそれで理解できるだろ」

「そうですね、今日も説明させていただきますが、あくまでザックリとした説明になります。ですから詳細や疑問点などはそれで確認してください」

 もしわからないことがあれば何でも聞いてくださいね、と詩織はにっこりと笑った。

「とりあえず確認なのですが、今現在【コンクエスト】に関してどのくらいの知識をお持ちですか?」

 詩織の問いかけに、考え込むように望美は視線を天井へと向けた。現在【コンクエスト】について彼女が知ることはほとんどない。【世界征服部】と【正義の味方部】による高等部校舎の争奪戦、そのくらいだ。

 そう告げると、やっぱりと言いたげにうなずかれた。

「基本的には両部による陣取り合戦と考えていただいて問題はありません。一度見ていただいたからご存じだとは思いますが、両部の争奪戦の一部始終は【特殊報道部】によって校舎全域に完全生中継されます」

「ちなみに中継された映像は年度ごとに編集されて、DVDとして購買部で販売されてるから」

 詩織の説明に、苦笑を浮かべながら恭二がそう追加した。

「あとは文芸部がイロイロねつ造しつつ活字化して文化祭で販売したり、演劇部が劇として演じてたりもするな」

 こういった妙なノリのよさがお祭り校と呼ばれる由縁なんだろうなぁ、とため息混じりにこぼす。

「【コンクエスト】には詳細なルールが設定されています。たとえば場所や時間。【世界征服部】、【正義の味方部】、【特殊報道部】、関係するこれら三つのクラブに関しては正体がわかっても指摘しない、などです」

 言いながら詩織はブレザーの胸ポケットから生徒手帳を取り出すと、あるページを開いて望美の前に置いた。そのページは校則が羅列されたページの一部らしく、詩織が先ほど口にした内容が記されていた。

 よもや本当に校則になっているとは思わず、望美は驚くばかりだ。

「【コンクエスト】が行われるのは、修学旅行とテスト期間を除いた昼休みと放課後です。場所は高等部校舎全域ですが、いくつかエリア分けがされています」

 そう言って、詩織は指を三本立てた。

 一つは征服不可能な永久中立エリア。

 一つは最初はどちらの所持エリアでもないが征服可能な初期中立エリア。

 一つはどちらかの所持エリアとして振り分けられ、征服が可能な初期配置エリア。

「詳しい配置はガイドブックを見ていただくとして、征服可能な初期中立と初期配置、この二つのエリアを両部で取り合い、それぞれが所持するエリアの数から支配率が算出されます。この支配率は購買部の値段に影響を及ぼすんですよ」

 ふむふむとうなずいていた望美だったが、最後の一言に首を傾げた。なぜそこで購買が出てくるのだろうか。

「えーとな、たぶん何で購買って首傾げてるんだと思うんだが、そこの説明に入る前に高等部の制服が二種類――厳密には生徒会と基本を含めて四種類あるのは知ってるよな?」

 考え込んでしまった望美に苦笑しながら恭二がそう問いかけた。数までは知らなかったが制服の違いには当然気づいていたのでうなずく。

「所属を表す、と聞きました」

「所属っつーか、厳密には支持勢力だな。えんじ色は【正義の味方部】、紺色は【世界征服部】を応援しているってことを表してるんだ。で、自分が応援している部の支配率から五十引いた数値分、購買で値引きが受けられる」

 制服のポケットからスマートフォンを取り出した恭二は、少し操作してから望美の前に置いた。画面には教室ごとにグレーや赤、青で色分けされた校舎の見取り図と、【世界征服部:四十七% 正義の味方部:五十三%】という文章が表示されている。

「上の校舎の見取り図が現在のエリア征服状況、下の数字が支配率な。俺たち生徒会は当然というべきか【世界征服部】を支持していることになるから、購買での買い物に影響する数値は四十七%の方。これから五十を引けばマイナス三。数値がマイナスになった場合は値上げになるから、この場合俺たちが購買で買い物する時は定価から三%値上げされるということになる」

 ここまでオーケー? と問われ、望美はうなずいた。なるほど、小百合が言っていたいずれどちらか選ぶこととなる、というのはこのことだったのか。

「【コンクエスト】は基本的に昼休みと放課後に行われるって説明したんだが、例外もあってな。それが【イベント戦闘】ってヤツだ。これは買っても負けても支配率には影響しない、まさにただのイベントだ」

 恭二がそう言ったところで、桐生がパンと手を打った。全員の注目を集めると、桐生はにっこり笑って時計を指さした。

「説明に熱が入るのも結構だけど、そろそろ時間も残り少ないからお弁当食べちゃうのに集中した方がいいんじゃない?」

 その言葉に時計へと視線を転じれば、予鈴まで残り十分ほどだった。説明の方に気を取られ、すっかり箸が止まっていた恭二と望美はあわてて弁当を片づけることに集中した。



 授業を挟んだ放課後、中途で終わった説明のためにふたたび生徒会室へと向かった望美を待ち受けていたのは一人の女性教師だった。いや、教師と呼んでいいのかためらうくらいにその外見は幼く、小柄だった。長く伸ばした髪の一部をサイドで結い上げ、身にまとうのはスーツと呼ぶにはかなりカジュアルなワンピース。いわゆるロリータファッションと呼ばれるものだろう。そして何より注目すべきはその靴か。もはや上げ底とでも呼ぶべき分厚い靴底は優に十センチはあるだろう。

「はい、じゃあ採寸するからねー。背筋伸ばして、肩の位置で両腕伸ばして。はい、そのまま動かないでね?」

 笑顔でそう言うと、彼女はメジャーを手に望美へと近寄った。そのまま有無を言わさず採寸を始める。

 何事かと戸惑いながら、動くなと言われたため望美は問いかけるような視線を周囲へと投げた。それに気づいた恭二が苦笑しながら口を開く。

「制服その他の採寸だな」

 その他って何だろうと思いながら、とりあえず指示に従っておく。

 しばらくすると採寸は終わったのか、女性教師はメジャーをしまうと横に置いていたメモ帳とペンを手に取った。

「それでデザインに希望とかはある? なければ先生が好きなように作っちゃうけど」

広瀬ひろせセンセイ、在原ちゃんにはまだそこまで説明してないんですよー」

 じりじりとにじり寄る女性教師に向かい、薫がそう声をかける。その言葉に広瀬と呼ばれた女性教師はぴたりと動きを止めた。

「そうなの? だいたいの説明は済んだって桐生先生から聞いてるんだけど」

 きょとんとした様子で首を傾げる広瀬に、ほかの面々が盛大にため息をついた。呆れたような、あきらめたような声があちらこちらから上がる。

「残念ながら、半分くらいしか説明できていないんですよ」

 困ったように笑いながら詩織が告げる。残りの半分をこれから説明するのだと言って、思案するようにゆるく握った拳を口元に当てた。

「そうですね……衣装デザインについては、また後ほど報告にうかがうということでよろしいでしょうか?」

「そうね、説明が済んでないなら仕方ないわ。じゃあ、またあとでね」

 ひらりと手を振ると、広瀬は風のごとく生徒会室を飛び出していった。コトコトとリズミカルな靴音が遠ざかっていくのを聞きながら、よくあの靴で走れるものだと望美は感心した。

「相変わらず嵐みたいだねー、広瀬センセイ」

 ため息混じりの薫のつぶやきに、ほかの面々が同意するようにうなずいた。

「さすがは理事長の姪って感じだな」

 さすがにあそこまで傍若無人じゃないけれど、と恭二がこぼす。

「それはさておき、説明に入った方がいいんじゃありませんか?」

「そうですわね、いつまでもこうしていても時間がもったいないですし」

 悠の言葉に詩織が同意し、それを合図に全員で机を囲む。どこまで話したんだっけ、との恭二のつぶやきに、イベント戦闘までだと悠が答える。

「世界観設定は説明すべきか?」

「えー? ソレは飛ばしちゃってイイでしょ。ガイドブックに載ってるし」

「必要なのは征服ルールと強化スーツくらいだと思いますが」

 恭二の問いかけに、薫と悠がそれぞれ自分の意見を告げる。いつの間にか説明役は恭二の担当となったらしい。

 詩織はといえば、電気ケトルの前でお湯が沸くのを待っていた。手にしたお盆の上に急須と人数分の湯飲みが載っているところから、お茶を淹れるつもりらしい。

 沸いたお湯を急須に注ぐと、緑茶のいい香りが立ち上った。それに笑みを浮かべ、少し蒸らしてから湯飲みにお茶を注ぐ。全員に湯飲みを配ると、自分の分を手にイスに腰掛けた。

「じゃ、昼の説明の続きな。イベント戦闘って言って、支配率には関係のない【コンクエスト】も存在する。基本的には学園行事の一部として行われる」

 たとえば体育祭とか、と例を挙げて恭二はお茶を口に含んだ。

「イベント戦闘については、またその時期に詳しい説明をするから今はこれくらいにしとくな。次に征服ルールについて。時間と場所の制限があるってのは昼休みに話した通りなんだが、今回は実際に活動する時について説明する」

 それを聞き、望美は背筋を伸ばした。これはしっかり聞いておくべきことだろう。

「【世界征服部】が活動を開始――つまり校舎の一部を占拠すると、その旨と【正義の味方部】の出動要請が校内放送でアナウンスされる。このアナウンスと同時に、【正義の味方部】の出動判定が開始される。十分以内に現場に出動できれば戦闘開始、未出動のまま十分が経過すると【世界征服部】の不戦勝となる」

 そこで一度言葉を切り、恭二はお茶で口を湿した。その間に望美は今の話を頭の中で反芻はんすうする。今のところ理解に問題はないと思われた。

「【世界征服部】が勝てば戦闘が起こったエリアが征服され、【世界征服部】の支配率が上がる。征服失敗の場合は【正義の味方部】の支配率が上がる。征服失敗と見なされる要因は、戦闘で負けることと時間切れの二つだ」

 時間切れ? と問い返した望美に、そうだな、と恭二は視線をさまよわせた。

「たとえば昼休みに【コンクエスト】を行い、決着がつかないまま予鈴が鳴るとかだな」

 もっとも、昼休みは忙しいから滅多に【コンクエスト】を行うことはないんだが、と苦笑を浮かべる。

 たしかに昼食を食べる時間も必要だし、場合によっては次の授業の予習を行うこともあるだろう。移動教室や体育だったら準備に時間が必要だ。【コンクエスト】を行っている余裕なんてないかもしれない。

「ちなみにエリアに攻め込む優先順位ってのもあって、初期中立エリアがあるうちはまずここから征服を開始する。永久中立エリア以外の中立エリアがなくなると、初期配置エリアも征服可能となる。支配率の変動で少しややこしいのが、【正義の味方部】の所持エリアで戦闘を行い、征服失敗となった場合だな。この場合は【世界征服部】の所持エリアの一つが【正義の味方部】のものとなる」

 ここまでで何か質問は、と問われ、望美はかぶりを振った。しばらく探るように望美を見ていたが、恭二は小さくうなずくとふたたびお茶を口にした。

「じゃあ次は強化スーツについての説明だ。【コンクエスト】において両部が活動する時は、広瀬先生が制作した強化スーツを着用する」

「それはあのコスプレのような衣装のことでしょうか?」

 はい、と挙手して質問した望美に、正解、と恭二がうなずいた。

「あの衣装はただのコスプレじゃあない。正体を隠すのと、運動機能を補正する効果がある。原理は不明なんだが、装備者の戦意によって運動機能などに若干の補正が受けられる。戦意次第ってことで、当然プラスだけじゃなくてマイナス修正も加わる。――ああ、詳しい仕組みについては訊くなよ? そういうもんだと理解しろ。あとは耐衝撃性能だな。戦闘員――あの黒い全身タイツの集団のことな、あいつらが着ているタイツも強化スーツの一種なんだが、連中の場合は耐衝撃性能のみで補正機能はない」

 どうコメントすればいいのか、正直反応に困る話だった。よくもまあこんなものを思いついたものだと思う。あとは、こんな妙な企画を通してしまった誰かに呆れ半分感心半分といったところだろうか。良くも悪くもまともな神経ではないだろう。

「で、この強化スーツには一応基本デザインってのがあって、【正義の味方部】は特撮ヒーロー系、もしくは魔法少女系。【世界征服部】は軍服のイメージで、懸章つきの詰め襟制服に仮面となっている。ま、あくまで基本デザインで、部員ごとに多少のデザインの変更は許可されてる。あと、衣装の色は各々の部員名に合わせたカラーリングとなっている」

「……部員名?」

 首を傾げて聞き返した望美に、恭二は目をまたたかせた。

「あれ、そう言えば説明抜けてたか。【コンクエスト】に関係する部員は、正体を隠すために専用の名前があるんだよ」

 言われて、ふと思い当たることがあった。先週に遭遇した【コンクエスト】、あの時に悠が名乗っていた名前がそれではなかろうか。そう告げると、恭二はその通りとうなずいた。

「中須が【青藍】、俺の場合は【山吹やまぶき】で、詩織が【真紅しんく】、渡瀬は【若苗わかなえ】となる。基本的に色の和名で、その時の部員内で同じ色がかぶらないように調整してつけることになってる」

 そこまで言って、恭二は視線を詩織へと向けた。

「先代が使ってた色が白だったから、空いてる色となるとどれになるっけ?」

「以前に使われていた色名を使うのであれば、黒、紫、オレンジ。使われていなくて空いている色では茶色かピンクといったところですが……」

 天井に視線を向け、記憶を探るようにしながら詩織が答える。

 その言葉を受け、薫が勢いよく手を挙げた。

「ピンク系にしようよ、カワイイから!」

「今までピンクが使われなかった理由は、名前が微妙だからと聞いていますが……」

 そう口を挟んだ悠だったが、どこか凄みのある薫の笑顔におとなしく口をつぐんだ。

「えー、桜とか撫子とかカワイイのあるじゃん、あと珊瑚とか! ほら、在原ちゃんにぴったり!」

 ね? と話を振られ、望美は困ったように首を傾げた。

「あら、黒や紫なんかも在原さんの落ち着いたイメージに合っていると思いますが?」

 詩織もまたにこやかに、だがしっかりと己の意見をねじ込みにかかる。両者互いに譲る気配はなく、もはや本人の意向すら気にしていない。

 表面上は穏やかな、だがその実ひどくギスギスしたやり取りに、悠がどうにかしろと言いたげに恭二を見やった。

「厄介ごとは全部俺の担当か、オイ」

 いい加減にしてくれ、と頭を抱え、恭二が机に突っ伏した。

「黒崎先輩以外に、いったい誰が都筑先輩の手綱を捌けるというんです?」

「俺にだってできねぇよ、そんなもん」

 互いに状況の処理を押しつけ合う二人をしばらく見やったあと、望美は詩織たちへと目を向けた。こちらはこちらでケリがつきそうな気配はない。

 もう一度視線を巡らし、望美は右手を挙げた。

僭越せんえつながら、先輩がた。ここは一つ、平等にあみだくじで決めるというのはいかがでしょうか?」

 望美の言葉に全員の視線が集中した。あみだくじ? との言葉にうなずく。

「そうです、先輩がたに名前の候補を書いてもらい、わたしがそれを選ぶ。それでいかがでしょうか?」

 口を出すのもどうかと思ったのだが、このまま不毛なやり取りを見ているのも時間の無駄だった。だが下手に口を挟めば角が立つ。この場を丸く納めるためにはこれが一番いい方法に思えた。

「そうですわね……本来、部員名は当人が選んでつけるものですし」

「まぁ、在原ちゃんがそう言うなら……」

 詩織がそうつぶやき、薫も渋々納得したようだった。視界の端で、男たちがグッジョブと親指を立てる。大変イイ笑顔だった。



 主に詩織と薫が中心となってあみだくじを作っている間、望美は昼休みに渡された冊子に目を通すことにした。学外に向けた解説本ということで何も知らない者に一から説明することを意図しているのか、教師役と生徒役による対談形式で書かれていた。

 最初は世界観に関する説明のようで、一ページ目は【コンクエストとは】と題され、それがどういうイベントなのかの解説が行われていた。これに関しては説明を受けているため、望美は読まずにページを飛ばすことにした。

 ぱらぱらとページを繰っていくと、【正義の味方部、世界征服部って?】と書かれたページに行き当たった。いったいどういう設定となっているのか興味を惹かれ、望美は文章を目で追った。


≪先生、【世界征服部】とか【正義の味方部】とか、ハッキリ言って意味不明です!≫


 生徒役は頭の固い冗談の通じない人間、という設定にでもなっているのか、えらく辛辣なセリフを吐いていた。


≪はい、イミフとか言わない。文字通りです、以上≫

≪先生、説明になっていません!≫

≪というのは冗談で、ちゃんと説明しますよ~? 【世界征服部】っていうのは~≫


 教師役はずいぶんとゆるいキャラ付けがなされているらしい。四角四面な生徒とゆるゆるな教師、というのはある意味で愉快かもしれないが、終始この調子でいかれるのもなかなか辛いものがある気がする。

 文面を追いながら、望美は頭の中で整理する意味も含めて翻訳を試みることにした。以下はその翻訳文である。


 【世界征服部】とは宇宙からの侵略者であり、地球を支配しようとやってきた先遣部隊である。

 その目的は死病に侵され滅びかけた母星、ノリスフレッド星から移住するためであり、まずは前線基地として学園を支配しようともくろんでいる。少数の幹部と多数の戦闘員から構成される。


 【正義の味方部】とは文字通りの正義の味方ヒーローである。

 宇宙からの侵略者の存在に気づいたとある教師が、学園の平和を守るために生徒たちを集めて作り上げた秘密組織――と言われているが、【秘密組織】という響きにあこがれた生徒たちが教師を巻き込んだのだという説もある。

 実際のところはさておき、学園、ひいては地球の平和が彼らによって守られているのは事実である。


 両部の戦いが始まったのは十年前だと言われている。そんな言葉で世界観設定の項目は締められていた。ずいぶんと具体的な数字が出たものだと思って奥付のページを見やると、発行されたのは今年の四月とのことだった。もしかして毎年発行しているのだろうか、とどうでもいいことが頭をよぎる。

 首を傾げながらページを戻ろうとしたところで、薫に呼ばれて望美は顔を上げた。

「在原ちゃん、準備できたからくじ引いて」

 にこにこと嬉しそうに笑いながら、薫は手にした紙を望美の前に置いた。のぞき込めばルーズリーフを利用して作られたらしく、紙の一端を何重にも折って隠している。そちらに部員名の候補が書かれているということだろう。わかりやすいように部員名の書かれているところは罫線の上からボールペンでなぞられ、ひときわ太くなっている。ずいぶんと候補が挙げられたらしく、縦線の数は多かった。それ以上に横線も引かれていて、たどるのが大変そうだ、とぼんやり思う。

 早く、と促され、望美は右から三分の一あたりに位置する線に印を付けた。

「オッケー、これね?」

 じゃあたどるよ、と宣言すると、薫は赤ペンを手にラインをたどりだした。あっみだっくじ~とどこか楽しげに歌いながら最後までたどり着くと、ルーズリーフを持ち上げて折っていた部分を開く。

 目を通した瞬間、むぅ、と不満げに眉を寄せた。

「どうなりました?」

 いつまで経っても発表しない薫にじれたのか、悠が促すように問いかける。

「発表しまーす。在原ちゃんの部員名は【杜若かきつばた】に決定しましたー」

 ひどく不服そうな棒読みで告げられた瞬間、恭二が派手に吹き出した。

「【杜若】……! 伝説の初代降臨かよ」

 爆笑しながら何度も机を叩く恭二の姿に、そんなにすごい名前なのだろうかと望美は首を傾げる。

 不思議そうな望美に気づいたのだろう、笑いの名残を残しながら恭二が説明をする。

「【杜若】ってのは【コンクエスト】が開始された一番初めの世代の部員の名前でな。もうイロイロと伝説級なんだよ」

「伝説、ですか?」

 ことんと首を傾げて問い返すと、伝説、と大きくうなずかれた。

「DVD見るか? たしかこのへんに初代のがあったはず……」

 そう言うと、恭二は望美の返事も待たずに戸棚の一角を漁りだした。問いかけるような視線を周囲に向けるが、詩織はにこにこと楽しげに笑うばかりだし、薫はふてくされたように机に両腕を重ねてその上にあごを置いている。悠はといえば、何を言っても無駄だと言いたげに両手を開いて肩をすくめた。

「お、あったあった」

 そうこうするうちに目当ての物が見つかったのか、恭二が声を上げた。一枚のトールケースを手に、パソコンの前へと向かう。ちらりと見えた表紙には年度数と【コンクエスト】という文字が踊っていた。

「よし、鑑賞会といこう」

「悪いけど、却下」

 間髪を容れずに響いた涼やかな男声に、思わず全員がそちらへと振り返った。

 全員の視線を受け止めることとなったその人物は一見女性と見まがう線の細さだが、その身を包むのは男物のスーツだった。ドアを背に不機嫌そうに眉間に皺を寄せているが、その美貌が損なわれることはない。

「僕の目の前でそのDVDを再生するつもりなら没収するから、そのつもりで」

 突き刺さったままの視線に辟易へきえきしたのか、まだ青年と呼んでも差し支えないほどに若い、教師とおぼしきその人物は眉間の皺を深めてそう告げた。

「あら、瑞貴みずき先生。生徒会に何かご用ですか?」

 にこやかに詩織が問いかけるが、その笑顔にはどこか不穏な影があった。邪魔するな、とでも言いたげだ。

「桐生先生に頼まれてね、手帳を忘れてきたから取ってきてほしいと」

「あら、それでしたらこちらですわ」

 はいどうぞ、と詩織が戸棚から取り出したのは黒いエナメルの手帳だった。

「これで用件は済んだはずですわね? どうぞ、お引き取りくださいませ」

 笑顔を張り付け、露骨に追い出しにかかる。目の前での鑑賞会が却下だというのなら、いないところでやればいいだけの話である、ということだろうか。

 瑞貴と呼ばれたその教師も詩織の魂胆を見抜いているのだろう。だが用も済ませた以上、いつまでも居座っているわけにはいかない。仕事だって山ほどあるのだ。

「そうだね、今日のところは引き上げるよ。桐生先生も待ってるだろうし」

 しばらく睨み合うように視線をぶつけたあと、青年教師は根負けしたようにそう告げた。右手に持った手帳を掲げ、背を向ける。入ってきた時と同じように音もさせずに扉を開けると生徒会室を出て行った。

「……興もそがれたし、鑑賞会は今度にするか」

「それがいいんじゃないかなー。瑞貴センセイのことだから、再生した途端に戻ってきそう」

 やる気なさげに頬杖をつきながら、薫が恭二の言葉に賛同した。

「先ほどの方は教師ですか?」

 教師にしてはまだずいぶんと若いように見えたので、望美はそばにいた悠に問いかけた。

「ええ、忍足おしたり先生といって国語を担当しています。主に三年生を教えていますね」

 悠の言葉から、おそらく瑞貴というのは名前なのだろうと察した。生徒に名前で呼ばれているのは年齢が近いせいもあるだろうが、おそらくそれだけ慕われている証拠なのではなかろうか。

 内緒話というわけではないが、顔を寄せ合って話していたせいだろう。何をやってるんだ、と恭二が問いかけてきた。忍足のことだと悠が答えると、ああ、と納得したように恭二がうなずいた。

「瑞貴ちゃんはな、うちの卒業生なんだよ。……にしても、相変わらず桐生先生にこき使われてんなぁ、瑞貴ちゃん」

 恭二の言葉に、なるほどとうなずく。だから親しげなのだろうと一人納得していると、ようやく機嫌が直ったのか体を起こした薫が発言権を求めるように手を挙げた。

「ねえねえ、あとは衣装だよね? どうせならかわいいのにしよう? 今度こそ。ひらひらふわふわの、かわいいのを!」

 よほど望美の部員名が不本意なのだろう、ぐっと握り拳で訴える。それに異を唱えたのは、やはりと言うべきか詩織だった。

「あら、やはり部員名に合わせて落ち着いたデザインがよろしいかと思いますわ?」

 相反する意見にまたもや両者は睨み合い、男二人は顔を見合わせて嘆息する。なぜ今日に限ってこうもこの二人はもめるのか。常ならばこうなることはまず考えられない。となると原因は望美にほかならないのだが、この両者はよほど望美を気に入ったと見える。

「衣装というのは、そんなに好き勝手できるものなのですか?」

 ある意味当然といえば当然の望美の疑問に、悠が曖昧にうなずく。

「そうですね……基本さえ守れば、わりとやりたい放題でしょう」

 まさかの全肯定である。

 意外そうな顔をする望美に、見るか? と恭二が問いかけ、戸棚からトールケースを二つ取り出した。

「去年の分と、女子部員が多かった時期の【コンクエスト】全集。実際に見たあと、どうするか決めてくれ」

 その言葉から察するに、また望美に調停役を押しつける気満々のようである。

 パソコンを操作してDVDを再生する準備を整えると、恭二は望美を手招きした。呼ばれるままにその隣に立ち、ディスプレイをのぞき込む。横目でそれを確認すると、恭二は再生ボタンをクリックした。ディスプレイに映像が映し出される。


 どこか、一般教室とおぼしき机が規則正しく並んだ教室。放課後なのだろう、室内にいる生徒の数は少なく、数人ずつグループになって談笑している。

 そんな教室の扉がいきなり開かれた。なだれ込んできたのは、いつぞや見た黒い全身タイツの集団。

 戦闘員らは奇声を発しながら教室の各所に散らばると、ある者は生徒らを誘導し、ある者は机を教室の端に積み上げて舞台を作り上げる。

 お膳立てが整うと戦闘員らは作り上げた空間を囲むように並び、それぞれに敬礼ポーズを取ってふたたび奇声を発した。

 カツカツと高く靴音を響かせながら、教室に一人の人物が入ってくる。身にまとうのは目にも鮮やかな真っ赤な詰め襟制服で、細い肩に金の肩章が揺れていた。右肩から胸にかけて金の飾緒かざりおが垂らされ、その上から白い懸章がかけられている。ズボンをはいているが、仮面に覆われていない頬からあごにかけてのラインや丸みを帯びた体つきから女性であることは容易に想像できた。

 目深にかぶった学生帽をくいと押し上げると彼女は教室全体へと視線を投げた。背中を包む漆黒のマントをばさりとひるがえし、まっすぐに右手を前へと伸ばす。

『これより征服を開始する!!』

 高らかな叫びに、戦闘員たちが唱和するように奇声を発する。

 ふたたび男装の麗人へとカメラが向けられたところで映像は静止した。

「これが【真紅】、つまりわたくしですわね」

 横合いから投げられた声に視線を向けると、イスに座り両手で包み込むようにして湯飲みを持つ詩織と目が合った。おっとりと笑う日本人形然とした少女と画面の中の男装の麗人とがイコールで結びつかず、思わず何度も見比べる。仮面で顔が隠れているということを差し引いても、やはりどう見ても見事に別人である。

「次のを流すけどかまわないか?」

 忙しく視線を左右させる望美に配慮してか、マウスを手に恭二がそう問いかけた。それに我に返った望美はあわてて何度もうなずく。

「大丈夫です、お願いします」

 その言葉にうなずくと、恭二はメニューを呼び出して操作した。

 またどこかの教室が映し出され、先ほどと同じように戦闘員たちが舞台を作る。呼びかけとも取れる奇声に応えるように、一人の人物が教室へと姿を現した。

 上背のある体を包むのは山吹色の詰め襟制服。ふくらはぎまで届くほどに丈の長い上着の前は留められておらず、下からカッターシャツがのぞいている。普通の人間であれば足に絡みそうな長い裾を華麗に捌きながら教室の中央まで歩を進め、少年と青年の中間くらいのその人物はニッとくちびるをつり上げた。仮面の奥からのぞく眼差しは精悍さを感じさせるが、それ以上にどこか好戦的だ。だん、と床を踏み鳴らして彼は叫んだ。

『さあ、征服を始めようぜ!』

 少年の姿がアップになったところで、画像はまた静止した。

「ちなみに、これが俺な」

 照れたように頬をかきながら恭二がそう告げた。どこか粗野なイメージを感じさせる【山吹】の姿は少し意外だったが、これが恭二だと言われるとそうなのかと納得できる程度の違和感でもあった。

 なるほど、と画面を見つめる望美に苦笑しながら、次行くな、と言って恭二はパソコンを操作した。

 次に映し出されたのは廊下のようだった。天井近くにかけられたプレートには講義室と書かれている。プレートから移動したカメラは廊下の全景を映し出す。

 廊下の奥からわらわらと現れた戦闘員たちがたむろしていた生徒たちを押しのけ、向かい合わせに壁際に並ぶ。奇声を上げて掲げられた手がこちらに向けられる。その動きを追うように映像も反転し、階段が映し出された。

 階段の上から革靴に包まれた足が現れる。一段ずつ階段を下りるたびに、その人物がフレームの中に映し出されていく。黄色味を帯びた淡い緑の細身のズボンと同色の詰め襟制服。背中でひるがえる暗色のマントによって、よりいっそう小柄に見えた。一つに束ねられた長髪がマントの上をすべる。

 現れたのは精緻な細工が彫り込まれた仮面で顔を隠した、どこか近寄りがたい雰囲気をたたえる少年だった。

 階段を下りきると、彼は右肩からかけられた白い懸章を整えるように左手で胸元を払った。顔を上げ、睥睨へいげいするかのごとく視線を投げると涼やかな声で宣言した。

『さあ、征服を始めよう』

「はいはいはーい、それあたしでぇーす!」

 映像が止められるのとほぼ同時に、身を乗り出すようにして薫が手を挙げた。消去法から彼しか残っていないことはわかっていたのだが、あまりの別人ぶりに思わず振り返ってまじまじと薫を見つめてしまった。映し出された【若苗】の姿をもう一度確認する。詩織もそうだが、なぜこうまで見事に別人を演じられるのだろうかと感心した。

「そんなに見つめてどうしたの?」

 どこか嬉しそうに笑みを浮かべながら、薫が首を傾げた。

「いえ、言われても同一人物だとはとても信じられなくてびっくりしました」

「だってほら、やるなら徹底的にやらなくちゃ面白くないでしょ?」

 【コンクエスト】はエンターテイメントなんだから、と薫が胸を張る。

 それに物は言い様だな、と恭二が笑い、ただの大規模なごっこ遊びでしょう、と悠がため息をつく。

「あら、当事者がそんなことを言ってよろしいのですか?」

 やんわりと、だがどこかトゲのある声音で詩織が問いかけると、両者は気まずそうに視線をそらした。

 ごまかすように咳払いをすると、恭二はDVDのディスクを入れ替えた。

「それじゃあ、次は女子部員が多かった時のを流すな」

 そう言ってパソコンを操作する。

 今度映し出されたのは渡り廊下のようだった。戦闘員たちを引き連れ、一人の少女が画面の中に現れる。あんず色のワンピースに同色の詰め襟制服風のベストを身にまとっている。左手を腰に当てると、少女は右手で銃の形を作ってビシリと指先を突きつけた。

『さぁ、征服を始めるよっ』

 そこで映像は静止し、またすぐに次の映像が再生される。

 教室の中、戦闘員たちを率いるのは長髪の少女の姿。詰め襟制服の上着はあわせの部分にレースがあしらわれ、下衣はたっぷりと布地の使われたフレアスカート。これも裾の部分にフリルが贅沢にあしらわれている。色は目にも鮮やかなツツジ色だった。


「ねぇ、副会長~。ソレいつまで続けるのー?」

 DVDの静止と再生を何度か繰り返した頃、頬杖をついた薫がそう声を上げた。その隣で悠もうなずき、

「衣装を見せるという意味なら、歴代の写真集を見せた方が早いと思いますが」

「DVDよりは時間の短縮になるでしょうねぇ?」

 湯飲みを置いた詩織もそう告げる。

「写真集?」

 不思議そうに首を傾げて問い返した望美に、悠は本棚から一冊のアルバムを取り出して差し出した。

「写真部による、歴代【世界征服部】部員のブロマイド一覧です」

 どこか呆れたような、あきらめたような響きの宿る声にさらに首を傾げつつ、望美は渡されたアルバムを開いた。付箋ふせんで作られたインデックスには赤や黄、青など色名が書かれている。とりあえず一ページ目を開き――。

「……なんと」

 感嘆とも呆れとも取れない声が漏れた。

 A4サイズのアルバムの一ページに二枚、見開きで合計四枚の写真が納められている。そのどれもがコスプレ衣装に身を包んでポーズを決めているのだ。それこそ特撮系悪の幹部のブロマイド一覧と言うべきだろう。マントがひるがえっているあたり、扇風機か何かで風を送っていると思われた。

 撮る側もそうだが被写体の方もノリノリなのだろう、満面の笑みだったりシリアスを決めてみたりとポーズもかなり気合いが入っている。CGで合成されたとおぼしき背景やフレームがコメントに困ることこの上なかった。

 アルバムを開いたままフリーズした望美に、悠と薫がどこか同情するようにうなずいた。

「気持ちはわかります」

「ねー、反応に困るよね、ソレ」

「売れ行き好調で、人によってはダース単位で買うらしいですね」

 やれやれと言いたげに悠がかぶりを振った。

「売ってるんですか、これ」

 つぶやいた望美に、沈痛な面持ちで悠がうなずく。

「ええ、売ってるんです。信じられないでしょうが」

「衣装の参考にはなるので便利ですけれどね」

「それもそうですね」

 詩織の言葉にあっさりとうなずいた望美に、恭二が微妙そうな顔で目を細めた。切り替え早いな、とぼそりとつぶやく。

 写真の向きに合わせてアルバムを横にする。写真の下には部員名であろう、色名が記載されていた。どうやら部員名の色別に分類しているらしい。

 ぱらぱらとページをめくる。見た感じ男子の方が多いようだったが詩織の例もある、男装の麗人も中には含まれているのだろう。もしかしたら逆もあるのかもしれない。とりあえず、見た目が女子と思われる写真を観察することにした。

 観察して気づいたのは、詰め襟制服が基本デザインとしてあるらしいということだった。男子などはまさに詰め襟制服そのものであるし、女子も上着は詰め襟制服、もしくはそれをアレンジしたものがほとんどだ。下衣は長さはまちまちだがプリーツスカートが多く、たまにワンピースタイプやフレアスカートなどが見受けられた。ほとんどの者が白い懸章をかけており、中には学生帽やマント、肩章や飾緒などをつけている者もあった。肩章と飾緒をつけている者は数が少ないことから、おそらく位の高い者という設定なのだろう。

「どんなデザインにするかは決まりましたか?」

 ゆるやかに笑んでたずねる詩織に、望美は握った拳を口元に添えた。首をことりと傾けて考えることしばし。

「お任せしようかと思っています」

 広瀬と呼ばれていた女教師が、希望がなければ好きに作ると言っていたのを思い出してそう告げた。

「えー、広瀬センセイにお任せしたらどんなのになるかわかんないよー? ひらひらふわふわのかわいいのにしようよー」

「渡瀬さん、無理強いはいけませんよ。在原さんが決められたことなのですから」

 詩織にたしなめられ、薫は不満そうにくちびるをとがらせた。だがそれ以上言うつもりもないらしく、おとなしく口をつぐむ。

「では今日はこのあたりでお開きにしましょうか。これ以上遅くなってはいけませんしね」

 詩織のその一言に窓の外へと目を向けると、いつの間にやら夕暮れとなっていた。たしかにこれ以上遅くなるとまずいだろう。めいめい鞄を手に立ち上がると、あと片づけをするという詩織を残して生徒会室をあとにした。



「あれ、在原ちゃんどこ行くの?」

 一階まで降りたものの、昇降口を通り過ぎようとした望美に気づいた薫が声を上げる。足を止めて振り返ると、望美は職員室へ行くのだと答えた。

「ああ、広瀬先生か?」

 衣装の件だと察した恭二が、それなら明日でもいいんじゃないのかと告げる。

「こういうのは早い方がいいかと思いまして」

 あとで報告に行くと言っていたのだ、待っているという可能性もある。それに昇降口と職員室は目と鼻の先だ。万が一広瀬が帰っているならば自分も帰宅すればいいだけの話である。そう答えた望美に、そういうことならと三人はうなずいた。

「それじゃ、あたしたちは先に帰ってるね。また明日!」

 大きく手を振る薫に手を振り返すと、望美は職員室へと足を向けた。



 職員室へと向かうと、広瀬は被服室にいると言われた。被服室は二階の南棟、望美の教室がある棟の西端に存在する。もう一度階段を上って被服室へと向かうと、教室の中から何やら機械音が聞こえてくるのに気づいた。何の音だろうと首を傾げながら、望美はノックしてからドアを開けた。

 中に入ると、一台のミシンとその横に山と積まれた布、そしてミシンの前で作業する広瀬の姿が目に入った。だが、そのミシンが尋常ではなかった。明らかにスペックを越えた速度で稼働しているのである。一瞬で布が縫われていき、洋服へと姿を変える。その様にぽかんと口を開けて見つめていると、一段落ついたらしい広瀬が顔を上げた。

「あら、在原さん。先生に何か用?」

 そう声をかけられてようやく我に返る。

「衣装のデザインについてご報告に」

 そう答えた望美に広瀬は一瞬驚いたように目を見開き、それからにっこりと笑った。

「明日でもよかったのに、わざわざ来てくれたの? ありがとう」

「いえ、帰りしなについでに寄っただけですから」

 気にしないでくださいとかぶりを振った望美に、広瀬はさらに笑みを深くした。布の山を押しやり、空けた場所にノートを広げるとシャープペンシルを握る。

「それじゃ部員名と希望のデザインを教えてくれる?」

 どんなものでも作ってあげる、と広瀬は笑った。

「部員名は【杜若】で決定しました。デザインはお任せでお願いします」

 望美の言葉に、【杜若】! と広瀬は声を上げた。どこか意味ありげに笑い、本当にお任せでいいのね、と確認する。

「そう、それじゃあ先生腕によりをかけて作るからね!」

 楽しみに待っていて、と告げ、

「あ、そうそう。制服なんだけどね、来週くらいには渡せると思うの。桐生先生から連絡があると思うから、よろしくね」

 じゃあ遅くならないうちに帰りなさい、と外見に似つかわしくない教師らしいことを言うと、広瀬は手を振って望美を被服室から送り出した。



「お、終わったか?」

 靴を履き替えて昇降口を出たところで、望美は恭二に声をかけられた。彼は鞄を背負い、自転車を手にしている。先に帰ったはずのその姿に、望美はぱちりとまばたきする。

「黒崎先輩、お先に帰られたはずでは?」

「いや、伝え忘れていたことがあってな。待ってたんだよ」

 それこそ明日でも、ましてやメールや電話でもかまわないだろうに律儀に待っていたというのだろうか。面倒見のいい性格だと聞いてはいたが、それ以上に根が真面目なのだろう。

「それはわざわざすみませんでした」

 深々と頭を下げた望美に、気にするなと言って恭二は笑った。

「生徒会の活動日なんだがな。月水金の昼休みと、放課後は毎日となってるから頼むな。あと、生徒会メンバーは殺人坂を徒歩で上る決まりとなってるから」

「……殺人坂?」

 えらく物騒な名前だが、いったいどこのことを指すのだろうか。いぶかしげに眉を寄せた望美に、言葉が足りないことを察したのだろう、恭二が苦笑を浮かべる。

「ああ、悪い。殺人坂ってのは、駅から学校までの坂の通称な。昔、練習試合でウチに来た他校の生徒が坂の途中で酸欠起こして救急車呼ばれたってのが名前の由来らしい」

 どこまで本当かわからないけどな、と笑う恭二。

「徒歩での登校というのは問題ないのですが、なぜそんな決まりがあるのですか?」

「基礎体力の向上が目的だな。運動能力は強化スーツで補正できるが、体力自体はどうしようもないから」

 たしかに、中にスタントマンでも入っていそうな殺陣をやるのだ。ある程度の体力がなければケガをするおそれがあるだろう。そして体力を作るのにあの坂はうってつけだと思われた。

「重ねて了解しました。ところで、好奇心から少々不躾な質問をしてもよろしいでしょうか?」

「かまわないが」

 わざわざ好奇心から、と付け加えた望美に眉を寄せながら恭二はうなずいた。

「生徒会メンバーは徒歩で坂を上る決まりとおっしゃいましたが、それならばなぜ黒崎先輩は自転車をお持ちなのですか?」

 手続きをすれば駅のそばにある図書館の駐輪場を借りられるということは、自転車通学をしているという千恵から聞いていた。それなのに、わざわざ坂の上まで自転車を押して上がるのはなぜなのだろうか? そう問うと恭二は納得したようにうなずき、いたずらっぽい笑みを見せた。

「坂を滑り降りるためだよ」

「……はい?」

 意味がわからず聞き返す。表情から理解できていないことを察したのだろう、恭二が言葉を付け加える。

「坂の上から下まで、ノンブレーキで一気に滑り降りるんだよ」

 言われて想像した。かなりの斜度のあの坂を、ブレーキを一切かけずに滑り降りる――相当のスピードが出るものと思われた。

「危なくないですか、それ」

「よく宇佐見先生あたりに怒られるんだがな、懲りないバカは多いんだよ」

 そう言って笑う恭二もそのうちの一人なのだろう。だが本気で心配そうに眉を寄せる望美を見て、安心させるように優しく笑った。

「大丈夫だって、バスロータリーと車線が交わる前にブレーキはかけるから」

 まぁ、とつぶやき、恭二は頬をかきながらあさっての方向に視線を泳がせた。ブレーキかけ損ねて改札に突っ込んだ奴がいるってウワサもあるが。

「先輩」

 咎めるような望美の声音に己の失言を悟ったのだろう、恭二はわざとらしく咳払いして、

「あくまでウワサだって。この学園が設立されてから、志貴山下駅が工事したって話は聞いたことがないから! 実際事故ってたら、学園の敷地内から駐輪場が撤去されてるはずだろう?」

 その言葉ももっともだった。そんな事故が過去に起こっていたのならば駐輪場は撤去されてしかるべきだし、それ以前に自転車通学自体が禁じられる可能性もあった。だが今なお駐輪場は敷地内に存在し、自転車で通学する生徒も多い。恭二の言う通り、あくまでもウワサなのであろう。

「気をつけてくださいね?」

「大丈夫だって、伊達に二年以上あの坂を下ってないんだから」

 信憑性のかけらもない言葉を吐きながら、じゃあな、と手を振って恭二は自転車を押して歩き出した。校門をくぐると自転車にまたがり、地面を蹴る。彼の姿が見えなくなるまで見送ると、望美はため息を一つついて自分も校門へと向かって歩き出した。

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