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 週が開けた月曜日、望美は湊に案内されて新しい学校へと向かった。志貴ヶ丘しきがおか学園という名のその学校は、中高大学までの一貫教育を売りとする私立の学校という話だった。先日望美が駅から見上げていた坂道の上にその校舎は存在し、生徒や近隣の住民からは【お山の学校】と呼ばれているという。かつてケーブルカーが走っていた山の上、という立地条件に由来するようだ。

「バスもあるんだけど、生徒ですし詰め状態になるから覚悟した方がいいな」

 歩くのが嫌なら早めに登校することをおすすめする、と苦笑しながら湊は告げた。早い時間帯ならまだ混み具合はマシな方だ、と。

 そんなことを話していると、坂道を歩く二人の横をバスが通り過ぎた。八時前という早い時間にも関わらず、窓から見える車内は座席がすべて埋まり、立っている生徒も案外多い。なるほど、たしかにバスを利用する生徒は多いようだ。

「今更こんなこと言うのも何だけど、バスを使えばよかったか?」

 足を止めてバスを見送っていた湊が、ふと思い出したように問いかけて望美を振り返った。

「オレはいつも歩きだからつい今日も歩いちゃったけど、女の子にはこの道キツイんじゃないかなって」

 あくまでウワサであるが、練習試合で来た他校の生徒がこの坂を歩いて酸欠を起こしたという話も聞いている。この学園の生徒であれば文化部の生徒ですらわりと平気な顔して上まで歩くので眉唾物だが、万が一ということもある。何より、彼の目から見てこのイトコは運動神経や体力とは無縁そうに思えた。二つに編んだおさげ髪といい、眼鏡といい、おとなしい――それこそ図書室とかが似合いそうな雰囲気の少女。

 彼女を見ていると急に心配になってきた。途中で倒れられたらどうしよう。坂の中腹にもバス停はある。今からでも遅くないから、バスを利用すべきだろうか?

 だが彼の思いとは裏腹に、望美は首を横に振った。

「いいえ、大丈夫ですよ」

 そう言って、鞄をかけ直して歩き出す。先行した少女の背中を疑わしげに見つめ、考える。本当に、大丈夫かなぁ?

 そうして、彼女は湊の予想を裏切って坂道を上りきった。少し息を切らした程度で、特に辛そうな様子はない。それに胸を撫で下ろし、湊は志貴ヶ丘学園と書かれた校門をくぐった。

 正面には三つの建物が見えた。向かって右側からそれぞれ中等部、高等部、大学部の校舎となっていると湊が説明する。左手にある大きなスペースは駐輪場と駐車場になっているとのことだった。

 昇降口で靴を履き替え、職員室まで案内してもらうと湊とはそこで別れた。何度もついていかなくて大丈夫かと心配そうに訊かれたが、彼にも用事があるだろうから断った。ただでさえ少し早めに家を出て、学校まで案内してもらったのだ。これ以上迷惑をかけるのは忍びない。

 だが、と望美は考える。彼はいい人だ。数日前に知り合ったばかりなのに、こんなにもよくしてくれる。そういうところは遼平に似たのだろうと思う。

 小さく笑みを浮かべると、望美は職員室のドアを開けた。失礼します、と声をかける。

「本日から編入することとなりました在原望美です」

 一歩中に入ってそう声を上げると、一瞬教師たちの視線が望美に集中した。だが彼らはすぐに自分たちの仕事へと戻る。

「ああ、こっちこっち」

 声をかけられ、そちらへと顔を向ける。望美から見て左手の奥に、片手を上げてこちらを見やる女性教師がいた。手招きされたので、通路を通って彼女のところへと向かう。

「あたしがあなたの担任になる桐生きりゅう彩夏あやかです。よろしくね」

 そう言ってウィンクしたのは、まだ若いようにも、どこか老成しているようにも見える年齢不詳な女性だった。かっちりとスーツを着込んでいるが、派手めな顔立ちや背に垂らされた長髪のせいかどこかラフな印象を受ける。フランクな言動が与える影響も大きいのかもしれない。

「在原望美です。これからお世話になります」

 丁寧に頭を下げた望美に、桐生は驚いたように目をまたたかせた。小さく笑い、

「若いんだから、もうちょっと気楽にいきなさい、気楽に」

 豪快に望美の背中を叩いてそう告げた。はあ、と曖昧にうなずく望美を見やってまた笑う。

「この学園は結構独特だからね、いろいろと戸惑うことも多いと思うけど、何かあったら言ってね。力になるから」

 そう告げる桐生の眼差しは優しかった。



 望美が編入するのは一年三組とのことだった。桐生について階段を上り、二階にある教室へと向かう。五つ並んだ教室のちょうど真ん中だと言われた。

「はい、席に着いてー」

 教室に入るや否や、桐生はそう言った。教卓に両手をついて身を乗り出す。

「転入生を紹介するわよー」

 桐生の言葉に、生徒たちの視線が一斉に望美へと集中した。促され、望美は一歩前へと足を踏み出した。

「はじめまして、在原望美です。これからよろしくお願いします」

 丁寧にお辞儀をして頭を上げると、満足そうに桐生が笑っているのが横目に見えた。

「みんな仲良くしてあげてね。在原さんの席は左の一番うしろになるから。――はい、じゃあホームルームを始めるわよー?」

 指定された席へと向かうと、隣の席の女子生徒と目が合った。彼女はにっこりと笑うとこちらに向けて小さく手を振った。イスに座り、それに応えるように小さく手を挙げると彼女は嬉しそうに目を細め、視線を前へと戻した。望美も視線を桐生へと向ける。

 桐生は一通りの連絡事項を伝えると、出席簿を手に教室を出た。それと入れ替わりに一時間目の授業を行う教師が入ってくる。日直の号令に、望美は教科書を出しながら立ち上がった。



 チャイムが鳴り、教師が授業の終了を告げる。日直の号令が終わるや否や、先ほどの少女は望美の席へとやってきた。人好きのする笑顔を浮かべ、こんにちは、と告げる。

「私は八坂やさか千恵ちえ、よろしくね。望美ちゃんって呼んでもいい?」

 首を傾げた拍子に、肩まで伸ばされたやわらかそうな髪がふわりと揺れた。ゆったりとしたしゃべり方や、やわらかい表情がたんぽぽの綿毛や綿菓子を思わせた。

 かまわないとうなずくと、千恵は嬉しそうに笑った。ふわふわした雰囲気と相まって、年齢よりも幼く見える。

「私のことは千恵って呼んでね」

「千恵さん、ですね。よろしくお願いします」

「お、早速やってるわね、千恵」

 笑みを浮かべて頭を下げた時、そんな声が聞こえた。顔を上げると、紺色のブレザーを身にまとい、長く伸ばした髪をポニーテールに結い上げた少女がこちらに近づいてくるところだった。

「あ、小百合さゆりちゃん」

 少女に気づいた千恵が振り向き、大きく手を振る。それに苦笑しながら手を振り返し、小百合と呼ばれた少女は望美の前に立った。

「こんにちは、あたしは皆川みながわ小百合。よろしくね」

 望美に笑いかけ、小百合は千恵へと視線を向けた。

「アンタ人なつっこいのはいいけど、気をつけないとなれなれしいってうっとうしがられるわよ?」

「そ、そんなことないもん!」

 ため息混じりの小百合の言葉に言い返し、けれども急に不安そうに眉を寄せて千恵は望美へと向き直った。きゅ、と両の拳を握りしめて問いかける。

「あの、その……もしかして、うっとうしかった……?」

「ハッキリ言っちゃっていいわよ。その方がこの子のためにもなるんだから」

 不安げな千恵と、腕組みして仁王立ちする小百合とを見比べ、望美はかぶりを振った。

「いいえ、迷惑だなんてことはないです。声をかけていただいて嬉しかったです」

 その言葉に、千恵がほっとしたように顔をほころばせた。

「気を使っていただいてありがとうございます。小百合さん、とお呼びしてよろしいですか?」

「え? ああ、うん、いいわよ。貴方がかまわないなら、あたしは別に何も言わないんだけど……」

 あわてたようにうなずき、ねえ、と小百合は問いかけた。

「貴方って、誰に対してもさんづけで呼ぶ人?」

「そうですが……ご不快ですか?」

 さんづけはよそよそしいと嫌う人間もいる。呼び捨てや愛称で呼ぶのが親愛を示す術だと信じきっている者も中にはいるのだ。

「ああ、ごめんね。そういう意味じゃないの。ただ、なんていうか……つかぬこと聞くけど、【委員長】ってあだ名で呼ばれたこと、ない?」

 あると答えると、やっぱりとうなずかれた。

「貴方って、マンガとかでよく見る委員長っぽいのよね。雰囲気とか、見た目とか」

 くすくすと笑いながら言われた言葉に首を傾げる。そういうものだろうか?

「ごめんごめん、あんまり深く考えないでよ、望美。――あ、名前で呼んでもいいかな?」

「はい、かまいません」

 うなずいて答えた時、ちょうどチャイムが鳴った。

「やっば、チャイム鳴っちゃった。じゃ、またあとでね!」

 あわてて教室の反対側へと駆けていく小百合を見送っていると、次の授業の教師が教室へと入ってきた。千恵も自分の席へと着く。

 日直の号令に合わせながら、望美は早速できた友人のことを考えていた。



 午前の授業の終了をチャイムが告げる。教師を追い越すようにして教室を出ていく生徒を見るともなしに眺めながら、望美は大きくのびをした。転入初日で緊張していたせいもあり、思ったよりも疲労を感じた。

「ねぇ、望美ちゃん」

 横合いから声をかけられ、そちらへと顔を向ける。

「よかったら、一緒にお昼食べよう?」

 小さなトートバッグを顔の横で振りながら、千恵が笑顔で問いかけた。

「いいのですか? ぜひご一緒させてください」

 二つ返事でうなずいた望美に、千恵がにっこりと笑った。くるりと上半身を反転させ、

「小百合ちゃん、望美ちゃんも一緒にお昼いいよねー?」

 メガホンのように片手を口元に添えて問いかけた。クラスメイトたちの注目を集めることとなった小百合が苦笑を浮かべる。鞄を手に、二人の方へと歩み寄る。

「叫ぶのやめなさい、恥ずかしいでしょう」

 怒ったような言葉だが、その顔は仕方ないと言いたげに笑っている。眉尻を下げ、ごめんねと千恵が手を合わせた。

「あたしたちはお弁当だけど、望美は?」

「わたしもお弁当です」

 言いながら、鞄から巾着袋を取り出した。今朝、湊が作ってくれたものだ。時任家はゆかりが留守にすることが多く、基本的に家事は湊の担当であるらしい。朝食も彼が作っていたようだった。

「そう? じゃあ、今日は天気もいいし外で食べようか?」

「あ、私屋上がいいな」

「オッケー、望美もそれでいいよね?」

 荷物を手に、話しながら教室を出る。階段を上って屋上へと出ると、気持ちのいい風と日差しが三人を出迎えた。

 屋上にはベンチが設置され、そのいくつかにはすでに生徒の姿があった。三人は空いているベンチを探すとそこに腰を下ろした。

「いっただっきまーす」

 早々に包みを広げた千恵が手を合わせて声を上げる。それに笑みを浮かべながら、望美と小百合も各々の包みを開いた。

 弁当箱の蓋を開け、望美は感嘆の声を上げた。俵型のおむすびに卵焼き、アスパラとジャガイモをベーコンで巻いてソテーしたものにナポリタンスパゲティ、彩りにはブロッコリーとミニトマトが添えられている。見た目からして大変おいしそうだった。

 何より驚くべきことは、これが朝食のメニューとかすりもしていないということである。いったい湊は何時に起きて用意してくれたのだろうか。明日から手伝おう、と望美は堅く心に誓った。

「それにしても、入学して早々に転校なんて大変だね」

 ゆったりとした言葉とは裏腹に、恐るべきスピードで箸を動かしながら千恵が言った。箸の移動速度もそうだが、弁当箱の大きさも女子高生からすると考え難い大きさである。

「親の都合ですから」

 さすがに詳細な理由を言うわけにもいかず、望美はそう言葉を濁した。だが、それに小百合が首を傾げる。

「転勤にしては、ちょっとばかし時期がおかしくない?」

 小百合の言うことももっともだった。今は五月の半ばである。異動を命じられるならば、年度末の三月頃が適当であろう。

 少し考え、望美はうなずいた。たぶん、この二人にならば理由を言っても平気だろう。

「転勤ではないのですよ」

 そう言って、両親が家を空けたことをその理由も含めて説明する。二人は驚いたようにぽかんと口を開けて彼女の話を聞いていた。

「それはまた、なんて言うか……苦労してるのねぇ」

「まぁ、いつものことですから」

 卵焼きを口に放り込みながらそう答えれば、小百合は呆れたようにため息をついた。いつもなんだ?

「この学園を選んだのは寮があるから?」

 利用できるのは高等部以上の生徒のみと限定されてはいるが、志貴ヶ丘学園には寮が存在する。志貴山下駅から大司おおつかさ駅方面へと歩いたところにある大型ワンルームマンションを数棟借りて寮としているのだ。

 千恵の問いかけに、いいえ、と望美は首を横に振る。

「叔父の家に居候しています。この学園に通うようになったのもそのためです」

 言いながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。この学園は私立だから、それなりに学費は高いはずだろう。生活費のみならず、学費まで遼平に出させていることになるのだ。とんでもない迷惑をかけているのに、彼は文句の一つも言わない。望美に言っても仕方がないと思っているのかもしれないが、それが余計に心苦しかった。

「そういえば質問があるのですが、いいですか?」

 やや重くなった空気を振り払うように望美が口を開いた。なぁに、と問いかけてくる二人を見やり、

「どうしてお二人の制服の色が違うのですか?」

 朝からずっと気になっていたことを口にした。

 千恵が身にまとうのは湊と同じえんじ色のブレザーだが、小百合のは紺色だ。クラスメイトたちもその二色のうちのどちらかを着用していた。下衣はチャコールグレー、ネクタイは山吹色と統一されているようだが、なぜブレザーだけ二種類あるのかが疑問である。上下揃いで色違いでもそれはそれで不思議なのだが、色違いの制服には何か意味があるのだろうか。

 望美の問いかけに、小百合は自分の体を見下ろした。ブレザーの裾を引っ張りながら、思案顔になる。

「ああ、これはねぇ……所属って言い方が正しいかよくわかんないけど、とりあえず自分の所属を表してるのよ」

「所属、ですか……?」

 言われていることがいまいちよくわからない。中等部と高等部で制服が違うというなら理解できるが、同じ高等部内でなぜ制服を分ける必要があるのだろうか?

「うん。貴方もそのうちどっちか選ぶ必要があるわよ」

 首を傾げながら、はあ、とうなずいた。これが桐生が言っていた、この学園独特の風習というヤツだろうか。そう自分を納得させると、望美はふたたび箸を動かした。



「で、学校はどうだったよ?」

 その日の夜、夕食を囲みながら遼平がそう問いかけた。

 今日の夕食は唐揚げに豆腐サラダ、それと春雨スープだった。唐揚げの一部は明日の弁当に入れるとのことで、別皿に取り分けている。頼み込んで夕食の準備を手伝わせてもらったが、驚くほどに湊の手際はよかった。さすがは幼少時から家事をしているだけのことはある。

 サラダを咀嚼そしゃくしながら、望美は言葉を探すように視線を天井に向けた。感じたことは色々あるが、一番衝撃的だったのは――。

「ずいぶんと大きな学校でびっくりしました」

 そう答えると、遼平は楽しげに笑い声を上げた。

「だろう? 初めて見る奴はだいたいそう言うんだよ」

 くつくつとのどを鳴らしながらグラスをあおり、

「ま、そのうち嫌でも慣れるさ」

 そう言ってまた笑った。唐揚げを箸でつまむと、聞いていると思うが、と前置きした。

「入部届の提出は来週末までだから。期限厳守で頼むな」

 唐突な言葉に、はて、と望美は首を傾げる。入部届とはいったい何のことだろうか。そう問い返すと、遼平はあんぐりと口を開けた。

「おいおい……桐生の奴、説明してなかったのか?」

 ちゃんとやってくれ、と頭を抱えてうめく。わざわざイスから落ちてごろごろと転がりだした父親を邪魔そうに見下ろし、湊がため息をつく。ダメだ、この人。

「えっとだな、うちの学校は生徒全員クラブか委員会のどっちかに所属しないといけないんだ」

「それは必ずですか?」

「そう、必ず。まぁ、人数さえ確保できれば幽霊部員でもかまわないってクラブも結構あるから、どうしてもって場合は言ってくれればそういうの教えるよ。あ、そうだ、あとでクラブと委員会の一覧表持ってきてやるよ」

 そう言って笑顔を浮かべた湊に、望美は頭を下げた。

「わざわざありがとうございます」

「いいって、気にすんなよ」

 望美に向かって笑い返し、湊はどこか冷たい視線を床へと向けた。

「で、いつまで転がってるわけ? 父さん」

 いい加減うっとうしいんですけど。冷ややかなその言葉に、遼平はがっくりと肩を落としながらイスに座ったのだった。

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