トビラ

柚缶。

第0話 はじまり

プロローグ




 熱い。


 身体が燃えるように熱い。



 目の前で燃える家から、今まで感じたことのない熱がわたしの肌をチリチリと刺激する。そこから丸焦げになってしまうのではないかというくらい突き刺してくる高温に、わたしの身は震えた。

 バチバチと、材質が焼ける音が一気に耳の中へと押し寄せてくる。耳を塞いでも、体内で轟音ごうおんうごめき、響く。


 赤が、眩しい。

 黒煙が、鼻に痛い。



 ああああ、いやだいやだいやだ!

 体を掻きむしれば、体内で響く音が掻き消せるかと思ったが、無理な話だ。分かってる、分かっている。そんなことをしてもこの現状は、私が置かれた立場は、何一つ変わらないと。


「っ……」


 だから、行かなくちゃ。やらなくちゃ。


 約束したんだ。何かあったら、私が必ず守ると。

 あなたの大切なモノを守るって。

 意識が低迷するあなたの肩を揺らして、私は何度も何度も、言葉をかけた。


 そしたら、お姉ちゃん、笑顔で



 ーーありがとう……


 って。久々にみた笑顔に、私は今度は自分に誓った。


「……また、お姉ちゃんの笑顔が、見たい」




「おいっ、正気か?!」


 バケツの水を頭から被る私に、周りの人は止めにかかって、自分の馬鹿さに手足が震える。


 そうだ。もしかしたら、私もしんでしまうかもしれない。でも、今はそんなことどうでもよかった。



 手足が震えたのは、水が思ったよりも冷たかったから。



「おかしいわね……そりゃあそうでしょう、だって秋になったばかりなのよ」


 そう。大丈夫。



「……アナタ、行ってくるわね」

「無理だ、無理に決まってる! 今から行ってももうこの状況じゃ助からないっ、お前も危ないんだぞ?!」

「……大丈夫、だって約束したんだもの」









「聞きました? あの702号棟の404号室の下に入居する人が居るみたいだって」


「聞いた聞いた。信じられないわよね〜。昔の事件のこと、知らないのかしら」


「昔の事件?」


「あら、日向ひむかいさんは知らないの? 20年前のことなんだけどね、そこに住んでいたとある夫婦の奥さんが放火したんだよ、自分の家のリビングにね」


「放火?」


「そう。焼け跡から旦那と息子、その奥さんの遺体が発見されたんだけど、娘の姿だけが見当たらなくて」


「可哀想よね……息子さん、まだ3歳だっけ? 娘さんは、確か……6歳」


「そうそう。奥さん、そんな風に見えなかったんだけどね」


「そんな風?」


「放火犯ってこと。でも、あまり外出はしていなかったみたい。体が弱かったのかしら」


「なんだか、内職が忙しかったみたいよ」


「ああ……。でも、404号室って、火事があったとは思えないくらいに綺麗ですけど……」


「それが不思議なのよ」


「外観は普通だけど、中は今でもススだらけって話よ」


「何処情報ですか、それ」


「702号棟の403号室の金原かねはらさん家の奥さんがね、買い物から帰ってきたときに404号室の扉が開いてたんだって」


「えー、やだ怖い」


「で、気になって中を覗いたら家の中は丸焦げの煤だらけ」


「そんなことがあっても、金原さんお向かいに住んでるんですか?」


「だから、言ったでしょう? 外観はいたって普通なの。それに、あれ以来お家賃一気に安くなったじゃない」


「あー、なるほど。市内駅近3LDK日当たり良しショッピングモール徒歩圏内で家賃50,000切るとなると、住み慣れたものにとっては抜け出せないわよね」


「そうそう。……まあ、その分噂も絶えないんだけどね」


「私聞きました。その、404号室の奥さんの霊が、娘さんのことを探し回って団地内を徘徊してるって」


「あとは、公園で遊んでいる子どもたちの頭数が一人増えていたりね。多分、亡くなった息子さんじゃないかしら」


「その噂のせいよね。この団地から活気が消えたのは……昔は満室だったのに、いまでは空き部屋の方が多いんだもの」


「だから、気をつけなさいよ」


「え、私ですか?」


「そうよ。日向さん、304号室のお向かいじゃないの。こんな団地に越してきてしかも、404号室の下の階に入ってくる人だもの、変わった人よ。それに、お宅もお子さん居るでしょう、


「……っ、気をつけます」






「!!」


 居た。


 玄関口に近い部屋の押入れの中に彼女はいた。

 どうやら、この部屋には左程火は回ってないみたいだ。


「ちーちゃん、おくち縫いましょう……ぷち、ぷち、ぷちぷち、いい……音ね」


 一点を見つめる少女は、放心状態で口が勝手に動いている。歌を歌っていた。


「さあ、早く逃げましょう」

「ぷちぷちぷちぷちぷち……いたいいたいいたいごめんなさいごめんなさい、お母さん、ごめんなさい」

「っ、しっかりしなさい!!」


 ぱちん、と乾いた音が轟音に飲まれる。が、少女の眼には光が戻っていた。





「…………おかあ、さん」















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る