守りたいもの(1)



 入居する頃には木々は綺麗に色づき、枯葉が地面を覆い尽くす様はまるで黄金の海の様だった。新たな地で見る紅葉は、こんなに綺麗なものだったか。



 この一週間。由美子と真子は空いた時間に荷物を運び、自室を自分たちなりにレイアウトした。リビングやキッチンの共有スペースは、こだわりが強すぎて時に喧嘩になりながらも、派手過ぎず地味過ぎず、これから迫り来る冬を迎え入れようと暖かみのある部屋へと仕上げた。


 ただ、ひとつ。

 気になることといえば、自分たちで近所の方々に引っ越しの挨拶が出来なかったことだ。先日、母に挨拶時の手土産はやはり蕎麦のほうが良いのかと問うたが、母は左右に頭を振る。


「挨拶は、お母さんがしておいたから」


 その言葉に、由美子は驚いた。挨拶はちゃんと自分の口から。目を見て話す。と由美子と真子を躾けた母が、これからお世話になる引っ越し先の挨拶を自分たちにさせないなんて。これでは、近所の方と顔を合わせても、相手が誰だかわからぬまま挨拶を交わすことになる。

 しかし、物騒な世の中だ。娘二人だけで生活させるとなると母は母でいろいろ心配だろう。それを見越した上での判断かもしれない。


 どちらにせよ、向かいの家の日向ひむかい宅にも、改めて詫びを入れなくては。



「今日はウチが飯を作ってやるよ!」



 何がそんなに嬉しいのか、今朝から妹の真子はテンションが高い。自分の部屋のレイアウトが上手くいったからだろう。それに引き換え姉の由美子の気分は降下していく。先ほど買い出しに行ってきた真子が食材を冷蔵庫の中へと入れる。その姿を横目で見れば、由美子は返事をした。


「今日?  それは、今日だけしか御飯を作らないと?」

「そうは言ってないって」

「どうだか。よし、じゃあ、当番表を作ろう」

「え、そこまでする?」

「する。ケジメは必要」

「大袈裟だな〜」

「あんたは甘えただからね。何かと理由を付けて私に物事押し付けること上手いから」

「えへへ」

「褒めてないよ」


 姉妹のやり取りはこんなものだろう。今更ながら母から離れたからには、家事は全部自分たちでしなくてはいけない。

 それに、2人には仕事もある。真子は団地から徒歩圏内に職場があり大変便利だが、由美子は最寄りから電車で30分の場所にあった。定時に終わってすぐに帰ってきたとしても、晩御飯の支度はこれから真子中心にお願いすることになることが多くなる、だろう。それを考えただけで、真子の嫌そうな顔が浮かんだ。


「じゃあーー」



 ―― カタン……



「ん?」


 筆記用具を取りに行こうと、由美子が立ち上がった時。

 上の階の部屋から、小さな物音がした。首を傾げながら見上げたのは、真子。


「……上の階にも住んでる人がいるんだよね。静かにしないと怒られるかな?」

「そりゃあね。もし、上の階の人が怖かったら――」


 そこまで言いかけて、由美子は口を閉じた。

 この団地に初めて来た日を思い出していた。

 そうだ、と。あの時は気にしていなかったけど、由美子は4階の人気の無い部屋から誰かの視線を感じていた。



「……いや、何かの勘違いだよ」


 そう答えたのは、妹に対してか。それとも、自分の気持ちを落ち着かせるためか。



 ―― トントントン……


「!」

「あ、勘違いじゃ無いじゃん! 小さな子が居るのかな?


 確かに。言われてみれば、そうかもしれない。しかし、由美子はこの時確かに嫌な何かを感じていた。


「はい、お姉ちゃん」

「っ……あ、うん……ありがとう」


 立ち上がったまま動か無い由美子に、真子はペンと紙を渡す。


「当番、決めよう?」









 引越し初日という事もあり、結局夕ご飯は姉妹仲良くキッチンに立った。由美子も真子も、自炊は初めてではないが、料理のレパートリーは数が限られていて、これから増やしていこうとお互いがお互いの胸に秘める。


 満腹になれば、眠気が襲ってくる。

明日からはこの団地から仕事に通うのだ。電車時刻の検索サイトで職場までの乗り換えやら通勤時間やら何度も確認をしたが、明日は早めに家を出よう。と、今日は早めの就寝。由美子は、余裕を持って行動をする性格の持ち主だった。


「……」


 しかし、何故か自室で寝る気にはなら無い。リビングに布団を敷けば、真っ暗にした部屋の中由美子は天井を見つめていた。こういう時、布団派で良かったと思う。ベッドだったら移動はできないので、そのまま真子の布団の中にお邪魔する羽目になっていた。


 天井を見つめて数分。だんだんと目蓋まぶたが重くなってきた。


「(明日から、また頑張ろう……)」



 目蓋を閉じれば、馴れ親しんだ布団は由美子を心地の良い世界へいざなう。疲れた身体を癒してくれるのだ。


 呼吸が穏やかになる。



 静かになった部屋の中は、由美子の呼吸音しか聞こえない。



 それは由美子も感じていた。



 目蓋を閉じて、真っ暗な部屋の中ひとり。


 眠りに落ちるまでのこの心地よい時間。自分の意識は何処どこにあるのか分からない。



 心を漂わせながら、今日1日のことを考えた。



 ここに、下見に来た日のことと比較をしながら……





「あ……」


 それは、ふと沸き上がる。思い出さないよう意識をらせばらす程、を意識してしまう。




 

あの部屋の中を転がっていた、赤いボールを。




「っ……」


 思い出してしまった自分の下唇を噛み締めながら、由美子は毛布の中で寝返りを打つ。

 今日見ていないのなら、あれは全て自分の勘違いだった。そうだ。

 両親の離婚があり、精神的に疲れていたのだろう。そうだ、そうなのだ。


 



 ―― ガシャンッ!



「っ、なに?!」


 暗い部屋の中、由美子は勢いよく起き上がれば夜目よめで辺りを見渡した。


 物が、ガラスでできた何かが、落ちた音。


 そうでなければ、誰かがいるのか。




「……真子?」


 リビングから繋がるキッチンにも、目をらす。


 片手で電灯のリモコンを探しながら、そうであってほしい真子の姿を探した。

 真子でなかったとしても、あの音を発することができる根源を探す。

 何なのだろう。ガラスが割れたのか? それとも、ガラス製の小物か……皿や、包丁か。


 いや、でも待て。

 音の発生源は、耳元だった。


「…………」


 やっと探し出したリモコンで電灯を点ければすかさず辺りを見渡したが、真子の姿は無く、布団の周りやテレビ台、ローテーブルの下……確認しても、落ちた物はなかった。

 キッチンも、そうだ。


 そもそも、あんなに大きい音がする物がこの部屋の中には無い。



「一体なんなんだよ……」


 その夜は、原因が分からぬまま、電灯を点けたまま寝た。







**




「よ。休憩まだ?」


 お客の足が遠のき店内が静かになる14時頃。レジ内に立っていた由美子に声をかけたのは、品出し作業をしているひとりの男性だ。


「……まだ」

「平山さん、松木借りていい?」

「仕方ないわね、2人で休憩行ってきな」

「よっしゃ」


 赤平 拓磨あかひら たくまは、レジのチーフに「ありがと」とお礼を言えば、由美子を休憩室へと連れ込んだ。レジを立ち去る際、いつもは怖いチーフも、赤平になら笑顔になるのか。そんなものなのかと、由美子は平山に頭を下げた。


 休憩室は、従業員が30人一同に食事を取れるような広さだ。食堂は無いものの、テレビも設置してありこの時間帯はまばらに従業員が休憩をとっていた。

 お互い、更衣室から弁当を持ち寄れば端の席へと荷物を置いた。


「新居は、どう? 快適?」


 電子レンジで弁当を温めている由美子に声をかける赤平の手元には、カップラーメン。それを見て、由美子は溜め息を吐いた。


「拓磨、カップラーメンばかりじゃ体に悪いって言ったよね?」

「だって、弁当作る時間無いんだもん」

「早く起きれば時間あるでしょ」


 チン、とレンジが鳴る。

 弁当を取り出し席に着けば、赤平も器にお湯を注ぎ戻ってきた。


「てか、由美子が作ってくれてもいいんだぜ」

「出勤時間バラバラなのに、渡す時間ないでしょ」

「ちぇっ」


 こうやって一緒に休憩を取ることも難しいのだ。


「で、話戻るけど……」

「新居のこと? ああ、うん、まあ……今の所は普通?」

「……いや、俺に聞かれても。団地だっけ?」

「うん」


 温めたばかりの弁当からは湯気が上る。今日の朝、妹の分も一緒に作ったのだ。色使いを気にしながら、カラフルに仕上げた弁当の中の鮭を箸で摘めば、隣にあるウインナーが盗まれた。



「あ」

「貰い〜。今度遊びに行っていい?」

「妹も一緒だし……」

「紹介してよ。私の彼氏の拓磨くんです。優しい人ですって」

「……自分で優しいとか言っちゃうんだ」

「え、ちがうの?」


 なら、その奪ったウインナーを返せと訴えたが、ウインナーは赤平の口の中へと消えていった。

 家に呼びたくない訳がない。今までは、赤平の家ばかりお邪魔していた。このスーパーから近いマンションで一人暮らしの赤平の家は、静かで落ち着ける場所だった。


「…………」


 しかし、と。由美子の表情が曇る。



「由美子?」


 どうしたものか。相談してみようか。いや、でもまだ何かが起こった訳ではない。赤平を心配させたくはなかった。


「何かあったのか?」

「ううん、なんでもない」

「何かあったら、すぐ言えよ」

「ありがと。……てか、麺伸びちゃうんじゃない?」

「げ、忘れてた」




 職場では、あまり考えないようにしよう。そう由美子は心に決めて、弁当の箸を進めたのだ。










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