第8章 決戦ブレードシャーク前編

 港に停泊中の駆逐艦。ガス灯に照らされたその姿を見て宗護は深くため息をついた。

 分かってはいたが小さな船体。戦艦とは明らかに違うその姿に、宗護は波間を漂う小魚の姿を思い浮かべた。


「乾舷の低い船は波を被るから好きになれん」

「そう言いなさるな。きっと直ぐにたまらなく好きになる」


 呟いた宗護に対して答えたのは、半袖半ズボン姿の海軍士官。随分と軽装であったが、階級章は少佐のものだった。


「歓迎しよう、三須宗護大尉。艦長の吉田だ」

「艦長自らのお出迎え感謝します。これよりしばらくお世話になります」

「何、私に気を遣う必要はない。実は昔、三須閣下の元にいたことがある。当時は三須閣下は大佐で、数多くの古代サメを葬った誉れ高き戦艦生駒いこまの艦長だった。あの時閣下の元で働けたことが、私にとっては最高の名誉だよ。さあ、乗艦したまえ」


 艦長の吉田は上機嫌で、宗護と少年を迎え入れた。司令長官の言っていたことは確かなようだ。宗護に対してとても友好的であった。

 艦長に促されて二人は春風はるかぜに乗艦しする。

 駆逐艦は巡洋艦ほど広くない。船室も限られ、宗護達に割りあてられたのは士官室ではなく、簡素な二段ベッドを備えた兵員用の部屋だった。


「何しろ突然の事だった物で、これくらいしか用意できなかった」

「いえ。十分です。ベッドは一つでいいくらいだ。こいつは半人前なんで、床で寝ますからね」

「それはやめたほうがいい。駆逐艦は戦艦ほど乗り心地の良い乗り物ではないから。ハンモックを使うと良い」


 艦長は笑ってそう言うと荷物を置いていくように言って、二人はそれに従って荷物を下ろした。

 艦長自らの先導で、二人は春風艦内を案内される。と言っても小さな駆逐艦の船内を見て回るのに、そう時間はかからなかった。


「陸軍のシャークハンターが三須君なら、海軍のシャークハンターは春風だ。太平洋で二度、古代サメを倒していることは知っているだろう?」

「はい。特にフィリピン近海での古代サメの討伐については詳しく調べさせて頂きました。潜行した古代サメを爆雷投下で仕留めたそうですね」


 三須の言葉に艦長はとても機嫌を良くして答えた。


「その通り。辺りにはまだ潜行するサメがうようよいたが、春風は勇敢にその海域に突撃し、親玉の古代サメの頭上に爆雷を落とした」

「なかなか成功させられるものではありません。春風乗組員の熟練した技量と、艦長の指揮能力の賜でしょう」


 宗護が艦長を褒め称えたが、艦長は表情を暗くした。

 辺りを見回して他の海兵がいないことを確認すると、艦長は消え入りそうな声で語り始める。


「……そう、熟練した乗組員のおかげだ。私の指揮能力についてはあってないようなものだった。私はただ、三須閣下の示した対古代サメ戦術に忠実に従って指揮を出したまでだ」

「分かっていてもなかなか実行できるものではありません。実際に指揮を出したのは紛れもなく艦長です。父ではありません」


 宗護の言葉に艦長は若干表情を明るくしたが、やはり消え入りそうな声で語る。


「君はそう言ってくれるか。だが、あの時私は逃げ出したくて仕方がなかった。海の底から何かの視線が向けられているのが痛いほどよく分かった。獲物を狩る、狩人の視線だ。私は初めて狩られる者の立場に立たされた。本当の恐怖というのはあんなものなのかと、今でもあの時のことを思い出すと身が震える。

 ……それでもあの時私が戦う決断を出来たのは、三須閣下の言葉があったからだ。『恐怖することを恐れるな。だが恐怖に支配されるな。恐怖と共に戦え』。三須閣下はたびたびこの言葉を口になされた。あの方は戦艦艦長で、しかもシャークハンターでありながら、自分はサメが怖いと公言していた。外に対しては隠していたようだが、海軍の中では知れた話だった。

 あの三須閣下がサメを恐れているなど私は長いこと信じられなかったが、実際に古代サメと戦ってみて良く分かった。サメは怖い。特に古代サメは他のサメとは次元が違う。奴らは怖い生物などというような存在ではない。恐怖という概念そのものが、生物の形をとっている。私はそう感じたよ」


 長い長い告白を終えて、艦長は息を吐き出す。顔は青白く、この短時間で一〇幾ばくも老けたようにすら感じた。


「『恐怖することを恐れるな』。自分もことあるごとに父に言われました。特に幼少の頃、海岸に現れた古代サメの幼生に木の棒片手に無謀にも突っ込んでいったときには、それはもうきつく。

 でもきっとそれは正しい。サメは怖い。古代サメは恐怖そのものとすら思える。だからこそ、誰かが戦わなくてはならない。誰もが武器を捨てて逃げ出してしまったら、世界は恐怖に支配されてしまうでしょう」

「そう。だから私は戦うつもりだ。恐怖と共にな」


 艦長は再び笑みを浮かべた。そんな艦長の耳元に宗護は顔を寄せて小さく語りかける。


「ここだけの話ですが艦長。ブレードシャークの狙いは恐らく私でしょう。私が春風に乗艦していると、艦を危険に巻き込むことになります。余所へ行けというのであれば、直ぐに退艦しましょう」

「古代サメに目を付けられたか。全く、三須閣下と言い、三須家の人間はサメと戦う宿命にあるようだ。こちらへ来たまえ」


 艦長は船内を進んでいき、突き当たりの扉を開けた。

 扉を開けると、港の灯りと春風の明かりにぼうっと照らされた船尾に出た。艦長はそこに翻る日章旗を示す。


「駆逐艦といえど帝国海軍の列記とした艦船だ。この旗を掲げている以上、戦いから逃げ出したりはせん。それに、三須閣下のご子息の命を預かるとは何と名誉なことか。それこそ末代まで自慢できる。退艦するなどと口にしないでくれ。必ずや春風は、三須君を守り通して見せよう」


 艦長が差し出した右手を宗護は固く握った。恐怖を知ってなお戦う意思を持つこの艦長こそ、古代サメとの戦いに最もふさわしい存在だ。


「微力ながらこの三須宗護。全力で此度の作戦に力添えさせて頂きます」

「君の知識と春風の優秀な乗組員が揃えば、きっと作戦はうまくいく。さあ、艦橋を案内しよう」


 艦長はすっかり上機嫌に戻って、二人を艦橋まで案内した。

 外から見ていたので分かっていたが、艦橋は吹き曝しで潮風が入り込んでいた。


「吹き曝しだ……」

「そうだとも。見通しが良く戦いやすい。転蛇すると海水が入ってくることもあるが、何、きっと直ぐにたまらなく好きになる」

「そこばかりは賛同できかねます。別に指揮所があったりは?」

「何を言っているのか。春風は駆逐艦だ。そんなものがあるわけなかろう」


 宗護は顔をしかめてため息をついた。全く艦長の言うことは正しい。しかし願うことなら、少なくともガラス窓のついた駆逐艦が良かった。

 宗護と少年はそのまま艦橋上の見張り台へと登った。

 夜の闇に浮かぶ春風の姿を眺めて武装を確認する。主砲の一二センチ砲は二門だけであったが、その分対空装備を多く積んでいた。最新式の二五粍連装機銃を四基八門。一三粍連装機銃を一基二門。更にいくつかの七粍七機銃と、単装の二五粍機銃を装備している。

 隣に停泊している僚艦の朝風あさかぜも同程度の装備をしていた。

 なるほど駆逐艦としては十分すぎる装備だ。南洋方面艦隊の司令長官が名指しで指定しただけのことはある。

 港は慌ただしく、艦船にひっきりなしに補給を続けている。恐らくもうしばらく続くであろう。出撃はそれら全ての準備が整ってからだ。


「いよいよですね」

「ああ。どう転ぶか分からないが、何かしらの決着がつくことは確かだ」


 語りかけた少年に対して宗護は答える。


「もしこの戦いが終わって生き延びていたら、お前の名前をきいてやろう」


 宗護の言葉に少年は小さく顔を上げたが、少し間を置いて首を横に振った。


「いえ、自分はまだ半人前ですから、宗護さんの好きに呼んでください」

「そうか。だったら精々、半人前にふさわしい呼び名を考えておくことにしよう」

「はい。よろしくお願いします」




 ブレードシャーク討伐の準備は夜通し続けられ、艦隊が出撃したのは遠くの空がほのかに明るくなり始める薄明の頃であった。

 春風は僚艦の朝風と二隻で哨戒任務を任された。ブレードシャークの潜伏予想海域に向かうため、先行して出撃する。

 哨戒艦隊は駆逐艦二隻、もしくは駆逐艦一隻と海防艦一隻で構成された二〇部隊。作戦は潜伏予想範囲を囲うように展開した哨戒艦隊が、発信される電波を頼りに哨戒半径を縮めていき、ブレードシャークの潜伏地点が明らかになり次第、決戦艦隊を投入して仕留めるというものだ。

 決戦艦隊は二等巡洋艦の名取なとり狩野かのと第二十二駆逐隊から構成されていた。

 補助艦隊として、作戦の指揮を執る戦艦天城と、その護衛を行う二等巡洋艦夕張ゆうばりに第八駆逐隊三隻、二等駆逐艦四隻を後方に配備。航空支援はペリリュー島とアンガウル島の飛行場から行われることになった。増槽を装備した九十五式艦戦ならば、ブレードシャークの潜伏予想海域まで飛行し戦闘することも理屈の上では可能だ。


 春風と朝風は、同方向の哨戒を任された部隊と共に海上を進む。

 空はどんよりと暗く、天気はこのまま回復しないだろうと予想された。空気は蒸し暑く湿っていて、視界も制限されてしまう。

 しかしブレードシャークが潜伏をするのは手負いだからで有り、傷が癒えてしまったら南洋諸島の海を自由自在に泳ぎ回ることが予想された。早急に仕留めなければ手に負えなくなってしまう。

 宗護は春風艦橋で、艦長席の斜め後ろに控えていた。少年もその隣で宗護の命令を待つ。

 艦長の言葉通り、春風の乗り心地は戦艦や巡洋艦に比べたら酷い物だった。艦首が波を切る度に船体は揺れ、転蛇しよう物なら容易に傾いた。

 海が静かであったため艦橋に波しぶきが飛んでくることはまれであったが、そうでなかったらきっと水浸しになっていただろう。


「六時方向にネムリブカ。距離二〇〇、数六」


 夜は明けようとしていたが未だ辺りは暗い。眠りにつこうとしたネムリブカが、船団の通過に起こされ、怒って襲ってきたようだ。


「後部機関銃戦闘態勢。距離一〇〇まで近づいたら攻撃せよ。機関第二戦速、進路そのまま」


 艦長は指示を飛ばし腕を組む。古代サメとの戦闘前に乗組員の意識を切り替えるには丁度良い相手だ。


「撃ってみるか?」


 宗護は隣に立っていた少年に声をかける。少年は宗護に向き直ると首を縦に振った。


「艦長、そちらの機銃をお借りしてもよろしいですか?」

「勿論、好きに使ってくれ」


 艦橋より一段降りた場所に拵えられた七粍七機銃を借り受けた宗護は、少年に機銃を持たせる。隣に立って肉眼で船尾方向を見ると、水面に湾曲した背びれが六つ並んでいた。


「ネムリブカはアオザメのように空を飛んだりはしない。精々小さく飛び上がって噛みついてくる程度だ。だが、艦底に噛みつかれたらたまったものじゃないから追い払う必要がある。ネムリブカは背びれの先端が白いのが特徴だ。熟練した見張り員は僅かな月明かりだけでもあれを見つけ出すことが出来る。六つ背びれが見えるな?」

「はい」


 少年はネムリブカの背びれを確認した。ネムリブカは横一列に並び、春風の背後にぴったりとくっついて距離を縮めてきている。


「背びれの少し手前を狙え。対水弾頭なら水中でも若干直進する。当てさえすればネムリブカの脳天を貫くのは容易だ」


 宗護は”ス”の字が記されたパンマガジンを機銃に取り付ける。対水上サメ用の特殊弾頭だ。


「良く引きつけろ。間違っても船体に当てるなよ」

「はい」


 少年は照準器を覗き込んで、一番右端のネムリブカに狙いを定めた。春風を追ってただ真っ直ぐに進んでくるネムリブカに狙いを付けるのは至極容易であった。


「撃て」


 ネムリブカが距離を詰めたことで後部機銃が発砲を開始した。それに合わせて宗護が射撃指示を出すと、少年は短く引き金を引いて三発だけ発砲した。

 曳光弾が光の筋を描いて水面に落ちるより早く、別の銃弾が水中へと突入し水上を進んでいた背びれが海中へ沈んでいった。

 辺りに真っ赤な血が漂い、やがて血の臭いを目印に別のサメが集まってくる。

 他の五つの背びれも同様に海中へと沈んでいった。真っ直ぐに春風を目指していた相手とはいえ、初弾を全て命中させるとは春風機銃手の腕は本物だ。


「狙いは悪くなかった」

「はい。ありがとうございます」

「どんな相手でも撃つときはしっかり狙いを付けろ。不規則な動きをする相手だからといって滅茶苦茶に乱射したら当たるものも当たらない」

「はい」


 少年は返事をすると機銃に安全装置をかけ直した。

 東の空が一層明るくなる。厚い雲に覆われているせいで見えはしないが、太陽が昇ったようだ。ネムリブカの襲来はこれ以上ないだろう。


「戦闘態勢解除。機関両舷原速。警戒は続けよ」


 艦長の命で春風は通常航行に戻り、指定海域を目指した。


「三須君。当該海域まで休み給え」

「いえ、一応今回の作戦の参謀を任されていますから。このまま当直を続けます」

「そうか。うむ、そう言うならば止めはしまい」

「ありがとうございます。――お前は休んでいいぞ」


 宗護は艦長に頭を下げると、視線を横に移して少年に休憩を促したが、少年は首を横に振った。


「もうしばらく残ります」

「好きにしろ。暇なら見張り台にでも上がれ。目は多い方が良い」

「はい。畏まりました」




 ブレードシャークの潜伏予想海域を大きな時計と見なせば七時の方向。それが春風と僚艦朝風の担当海域であった。

 当然潜伏予想海域を横切るわけにも行かないので二隻は大きく迂回して、当該海域まで航行した。途中、春風に襲いかかるサメは無く、航海は平穏なものだった。

 時刻は一〇時過ぎ。雲は厚く辺りは暗い。それでも波は穏やかで、静か過ぎる海はどこか不気味でもあった。

 機関を停止して潜伏予想海域の手前で停泊する春風艦橋では、既に電信員が警戒態勢に当たっていた。


「天城より全艦へ。艦隊配置完了。これより作戦行動を開始する」


 総司令官より全艦に作戦開始が告げられた。

 南洋方面艦隊とブレードシャークの戦いの火ぶたが切って落とされたのだ。


「両舷前進原速。電信員は警戒体勢を維持」


 春風はゆっくりと船体を前に進め、やがて潜伏予想海域へと侵入した。


「電信員、異常は無いか?」

「ありません」


 侵入直後には異常なし。朝風の無線にも変わったことは無かった。


「機関そのまま。前進を継続」


 春風と朝風は真っ直ぐに潜伏予想海域の中心へ向けて進んでいった。

 宗護は天城と周囲の哨戒艦隊から送られてくる情報をまとめ、海図に書き込んでいく。

 春風の両隣を担当する松風まつかぜ旗風はたかぜからも電波は観測されていない。


「前回妨害電波を出してアオザメの襲撃を逃れた。今回は電波を飛ばしてこない可能性もある。その場合は直接電気信号で周囲のサメに司令を送るはずだ。サメに襲われた場合は周囲に大型魚影が無いか確認を」


 宗護の指示を受けて天城から全艦に通達がなされた。

 丁度それと同時に、一二時方向の哨戒に当たっていた駆逐艦夕風ゆうかぜから電波傍受の通信が入る。


「駆逐艦夕風、ブレードシャークと思われる電波を傍受!」

「来たか。一二時方向。反対側だな」


 宗護は海図に報告のあった夕風の現在位置を書き込む。夕風の両隣を哨戒していた駆逐艦は天城の指示で夕風方向へ舵を切った。同時に、周囲の哨戒艦隊も夕風方向へと舵を切る。


「第二戦速。進路そのまま」


 春風は増速し、朝風もそれに続いた。


「案外、何事も無く終わるかもな」


 ブレードシャークの潜伏地点は春風と反対側だ。このまま作戦通りに行けば、春風は電波の傍受すらせず戦いを終える可能性もある。


島風しまかぜ帆風ほかぜも電波を傍受した模様」


 続いて報告されたのは夕風の右隣を担当していた駆逐艦だ。

 夕風が最初に電波を傍受した点と新たに電波を傍受した点を線で結び、そこから予想される潜伏地点を割り出す。

 手負いのサメは深海に身を潜めることは出来ない。隠れるとしたら比較的浅い海だ。

 そこから潜伏予想海域を絞り込み、宗護は天城へと報告した。


「天城より。決戦艦隊へ前進命令」


 いよいよ局面が大きく動いた。哨戒半径を狭める哨戒艦隊から無線の傍受報告が次々と上がり始める。


汐風しおかぜ追風おいて睦月むつき、電波を補足」

「これでほぼ絞り込めたな」


 宗護は海図の一点に大きくバツ印を付けた。作戦海域をさいの目に切って割り振った記号によれば、その海域は”と四”の地点だ。宗護はそれを艦長へ伝え、電信員から天城へ向けて発信された。


「春風より天城へ。ブレードシャーク潜伏海域は”と”の”四”と推測される」


 それを受けた天城から、既に前進を始めていた決戦艦隊へ突入命令が下される。


「天城より決戦艦隊へ。”と四”海域へ向かいブレードシャークを撃滅せよ! 夕風、汐風、島風、帆風は決戦艦隊と合流しこれを援護せよ!」


 ここまでは予定通り。問題はここからだ。一体、ブレードシャークはどんな手を打ってくるのか――。

 既に哨戒艦隊の半分が電波を傍受しており、敵の位置は明白。哨戒半径は縮まり、春風、朝風は両隣の松風、旗風と、その僚艦として組み混まれていた桔梗ききょう型二等駆逐艦二隻と共に潜伏地点へ向けて直進する。


「夕風より。アオザメの飛来を確認! 数五〇!」

「仕掛けてくるか」


 最も潜伏地点に近い場所にいた夕風が狙われたが、ここは既に決戦艦隊の射程内。狩野と名取の対空砲火で十分乗り切れるだろう。しかし随分と安直な攻撃だ。これではわざわざこっちにいると教えているようなものだ。


「狩野水上機、当該海域にてブレードシャーク発見できず。捜索を継続」


 先行して偵察に放たれた水上機は魚影を確認できなかった。

 宗護はブレードシャークがそう深くにはいないだろうと踏んでいたのでその報告は意外であった。どこかに違和感を感じながらも、吹き抜けの艦橋からどんよりと暗い空を見上げるとそういうこともあると自分を納得させる。


「この空だと捜索も難しいだろう」


 今一度海図を確かめ、天城に捜索を継続するよう進言する。

 天城からの報告では、先ほどと同様哨戒艦隊の半分が電波を掴んでいる。


「――待て、半分?」


 何か引っかかった宗護は目の色を変えて海図を睨む。

 電波を掴んでいる哨戒艦隊の位置を確かめた結果、今まで感じていた違和感の正体に気がついた。


卯月うづきは電波を傍受しているか?」

「卯月では電波を感知せず」

刈萱かるかやは?」

「刈萱も電波を感知していないようです」


 電信員は宗護の指示を受けて指定された駆逐艦に確認をとったが、どちらも返答は否であった。


「もう一度確認してくれ」

「再度確認しましたが、卯月、刈萱、共に電波を感知せず」


 海図の上に示された卯月と刈萱の現在地。

 それは宗護が予想したブレードシャークの潜伏地点からは、最初に電波を傍受した夕風よりも近い位置であった。ブレードシャークがそこにいて電波を発信しているとしたら、両艦は電波を感知していなければおかしい。


「器用な真似を! 指向性アンテナだ! これは罠だ!」

「天城に緊急連絡! ブレードシャークは電波の発信位置を偽装していた模様!」


 艦長が即座に天城への指示を叫ぶと、電信員は無線を飛ばした。

 同時に天城から矢継ぎ早に無線が飛んでくる。


「電波を傍受していた哨戒艦隊より、電波が傍受できなくなったと報告」

「決戦艦隊、アオザメの大攻撃を受けている模様。数不明」

「航空支援に向かっていた九五式艦戦、アオザメの襲撃を受けている模様」

「天城、アオザメ五〇と交戦中!」


 まんまと罠に引っかかった!

 そう、ブレードシャークは狩人。奴はこちらから攻撃に出てくることを予想して、念入りに準備を重ねていた。あの白銀の吻を使って発信電波に指向性を持たせ、敵主力艦をおびき寄せた。周到に決戦への備えをしていたのは海軍だけでは無かったのだ。


「指向性を持たせた以上、ブレードシャークの現在位置はこの直線上のどこかだ!」


 宗護は海図上に一直線の線を引いて示した。

 そしてその直線上には、春風を含む哨戒艦隊が存在している。


「春風より周辺各艦へ。これより先、ブレードシャークと遭遇する可能性有り。警戒を厳とせよ」


 艦長が指示を飛ばすと電信員は周囲の艦へ無線を飛ばした。各艦は了解の旨を返してきたが、無線は雑音が多く、電信員は解析に時間を要した。


「待て、天城との連絡は?」

「確認中。こちらの発信に応答無し!」


 宗護の問いかけに電信員は血相を変えて答えた。繰り返して天城へと無線を送るが、返ってくるのは雑音だけだった。


「電波妨害、か」


 艦長は状況を理解し、電信員に何処までなら無線が通じるか確認をとるよう命じた。そして周辺各艦とは発光信号で連絡を取るように指示する。


「宗護さん!」


 艦橋上の見張台にいた少年が駆け下りてきて、宗護の名を呼んだ。

 宗護は顔を上げると少年を一瞥して報告するように言った。


「三時の方向からアオザメです! 数は二〇ほど!」

「馬鹿者。そういうのは艦長に報告しろ」


 宗護は少年を叱咤し、艦長へ視線を向ける。艦長は頷くと帽子を被り直し、春風と周辺艦へ命令を下した。


「これより春風は戦闘態勢に移行する! 朝風以下周辺各艦は春風の指揮下に入れ! 全艦、対空サメ戦闘用意!」


 春風は第五戦速まで加速し、対空機銃を三時方向へと向ける。飛来するアオザメは二〇。距離は約五〇〇〇まで来ていた。


「やはりサメとの戦いは、予定通りとはいかないものですな」


 艦長は誰に言うわけでもなく、声を落とし小さく呟く。

 斜め後ろに控えていた宗護は、その言葉に静かに頷いた。

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