五・自慢の姉と義兄

「……あいつ、貴族じゃないくせにグランディスタに入って来やがって、……生意気だよな」

「な」

「よせよ。後ろにはローレンス侯爵が付いてるんだろ?王族の耳に入る可能性があるぞ」



 セイマティネス王国とアスヴィナ王国の国境にある荘厳な建物。

 セイマティネスとアスヴィナ両国が共同で運営する全寮制の学校、グランディスタである。

 このグランディスタでは難関の試験を通り無事入学出来たとしても、卒業出来るのはその中でも一握り。年、十人前後しか卒業資格を得る事が出来ない狭き門。

 同時に、そのほとんどが両国中央で活躍する文官となっている事から、『文官の登龍門』とも言われている。


 そのグランディスタの学舎内。

 庭に面する廻廊で、柱に寄り掛かりながら学園には相応しくない言葉を交わすのは、見るからに身形の良い少年達で。

 彼らの視線の先には、リウィアスの役に立ちたいとの想いだけでこの学校に入学したルイスの姿があった。

「……でもさ、あいつ裏街出身なんだろ?そんな奴と同じ学校なんて、俺らの質が下がる」

 聞こえよがしに放たれた言葉に、しかしルイスは反応しない。無言で歩を進める。

 だが、それすら気に食わないのか、更に少年達のルイスを中傷する言葉は続く。


 彼らが口にしたローレンス侯爵とはトゥルフの実弟で、王都を出たルイスの身元引き受け人となってくれた恩人のような人物だ。


 ルイスは、微かに溜息を吐いた。

 情報というのは、知らぬ所から漏れるもので。

 ──このくらい初めから覚悟をしていた。

 寧ろ、ローレンス侯爵が表立って支援してくれているため、予想よりも少ないと言える。

 感じるのは、またか、という気持ちだけ。

 こんな事を言われるのは、日常茶飯事で、始まったのは入学して間もなく。

 他にも嫌がらせは受けてはいるが、もう慣れた。

 それに、自分が何と言われようと気にはしない。

 その程度で折れるような軽い気持ちで、この学園に入学した訳ではないのだから。

「……そう言えばさ……」

 ふと、向かいから歩いて来る少年二人の会話が、ルイスの耳に届いた。

「さっき、学園の前に馬車が停まってて、何か先生達がソワソワしてたんだけど、誰が来たんだろうな?」

「あー、俺もそれ見た。覗きに行こうとしたんだけど近寄れない雰囲気だったから確認出来なかったんだけどな」

 彼らの交わす言葉に、ルイスは内心首を傾げた。

 グランディスタの教師達は、滅多な事では取り乱さない。

 それが、来訪者によって落ち着きを無くしたというのは。

 果たして、どれ程の大物か。

(まさか、な)

 頭を過ぎった人物の可能性を、軽くかぶりを振って消し去る。

(……それにしてもリウィアスの花嫁姿、綺麗だったな──……)

 つい一週間程前に行われた皇太子夫妻の結婚式を思い起こす。

 純白のドレスに身を包んだリウィアス。

 その姿は、今まで見たどの姿よりも美しく、輝いていて。

 レセナートとの結婚がリウィアスにとって良い事なのだと確信を得た。

 ──決して、面白くはなかったが。

 しかし、リウィアスが幸せそうなのをこの目で見る事が出来て良かったと、心の底から思った。

 そんな風にリウィアスに思いを馳せていたルイスは、背後に忍び寄る影に気付かなかった。

 それは、先程明らさまに中傷してきた少年の一人で、彼の手には、昨晩降った雨によって水を含んだ土が団子状に固められて握られていた。

 少年達は、物思いに耽るルイスをくすくすと笑い、目を見合わせる。

 そして、狙いを定めた少年は、ルイスに向かって泥を投げ付けた。

 その時、物陰から何かが飛び出した。

 直後に聞こえる、何かが潰れるよう音。

「──あら」

 そちらに顔を向けようとしたルイスは、自分の背後から聞こえた声に固まった。

(……え?……何で……?)

 それはここにいるはずのない人物の声。

 先程その可能性を消したはずの人の声。

 ルイスは自分の耳を疑った。

 けれども、大好きな人の声を聞き間違うはずがない。

 恐る恐る完全に振り返ったルイスは、そこにいた人物に目を見開いた。

 未だ信じられない思いで、口を開く。

「──何で、ここにいるの?」

 それは小さな小さな呟きにも似た声。

 だが、確りとその言葉を耳に捉えたリウィアスは、顔をルイスに向けて柔らかく笑んだ。

 その変わらない優しい笑みにほっとしたのも束の間、ルイスはリウィアスの身を包むドレスに付着したそれに気付くと青褪める。

 素早くリウィアスの背後に立つ少年達に視線を滑らせた。

 大方、突然現れたリウィアスの存在とその美貌に、思考を停止させたのだろう。

 固まったように動きを止めたその中の、最も自分達に近い位置にいる少年の手が汚れているのを視界に捉えると、ルイスは顔を歪めた。

 ──自分をリウィアスが庇ってくれたのだと、考えるまでもなく知れる。

「ごめ……っ」

 胸許辺りを泥で汚されたリウィアスに、ルイスは謝罪を口にしようとする。

 が、それをリウィアスが止めた。

 そっとルイスの唇に自身の人差し指を当てて、言葉を制する。

 不安そうに見遣るルイスに、安心させるように微笑み掛けると、リウィアスは後ろを振り返った。

 そこには未だ固まる少年達の姿。

「──随分と楽しそうに遊んでいるのね?」

「「!!」」

 穏やかな口調ながら微かに怒りを孕んだ声。投げ掛けられた少年達ははっとしたようにまばたきを繰り返した。

「此処は皆が必死に学問や政治を学ぶ場だと心得ているけれど、戯れる程の余裕があるのなら私も混ぜてもらえるかしら?」

「な……!!」

 リウィアスの言葉に、嘲笑されたと感じた少年達は顔を赤くして怒りに震える。

 何故、見ず知らずの女に愚弄されなければならないのか、と。

「……無礼だぞ!突然現れていきなり俺達をあざけるとは、何様のつもりだ!」

 叫ぶはルイスに向かって泥を投げ付け、リウィアスにつけた少年。

 その言葉に、ルイスは呆れた。

 彼ははなからリウィアスが自分よりも劣ると決めて掛かっている。

 けれども、リウィアスは婚姻を結んでまだ間もないとはいえ皇太子妃。

 確か伯爵家の次男であった少年より、遥かに位は高い。

 それに泥に汚れてはいるが、身に纏うドレスに使用されている生地は最高級品であり、華美な装飾は施されていないが、造りも丁寧で美しい。

 己は貴族だと偉ぶり、己の家よりも位の低い者を見下してきた少年は質の良い品物に囲まれ育ち、見て過ごして来たはず。

 ならば多少は目が肥えていて然るべき。

 だがしかし、どうやら少年は、先入観に囚われて本質を見る目を失っているらしい。

「何様でもないわ。私は私よ」

 リウィアスの返答に、少年達は鼻で笑う。

 貴族の者ならば、きっと此処で己の名と家を告げたのだろう。自分よりも年少の者から怒声を浴びせられたのだから。それこそ、無礼だ、といかって。

 けれどもリウィアスはそのどちらもしなかった。

 それで自分の目が正しかったと少年達は確信を得たらしい。

 ルイスは、ふと気になって周囲に視線を滑らせた。

 リウィアスは皇太子妃。護衛がいないはすがない。たとえその人物より腕が優っていたとしても。

 それに、結婚式の際に見た側近くに控えていた男。──確か、ルーカスと言ったか。

 皇太子妃専属護衛官だと言うあの男は、リウィアスに忠誠を誓っているようだった。

 そんな男が、簡単に傍を離れるとも思えない。何より、リウィアスが侮られる場を放っておくはずがない。

(!!……──やっぱり、いた)

 それは先程リウィアスが飛び出して来た場所。東の校舎へと通じる通路の物陰に、あの男の姿があった。

 ルーカスは少年達を射殺しそうな程鋭い眼光でめ付けていたが、ルイスと目を合わせるとそれを和らげ軽くかぶりを振って見せた。

 それは自分は出て行けないのだと示していて。

 大方リウィアスに止められているのだろう。

 視線を戻したルイスは、少年達と対峙するリウィアスの背を見つめた。

(……どうするつもりなんだろ?)

 内心首を傾げた時。

「──こんな所にいたのか」

 幾度も聞いた事のある声が、その場に届いた。

 驚いて、先程顔を向けた方角へ視線を向ける。

 物陰に潜むルーカスのわきを通り抜け、此方へと歩を進める彼。

「──あなた」

 リウィアスの嬉しそうな声が響く。

 ルイスは、幾度も瞼を上下させた。

(……何でいるの!?いや、リウィアスがいるからこの人もいるだろうな、とは思ってたけど……!!)

 内心取り乱すルイスなどお構いなしに、迷う事なくリウィアスの許へと真っ直ぐに向かったレセナート。

 ふわりとその腕にリウィアスを包み込む。

「……ぁ。汚れてしまうわ」

 ドレスに付いた泥がレセナートにも付着する事を嫌がったリウィアスが、そっとその身体を押し退けようとする。

 が、レセナートはそれを許さなかった。

「服など洗えば済む事だ。それよりも、──心配した」

 何となく、少年達との遣り取りの事を言っているのだろうと察せられた。

 リウィアスは眉尻を下げる。

「ごめんなさい」

「リウィアスが今、俺の腕の中にいるならそれで良い」

 言って蟀谷に唇を落としたレセナートは、甘い瞳を一変鋭いものに変えると、少年らに視線を移した。

「っっ!?」

「俺の妻が世話になったようだな。何れ返せる時が来たら返してやろう」

「なっ……!」

「──まあ、今回の事を忘れるなよ?」

 たじろぐ彼らに口角を上げて言い放つと、レセナートはリウィアスの腰を抱いた。

「行こうか」

「はい、あなた」

 リウィアスは笑んで頷くと、ルイスの方へと顔を向けた。

「行きましょう?」

「あ、うん」

 歩を進め出したリウィアスらに慌ててルイスはその背を追った。


「……──ねえ、遣り過ぎだったかしら?」

「良いんじゃないか?あれ位当然だろう。俺はかなり抑えたぞ。──けど、『あなた』って呼ばれたのは、新鮮だったな……」

「……もうっ。それは名前を呼べなかったからでしょう?」

「もう一回呼んで?」

「……あなた」

「──可愛い」

 頬を染め、恥ずかしそうに呼ぶリウィアスに、表情を崩すレセナート。

「……ねえ」

 前を仲睦まじく進む二人に、ルイスは控え目に声を掛けた。

「なあに?」

 くるりと振り返ったリウィアスが小首を傾げる。

「どうしているの?」

 ずっと抱いていた疑問。それを掲示すると二人は笑みを浮かべる。

「「非公式な視察という名の新婚旅行」」

 声を揃えたリウィアスとレセナートは、可笑しそうに笑う。

「新婚旅行なんだ」

 少し強調したように思われる箇所。

「そう。……ふふ、越してからこんなにも王都を離れたのは初めてだわ」

 楽しそうなリウィアスの様子に、ルイスは自然と顔が綻んだ。

 しかし、ある事が頭を過る。

「──あ、でも、どうして視察にグランディスタなの?」

「ああ、それは──……」






「またね」

「身体には気を付けて、頑張るんだぞ」

「うん」

 出立する二人からの言葉に、ルイスは頷く。


『──ああ、それは近くまで来たからだ』


 どうしてグランディスタが視察の対象になったのかとの質問に対してレセナートが答えた言葉。

『元々、グランディスタは予定にはなかったんだ。けど、プラーヴァスまで来たからな。折角近くまで来たのに、ルイスに会っていかないのは損だろう?リウィアスも会いたがっていたし』

 多分最後のが理由なんだろう。

 プラーヴァスというのは此処から一日は掛かる距離にある街の名前。決して近いとは言えない。

 忙しく、大変な旅路でもあるだろうに、自分に会うためだけに来てくれた二人。

 それに今回、少年達に自分達の名を明かさなかったのは、グランディスタに残るルイスのため。

 明らさまに皇太子夫妻と親しい間柄にあると知らしめれば、要らぬ嫌疑や思惑がルイスの身を襲う。

 それを避けるために、わざと名を明かさなかったのだ。

 けれども彼らに圧力を掛けたのは、これ以上必要のない苦労をルイスが背負う事がないようにとの配慮から。


 大切な人がこうして気に掛けてくれている。

 ただそれだけで、力が湧いて来る。


 二人を傍で支える事が出来る位置にいるために、これから先も努力を惜しまないと、ルイスは想いを強くした。






【自慢の姉と義兄あに・完】

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