混迷の牢獄 2



「さきほど叫んでいたのは真名だな。まさか、魄魔の真名を読む能力が、お前にもあったとはな」

「魄魔の……真名?」


 頭の奥が痺れたように感じていたサユは、上手く思考が纏まらず、耳についた言葉を繰り返した。


「神に感謝しよう! これほど喜ばしいことはない。素晴らしいぞ、サユ」


 放心し泉の水面を眺めていたサユに、感嘆の言葉を贈ったのはトウゴだった。

 そこに聞こえるはずのない声が割り込む。


「叔父上。正確には、魄魔に宿る、魔力の真名、ですよ」

「兄さま?」


 トウゴの後方からやってきたサハヤは、いつもと同じ沈着な振る舞いを見せた。


「月守家が秘してきたため、使族でもこの事実を知る者はごくわずか。月守家にはときおり生まれるのだそうです。魔力の真名を読める者が。なかには真名を知ることで、月魄に限らず、魔力の所有者である魄魔さえ支配下に置ける者も存在する」

「兄さま……。それは、いまするべき話なのですか?」

「あなたにも関係する話です。私や、私たちの母、センリについての話なのですから」


 いったい、どこから説明を請えばいいのか。困惑するサユを尻目に、トウゴがサハヤに向かって口を開く。


「お前が碧天から出てくるとは、よほどの心配事があったと見える」


 トウゴも知らなかったのか、意外だという顔をしていた。


「私が妹の心配をしてはいけませんか」

「それはどこまでが本心だ。八年前、やはりお前は、ランドルフ家の姉弟がこの場にいたのを見ていながら、隠していたのではないのか。虚偽の報告をしたのは、両親の遺志を継ごうとでも思ったか」

「まさか」


 トウゴの詰問に、サハヤは憎悪を剥き出しにした。


「魄魔の姉弟に恩情をかけるなどありえません。私が目にしたのは、あの姉弟を庇ったがために、身内に命を絶たれた父母の姿なのですから」

「身内に……、命を絶たれた?」


 兄は、なにを言っているのか。八年前この場にいた身内は、叔母のユフと叔父のリクマだけのはずなのに。

 呆然と立ち尽くすサユのまえで、さらに理解を妨げるような台詞をサハヤが口にする。


「父と母に死を招いた魄魔の姉弟が、どれほどの憎しみを私の胸に生んだか——。言葉では語り尽くせません」

「それをお前は、ひとりで抱えてきたのだな」


 同情的なトウゴの態度もまた、サユに混乱しか呼ばなかった。しかもサユを置き去りに、トウゴが核心へと踏み込む。


「だがこれで、サユが相対した魄魔に手応えがなかった理由も得心した。兄とセンリの命は、ユフとリクマが奪ったのだな。ならばユフとリクマは、魄魔の姉弟にでも敗れたか」


 いかな状況で。いかな理由があれば。肉親が肉親に手を下せるというのか。サユには想像すらできなかった。

 けれど叔父の見解が正しければ、自分は取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。


「……違います、よね? 兄さま……?」


 込み上げる罪悪感を抑えつけ、問うたサユの声は震えていた。そしてそのさきに、救いはなかった。


「叔父上の推察どおりです。だからこそ、事実をそのまま公にできないと考え、虚偽の報告をしました。聖家の被る汚名を最小限にとどめることを優先したのです。その代わり、彼らへの復讐は必ず遂げると誓いました」

「なるほど。復讐への布石として、八年まえの事件を魄魔に再演させたのだな」


 またもや信じがたい言葉を口にして納得を見せたトウゴに、サハヤが躊躇いもなく頷く。


「彼らの強さは侮りがたい。そこで好色家と噂のファイス・ランドルフに目をつけたのです。試しにサユを派遣してみれば、予想以上に興味を示してくれたようですね」

「復讐のためなら妹まで差し出すのか。あまつさえ私まで利用するとはな。兄たちの命が絶たれた瞬間を見ていなかったなどという偽りまで重ねよって」

「謗りは甘んじて受けます」

「ならばひとつ確かめておきたい。お前はいつ、ランドルフ家の姉弟が復讐の対象であると知った。よもや八年前から知っていたのではあるまいな」

「いいえ。昨年初頭に起きた、オウトウの一件からですが——」

「そうか」


 ぽつりと零したトウゴだが、思い当たる節でもあったのか、その顔には笑みが浮かんでいた。


「まさか、あれは叔父上の仕掛けごとですか?」


 その問いは、サハヤがトウゴに発したものだった。にも拘わらず、サユは身構える。

 ファイスが発端だと思っていた事件の裏にも隠れた真相があったのだと察し、耳を塞ぎたくなった。しかしトウゴは容赦なく真実を突きつける。


「捕らえた魄魔の女が面白い情報をくれてな。妹が魄魔の男にたぶらかされ、人間に成り済まし、男とともに暮らしているという話だ。しかも男には、実の姉までいるというではないか。ならば情報をくれた女を利用し、真偽を確かめない手はないだろう」


 なぜ、オウトウの事件は起きたのか。揺らぎ、崩れゆく信頼をまえに、サユは真実を見抜けなかった自身への苛立ちをも募らせる。

 なのに、サハヤはトウゴを糾弾するどころか、仕事時の態度となんら変わらず会話を続けていた。


「オウトウを襲ったのは、私が真名を読んだ覚えのない女でした。ならば、そうですね。檻からの解放を餌に、捕らえた女を叔父上がけしかけた、というところですか」

「そんなところだ。人間に成り済まし暮らしているという話が真実ならば、上級の魄魔だ。オウトウの一件は、それが三体も手に入る絶好の機会となるはずだった。結果は、真家の若造が見せた想定外の活躍に計画を頓挫させられ、尻尾すら掴めず、失敗に終わったがな」

「ですが、八年前に姿を消した姉弟を捜していた私には、充分な確信を得る契機となりましたよ」


 彼らは本当に、自分の知る叔父と兄なのだろうか。別次元で話をするトウゴとサハヤを、サユは遠い存在に感じた。けれど、サユの瞳には真実と向き合えるだけの強い光が灯り始める。目のまえで交わされる会話の内容に、もう黙っていられなかった。


「魄魔を捕らえて、真名を読んで……、叔父さまと兄さまは、いったいどのような行いをしてきたというのです!」


 だが、追及の声を上げたサユに、サハヤは一瞥を投げただけだった。サユの声を黙殺し、トウゴとの会話を選ぶ。


「真名といえば、叔父上。サユには私のように魔力の真名を読む力はありませんよ。おそらく彼から教えられたのでしょう」

「魄魔が自ら真名を明かすなど考えられぬ。だが、たとえサユ自身に能力がなくとも、サユもセンリの娘。月守の血を引いているのだからな。サユが産む子にはおおいに期待できる」


 暖かみを微塵も感じさせない歪んだ笑みを、トウゴが見せた。


 初めて目にする叔父の表情に、サユは底知れぬ危機を予見し、ふたりから距離を置こうとした。けれど退路を塞ぐように、サハヤがサユの背後に回り込む。


「サユ。その封石を渡してください」


 サユは緑玉を握り締めていた手に、より強く力を入れた。

 自分がなにをしたのか。一縷の望みを持ち周囲を見回すも、泉にいたはずの青年はどこにも見当たらない。己が犯した罪を、残り香のように漂う魔力が改めて自覚させた。


「兄さまはこれを……彼を、どうするつもりですか?」

「復讐すべき相手が、まだ残っています」


 ギニエスの儚い立ち姿が目に浮かぶ。その瞬間、サユは緑玉を胸に掻き抱いていた。


「彼は渡せません」

「では、仕方がありませんね。吹麗、お願いします」


 サハヤの声が耳に届くと同時に、サユは抗えない睡魔に襲われる。

 眠りに落とされる寸前。サユが目にしたのは、藤色の髪を空に遊ばせ春に舞う、たおやかな風精だった。





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