確信の萌芽 3



 栄花祭は夜明けとともに始まる。その年選ばれた乙女たちが舞う、春招しゅんしょうの舞が合図だ。


 舞台となる城門広場には、舞をひと目見ようと暗いうちから見物人が集まる。純真に祈りを捧げる舞が素人然としておらず、習練の賜物だったからだろう。乙女たちが披露する舞は、多くの者に感銘を与えるまでに質が高かった。


 けれど、舞に合わせ粛々と鳴る神聖な鈴の音も、いつしか軽快な弦楽に取って代わられる。すると乙女たちは足取りも陽気に見物人を巻き込み、踊りの輪を広げていく。そのころには、城門広場から延びる目抜き通りに露店が見世棚を並べ終えていて、飲んで食べて歌ってと、賑わいは都中に伝播でんぱする。


 そうやって冬を息災に過ごせたことへの感謝を体現して精霊を楽しませ、本格的な春の到来を招くのが栄花祭だった。







 夕刻を迎えても、城門広場では弦楽の響きが絶えないようだ。


 今晩、賓客を招待して開かれる晩餐会。その会場でもある迎賓館で、サユは露台の欄干に凭れ、かすかに届く音色に耳を澄ませていた。眼下には桜桃城の庭園が見える。庭園と迎賓館のあいだは壁で仕切られているが、高い位置にある迎賓館の露台からは庭園が一望できた。


 陽も傾き、篝火が焚かれ、幽玄に装いを改めた庭園も城門広場と同じく、栄花祭の今日は終日を通して領民にも立ち入りが許されているため、園路には人が溢れていた。桜桃城の名の由来でもある桜桃の木に咲く白い花は五分咲きといったところか。


 けれど、感嘆する人々を遠目に、サユは手持ち無沙汰だった。


 実際に祭の警備をするのは城の近衛武官で、帯剣こそ許されていたが、サユたちは客扱い。要の外交に至っては役に立たない自信だけはある。そういう仕事はミトが適任だった。重立った顔触れへの挨拶はどうにか済ませたが、立ち位置すら掴めずにいたため、晩餐会が始まるまで息抜きをしてこいと、ミトからお達しが下っていた。


 ミトに仕事を任せ、心行くまで祭を楽しんでくるよう兄が気遣ったのは、いまの状況を見越していたからにほかならない。

 コウキはといえば、年配のご婦人がたに囲まれていたが、立ち回りはサユよりも遥かに上手い。なので問題はないだろうと放置していた。


 ただ、ひとりでいると思考はすぐに、見逃した状態にあるファイスの処遇へと引き戻される。いつもなら至天に相談しているところだが、サユはそれすら躊躇っていた。

 あの毛嫌いのしようが、初めからファイスの正体を見破っていたためではないかと思えたのだ。だとしたら背信にも取れるが、至天は精霊だ。あれでも慈悲から生まれた存在であるし、無用な殺生は避けたがる。


 単純に、自身が至天の信頼を得るに値せず、真に主として認められていないだけという可能性もある。そう考えると消極的にもなる。相談したところで、はぐらかされれば二度と立ち直れない気がして実行に移せなかった。


 そんな己の不甲斐なさからますます落ち込むサユに、快活に声をかける者がいた。


「君は、聖家のサユ殿だね」


 四十代半ばとは思えない若々しさに精悍な体つき。だが、髭を蓄えた顔はどこか愛嬌があり、親しみを覚える。髪と髭は栗色で、青い瞳は実直な人柄を感じさせた。見覚えのあるその男は、ファイスの伯父、バナド・ランドルフだった。


「リシュウでは、愚息がまた面倒をかけたようだね」


 気さくに話しかけられたが、サユは身構えていた。バナドは甥の正体を知っているのだろうか。まさか彼までも。と、疑い始めたら際限がないだけに、応じかたも慎重になる。


「面倒だなんて——。彼が早くに依頼をくれたおかげで、仕事も迅速に片づけられたわ」

「それはなにより。実はその愚息に、ここに来るよう言い置いて家を出たのだが……。サユ殿は見かけなかったかな?」

「いいえ、見ていないけれど……。オウトウに、戻ってきているの?」


 昨年の栄花祭では渾名すら耳にしなかったので、サユはその可能性を考慮していなかった。


 サユの問いに頷いたバナドが、弱った顔で肩を落とす。


「もしや宴にかこつけ、ハイマウト卿と会わせる目論見もくろみを悟られたか」


 ハイマウト卿といえば、ランカース公領の軍部長官。軍部の最高責任者だ。対してファイスは、オウトウにいたころから文官として務めていたはず。そのファイスとハイマウト卿。バナドを通じて面識があってもおかしくないが。


 サユが疑問を感じたのを察したのか、バナドが話を続ける。


「ファイスはあれでいて、遊ばせておくには惜しい剣の腕を持っていてね。それをご存知のハイマウト卿から、都に戻るよう説得していただこうと思っていたのだよ」

「……そうね。確かに、あれは勿体ないわね」


 素直に見解を述べたサユに、バナドは意外そうな顔をしてみせた。


「サユ殿は、ファイスが剣を揮うところをご覧になったのだな」

「リシュウで、手合わせをしたの」

「——なるほど」


 バナドは顎髭をなぞり、一考する素振りを見せた。すると話題が一転する。


「私に実の息子がいるのはお聞き及びかな」


 流れから、ただの世間話ではない気がして、サユはバナドの声に耳を傾ける。


「名はアーヴィン。遅くに授かった子でね、今年六歳になったばかりだ。あいつらは、臥せがちなギニエスの静養を理由にしていたが……」


 そこでいったん言葉を切ったバナドに、ようやくサユにも話の方向性が見えてくる。


「彼らがリシュウへと移り住んだのには、ほかに理由があったのね」

「ああ。どうやらギニエスとファイスはアーヴィンに気を遣い、オウトウを出ていったようなのだ。恥ずかしい話、アーヴィンが生まれてからというもの、私の跡目問題で周囲が煩くてね。そこにきて一年前のあの事件だ。あいつらが出ていくのを、私ひとりでは止めきれなかったのだよ」


 バナドは庭園に目を向け、苦笑を浮かべた。


「私としては、ここに戻ってきて欲しいのだが。あいつらには迷惑でしかないのだろう」

「なぜ、そのような話を私に?」

「そうだな。自分で言うのもなんだが、親ばかだな。娘や息子の印象を少しでもよくしたがる、ね」

「……そう。あなたは、彼らを養子にするまえから可愛がっていたのでしょうね」

「残念だが、養子にする以前のことは詳しく知らんのだ」

「どういう……こと?」


 核心に触れるかもしれない話に、サユは息を呑んでバナドを見た。


「もう、二十年以上は昔になるな。私の妹——あいつらの母親は十七のときに前触れもなく行方知れずになってね。それから時が経ち、死んだものと皆が諦め、記憶の奥底に妹との思い出も埋もれかけていたころだったよ。両親を失ったと寄る辺を求め、あいつらが私の許にやってきたのは」

「それは、いつの話?」

「八年前だよ」


 八年前——。この符合は偶然なのだろうか。より慎重にサユは問う。


「その話を信じたの?」

「妹が行方知れずになったときに身に着けていた、血晶石の首飾を持っていたのがひとつの根拠だな。間違いなく、ランドルフ家に代々受け継がれてきた首飾だったからね。なによりギニエスは妹に、ファイスは幼いころの私にそっくりでね」


 最後の台詞、「幼いころの私」というくだりだけは冗談めかして言い、バナドは笑みを見せた。

 確かに、バナドから武骨さを取り除けば似ていないこともない、かもしれない。


 そこでなに気なく向けた視線のさき。サユは頭に思い浮かべていた青年の顔を見つける。


「……いたわ。あそこ」


 迎賓館と庭園を隔てる壁。そこに沿って続く園路のはしで、ファイスは人の流れを避けて立ち止まっていた。けれどすぐに背を向けてしまい、人混みに紛れ歩き出す。

 動く直前。ファイスは間違いなくこちらを見上げていた。目が合い、彼の顔が緩やかに綻び笑みが浮かぶのを、サユは確かに見た。


「私、彼に用があるの」


 美しく剪定された生垣の向こうに彼を見失う。それを意識した瞬間、サユは欄干に手を置き勢いをつけ乗り越えようとしていた。


「サユ殿! ここは高さがっ!」


 慌ててかけられた制止の声に、サユはバナドを振り返る。


「そう、よね?」


 やはり、ここから飛び降りるのはまずかっただろうか。そう思い、おずおずと欄干から手を離したサユに、バナドが頭を掻いて言い開く。


「その、呼び止めて申し訳ない。サユ殿は可愛いから、ついな。使族であると失念していたよ」

「……つい?」


 可愛いなどと、さらりと口にできるのは血筋なのか。妙に納得しそうになったサユに、なにやら問いたげなバナドの目が向けられる。


「サユ殿はもしや……。いや、そうだな。申し訳ついでに、息子に伝言を頼めるかな」

「ここに来るよう伝えればいいの?」

「それより、私はファイス、お前を信じていると。それだけ伝えてもらえれば充分だ」

「わかった、必ず伝えるわ」


 了解したものの。真にそれを伝えたい相手は自分なのではないか。バナドの力強い口調は、サユにそう感じさせた。





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