疑惑の種子 2



「顔色が悪いですね」


 顔を合わせた途端にサハヤから指摘され、サユは出端でばなを折られる。


 気持ちの整理をつけるため、いったんは自室に戻ったサユだが。いつまでも当主への報告を後回しにしておけないと、心を決め、執務室へとやってきた矢先だった。しかも古森の風精に始まり、叔父についで兄までもと来れば、自分はよほど酷い顔をしているのだろうと自覚せざるを得ない。


 サユは執務机のまえに立ち、観念して口を開く。


「シナキを、失いました」


 最初に報告しようと決めていた事柄を告げると、椅子に座るサハヤからは静かな視線が返ってきた。


「なにがあったのですか?」

「私の覚悟が足りませんでした」


 なんとか顔を上げたまま伝えると、サハヤの表情が厳しいものに変わる。


「シナキを失った経緯を、私は訊いているのです。休暇中の話ですよね? あなたは、どこでなにをしていたのです」


 サハヤの詰問にサユは口を閉ざす。嘘をつくのも要領よく隠し事をするのも苦手なサユは、沈黙を選んだ。


 ひとつを口にすれば、すべてを語らずともサハヤは気づくだろう。トウゴには話してしまったが、サハヤには、吹麗の証言に疑いを持ったことを知られたくなかった。ファイスの正体を報告すべきか決めかねていたのも沈黙を選んだ理由のひとつ。迷う要素は欠片もないというのに。

 けれど一方で、よほどの事態でもない限り、聖家が依頼なくして動かない現実も承知している。


 サユが黙したままでいると、サハヤは短く息を吐いて諦めの表情を見せた。


「彼女ほどの風精は、なかなか見つからないでしょう。しばらくは補佐に回ってもらうことになりそうですね」

「なるべく早くつぎの使精を——」

「サユ。焦ったところでなにも変わりませんよ。あなたの使精になれる精霊は、古森ですら、出会うのは難しいのですから」


 そう諭したサハヤの目に、責める色はなかったのだが。

 枝切がどれほど掛替えのない存在なのか、身に沁みて解っていたはずなのに。あらためて思い知らされ、サユは唇を噛む。


「仕事の話をしましょう。先だってより依頼のあった件で、これなら現状でも問題ありませんし。聞きますか?」

「……はい」


 仕事と言われ頷きはしたものの、サユはまだ、気持ちの切り替えができていなかった。けれど、サハヤは構わず本題に入る。


「依頼主はランカース公です。依頼内容は栄花祭えいかさいの警備ですが、昨年も行ってもらったので説明の必要はありませんね」

「……栄花祭、ですか」


 その依頼内容に、サユにしては珍しく渋りながら言葉を返していた。

 ランカース公領の首都オウトウで毎年催される、春を招く祭。それが栄花祭なのだが。サユは気が進まなかった。


「あの……。その仕事、私には不向きかと」

「昨年初頭の一件以来、ランカース公の覚えもよく、今回もぜひにと頼まれたのですよ」


 昨年初頭の一件といえば心当たりはひとつしかない。ファイスが関係した事件だ。

 やはり報告すべきかと、またしても思い悩むサユをよそに、サハヤは話を進める。


「そのような次第なので、前回同様、ミトとコウキにも行ってもらいます」

「ミトも、一緒なのですか?」


 ミトとコウキ、とくに五歳年上のミトの名に、仕事に対する不安感が和らぐ。なによりミトは、緑王家のひとつ、瑞家すいけの次期当主候補で名も通っている。


 そしてミトだけでなく、主となって仕事に就いた経験のないコウキに声がかかるのにも相応の理由がある。依頼によっては、後方支援として未成年が任に就く場合が稀にある。その慣例に添い、昨年初頭の一件に駆り出されたコウキが、ランカース公の目に留まるほどの活躍を見せたのが、その理由だった。


「このさい、あなたはミトに仕事を任せ、心行くまで祭を楽しんできなさい。ミトにもそのように伝えておきますから。いいですね」


 命じ口調だったが、サハヤの顔には優しい笑みがあった。生真面目なサユの性格を理解したうえでの言葉なのだろう。そこに加えてのミトの存在は、サユの表情を緩ませるのに充分な効力を持っていた。


 その感情の機微に、気づかないサハヤではないのだが。


「どうしました? まだなにか、仕事を拒む要因でもあるのですか?」

「いいえ……。ただ、ミトに会うのは、久しぶりなので」


 まごついたサユに、サハヤは微笑みを浮かべたまま問いをくれる。


「終わったと、ミトからは聞いていますが?」

「終わったもなにも……。いまも変わらず、ミトは大切な人ですから」


 サユには、ほかに表現のしようがなかった。

 すると聞こえるかどうかの小声で、サハヤが同情を示した。


「少々、ミトが気の毒に思えてきました」

「兄さま。どういう意味ですか?」

「聞こえませんでしたか? ミトとは明後日、現地で合流してください。そう言ったのですよ」


 サユは問いただしたく、疑いの目を向け続けたが、落ち着き払ったサハヤが動じるわけもなく。


「それまでは、しっかりと体を休めておくように」


 体裁よく話を切り上げてしまった。





   *****





「サユの縁談を進めているそうだな。しかも相手はカロの息子だというではないか」


 サハヤにそう訊ねたのは、サユと入れ違いにやってきたトウゴだった。だが、反対の意を含んだトウゴの小言にも、サハヤは涼しい顔で応じる。


「そういう話もなくはないですが、口約束すらできていませんよ」


 トウゴはどこまでを真実と捉え聞いているのか、窓ぎわまで行き、外を眺めていた。


 トウゴの情報網には正直サハヤも舌を巻く。トウゴが当主代行の職に就いていたときに築いた人脈は侮りがたかった。精霊の耳にすら神経を払わなければならない。

 下手に言葉を重ねるよりはと、サハヤは牽制を選ぶ。


「お忘れですか? サユの縁談を進めるか否か、決めるのは私です。叔父上の自由を認める代わりに、そう確約したではありませんか」

「そうだったな。しかしそもそも、お前とトウネのあいだに子が産まれれば僥倖ぎょうこう、心労も減るのだが」


 トウゴの娘であるトウネとは結婚して四年が経つ。妻にしてよき理解者。明け透けな性格だが献身的な面もあるトウネの顔を思い浮かべ、サハヤは目を伏せる。


「努力は、していますよ」


 力なく零してトウゴの横顔を見やる。サハヤの視線を感じたのか、トウゴが振り向いた。

 つぎはなにを詮索されるのか。信念を感じさせるトウゴの目に亡き父の面影を重ね、サハヤは身構える。


「よもや、八年前の事件の顛末に嘘はないだろうな」


 トウゴの念押しと、頑なだったサユの様子にサハヤは関連を見いだす。


「その件は解決したではありませんか。聖家の実力者がこぞって討ち果たせなかった魄魔を、サユひとりでほふったのです。これで精霊使としてのサユの名は不動となるでしょう」

「お前の狙いはなんだ」


 トウゴから鋭く問われたが、サハヤは冷静な姿勢を崩さなかった。


「サユはもう充分、聖家に貢献してきたと思いませんか?」


 微笑みさえ浮かべ、八年前から強く持ち続けてきた決意をサハヤは貫こうとしていた。それを成し遂げるためならば、相手が妹であれ強行に訴える手段すら厭わず選択する。それがサハヤの決意だった。


 計略の完遂のみを願うサハヤの心には、底の見えない憎悪が、澱んでいた。





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