光陰の箱庭 2



「首尾よく集まってきたわね。そろそろ潮時じゃない?」


 人の手がまったく入っていないのだろう。より鬱蒼としてきた森の奥地でサユは足を止めた。つぎの一手が作戦の要でもあり、意見を求めて背後を振り返ったところ。

 至天はというと、重なり合う枝葉が生んだ濃密な闇を、悠長にも緊張感のない表情で眺めていた。


「そうだなぁ。この森を抜けると、なかなかの景勝地が広がってるしな。ここで面倒ごとを済ませてから向かえば、朝日に染まる絶景を満喫できる頃合いか」

「あのね。そんな頃合いは誰も訊いていないし、その絶景とやらを見に行く理由が私にはまったく思い浮かばないのだけれど」


 この暗闇では、気配を感じ取ることでしか、サユには周囲の状況を把握する術がない。人間と比べれば遙かに夜目は利くが、さすがに限度はあった。しかし精霊は月のない闇夜でも白昼と同じ景色が見えているという。その精霊である至天は感知能力にも優れ、サユよりも正確に状況を判断してくれる。


 今回の仕事は特に、至天の能力に頼っている部分が大きいというのに。


「少しは気を引き締めたらどうなの。あんたを見ていると、こっちまで闘争本能を奪われそうで迷惑なのよ」

「お前はもう少し肩の力を抜いたほうがいいと思うぜ」

「それで仕事が上手くいくのなら、腑抜けた顔もできるよう努力するわ」

「お前さ、その言いかただと、聞き入れる気は毛頭ねぇだろ」

「至天。それはお互いさまでしょう?」

「……ったく、その横暴な性格もどうにかして欲しいぜ」


 至天は嘆かわしいとばかりに額に手を当てていたが。残念ながら叶えてやれそうにない願いには耳を貸さず、サユはゆっくりと周囲を見渡した。


「それで? 状況はどうなの?」

「無論、問題ねぇよ。その封石ほうせきもかなりの上等品みてぇだしな」


 ようやくまともな答えが返ってくる。サユが身につけている封石の効果に至天は感心しているようだった。


 封石といっても形はさまざまで、精霊や使族の力を宿しつつ一定の効力を発揮する道具全般を指す。しかし実際のところ、封石といえば貴石を思い浮かべる者が世間では大半を占めていた。大地が長い年月をかけ生み出す鉱物は、とりわけ精霊の力も定着しやすく、扱いの簡単なそれらを使族が好んで使うからなのだが。


 ちなみに、サユが左手の人差指に填めている封石は指輪の形をしている。銀製で黒ずんでいたが、一対の翼が円を描いた意匠は愛らしい。けれど、それ以外なんの特徴もない指輪だった。

 見た目だけは、という注釈はつくが。


「誰も使いたがらないのがよく解るわ。でも、おかげで仕事が早く片づきそうね」


 軽く言いながらも、サユは油断のない視線を暗闇へと向けた。

 そのとき。暗闇の奥からだ。空気を震わせ、獣の発する唸りがかすかに届いた。しかも距離を詰めてきているのだろう。唸りはじわじわと大きくなっていく。一匹や二匹ではない。二十は超えているだろうか。確かなのは指輪が獣を導いているということ。


 指輪の形をしたこの封石には、闇のなかでしか生きられない獣——月魄げっぱくを呼び寄せる力が込められていた。その月魄こそ、今回請け負った依頼の標的。夜ごと街を群れで襲い、人間の命を脅かしている天敵だった。


 だが、月魄に囲まれつつある状況だというのに、サユも至天も冷静そのもの。余裕すら感じさせた。


「至天。結界をお願い」


 サユの命に、いくらも待たずに至天が応える。


「張り終わったぜ」


 とくになにかした様子もなく、至天は事もなげに告げた。と同時に、取り巻く空気に異変を感じたのか、獣がいっせいに唸るのをやめる。


 周囲に静寂が流れる。が、それも一瞬。沈黙を打ち破ったのは一匹の獣が上げた咆哮だった。それが複数重なり地響きのごとく轟いた。獣らが我さきにと地を蹴りやってくるのをサユは肌で感じる。そしてついに、しなやかな動きで木立の合間を縫い、獰猛な獣が姿を現した。


 四肢で大地を掴み蹴る、細く引き締まった体躯。鋭い爪と牙を有し、立ち上がれば大人の身長と同等の高さはあるだろう。月魄であると判る最たる特徴はその毛色。艶などない、真の闇を吸ったような黒色をしていた。ただ、同じく黒いはずの双眸だけが、暗闇のなかでも鋭利に光って見えた。


 サユという獲物を見つけ、歓喜を湛えているのか。それとも封石が放つ、月魄だけが嗅ぎ取れる甘美な香りに酔わされているのか。

 見るまに距離を縮めた獣は勢いを緩めることなく跳躍し、サユ目がけ躍りかかる。しかし鉤爪をひけらかした直後。サユの眼前で見えない壁にぶつかり、短く甲高い鳴き声を上げていた。そのままあっけなく地に落ちる。続いて飛びかかってきた数匹も同じように弾かれる。


 しかしまだ仕留めたわけではない。その後方では結界の存在に気づいた獣らが足踏みをし、喉を低く鳴らしていた。

 だが、これで結界内に標的が捕らわれているのが自分の目でも確認できた。

 至天の完璧な仕事に満足し、サユは微笑む。


「上出来ね。至天、済覇をちょうだい」

「いいけどよ……」


 不満そうに語尾を濁した至天の右手には、どこから出したのか、さきほどまでは持っていなかったはずの大剣が鞘ごと握られていた。

 柄頭がサユへと向けられる。


「無茶すんなよ。って説教を、姫にしても無駄だよなぁ」

「解ってるじゃない」


 差し出された剣の柄を両手で掴むと、サユはひと息に鞘から剣身を引き抜いた。

 サユは腰にもうひと振り使い慣れた短剣を帯びていたが、今回はそれを使わず済覇を選んだ。

 理由は明白。済覇ならば一気に片がつく。


枝切しなき燎永りょうえい。力を貸して」


 サユが口にしたのは、この場にはいない風の精霊と火の精霊の真名。だが間を置かず、二体の精霊がサユのまえに姿を現す。

 さきに降り立ったのは長い銀髪を持つ若い女。続けてサユと同年くらいに見える、橙色の髪をした少年が視界に入った。けれど瞬くまに女と少年は済覇の剣身へと流れて消える。

 そのときサユは、握る剣に精霊の力が宿ったのを感じていた。


 万全の態勢が整い、サユにも気合いが入る。


「あいつらを一掃するよっ!」


 声を張り、浄罪の剣と呼ばれる済覇を結界内の大地へと突き立てた。

 瞬間。獣の咆哮を打ち消す轟音が立ち結界内に嵐が吹き荒れる。猛る炎は獣から逃げ場を奪い、刃となった風は退路を断たれた哀れな獣を容赦なく切り裂いていく。


 長き生を経た月魄は人間の魂まで喰らうとわれている。だが、結界という檻に閉じ込められた獣は為す術もなくつぎつぎと命を落としていった。





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