【8】……〈CREAM SODA〉
【8‐1】――《悪魔のコックさん》の生体クッキング講座はっじまっるよ~♪
【8】
『あぁー……それが今ちょっと動けないんだわ』
とりあえず、待ち時間を潰せるファミレスでも探すつもりで歩きながら。
待機中の百目にコールしたら、そんなことを宣い始めた。
「はぁ? どういうことそれ」
『なんか緊急を要するミッションが舞い込んできて、いろいろと立て込んでてな。悪りィけど適当にタクってくれよ』
なによミッションって。
しかも声音が妙なトーンだし。
「そうやってテキトーにあしらわれるのって、かなりムカくるんですけど」
『そんなつもりはねぇよ! いや、ちょっと取り込んでんだよマジに……』
消え入りそうな語尾に被って「きゃっは! なァにモメてんのー。ちょっと貸しなよー」ハイテンションな女の声がした。
『やっほー、ザックロちゅわわァ~~~ん? ゴメンねェ! お兄さん、ちょっぴ借りてますよォ~ん』
イラッ。ガチで酔っ払ってるだろ、こいつ。
同じコーポに住んでるキャバ嬢で、たしか沙羅だか紗和子だかいう源氏名だったかと。
だけど、その言動の端々で無自覚のうちに妙に他人を苛立たせ、神経をザラつかせる秀でた才能に敬意を表して、あたしの中では〈ザラ子〉と呼んでやっている。
あたしが百目と暮らすようになる前から顔見知りだったらしく〈お裾分け〉と称して自作の総菜的なもの(しかも、それなりに美味しいのがまた余計に腹立たしい)を持参してきたり、たまに百目と夜通し飲み明かしてたりもする。
っていうか……ぶっちゃけ、やってるっぽい。
そして『都内の専門学校へ通うために田舎から上京してきた妹』だとかいう理不尽な設定にされているあたしだった。
なんなの。
こちとら、こんな生真面目に動いてるってのに自分はキャバ嬢とイチャついてるとか、どんだけだし。
『その……ま、そういうことで察してくれよ。すまぬ……すまぬ……勘弁してクレメンス……』
ブッッッチ! 腹立たしくスマホ電源OFF!
なにそのクレメンスって流行ってんの!?
ったく。
こんなことなら素直に楼蘭さんに送ってもらってた方が全然良かったじゃん。
で、仕方なくタクシー待ちスポットでも探すかと舗道を歩いてたら。
ギュギュワギュワッ!
歩行を塞ぐように突っ込んで眼前に急停車するワンボックスカー。
すわ脱法ハーブ常用者かー! と思いきや。
降りてきたドライヴァーが車体を廻って、よちよち近づいてくる。
正装したビア樽――《血達磨男爵》だった。
片方の鼻の穴にした詰め物が赤茶色に凝固している。
「本来、吾輩は近場を狩り場にはしないのでつるあるけど」
なんのこっちゃ。
ウザ。うっざー。うっざあああぁぁぁ。
あたしの中で、こいつに対する“ヘイト”もはやMAXどころか
この場でただちに殺してやろうか。
だけど、もう腐れ達磨ガイジと拘うこと自体に倦んでいた――ガン無視。
プイッとクイックターンで踵を返す。
途端、後ろから組みつかれた。
くっ……こいつ!
脂肪腹へ肘を叩き込む。
だけど水枕でも打ったみたいにブヨムと弾むばかり。
ヒップにチクッと生じた痛みから、急速に麻痺感が拡がっていく。
なにこれ……注射…………麻……す……い……?
駆け上がってきた痺れに脳天を引っ掴まれ、その場に引き倒されそうになった身体を抱きかかえられる。
にやつく三重顎のクロースアップ――逆さまの視界を埋め尽くした。
■
気づけば。
身体の裏面全体を冷たく固い感触に嘖まれていた。
後頭部を軸に、ごろりごろりと首を左右に巡らせてみる。
室内はファミレスの厨房みたいな場所だった。
どうやらステンレスの台上で四肢を伸ばされた、あられもないX字型に拘束されているようだ。
あまつさえ
なんか、あたしってば終始こういう辱めにばっかり遭わされてるような気が、ものすごくするんですけど。さながら末期ジーザスクライスト並みの受難の連続に思わず失笑ぷふっ。
すると。
キッチンシンクに向かって立ち働いていた人影が、気配を聞きつけたのか振り返った。
近寄ってくるのは純白のコックコートにコック帽という、どこから見ても隙のない正統派コックスタイル。
だけど内臓を患ったように浅黒く腫れたツラは例の腐れダルマだ。
グリングリンと動くギョロ目が、まるで偵察目的で飛来したUFOみたいに、あたしの身体の上を行ったり来たりして、つぶさに観察している。
「なにしてくれてんのよ糞ダルマ野郎」
そう吐きつけようとした。
でも、なんだか舌が重たく縺れて言葉にならない。
「やむやむやむ……あなたをおいちくいただきたひのである」
その言葉にクワッと想到。
まさか、こいつ……!
あたしの驚愕に気づいた水屍体めいた膨脹ヅラが、ぐにゆぅっと醜く歪む。
たぶん得意げに嗤ったのだろう。
「いかにも、お察しの通りであるこつよ」
なんてこった。
このキモダルマ野郎の正体っ……!
まさか《悪魔のコックさん》だったなんて……!
■
あたしの
犠牲者の肉体を調理し、自分で食する以外にも必ず数人分の料理をケータリングよろしく置き土産にするというショッキングなクッキングキラーで、犯人自身が屍体遺棄現場に書き残していくメッセージカード『アナタヲオイチクイタダキタヒノデアル』は今やキャッチコピー化していた。
【おすすめメニュー】
・下茹でした腸を辛味噌ベースのスープで、こってり煮込んだ〈モツ鍋〉
・大腿骨をクツクツ煮詰めてフォンドヴォーとして、舌根を舌扁桃から丸ごと贅沢に用いた〈タンシチュー〉
・臀部の赤身を使用した肉厚い〈レアステーキ〉は毛髪のヴィネガー漬けを添えて、特製〈血のタルタルソース〉で召し上がれ
・濃厚かつ複雑なる味わい、脳味噌仕立ての〈味噌煮込みうどん〉
・皮下脂肪ともども皮膚を香ばしく焼きあげた鳥皮ならぬ珍味〈人皮〉
・肋骨ごと炙って肉汁ソースで豪快にいただく〈スペアリブ〉
・薄皮を剥いた掌にスパイスを利かせて、カラリッと香ばしく揚げた〈手羽先〉
などなど……《バズボックス》のオカルト板では『《悪魔のコックさん》レシピブック補完計画』というスレッドが立ち、新たな犠牲者がでるたび、料理板住人の協力を得て着々と新メニューが書き加えられているという。
■
やつが台の脇にある小径ハンドルをグルグルと何度も回転させた。
それに伴って台板が真ん中で二面に折れ、ゆっくりと三角に隆起する。
つまり、あたしの身体はエビ反りの強制ブリッジ状態にされていくという、さながら魔女裁判の異端査問スタイルだった。
きゅるきゅる、きゅるきゅる――ハンドルが軋む。
みちみち、みちみちぃ――あたしも軋んだ。
身体の中身が全部びっくり箱みたく飛びだしてしまいそうな、ぎりぎりの限界まで反らされたところで……ようやくハンドルが停止。
「さふいえば……吾輩のブレスケアがどうだこうだとか、仰っていたようであるなう」
分厚い唇を開いた口腔。
それが全宇宙の汚物溜めみたいな悪臭とともにブラックホールよろしく迫ってくるのが逆さまの視界に見えていた。
グポポッ……あたしの鼻と口ごと塞いで、もごもご吸引し始める。
なんという生き地獄! 死に到るヴァキュームキッスNOさんきぅ!
んもご……っふんぐるい……むぐるうなふぅ……くとぅるふ……んるるいえぇ……うが、なぎゅる……ふたぐんっ……!
だなんて嗚咽がなにげに《クトゥルー》の帰還を意味する
…………………息が……できな………………………苦し………………………………………意………………………識…………………………………………薄…………………………………………闇…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
ぐあぽっ。
危険なニアデス体験の崖っぷちで、ようやく吸着が外される。
新鮮な外気を吸い込んだ瞬間、ぎうっと搾られたように胃が痙攣。
さっき飲んでいた〈リー&ペリンズ〉のウスターシャーソースをたっぷり利かせたトマトジュースをポンプそこのけの勢いで嘔吐してしまう。
逆流したスパイシーな酸味が鼻腔にも侵入して無茶苦茶に噎せる。
もう、なにも吐くものがなくなっても、いつまでも空えずきを繰り返しているしかなかった。
■
「ご存じであるカナにしの。究極の食材……それは女性のもつとも敏感な場所であるこつをば」
てくてくと歩いて、今度はあたしの足側に廻ってきた。
「あまねく男性のそれが泌尿や生殖の役割も併せ持つのとは異なつて、人体の中においてただひとつ、性的な興奮のためだけに特化した素晴るらつい器官なのですある。もつろん、まどむふぁじゑるにもあるまつる……ここであるのう。むふう」
その箇所の包皮を剥いて、ぐにぐにと指腹を押しつけてくる。
「かつて中世のキリスト教社会では、貞淑なる女性にはこれがナイと信じられていたのであるまつ。魔女裁判にて異端審問官は被疑者のこれを〈悪魔の乳首〉と名づけて、その有無を徹底的に調べまつたのである。もしも発見されるれば有罪が宣告されて〈魔女〉と見做されたことであるびの」
腰を突きだす格好になっている股間に顔を埋めてきた。
ぴちゃぴちゃといやらしくグルメの舌を殊更に鳴らして味わっている。
「ヲウウ。おとめのかほりと味わういが口の中に広がつて……OCですこつある」
だけど感覚が鈍磨しているあたしには、茫漠とした圧迫感としてしか認識できない。
「これをば潤沢に使用した、究極の〈豆料理〉……ヲヲウ、味わいたいものであるまつ」
もうこのグルメ気取りガイジ最低最悪のクッキング畜生ッ……!
「うむむう……異物混入のことである」
指先を奥に差し入れ、摘んだシリコングッズをぬちっと引きずりだした。
醜怪な膨脹づらが満足そうに歪む。
「危ないところであるまつ。やはり食材の入念なチヱツクが誤飲防止に繋がるである」
最後の切り札――ペニス血まみれアイテム。
だけど仕込みをあえなく見破られてしまった。
「クロアワビのステヱキ……酒蒸し……いやいや、茹でてから干して〈乾鮑〉としても良いのである。さすがは吾輩が見込んだ素材……真に秀逸な食材は、それ自体が料理人に無尽蔵のアイデアを齎することである。あなたは素晴らしき食材であるの、まどむっふぁじゑるぅ――をををうヲヲウ」
〈料理の神〉でも降臨して天啓を得たのか、コック帽の下のゲドづらがパアーッと晴れやかに輝く。
「ををう、そうである……活きアワビ……新鮮な素材をば、生でおいしくいただきたひのであるこつよ」
そんなドブ泥に落っことしたソフトクリームみたいに頭の中身がトロケ腐った、心底から空恐ろしいことを宣い始めた。
一端の料理人ぶって御託を並べ立ててはいるけれども、要するに。
そのまま食いちぎるつもりなのだ。
■
もう、やめて。
ホントにやめて。わりとマジで。
お願い。
こんな品性下劣な展開に、あたしの純真なメンタリティはとてもじゃないけど、これ以上堪えられそうもない。
ダメだ。
むしろ死にたい。
こんな辱めを受け続けるのなら、もういっそ潔く死んでしまいたい。
じゃなければ――助けて。
誰か、お願い助けてっ……!
■
ガトーン!
甲高く重い金属っぽい異音が辺りに響いた。
今にも歯を立てようとしていたマジキチダルマ。
あいつの口許が蜘蛛の巣を濡らす朝露みたいな粘液の糸を引きながら、あたしから離れて顔を上げる。
業務用サイズのラード缶――タイル張りの床を転がっていた。
大振りな中華庖丁をキッチンテーブルから素早く引っ掴むと、あいつは調理台を廻ってスティール棚の向こうに姿を消す。
「ををう。なにごつであるか、おみゃぐぱっ」
俄然、棚から食器類が雪崩れ落ち、夥しい陶器の破砕音が耳を聾する。
どうやらドタバタ喜劇のセット破壊みたいな大暴れが裏側で展開しているようだ。
変態グルメ殺人鬼がなにごとか口汚く喚いているけど、内容は意味をなさず聞き取れない。
そもそも、あいつは平常時ですら会話の理解が覚束なかったけれど。
グワシャラララ!
ガトンガトン! ゴトカトン! ンダドドドドドドドッ!
調理器具が鳴らす喧しい金属音がデスメタルバンドのドラムソロよろしく撥ね回る。
やがて……忽然と静寂。
何者かの荒い呼気がしていた。
床に散らばった皿の欠片をパキパキ踏み割りながら、棚の裏からそいつが近づいてくる気配。
逆さまの視界に闖入してきたのは。
こんな厨房には到底似つかわしくない貴公子的な佇まいのケープ姿――。
楼蘭――その人だった。
蒼然と血の気が引いた顔。
手に握っている中華庖丁の刃がベトベトの緋色にまみれている。
いったい全体どういうこと……?
だけど、あたしの意識はヌルい泥のような深みにズブズブと呑まれていくだけ。
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