【6‐4】――あたし〈なかよし学級〉じゃないんですけど。ガイジかな


 永田町のハイクラスホテル――さながら侵略エイリアンの母星の要塞みたいな近未来SF的外観を有した建築物に圧倒される。

 塵ひとつ落ちてないパンチカーペットの廊下を「おそるおそる」という形容がぴったりな及び腰で二人して進んでいった。


 百目はチョークストライプのブラックスーツ。

 あたしはゴスロリ風フリルの黒ジャンパースカートに黒サテンのフリルブラウスという、ある意味ぎりぎりフォーマルな装いだ。


 全室から景観が望めるようにと意図したらしいフラクタル構造のホテル内部は結果として、海外RPGの地下ダンジョンなみのユーザーアンフレンドリーな複雑さ。

 いちいちフロアごとに踊り場のマップで位置を確認しないと到底、辿りつくことなどできないんじゃないかとすら錯覚させる。


 だけど、ようやく目的のインペリアルスイートに無事到着。

 分厚い樫材の扉に気圧されながらも、百目がチャイムを鳴らした。

 扉を開けた黒服サングラスのモブキャラっぽい男に促されるまま中に入る。

 最高級の調度だけを必要最小限に用いて構成された広い室内。

 大理石の応接テーブル越しに、ゴージャスブラックのナイトガウンを羽織った人物が電動車椅子で待ち受けていた。


「ご無沙汰してます……厄丸やくまるさん」


 柄にもない神妙づらの百目が深い辞儀をする。


「こいつが今度一緒に暮らすことになった、おれの妹的な……なんつーか、その……あれです」

「初めまして。血が死に吹いてぇ、血死吹ザクロっていいまぁす」


 スカートを摘んで擡げつつ、ちょこんと踵をクロスしてペコリー。

 何度も重ねたリハーサル通りに、お行儀の良いお辞儀ができましたとさ。


 その厄丸さん――猛禽類っぽい左の眼が、あたしを見据えている。

 顔の右半面がミュージカル版『オペラ座の怪人』リスペクトみたいなメタルのプレートで覆われていた。ラテン風にウェイヴしたワイルドヘアは、たぶんウィッグだろう。 


 負けじとこっちも視線が食い込むぐらいにジトーッとガン見で返してみたり。


「とりあえず座りなさい」

 対面のソファに二人して腰を下ろした。やけにお尻がめり込んで逆に落ち着かない。


「初めまして、お嬢ちゃん」

 なんという猫撫で声。

「さっきから、ずっと見ているね。おじさんのお面が怖いのかい」

「ううん。全然平気」

 それは本心。

「だけど、そんなガイジ相手の話し方されるほど、あたしIQ低くないはずなんですけど」

「ガイジ……ってなんだね」

「なかよし学級のこと」


「ちょっ……ザクロっ! おまえ一体全体どんな口利きだしてんの!?」

 覿面に百目の顔から血の気がズザーッと音を立てて引く。

「すいません厄丸さんっ。こいついろいろあって、その……常識とか礼儀とかがカオスなもんですから……これからは自分がちゃんと面倒みて躾けしますんで、すんませんっ」

「なんなの、シツケって。百兄ィまで人のこと畜生みたく云わないでよ」

「おまえ、もうその無闇にガイジとか畜生とかいうのやめーや! いいから謝れっての!」

「なんで? なにも悪いことしてないじゃん」

「つべこべ述べてんじゃねえぞ! とにかく――」

「構わんよ百目……悪かったな、変に子供扱いしてしまって」

 それでも鷹揚に応じる仮面の紳士だった。


 そして声のトーン――同じネコ科でもベンガル虎クラスに、ざらりと変じている。

 本来これが地声なんだろう。


「幾つになる」

「もうすぐ14」

「大筋は百目から聞いている。なにやら大変だったそうだな」

「そうでもないよ。たとえ、そうだったとしても、もう過ぎて終わっちゃったことだし」

「気丈だな」

 くくっと含み笑い。

「だけど“終わった”というのはどうだかな。まだまだがあるだろう」

 掌に包んだブランデーグラスを揺らしながら、そんな謎かけめいた物云いをしてくる。

「なにが終わってないっていうの」

「自分でわからないか」

「もったいぶるのやめてよ。あたしキャバ嬢じゃないし、そういう茶番つき合ってらんない」

「ちょ……ザクロぉ、またそういう……」

 隣りで百目がおろおろ動揺するけど構っちゃいられない。

 厄丸さんの片目を覗き込んで、ほとんど躙り寄る勢いで告げた。

「教えてよ。なにが終わってないっての」

 だけど、あたしの剣幕をひらりとマタドールよろしく軽やかに逸らす。


「名は、血死吹ザクロ……そういったか」

「一度で覚えてよね。それなりにインパクトあるでしょ」

「自分で名づけたそうだな。血みどろの残忍さと、艶やかなる妖婦ヴァンプのイメージが混然となって共存する、とても心地いい名前だ。

 その字面も響きも絶妙……なかなかの〈言霊〉を感じるよ」


 まず馥郁たる香気を堪能してから、グラスを悠然と口許に運ぶ。

 口腔を充たしている上等な蒸留酒が嚥下されるタイミングを、あたしは黙して待っていた。

 次なる言葉が届くのを。


「ザクロ」

「はい」

 はい、じゃないが。

「おまえと、おまえの家族をあんな目に遭わせたやつ……だぞ」


 その言葉――あたしの激情をクワッと呼び覚ます。


 あっ……(察し)


 そうだ。


 朧げな記憶と意識の深底に沈殿してしまい、どうかすると「生きていく」という日常の雑多な諸々に取り紛れて、うっかり稀薄になりつつあった……あたしのなすべきこと。

 今後の展望を問われて「別に」「特にないです」としか答えられなかった、あたしがやるべきこと。


 それがたった今、しかと解った気がした。


 いや、違う。


 教唆してくれたんだ――厄丸さんが。


 そういった、あたしの内面の決意を如実に感じ取ったのか……どこか満足げに首肯してみせる厄丸さんだった。

 その顔のメタルプレートには、身を乗りださんばかりのあたしがグニッと歪んで映り込んでいる。


「それ、ちょっと外してみせてくれないかな」

「うん……?」

「顔……見てみたいの」


 どうして急に、そんな突拍子もないことを云いだしたのだろうか。

 そこのところ、ちょっと自分でも解らないんだけど。


「ちょっ……ザクロ! おまえ、失礼もいい加減に――」

 慌てふためく百目を厄丸さんが無言で制した。

 その同じ手許がプレートに伸び、ゆっくりと外される。


 その顔――


 上顎から頬、そして片眼と額の一部までが、まるで冬眠し損ねて不機嫌このうえないヒグマにでもひっぱたかれたみたいに、ぼっこりと抉れているのだ。


「さわってもいい?」

「あぁ、いいとも」

 テーブル越しに手を伸ばす。

 掌に、指の腹に……柔弱な起伏を感じた。

「痛くないの」

「臀部の皮膚を少しずつ移植してな、今は少々痺れた肌ぐらいの感覚だ。だけど、おかげでわたしの尻は〈あみだくじ〉みたいになってしまったよ。もちろん見せはしないがね」

「あは……」


 ちょっと笑いどころを判じかねる微妙なユーモア。

 そのセンス――嫌いじゃないよ。


          ■


「頼むわ。マジ勘弁しろよ、ザクロちゃんったらよぅ……あぁもうマジで」


 祝儀として貰った現金入りアタッシェケースを膝に抱えたまま、ディープな溜め息をつく百目だった。


 タクシーの後部座席に乗り込んでからも、まだずっと表情が強張っていた。車が発進してしばらく経って、ようやく緊張から解放されたらしい。


「ああ……マジで生きた心地しねぇかったわ。もしも、あのとき『どっきり』って書いたプラカード掲げた底辺芸人がドアから飛び込んできてくれてたら、もうケツ掘られても構わねぇ気分だったからな」

「そんな大げさな~」

 どんだけ脅えてんの。

「でもさ、あの人はあれが素顔なんだから、見て見ないふりとかすると逆に失礼じゃん」

「いや……ま、たしかに。だけどなぁ、オトナにはオトナの〈しがらみ〉ってやつが……いいや、なんでもねぇわ」


 ゴチャゴチャなにやら述べようとしていた百目だったけど「シガラミって、なにそれ? どこのご当地ゆるキャラ?」とでも云いたげな、あたしのキョトン瞳を見て素早く「こりゃ駄目だ」と判断したようだ。


「だけどよ。こういうことは相手よく考えてからやんねぇと、世の中いい人ばっかりじゃねぇんだぞ」

「ユーモアのわかる、いいおじさんだったじゃん」

「あれがおまえのユーモアかよ! 古今東西のあらゆる文明が全力でNOだわ!」

 もうツッコミなのか、素で怒っているのか判然としないし。


「でもな……厄丸さんのああいう“素”っぽいところ、なんか初めて見た気がするっちゃ、するわな。いつもは、もっと厳然としてっから」

「今まで云わなかったからでしょ。頼んだら、たぶん百兄ィにも触らせてくれてたと思うよ」

「そこかよ! つーか、やっぱ……いや、なんでもねぇよ」

「なんなの」

「ところでだ……ザクロ」

 妙にかしこまる。

「これから一緒に新しい生活を始めるってんだからよ、もう今までみたいな援交とかは自重しろよな」

「援交とかしてないもん」

「あぁ、すまんすまん。援交っていうレヴェルじゃないよな。やらせもしねぇで金だけ取られて、おまけに殺されるとか、どんだけだよ……普通に悪質な強盗殺人だわ」

「結果としちゃ、そうだけどさ。ちょっと刹那だけ夢見れるじゃん」

「ま、とにかく無闇に殺りまくるのは自重しろってこった。そんな体たらくじゃ、しまいにゃイソップ先生の〈オオカミ少年〉みたくなっちまうぞ」

「たとえの意味が掴めないんですけど」


「だから本当に殺りたいときに、殺れなくなっちまうっての」


 ドヤ顔で云い放った言葉の真意――しばらく吟味してみる。


 だけど量れなかった。


 いや、もしかして。


「それってさ……まさか、云ってみただけとか」

「あ、やっぱわかる? なんとなく箴言っぽいかと思ってな。それっぽくてカッコいいだろ? もはや意味全然わかんねぇけど」


 こいつは、もうっ……!


「だったら、あたしも歳ごまかして風俗とかで真面目に働いたりした方がいいのかな」

「あのな」


 苦い説諭顔の百目だった。


「自分のはらわたをブチ撒けられるリーサルなプレイをお望みのマニアックなお客さまは、たぶん多くはねぇよ」


          ■


 そんなわけで、あたしも晴れて時代の寵児ともいうべき特権階級――ニート。『働いたら負け』なのだ。

 そもそも【菱蕗 瑠樺】的には施設を飛びだして以降、消息不明の行方知れず状態で、今やまともな戸籍すらないのに真っ当な仕事に就ける道理もない。

 そんな未成年ニート風情にやれる暇つぶしといえば、これは全世界共通のお約束だろう。


 www――ワールド ワイド ウェブ。草じゃないおwww


 そしてダークな知的好奇心に駆られるまま、実録猟奇犯罪系のサイトを巡回していった。膨大な量のテキストが、あたしに様々なことを教えてくれる。


 知った――リアルを。


 世にはいたいけな少女の性を金銭で搾取するクソザコナメクジオヤジどころじゃなく、本気で暗黒な連中が蔓延しているのだと。

 そして、それらの理不尽な暴力の犠牲となってしまう“運の悪い”人たちが、あまりにも大勢いるのだとも。


 あのときの、あたしと同じように。


          ■


 どうして、あたしがあんな目に遭わなければならなかったのか。

 誰に恨みを持たれるはずもない、ごくごく平凡な中流家庭だった。

 怨恨や強盗の線はなく、あたしに目をつけた〈児童性虐待者――チャイルド マレスター〉による通り魔的な犯行と見做されていたようだ。

 当時の捜査の進展情報は、あたしの耳にはなにひとつ入ってこなかったけど、どうせロクな結果だせてやしないのは容易に想像できた。


          ■


 あたしたち〈人類〉は、たまたまそれっぽい姿形というだけで〈人権〉とかいうオモシロ権利を生まれながらにして取得している。

 しかし、たしかに生物学的には〈人類〉だけれど、メンタリティや思考回路、延いてはそれらに基づいた行動と導かれる結果に鑑みて、どう贔屓目に検討しても〈人類〉としてカテゴライズできそうもない、ある種の〈有機物〉が存在しているのだ。


 有機物? いや……むしろ〈廃棄者〉と云ってもいい。


 あたしの見つけた命懸けの暇つぶし――そういう上っツラの見た目だけは人間の振りをした〈廃棄者〉を処分してやること。


 それが〈PKK――サイコキラーキラー〉としての地下活動ってわけ。


 一見したところ、随分と暗黒感の強い所業だけど、これって畢竟「人と地球にやさしい」エコロジーなんだよね。ロハス(笑)ワロス。


 ほら、よくあるじゃん。


『できることから始めたい』……ってさ!


          ■


 さてさて? そんな〈PKK〉としての次なるアクションで目下、控えているのが暗黒SNS《 xxxxダブルエクスクロス》が主催する怪しさ満点のイヴェント《アンレイテッド ナイト》への潜入行動なんだけど。



『ゆっくりしていってね!!!』

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