第11話 鏡の中へ

 すぐ次の授業を軽く流したあとの休み時間、つかさが波乃香はのかに不安そうな声で尋ねる。

「捕まえるって、どうするの?」

「まずは、幽霊を見た人の話を聞く」

 波乃香はノートの切れ端と鉛筆を持ってほかの生徒たちと話をしに行った。つかさも慌てて付いて歩く。

 昼休みなども利用して、その日の放課後までに集めた証言は次のようなものだった。


・出没時間は夜中から明け方。

・鏡に映る。むしろ姿は鏡に映ったもののみ。

・髪が長い。

・白或いは薄い水色の服。セーラー服に見える。

・声は聞こえたり聞こえなかったりする。

・幽霊さん(仮)に見覚えある人無し。


「こんなところかな?」

「うん」

 波乃香が頷く。

「教室で噂話が聞こえたけど、そのことは書かないんだね」

「何のこと?」

「ほら……寒気がとか視線がとか。あと、幽霊に会うと悪いことが起きるとか聞いたような」

「それ、どのくらい確証がある話なのかしら?」

「うーん……。噂話程度だろうね」

「それなら今回は考えないことにするわ。それに、幽霊に遭遇するために必要なことってわけでもないでしょうから」

 波乃香の言葉につかさは頷いた。

 つかさがメモを見ながら言う。

「見た人みんな、知らない人だったって言ってたよね」

「誰かに会いに来たわけではないということなのかしら……」

「うん……。『うらめしや~』って出てくるなら、誰か特定の人に取り憑くよね」

 うっかりこの学園に迷い込んでしまったということなのだろうか。

「じゃあ、今晩起きて待っていましょう」

 波乃香の提案につかさが驚いて聞く。

「えっ? 本気?」

 波乃香が黙って頷く。つかさが疑問を口にする。

「また私たちの部屋に来るとは限らないけど」

「それもそうだけど、来ないとも言い切れない。それに、今までで一番はっきり見ているのがつかさちゃんだから、つかさちゃんなら話ができるかも」

 確かに、目撃者の中で一番新しい例で、尚且つ最もはっきりしたことが言えたのはつかさだった。

「まぁ待つだけならいいかな……?」

 そう言うつかさに波乃香が頷く。

 つかさは、少し疑問に思って波乃香に聞いた。

「それにしても波乃香ちゃん。どうしてそこまでして幽霊さんに会いたいの?」

「別に会いたいわけじゃない。会いたいかどうかって聞かれたらどっちでもいい」

 波乃香の回答は素っ気無かったが、その後に言った言葉には若干トゲがあった。

「でも、いくら幽霊でも。私が寝ている間に、勝手に私の部屋に入ってくるのは、ダメ」

 言い切った波乃香がつかさに聞く。

「そう言うつかさちゃんは、幽霊さんに会いたい?」

「うーん……」

 ズバッと聞かれて悩む。以前声らしきものを聞いたときや、今朝のことを思い出して考える。

「会いたい……かな。会って話がしたい」

 今朝見た少女を思い出す。ただ立ち尽くして、誰かを呼ぶようなか細い声を出す姿だった。おおよそ怪談話で語られるような、おどろおどろしさは微塵も感じられない。

「なんだか寂しそうだったんだ。助けを求めてるみたいだった。それで、……助けたいって思ったんだ」

 つかさは、自分で言っておきながら気障きざだなと笑う。

「変だよね。全然知らない、正体も分からないような子を助けたいなんて」

「そんなことないよ。つかさちゃんが思ったことを、素直に感じればいいの。少女は、直感が大事」

「うん」

 波乃香の言葉に励まされて、つかさははっきり返事をした。


 その晩、部屋で幽霊が現れるのを待つ。

 つかさは眠気覚ましに濃い目の紅茶を入れた。波乃香にコップを手渡す。

「はい、紅茶」

「ありがとう」

 テーブルに付き、向かい合って話しながら待つ。

「来るかな」

「来るわ。必ず」

「直感?」

「ええ」

 波乃香が頷く。

 ジリジリと待ち続け、時計が日付の変わるくらいの時刻を差す。

 つかさは、ふと気になっていたことを尋ねた。

「ところで波乃香ちゃんは、どうして‘完全’少女になりたいの?」

「つかさちゃんはなりたくないの?」

 間髪入れずに聞き返され、考えながら応える。

「‘完全’……って言葉にそそられないわけじゃないけど、先生や夢の中の波乃香ちゃんに聞いた話だけではどういうものか分からないからなんとも」

 ‘完全’になれたら、誰にも侵されないとかすべての世界と繋がるとか。そんな曖昧な情報しかない。ほまれ友音ともねに尋ねたこともあるが、はっきりとした返事をもらえたことがなかった。学園にいるだいたいの少女たちが、日誌を書いて提出するとお小遣いがもらえるから、という理由で夢渡りを行っているようだ。

 真剣に‘完全’少女を目指しているのは、今のところ波乃香だけである。つかさの知っている範囲では、だが。

「よく分からないものを目指すのって、大変じゃないかな」

 つかさがそう言うと、波乃香は遠くを見つめるような眼差しで語り出す。

「夢を繋いでいくとね。人の心が分かるようになるの」

「心が読めるようになるの?」

「うーん……」

 つかさは驚いて聞くが、波乃香の反応はイマイチだった。

 しばらく首をかしげていた波乃香が、じっとつかさを見る。つかさは、読心されるような居心地の悪さと熱心な眼差しの両方でドギマギする。

 いたたまれなくなって、作り笑顔を浮かべ尋ねた。

「な、なにかな」

「読めない」

 無表情で応え目をそらす波乃香を見て、つかさは安堵のため息をつく。

「そっか」

 波乃香が言葉を選びながら言う。

「心が読めるわけじゃなくて、なんて言うか……同じ気持ちになるの」

「同じ……気持ち?」

「誰かが嬉しかったり悲しかったりするときに、一緒に嬉しくなったり悲しくなったりできるの」

 波乃香の言葉を聞いて、今日の教室の様子を思い出した。

「もしかして、今日皆がパニックになったのも?」

「恐怖もうつりやすいかも」

 元来、十代の少女はそういった特徴があると聞いたことがあるが、夢渡りの少女は特にその傾向が強いのかもしれない。不用意に心配させたり怖がらせたりするような発言は控えよう、とつかさは思った。

 そこで、新たな疑問が湧く。

「でも、波乃香ちゃんは怖くならなかったよね。なんで?」

 つかさの素朴な疑問に、波乃香は深刻そうな顔になって考え込む。

 そこまで悩ませるつもりはなかったので、つかさは困ってしまう。

「あー……。波乃香ちゃんは幽霊とか怖いって思わないからかな?」

「そこにいない人間に、何かできるとは思えない」

「そうだね。私もそう思う」

 つかさが頷く。

 それでも難しい顔をしている波乃香にこう言った。

「それに、ほら……。本当は波乃香ちゃんも怖いって思ったかもしれないけど、怖がりたくなかったから幽霊さんと会おうとしてるのかもしれないし」

 頑張って励まそうとするが、波乃香は暗い顔をしている。

「そんな落ち込まないで。私だって友音ちゃんだって怖がらなかったんだから」

 つかさは今日のことを思い出しながら言う。友音は興味こそありそうな風だったが、怖がっている様子はなかった。

 波乃香は床を見ながら呟く。

「私は……足りないの、色々と」

「それってどういう……?」

 どういう意味? と尋ねようとした矢先。


 ――誰か、

 ――私を。


 声のような気配を感じ、二人同士にハッとなって顔を見合わせる。声は頭の中に直接響いてくるようで、距離感がつかめない。


 ――淋しい

 ――寒い

 ――誰もいない

 ――苦しい

 ――誰か


 二人で姿見や鏡を通して部屋中を見渡す。

 波乃香が姿見を指差して叫ぶ。

「今! 何か通った!」

 同時につかさにもなにか見えた気がした。姿見に近づき、一瞬見えたような人影を探す。

「私を、見つけて」

 今までで一番はっきりと声が聞こえた。つかさは自分が映っているはずの場所を見る。

 目の前に見知らぬ少女の顔があった。灰色の長い髪が無造作に広がり、顔は青ざめている。生気のない顔に、目だけが爛々と輝いていた。

 目が合う。少女の瞳の中に流れ星のような光が見えた。

 光に目を奪われた瞬間。つかさの意識が吸い込まれるように、視界が歪み回転し、やがて真っ暗になった。


 つかさは気がつくと、夢の狭間に立っていた。

「ここは……」

 つかさは夢に入るまで何をしていたかをよく思い出す。幽霊のことを思い出すと、懸命に周りを見渡し少女の姿を探した。

 視界に長い髪が入った。

「ねぇ! どこに行くのっ?」

 セーラー服の少女を追いかける。

 少女は、暗闇に浮かぶ防火扉の前で止まった。

「この扉は……」

「ここに入って。私を見つけて」

「貴方は誰? 名前は?」

「私は麻乃」

「あさの?」

 麻乃は扉の中へスっと消えていく。

「待って!」

 つかさは手をつかもうとしたが、あっという間にすり抜けて扉の奥へ溶けてしまった。

 扉の向こうは、誰かの夢の中だ。独りで入るのに不安がよぎったが、ここから帰る方法も分からない。

 何より、麻乃と名乗った少女の、さみしげな表情が気になった。

 意を決し、重たい防火扉を開ける。


 扉の向こうは大きな街のようだった。しかし人の気配はなく、街中は灰色の雲に覆われていた。

「煙ってる……」

 街を覆う雲はすごく澱んでいて、嫌な臭いがした。

 つかさは袖で口を塞ぎ、煙をなるべく吸い込まないようにしながら呼びかける。

「麻乃ちゃーん! どこーっ?」

 歩きながら呼びかけるが気配はない。

「誰かいませんかー?」

 そう言っても何の反応もなかった。

 灰色の街を少し歩く。街は、高さの違うビルが立ち並んでいた。窓ガラスが灰色の空を映している。中を覗いたが、全体的に霞んでいて何も見えない。

 広い道路に出た。向こう側に渡ろうと道に足を踏み入れた途端、右から猛スピードで自動車が走ってくる。

「わっ」

 慌てて飛び退き、轢かれずに済んだ。文句の一つも言ってやりたい気持ちになったが、運転席にすら誰も乗っていなかった。

 その自動車を皮切りに右からも左からも、猛スピードで大小様々な車が行き交いをし始める。

 これではちっとも移動できないと、つかさは翼を広げて道の上を渡ろうとしたが、車道の上にきた途端、つかさの行く手を阻むように車が飛び上がって走ってくる。

 急いで避けて歩道に着地した。

 その間に翼は煤けてうまく羽ばたけなくなっていた。

「飛べない、か」

 つかさはぼやいて天を仰ぐ。

 太陽と思しき白い光がぼんやりと遠くに見えた。


「つかさちゃん! つかさちゃん、起きて!」

 波乃香が大きな声で倒れたつかさに呼びかけ強く揺する。

 しかし、さっぱり起きる様子はない。

「どうしよう……」

 波乃香は初めての状況にオロオロするばかりだった。

 自分ではどうしようもなくなって、先生の居室の扉を叩く。

「お願い! 助けて! つかさちゃんが」

「どうした波乃香、こんな夜中に。つかさがどうしたって?」

 先生は眠い目をこすりながら扉を開ける。

「急に眠っちゃって……揺すっても全然起きなくて……っ」

「落ち着け波乃香。取り乱すなんてらしくもない。どれ、見せてみろ」

 先生と部屋に戻る。

 先生が倒れているつかさの様子を見る。波乃香を落ち着かせるように温かい口調で言った。

「大丈夫。夢に入っているだけだ。でもなんでつかさだけ?」

「幽霊を捕まえようって言って」

「幽霊?」

 先生も幽霊の噂は耳にしていたが、波乃香たちが幽霊を捕まえようとしていたのは知らなかった。

「つかさちゃんは鏡に映った幽霊を見ちゃったの。そしたらつかさちゃんが眠っちゃって、幽霊も消えちゃった」

「じゃあ、幽霊は夢渡りの少女で……つかさは幽霊の目を見た、ということなのか?」

「多分……」

 波乃香が自信なさげに応える。

 つかさが眠っているだけだと分かったので、床に寝かせておくのもひどいと二人でベッドまで運び寝かせた。

「私、今からでも追いかける」

 切羽詰った声を出す波乃香を先生が押し止める。

「待て。つかさが『閉じた夢』に入ってしまったのなら、横で寝ても中で会える可能性は低い。二重遭難になりかねないぞ」

 お互いの目を見て行う夢渡りは、その少女たちの夢にしか入れないことから「閉じた夢」と呼ばれていた。

「でも……!」

 いてもたってもいられない波乃香が訴えるが、先生が懸命に説得する。

「それよりも、つかさがいつ起きてもいいように、傍についていてやれ」

 静かな声で言う先生の言葉に、やがて波乃香が力なく頷いた。

「分かった……」

 先生も一緒にいようかと提案したが、波乃香は一人で大丈夫だと言い張った。

 心配はあったが、波乃香の意思を尊重して先生は自室に戻っていった。

 波乃香はベッドの横に椅子を起き、眠っているつかさを見る。

 つかさの左手がシーツの外に出ていた。中に入れようと掴んだとき、つかさの指先がぴくりと動いた気がした。

 波乃香はそのまま手を握ってつかさが目を覚ますよう祈った。

「つかさちゃん……」

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