「――――――日本国憲法、第二十一条二項」


 嵯渡詩乃が電磁ニードルガンの銃口を向けると、三〇二号室リビング中央のソファに悠然と足を組んで腰かけていた見知らぬ少女が、開口一番そうのたまった。

 傍目に人間と思しき少女は、しかしどうしてか体温が見当たらない。ミラーシェードを額に跳ね上げると、詩乃は裸眼で少女の顔を睨みつける。背後から二機のニュートンに、硬質ゴム弾の六連装回転砲身と、〈来訪者達〉を超法規的理由に則って解剖するための電極メス装着マニピュレーターを突きつけられたままの格好で、不自然なまでに整った顔つきに不敵な笑みをまとわりつかせて、優雅に組んだ両掌も未だ顎の下に。

 その少女は、三〇二号室の支配者然とその場に君臨していた。


「…………おい、知ってるか?」


 市川が小声で耳打ちしてくる。憲法がどうたらという件についてだ。そんなもの、詩乃の知ったことではなかった。思考回路の老いさらばえた立法府の皺くちゃどもが、異臭漂いそうな口から唾飛ばし、メディアを前に弄んでいればいい。詩乃は答えず、心中毒づく。


「第二十一条二項。『通信のヒミツは、これをオカしてはならない』でしたっけ。嗚呼、いたいけな少女の私生活をコッソリ覗いていただなんて、あなたたちイヤらしいですわ」


 少女は笑みの表情を外すと、唐突に赤面し、両手で火照る頬を覆った。


「何者だお前。ふざけてるのか」


 バケツの水を被らされたことにも増して、少女のその格好だ。いま詩乃の目の前にいる少女は、白と黒とで過剰装飾された珍妙なドレスを纏い、派手な青色の髪に、動物の耳か何かの、フェイクの被り物を装着している。本物の耳は本来の位置にちゃんと二つ。ソファの柔らかな座面に埋もれた下半身に視線を傾けると、やたらと短いスカートのうしろからご丁寧に玩具の尻尾まで生やしている。その先端にあしらえられた巨大な黒のリボンが可愛らしい。だが、状況的にも意図がわからないし、とにかく詩乃の理解を超えていた。


「…………何、ネコミミ……メイド??」


 相棒たちが少女の風体を端的に表現するが、それも詩乃の耳には入らない。


「ああん、それとも二十五条? 二十九条? 三十三条? いいえ、どれも適切かしら。あなたたち、知ってらっしゃる?」


 少女は暗号めいた言葉を続ける。こちらを明白に挑発しているのだと詩乃は受け取った。

 〈外交官達3rd〉の任務に関係なく、これは嵯渡詩乃にとって生まれて初めてのケースだった。あの少年、戸原一佐の言ったとおり、この少女は言葉を話している。人間の言葉、それも何の訛りもない、明瞭な日本語発音だ。彼女は果たして〈来訪者達〉ではなく人間ではないだろうかと疑問に思うも、ニュートンのセンサーが体温検知しないことがそれを真っ向から否定する。サーモセンサーの故障か、でなければこいつは一体何だ。


「ふふ……あなた怖い顔。別段ふざけていないわよ? あなたたち地球人との円滑な対話に何かしらメリットになると思って着てみました。もっとも、女性がリーダーとしてやって来たのはあたしの想定外だった。あなたじゃ喜んではもらえないかしら?」


 顔つきは未成熟さを強く主張しているが、やけに舌先滑らかな物言いだ。


「……ねえ、銃を下ろしてくださらない。そしてあたしにあなたのお名前を教えて? あたしはアーチル――」


「――『チルコ』とあったな。偽名かどうかは知らんが」


 詩乃は銃口を下げなかった。二機のニュートンにも何も命じない。少女もそれを認識し、途中で言葉を止める。そんな彼女の素振りに、正負どちらの面でもコミュニケーションが成立することを詩乃は確認する。但し、信頼は別だ。


「結構、ではそのままで。あなたたち組織はどうやってあたしとこの場所を知り得た? こちらの予想よりもウンと早かったじゃない。もしかして、カードからかしら?」


「それを知ってどうする? 衛星測位システムGNSS端末経由で免許証と不自然な使用実態のあるクレジットカードをわざわざ使った『間抜け』が我々の捜査網に引っかかった、それだけだ。逆に問うが、お前はクルマを入手して、この星で一体何をするつもりだった?」


 少女はその言葉を聞いて視線を逸らすと、「もう、あいつドジ」などと独り言のように呟き、頭を抱えた。一佐少年と友好的な協力関係にあったことの示唆。多彩な表情を持っているが、立ち直りは早いようだ。


「静かにひとりでドライブしたかったから、と答えたら? 勿論、観光のためよ」


「昨夜あれだけ我が国の領空権にシカト決め込んで、我が物顔で飛び回っておいて、か?」


「あら、じゃあやっぱりアレはあなたたちのヒコーキだったのね? 映画に出てくる地球防衛軍みたいな正規の装備じゃないのね、意外だわ」


 詩乃は押し黙る。


「――ね、あの子をどこへやった? 連れてったの?」


 少女の声色が変化したのに、詩乃も気づいた。ニードルガンを握る指先に力を込める。


「答える義務はない。彼らは我々が守るべき市民たちで、この国の憲法はお前になど適応されん。勢力関係を勘違いするな、不法入国者」


 少女の丸く大きな紫色の瞳が、天頂の欠け落ちた月のごとく弧を描く。内包される瞳孔の円が宿主に抗うかのごとく蠢き、人間のそれとは異なる多重円環の奇妙な紋をなぞり始め、詩乃の視線を真っ向から捉える。

 そして低いトーンの声で、


「――――イッサを返して。彼は


 それは、自分よりも若い顔つきに反しておぞましい響きを帯び、詩乃の耳へと届いた。

 胸の内に抑制していた枷が外れた瞬間、せめぎ合っていた躊躇いはごくシンプルな生存本能で上書きされ、詩乃はトリガーを引いていた。

 高圧縮ガス充填、電磁コイル放電、加速。銃床の反動をグリップで固定。薬室より排出。三連銃口から2ミリ帯電磁気マグ・短針弾フレシェットの、セミオート秒間十二連射。

 金属音が高鳴る。中央から真っ二つに断ち切られたニュートン〇二の電極メス先端が、リビングの天井に突き刺さっていた。シーリングライトの傘が破れ、飛び散った金属片を受け微細に弾けたLED蛍光管のガラスが、頭上からきらびやかに降り注ぐ。

 少女がバレエダンサーのごとく、左軸足・右回り旋回ピルエット・アン・ドゥオールの動作で鮮やかに舞った。途端、スパークを帯びスローモーションで少女に迫るマグ・フレシェットが静止し、釘折れの破片となって床に散らばる。ニュートン〇四のゴム弾砲身は、射出直前にうしろ蹴りで蹴っ飛ばされた反動で軌道がずれ、壁面に数発打ち込まれた後、跳弾が詩乃の脇腹を強打した。


「――――嵯渡ッ!!」


 寸分遅れて後衛たちがニードルガンのトリガーに指を乗せる。間に合うはずもない。少女のスカート下から生える黒い尻尾とリボンとが解けて、した。少女と対峙する羽目になった彼らにとって、それは予測し得ない動きだった。

 尾から十に枝分かれ十メートル超に展開された触手状の器官が、後衛の男二人を絡め取り、反撃のいとまも与えぬままに、床へとねじ伏せてしまった。

 ダンスから帰還し優雅に一礼すると、詩乃らが言う〈来訪者達〉の少女――アーチルデットは囁くようにして、


「我々との間には、対話以外に未来はない、と言っておく」


 詩乃は脂汗と苦悶の表情を浮かべ、うずくまったフローリングの上でラグマットを握りしめることしかできなかった。


「自分の口を知性と同等に機能させることすらできないのなら、代わりにこの国の王を呼んできなさい――早く」


 憤りと侮蔑が静かにこめられた声色だった。言い終えるやいなや、締め上げられた男たち二人も床に放り出される。持ち主の手から離れたニードルガンは脈絡のない角度から切断され、それをそのように捌いた尾が捻れ、束ねられ、編み直されるようにして再び元ある少女のスカートへと戻ってゆく。


「…………う……ぐッ……やはり……まやかしの見てくれをした……バケモノ……か……」


 呼吸すらままならなくなった詩乃が、声を振り絞り、戦意喪失の色をかなぐり捨てるかのように、不敵にそう吐き捨てた。ゴム弾を受けた脇腹を押さえ、上体を引き起こす。


「あらら。あなた女の子だったから、せっかくの綺麗な顔が傷物にならないよう配慮して差し上げたのに、まだやり合う気かしら? あまり建設的ではないわね」


「……僕を女呼ばわりするな」


 詩乃はその言葉に歯噛みして、倒れ伏した彼女の相棒たちを背に立ち塞がる、怪物じみた一面を覗かせた少女の顔を負けじの形相で睨み返している。もはや任務などではなく、自身の意地だけが詩乃の四肢を駆動させる原動力となっていた。


「おまけに利口でもない。……聞こえてなかった? 気が短い、というキャラもあたしはこの場で演じられてよ?」


 うずくまったままの詩乃に、アーチルデットはゆっくりとした足取りで近寄ってゆく。

 だが、緊迫を断ち切るようにして開けられたドアの音で、演者達の寸劇は中断を余儀なくされてしまった。


「あらあら、イッサ……」


 玄関側から現れた来客が、リビングの出入り口を塞ぐようにしてアーチルデットと対峙した。見知らぬ灰色スーツの男五人と、そして今朝振りに顔を合わせる戸原一佐だ。

 五人組の一人、一番奥にいた尊大そうな白髪男が詩乃らを一瞥すると、


「やあ、初めまして、宇宙から来られた方よ。私は松永という。そこの彼女らの仲間、同僚だ」


 ニードルガンとは異なる、実弾入りの拳銃を一佐に突きつけ、悪びれることなく名乗った。

 前衛の三名は彼と同じ銃をアーチルデットに向けている。そして一佐の表情。彼の眼球はわずかに震え、躊躇いと怯えの入り交じった表情をしていた。強く突きつけられる鈍色の鉄塊。動くな、指示に従えという警告。今朝に交わした信頼関係を無下にされたわけではなさそうな彼の素振りに、アーチルデットは内心胸を撫で下ろした。


「……あのさあ。異星からやって来た『宇宙人』相手に、同族を人質に取って対等の交渉を持ちかけるとか、アホじゃないのかキミら。その子の命をあたしらが尊重するとでも?」


 表面上だけでも取り繕うのを止めると、白髪男に向け皮肉交じりでうそぶく。

 アーチルデットは遅れて気づいた。スーツの男たちの背後に埋もれるようにしてもう一人、一佐と同年代くらいの顔つきをした女が、同様に別の男から人質扱いを受けているのだ。その顔を見てすぐに思い出した。今朝のファミレスで、遠巻きに自分たちを監視するような真似をしていた彼女だ。諜報員にしては心許ない挙動だとあの時は気にも留めなかったが、好奇心が災いして事態に巻き込まれた、哀れな一般人だったのだろうか。


「いや、どうかな? あなたはきっと我々の生命を尊重してくれると確信しているよ。それに我々はあなたを傷つけるつもりなどない。勿論、この少年たちもだ、安心して欲しい」


 松永と名乗った初老の男は、羽交い締めにしていた一佐を部下に預けると、身動きすることもままならなくなった詩乃らを何ら振り返らず、アーチルデットの正面まで歩み出た。


「ただ交渉というものにはね、互いに対等の気持ちになれるきっかけが必要となるものなのだよ。それが我々文明のセオリーだ。あなたのような異文明の方にも、この気持ちを理解していただけると、更に話しやすくなるだろうと考えてね?」


 アーチルデットは眉間に皺一つ寄せず、ただ静かに彼らの顔を睨みつけた。

 松永は、なおも調子づいた口調で続ける。


「ああ、そうそう。残念ながらこの国には王はいないんだ。でも、統治機構の長というニュアンスで問題なければ、外務省経由で我が国の首脳との会談の場を設けられるよう打診しても構わない。が、それは後回しかな。……今のところ我々の関心は別にある」


「回りくどい。要求は何だ」


 凄むアーチルデットを尻目に、松永は彼女が先ほどやらかした大立ち回りを再開する素振りを見せないのに満悦した表情で、


「我々が最も興味があるのはね、実はあなたが乗ってきた宇宙船なのだよ。隠し場所に是非案内してもらえないか?」


 喜色満面といった作り笑顔をして、宇宙から来た少女の返事を待った。

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