(Ⅱ)

来訪者達は、続々と。

「――――で、もう一度ゆっくり質問するから、簡潔に答えてほしいんですけど。食べるのに一生懸命なのはわかります。おいしいですか。珍しいですよね、それ。でもほら、フォークでおにぎりをひとつ丸ごと口に突っ込んでも耳まではふさがんないから、よかったら聞いてもらえますか。お互いの今後のためにも」


 おおよそ女子と解釈して問題ないであろう相手に対してなんてぞんざいな言い草だとちょっとだけ自己嫌悪しつつ、「今後なんてのがあるのかわかんないし、できればこっちもごめんこうむりたいのだけど」と皮肉っぽく付け足してやった。

 客足もまばらな早朝六時のファミレス店内には、どこか不釣り合いな二人組。その片割れであるやや着ぶくれ気味な少女は、ふざけたことに宇宙からの来訪者だとのたまった。その事実確認を終えた地球人類で最初の一人が、この十八歳の少年・戸原一佐だった。


「それにしても困っちゃったよ。携帯端末は結局盗まれたまんまだし、喘息の薬もどっかでなくしてくるし、代わりに拳銃なんてヤバいものだけわざわざ持って帰ってくるし。端末は遠隔停止かけるとして。薬も薬局で処方し直してもらわないと。拳銃は……どうやって捨てるんだ? ああっ、もう、考えることがたくさん増えすぎて忘れちゃいそうだっ!」


「……忘れるって、ちゃっかりぜーんぶ覚えてんじゃん」


 リングメモにペン先を滑らせながらぼやく一佐の言葉を自分への厭味と受け取ったのか、少女は目を合わせようともせず、ぼそりと拗ねたような呟きだけ返した。

 四人がけのテーブルを挟んで対面する一佐と少女。一佐は周囲の様子に目を光らせながら、ネット通販で注文した地球人の衣服を着こなして平然と食事を進めるこの宇宙人娘に、さてどうやってこちらの質問に答えさせようかと対応を考えあぐねている最中だ。


「話を聞いてくれる気になったの? 答えたくなきゃいいんだ。わかった。じゃあ、これだけは聞いてくれないかな。食べるのは問題ないよ、地球の食べ物が珍しいならいっぱい食べればいいと思う。でも、お金! お支払いはどうすんのかな、って」


 それほどまでに彼女は食べたのである。意外なことに、食事のマナーそのものはいたって優雅なものだった。けれども、入店してからというものかれこれ三十分近く、おいしいともまずいともコメントせず淡々と、取っ替え引っ替えメニューの品々を平らげ続け、こちらからの問いかけには全て黙秘を貫き通していた。

 目を覚ました直後に空腹を訴えたこの腹ぺこ宇宙人は、部屋の真新しい冷蔵庫が空っぽな現実にようやく直面し「大量の燃料補給チャージが必要」である旨を主張。聞いたこともない星間憲章とやらを盾に人道的処遇を真っ向から訴え、あの部屋の正当なる住人である戸原一佐(無職)に真顔で食事を要求した。

 顔面蒼白になった。もっと早くに歯止めをかけておくべきだったのに、この宇宙人娘に対する好奇心のあまり周りが見えなくなっていたという迂闊さ。ひょっとしたら彼女には、通貨の概念すらないのかもしれない。

 と、宇宙人娘は特製レアチーズケーキだの杏仁豆腐だの戻したてゲロのフルーツジュレ寄せだのを片っ端から口に突っ込みながら「ん」などと鼻息一つで頷いて、気障にも指先で挟んだカードをこちらに寄越してきやがられあそばれた。


「ええと、何ですか、これ」


 何の変哲もないクレジットカードだった。ICチップ接点の真新しい真鍮色が表面にきらめき、エンボス加工された“ISSA TOBARU”の名義が浮かび上がっている。

 一佐はたまらず飲みかけアイスコーヒーを鼻から漏洩させ、


「何これ偽造したのっ!?」


 と小声で吠えた。当然、身に覚えなどない。そもそもクレカなんて作った記憶もない。

 澄まし顔の宇宙人娘、アーチル何某は、鮮やかな手つきで口元を紙ナプキンで拭うと、


「お詫びのしるしよ。我々と現地協力者との些細な行き違いで、本来は無関係のはずだったキミにまで無用な災難が及んでしまった」


「迷惑料ってこと? ぼくを金の力で黙らせようとしてる?」


「イエス、ご明答」


 だが、さも満足げな声色で返す彼女に対し、一佐の方はその理不尽さに頭を抱えたくなって、思わず握り拳のまま立ち上がってしまう。


「……あのね、いいかな。確かにこれはこの星じゃお金の代わりに使えるけど、このカード自体はお金じゃないの! ぼくがカードの名義人なら、使って減るのは結局ぼく自身がバイトで必死に稼いだなけなしの貯金なのっ! そもそもこれ使ったとして、一体どこの口座から引き落とされるって言うんだよ」


 宇宙人はようやく食事の手を止め、一佐に涼しい視線を寄越した。その瞳で見つめられると、年下の女の子に不慣れな一佐は、堪らずドギマギしてしまう。


「あら、ご心配には及ばず。引き落とされるのはあたしのプライベートな口座からよ?」


 言いながら宇宙人娘は、もう一枚のクレジットカードをテーブルに滑らせて寄越した。

 信頼と安心のVISAカードである。名義は“CHIRUKO TOBARU”。


「……………………チル子さん。ぼくんち既に乗っ取られてたですか」


 自称・戸原チル子は質問に答えず、グラスに注がれた冷水に軽く喉を鳴らすと、それなりに満足げな笑みを見せてからテーブルに上体を乗り出した。無遠慮に近づく顔。両耳からこぼれ落ちるもみ上げの一房が綺麗だ。でも、正体不明な恐怖心と親近感と情動のせめぎ合いに、抜け落ちた食欲の帰還は更に遠く。


「大丈夫。地上活動用の現地資産は何ヶ月も前からFX転がしてしこたま稼いであるから、キミの腹は一切痛まない。驚くな、あたしの資産はなーんと五千億万円ダラーだ。しかもちゃあんと当該国の法令規則に則った、正当なお金ですわよん?」


『ちょっと待ちなさい、ししょー。今のは訂正要求! 今回の資金を稼いだのは星間連盟虎の子の人工知能ズの皆さんで、当惑星の資本主義経済に関する知識ゼロのししょーは、その件ではなーんにも功績上げてませんから! 知ったかぶりダメ、ゼッタイ』


 ししょー。つまりアーチルデット略してチル子を師と崇めているらしき弟子一号、今は彼女の帽子に扮している「ミィヤ」と名乗った何ものかが、子供の声質に似た愛嬌のある音声を発し、そんな具体的反論を返してきた。

 今度は地球人と宇宙人、二人同時に「しー」を指先でジェスチャーする。今はちょっとした音楽やってる系の派手め女子然とした風体のアーチルデットの頭に、それらしく収まっている何の変哲もない帽子でも、そんなものが何の脈絡なく人語で喋り出したのを誰かに目撃されでもしたら、それは一大事だからだ。


「だって、あたしたち運命共同体みたいなものじゃない。相変わらずミィヤは冷たいなあ」


 怒り出すかと思いきや、妙にしおらしく口をとがらせる。

 昨夜出会ってから、一佐は幾度となくこの宇宙人に対して恐れを抱いてきた。彼女らは、少なくとも一佐自身や昨日の男たちみたいに脆弱な地球人など歯牙にもかけぬほどのパワーとテクノロジーとインテリジェンスとを持ち合わせている。彼女が必要と判断すれば、その牙は自分にも向けられるのだろう。なのに、その緊張感をアーチルデット自身の荒唐無稽な振る舞いがかっさらって、あるべき警戒心ごと迷走させてしまっていた。端的に言って、一佐にとってこんな面白い他人に接した経験が生まれて初めてなのもある。

 それにしても奇妙な宇宙人たちだった。少女と帽子生物という正体不明の師弟関係と、星間連盟なんていう大それた組織に一体どんな裏事情があるのかはよくわからない。ただ、彼女たちは意外なことに地球のお金を当面困らない程度には持っているらしい。さらには、一体どうやったのか、彼女らは民間ネット網エイリアスのショッピングシステムまでも活用して、例のマンションまで多種多様な商品を着々と集めていた。本来の住人なのに何も知らなかった一佐にしてみれば、ことの真相は驚天動地なものだったのだ。


「あの、もう一度質問いいかな? さっきも同じこと聞いたけど、でも聞いておきたいこと、いっぱいあるんだけど……」


 念のため挙手すると、アーチルデットは急に席から立ち上がって、


「んしょっと」


 対向する席の真ん中を陣取っていた一佐を強引に押し退けると、お尻を三回シートに滑らせて、その左隣に座り込んできた。


「なっ、なななな、なんのつもりっ!?」


 無国籍な色彩のスカート越しに、互いの腰と尻とが密着する。と、アーチルデットはこちらの腰に手まで回してきて、頭をぐっと預けて、鼻息が伝わるほどの距離を自ら選んで。

 髪の毛のにおいがする。今までに嗅いだことのない、どこか甘いような。焦げたカラメルと、金属とフルーツとアルコールと火薬。

 そうして、彼女の意図に数秒遅れで気がついてしまった。


「ひょっとして誰かに監視、されてるの!?」


 アーチルデットは「んー?」と声を喉から鼻へと通し、シートからそっと腰を浮かせると、目深に被った帽子越しに周囲をキョロキョロとして、何でもなかったように座り直す。


「そうね、ブレードランナーに追われてるかもしれないわ」


 さすがにこれは冗談だと暗に微笑む。火星帰りだとでも言いたげに。

 そんな彼女は果たして本当に宇宙人なのだろうか。確かに証拠となる瞬間はいくつか見たけれど、それでも正体不明な親近感の実態を掴みかねて、一佐は彼女についての根源的な疑問を聞いてみたくなった。


「あのさ、チル……子さん。君は自分が宇宙人だって言った。なのにどうして日本語、喋れるの? 地球外生命体なのに、見た目がそこまで人間そっくりな理由は? 人間社会のことをすごい詳しいのはどうやったの?」


 彼女は答えず、もう一度「しー」。さっきとは違う意味合い。黙秘権の表明。

 しつこいと思われそうなのであえて口には出さなかったが、この宇宙人の少女からそれ以外に聞き出したい事柄なんてごまんとある。

 アーチルデットは、人類を監視する目的で地球に来たと言った。でも、何の目的での人類監視で、星間連盟とやらが一体この地球をどうしたいのかだって、まだ何も聞かされていない。彼女が黙秘権や人道を訴えるのなら、同時に地球人だって知る権利くらい獲得していなければ嘘だ。世界中に乱立する国家の中で、米国でもEU/Rユーラシア諸国連合でも中国でもなく、何故この日本に来たかについても、地域住民側からすれば疑問点の筆頭となるだろう。

 でも、それらは今の自分には必要のないことだと、知りたがりな好奇心を全部飲み込んで、そっと胸に仕舞い込んでおく。

 そうして一佐は、自分にとって最も気がかりな問題を彼女に伝えることにした。


「――わかった、君たちのことは尊重する。じゃあさ、まずぼくのマンションを返してほしい。あれは元は死んだじーちゃんのもので、ぼくが約束で譲り受けた大切な場所なんだ」


 彼女の背丈は意外と高い。身を委ねていた一佐の傍から少しだけ離れ、互いの肩が並び、皿の上で不味そうにしなびていたペパロニ&アンチョビピザの成れの果てを前に、嬉しそうな顔をしたまま、ナイフと車輪型ピザカッターを駆使してのオペを開始する。


「さっき地上での活動がどうとか言ってたから、君たちには秘密基地が既にあるんでしょ? そこに帰ってもらえないかな。君たちのこと、絶対誰にも言わないから……」


 しかし、彼女らには彼女らなりの正当性があるのだと、論理的な反論の応酬を喰らわされる羽目になってしまった。


「そう。ごめんなさい、それはできない相談。任務遂行のための現地での活動拠点として、我々星間連盟は正当なルートであのマンションの所有権を取得しています」


「え、そんな……だって、じーちゃんの葬式が済んだあと、父さんが色々と手続きを……」


「代理人経由でだけれど、キミのお父様の戸原慶二郎氏との売買契約は締結済みです。お役人サイドとの書類上の処理も済ませてあるし、対価もきちんと支払ったわ」


 どこか目下の人間を優しく諭すような視線を横目で一佐に送ると、


「キミにとってはある意味残念な結末になるけれど、この惑星の命運にかかわる特別な事情があるの。だからお願いします、あのマンションはあたしたちに譲ってもらえませんか」


 状況が飲み込めず、説明された正当性の判断がつかない。自分の父親がこの宇宙人とどうやって交渉したのかも謎だ。ただ彼女の粛々とした物腰が、事実だと主張している。


「本来ならこんな記憶も忘れさせてあげて穏便にことを進めたかったけれど、どうしてうまくいかなかったのかしらね……ああ、困ったなあ。この言い方だと上から目線過ぎてわかってもらえないかなあ」


 首筋に貼った絆創膏越しに、指であの傷口をなぞる。外科手術的に一佐の身体に穿たれた穴。じくじくと痛む接続端子。残留する微細機械たちが自律的に役目を果たすから、数日もあれば跡形もなく塞がって元通りになると彼女は言っていたけれど。


「じゃあ、このカードもぼくへの適切な対価ってこと? ぼくの洗脳がうまくいかなかったから、昨日見たことを全部忘れたふりをして、マンションも諦めて実家に戻って、カードの金で死ぬまで遊んで暮せ。君はそう言いたいの?」


 が、意外なことに彼女はかぶりを振った。


「我々には地球上で円滑に活動するための現地協力者がいます」


 言いながら、再び彼女は詰め寄ってくる。ただ、これは内緒話を意味する距離感なのだと、一佐はぼんやりとながら理解した。

「でね、いるにはいるのだけれど、実は直接会って話をしたことがないし、彼らもあたしの正体を知らないの。直接接触した地球人はキミが、初めて、っていうのは本当」


 初めて、をやけに強調してくる。それを言い終えて、「さて」と前置きすると、


「キミはソーサル運動を知っているかしら。EU/R発の社会現象として始まった」


 唐突に、宇宙人の口から出るには予想もしなかった話題が持ち出された。


            


 それは二〇年代初頭に巻き起こった、世界規模の事件が発端だった。当時、第三諸国での電子戦争とテロリズムが苛烈化と暴走の一途を辿っており、国連協定によりインターネットが世界中の民衆の手から剥奪されるという文明逆行的な結末を生んだ。ネットは物理的にそして概念的にも世界から分断され、旧来的なインターネットは国家などに代表される選択的母集団だけに自由なものに、そして代わりに民衆たちには民間ネット網、〈エイリアス〉と名づけられた独立型ネットワークが与えられる結果となった。

 〈ソーサル〉とは、エイリアスを通して繋がりを持つ民衆たちの自然発生的なコミュニティからスタートした、好意的な解釈で述べれば義賊、結盟集団のことを指した造語だ。


            


「ソーサルはこの国にも輸入されてたはず。エイリアス上で枝葉に繋がり徒党を組む、アンダーグラウンドなゴロツキ集団。旧来的な家族システムの代替コミュニティとして機能し始めたソーシャル・マフィア。要するに反社会的な不良の集まりね」


「ああ、うん。って言われてる。移民居住区ネイバーのヤクザとの繋がりもあるらしいから、ぼくや周りの連中は関わらないようにしてるけれど、通ってた高校のクラスメートにもサルの連中とつるんでるのが何人かいた覚えがある」


 彼女の話し出した話題の文脈が読めず困惑したものの、直後に「あ、そうか、昨日のあいつら二人組ってソーサルの連中だったんだ」と腑に落ちた。


「そ。我々はエイリアス経由で彼らソーサルを雇い、地上での手足として利用しました。連絡が取りやすく、対価さえ払えばこちらを探ろうとしなくて都合がよかったら。でも昨日のアクシデントでさすがにお払い箱。まさかこちらが依頼した仕事の目撃者を誘拐するなんて思ってもみなかったし、どの道あんなオチがついて逃げられちゃったんですもの。あの連中には目をつけられてしまっただろうから、今後は協力してもらえそうにないかな」


「うん、君らの事情はわかったけど、でもその話とぼくに何の関係が……? 君だってぼくが邪魔になって記憶を消そうとまでしたのにさ、まだ何か用があるの?」


 その台詞は最後まで言い終えることができず、唇にピザカッターを当てられる。


「キミを任務に巻き込みたくないから我々の目的は知らない方がいい。でも、ひとつだけ教えると、捜し物をしているの。あたしはまずそれを見つけ出さなくちゃいけない」


「それって、何?」


「ふふふ……本当はナイショだけど、そうね――――言わば人類滅亡の鍵、かな」


 などと、あまりに物騒で且つ規模の壮大すぎる返事を寄越しつつ、


「でね、活動拠点確保の次は、効率的で目立たない移動手段が必要になるわ。鉄道などの公共交通網は、我々の装備ではちょっと都合が悪い」


 秘密作戦を声に出して押しつけてくる。「そうね、自動車がいいわね」と、問答無用に。


「一台でいいの、自由に使える車を探してきてもらえるかしら?」


「へ?」


 すっとんきょうな反応の一佐を尻目に彼女は立ち上がり、会計伝票を前に店の決済処理はどうやるのか悩んでいる素振りを見せつつ。


「あたしの名前なら好きに呼んで構わない。チーでもチル子でもチルデでも何なりとどうぞ。その代わりに、キミにはしばらくの間、我々の新しい現地協力者になってもらいます」


 そうして宇宙からやってきた謎だらけの宇宙人・チル子は、


「よろしくね、イッサ?」


 おべんとうの付いたほっぺたのままはにかんで、強引に一佐の手を取るのだった。

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