Report.8

海崎 颯人



屋台の一番端で俺は1人酒を嗜んでいた。日は傾き、西日が俺の顔を照らす。俺は目を細めながら泡の無くなったビールを一気に飲みきった。喉に弱い刺激を感じながら立ちがり勘定を済ませる。

「毎度ありぃ〜」

やや疲れの入った声を背中に受けながら、俺はいつものように次の店を探し始めた。

ふと内ポケットに手を突っ込む。硬い獲物の感触を感じつつ、黒く小さな直方体の物体を取り出した。




「お前はいつもこれを持ってろ」

何年か前の話だ。俺の尊敬している、いや、畏怖している人間はそう言って黒く小さな直方体の物体を差し出した。それを受け取るとその人間––昌平は説明を再開した。

「それはお前の仕事には欠かせないものになる。常に忘れずに持ち歩け」

俺にはその意味が理解出来なかった。

「……どういうことっすか?」

昌平はやや面倒くさげに説明をする。

「前に俺が開発したヘッドホンは覚えてるか?」

俺は静かに頷いた。

「あれは特殊な波形を常に発信する事で装着している人間から視線を外させるように誘導させるんだ」

「だが仕事上そいつらの姿が見えないと困るだろ?」

「今渡したやつもヘッドホンとは別の波形を常に出してるんだ。人には何の意味もないが波形同士がぶつかると相殺されてヘッドホンをつけてるやつも見えるようになるんだ」

「ちなみに安い感知器程度だったらあのヘッドホンは誤魔化せるんだ」

ある程度は理解出来たが原理がまるでわからない。それを開発した昌平はやはり尊敬すべきなのだろう。昌平は不気味なにやけ顔を浮かべた。

「じゃ、仕事のときは事前に電話するからな」




昌平に言われた事もあり、何かあるごとに黒い物体を所持していることを確認していた。俺はしばらくそれを見つめた後、内ポケットにそれをしまった。

気付くと空は黒く染まりかけていた。街の光が一層きらびやかに際立つ。俺は道の傍に逸れ、タバコを嗜む。

賑やかな通りの中、電話を知らせる通知音が鳴り響いた。








「颯人か」

耳に押しあてた携帯から聞こえてきたのは聞き慣れている声だった。その聞き慣れているはずの声が、嫌に耳に馴染まない。

「依頼だ。視線誘導の技術を盗られた。そこらのヤグザの仕業らしい。毎度の様にやや受動的に動く事になる。詳しいことは明日伝える。しばらくはプラプラせずに家に居ろ」

返答もしていないのに昌平は話を続けた。そして間を空けて再び口を開いた。

「今回は遠慮せずに楽しんでこい」

会話を終え、通話を切断する。まだかなり残っているタバコを地面に放り、踏み消しつつ、俺は携帯を胸ポケットにしまった。




俺は華やかに彩る街に背を向けた。





***


泉 仁志



翌日、僕らは何事もなかったように劇場へ向かった。昨日の男の姿は今日はなく、遼太郎も吹っ切れたように演技に集中していた。その様子を見ていると、昨日の僕の心配が馬鹿馬鹿しく思えてきた。






僕は周りに誰もいないことを確認してから劇場の外へ出た。理由は特にない。強いて言えば外の空気が吸いたかったのだ。

僕が使った扉が裏口のせいか、人通りは少なかった。大通りの方に目を向けると昼頃だというのに人の通りは絶えなかった。僕という人間がたった一人、東京という忙しい町から切り離された気分だった。とはいえ悪い気がするわけではない。今の僕はこれで十分なのだと思う。漫画が立て続けに落とされたこともあるが、僕は忙しい町に振り回されていたのかもしれない。僕は僕という時間を大切にしようと誓った。僕は扉の隣に軽く凭れかかった。空を仰ぐと澄み切った青空に雲が点々と散らばっていた。昨日の雨が嘘のようだった。雲はゆっくりと、だが確実に動いていた。心地よい風が頬を燻る。僕は胸一杯に息を吸った。

「……よし」

仄かに湿った裏口の取っ手を静かに捻った。





心臓が跳ねるとはよく言ったものだ。今まさに僕の心臓が跳ねた。視界の端に少しだけ、確実に見えたのだ。遼太郎の彼女さん、千穂さんが。気付いてからワンテンポ遅れてそれを頭で理解した。更にワンテンポ遅れて頭がそちらの方へ向いた。動揺すると、思った以上に体も頭も動かないものだ。やはり遅すぎたのか、もしくは見間違いだったのか、僕の視界には忙しい人々が行き交う姿しか映っていなかった。遠くから雷鳴が聞こえた。





何故千穂さんがここに?そればかり考えていた。今の所、確実に「見た」という証拠が無い為、見間違いと考えた方が良いだろう。当然遼太郎にも教える事はしなかった。だが僕の脳は、いや、僕の感覚は確実に「千穂さんだ」と感じたのだ。あれは絶対に千穂さんだ。なんならあの時追えばよかったと後悔した。

何故千穂さんがここに。また考える。勤め先の病院がこの付近なのだろうか。この辺りの病院一つ一つ、シラミ潰しに当たってやろうか。そんな無謀なことを考えていた。





ん?勤め先?そう言えば遼太郎に千穂さんの勤め先を知っているか聞いていない。まだ希望はありそうだ。但し、期待はしていない。












人は意外なところで繋っている。予想外の場所で繋がっている事もある。それが良い繋がりか悪い繋がりかはわからない。その繋がりが奇跡を起こすこともあれば惨事を起こすこともあり得る。

だが、大抵は何かが起きることもなく、自然と繋がりは消えていく。その為、殆どの人は「人と人との」繋がりを疎かにしている。最近になって繋がりを疎かにする人が増えた気すらする。自殺をしようとする人が増えているのも、繋がりを疎かにする人が増えたからではないか。僕は時々そう思う。




だからこそ、人と人との繋がりを大切にして欲しい。友人や家族や恋人、何でもいい。

人と人との繋がりを知って欲しい。繋がりは素晴らしいと知って欲しい。






この物語を見届けて欲しい。






これは僕の物語ではない。

人と人との物語だ。

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