第十二歩 始まりの手紙





 金持ちには誘拐がつきもので、王位継承者には暗殺がつきものだろ。




 自分の言葉には責任を持ちなさい。

 亡くなった父は、小さな嘘をついたキールをいつに無く厳しく叱ったうえでそう言った。父の教えはいつだって正しい。




 キールの家で揉め事があったのと同じころ、ディンバーの家でも少々騒がしい事態になっていた。

「とうとう来たか」

 ディンバーの母は手の中の紙を見つめた。

「アーウィン。ディンバーはやっぱりビッグハンドのところに送るしかないわ。ここにいたら危険すぎるもの。その間に害虫駆除をしてしまわないと。……あの子を探してきてちょうだい」

「かしこまりました。……短い旅になってしまいましたね」

 アーウィンは礼儀正しく背を折り、白い手袋をした手を腹のあたりに置いた。

「仕方ないわよ。それでも、自分の目で何かを見ることを避けては通れないわ。特に、あの子は」

「……行って参ります。護衛官はいつも通り白と黒をお借りします」

「よろしく。私はあの子の荷物をまとめておくわ」



 家の前ではキールよりもいくつか年上で、河口で水揚げ作業の仕事をしているワッツが、上腕二等筋の発達した様をディンバーに自慢していた。ディンバーも張り合うように力こぶを作っているが、どうしたって勝てるものではない。

 にも関わらず、本気で悔しそうにしているのがおかしかった。

 家の中にあった椅子を道に出し、近所の人と和気あいあいと話している姿は、公爵子息とは思えない溶け込みっぷりだ。

 とりあえず、明日には腹を壊しているだろうな、とキールは苦笑した。

 さっきからディンバーはためらうこともなく、このあたりの住人が持ち寄ったものを飲み食いしているからだ。

 それでも、なんだか嬉しかったのだけは確かだ。

 貴族なんて、この地区の人間など人間とも思っていない。それが今までの常識で、この地域で一番の有力者の家の息子で、しかも王位継承権なんてものを持っているにも関わらず、気さくなディンバーは、きっととても特異な人物なのだろう。

 今だけでも、たとえ気まぐれであったとしても、彼がこの場所で笑ってくれることに感謝したかった。

 自分も「人」であると、そう思えるから。

「キール! ちょっとこっちに来てよ。俺だって、キールよりはがっしりしてると思うんだよね。キール。ってか、キールの二の腕来て!」

「俺の本体は二の腕じゃねぇよ」

 そう言って追加の酒瓶を両手に持ったまま、キールはにやりと笑って二の腕を出してやった。細いが筋肉は付いている。

「うわ。これは……いや、太さは俺の方が」

「いやいや、ディッツ。男は筋肉よ。他の肉はついててもノーカンです。点数にはならん」

「え? いや、これも筋肉よ。柔らかいけど、筋肉よ?」

「肉体労働者なめんなよ。あんたみたいに昆虫採集だけしてるわけじゃないんだぜ」

「そうだそうだ。俺だって船の男だからな」

 得意げに笑うワッツとキールにディンバーは口をとがらせる。

「俺だって、木に登ったり、泳いだりは得意なんだけどな」

「貴族の嗜みとやらとは違うんだよ」

 意地悪くそう言ってやると、じっとりとディンバーがキールを睨みつける。

「何だよそれ。少なくともアーウィンよりは木登りも泳ぎもうまいんだぞ」

「誰だよアーウィンって」

「……うちの、執事ってか……兄みたいというか鬼みたいというか」

「そんな……一文字で全く違う評価をぶち込んでくるな」

 ワッツはげらげらと笑って、隣にいたザハに酒を注いだ。ザハは医者らしからぬ赤ら顔で嬉しそうにコップを差し出している。 

 この界隈に医者はザハしかいないので、何かあれば彼を頼ることになるのだが、万年酔っ払いの中年男を頼るときは、とても複雑な気持ちになるものだ。手が震えていないだけましというものだろう。

「ってか、執事って……ほんとに坊ちゃんなんだな、ディッツは」

「はいはい。坊ちゃんですよ。お坊ちゃんですよーだ。メイドもいますしね。潔癖症の執事もいますしね。そりゃ門番とかも居ますよ。います。います」

 ディッツはへそを曲げて口をとがらす。

「まぁ、生活に困らんってことはいいことだよ。あんたみたいな貴族もいるってわかりゃ、俺たちもうれしいしな」

「そうそう。金とか家柄とかちらつかせる連中はいるけどな。キールを友達って言ってくれる貴族はあんたくらいだ」

 近所の連中が口にした言葉にキールは目を見開いた。

「あんた、どんな会話してんだよ」

「どんなって……普通だよ。なんでキールと一緒に行動してたのかとか、家族構成とか聞かれたから……」

「だーかーらー、簡単に個人情報明かすなよ! あぶねぇだろ!」

 ディンバーは小さく唸ってから首をかしげた。

「……多分、その辺に護衛官がいるよ」

「は?」

「あー。ロクかアケあたりかな。おーい」

 きょろきょろとあたりを見回しながら、適当にディンバーは声を張る。

 同じように周りにいた数人も当たりを見回した。メイとジルも楽しそうに「おーい」と言ってる。

「あのですね。隠れてるんですから呼びつけないで下さいよ」

 まったく、という声がキールの家の屋根の上から聞こえる。

 茶色の髪をした若い男が降りてきた。

「ご想像のとおり今日は俺ですよ。アケは夜番だったので、夕方から合流します」

 軽く頭を書いた男に「飲んでく?」とコップを差し出すディンバーに、ロクは首を振った。

「仕事中だと言ったはずですけど?」

「まぁ、ちょっと飲めば動きもスムーズに」

「なるか。油さされたゼンマイか俺は」

 キールは呆れてものがいえない。

 護衛官がついていたのか。だったらこれまでのキールの苦労は単なるおせっかいだったのだろう。

「さっさと言えよ、そう言うことは」

「……あ、ごめん」

 面白くなくて席を立ってしまった。家の中に入りため息をつく。

 あたりまえじゃないか。プロの護衛が付いていることなんて。少し考えればわかること。それを、言ってくれなかったことに腹を立てるなんて、それこそ普通の友人と同じような感覚を持ってしまっている証拠だ。

 違う、あいつは身分の違う奴で。決して同じ世界にいるわけじゃなくて。

「……言葉が足りなくてすみません。ああいう人なんですよ」

 そんなキールに話しかけてきたのはロクと呼ばれた男だった。母は買い物に行っているので、薄暗い家の中にはキールとロクだけになった。

「街では、本当に助かったんです。人の多いところでは私たちは動きにくくて。しかもあの人、予想外の行動をとるし、意外とすばしっこいし。何より……私たちより気配というか、存在感というか……そう言うのを消してしまうので」

 実は何度も見失いかけました。

 ロクは面目なさそうに頭を掻いた。

「某アリューシャ嬢にひんむかれた時なんか、もう、なんで外に出たのか全く分からなくて。しかもこっそりっていうあたりに悪意が。絶対俺達を撒こうとしていたとしか思えなくて……身元引受人とか、表に立つようなことはできませんし。ホント、ありがとうございます」

 ロクは頭を下げた。

「いや。その……まぁ。俺は」

「うちの坊ちゃん。めんどくさいでしょ。でも、悪い人じゃないんで、仲良くしてやってくださいね」

「仲良くって……俺らは良くても、そっちがダメでしょ」

 そう言うと、ロクもまたディンバーがたまにするような、あの目をした。でもディンバーよりもわかりやすい。

 怒っているのでも、不機嫌なのでもなく、何かを悲しんでいるようだった。

「ダメだなんて誰が言ったんです? 坊ちゃんは、ディンバー様は人の良し悪しを見抜けないほど間抜けではありませんよ。それに、普通に考えたら坊ちゃんが振られる可能性の方が高いと思うんですけど。世間知らずで、無鉄砲で、空気を読まない……」

 言いながら、ロクが肩を落とす。

「あんたも変わってるな。自分の主人じゃねぇの?」

「……一緒に育ったので、なんというか、弟のような……ちなみにあの人付きの使用人は皆、一緒に育ってるんですよ。アーウィンってのは……一番良く泣かされてた奴でして。今となっては鬱憤を晴らすかのように仕事の鬼ですけどね」

 なんとなくディンバーがああいう性格なのが分かった気がする。ディンバーの家が変わっているのだ。少なくともキールが見てきたどの貴族とも違う。

 その時二つの小さな影に連れられて、当のディンバーが家に入ってきた。

「あのね。ディッツが兄ちゃんに隠し事をしたから謝りたいんだって。でも、兄ちゃんは怒ると一晩は口きいてくんないっていったらね」

 ジルが顔を真っ赤にしながら言ったセリフに「そんなこと言わんでいい」とげんこつをくれてやるも、ジルは興奮した様子で口を開く。

「でもね、言ったらね。じゃぁ、一晩謝ったら許してくれるのって言うからね、うんって言ったらね、ディッツ、家に泊まるって。一晩謝るんだって」

「は!?」

「あのね、兄ちゃん、ディッツ一晩」

「わかってるよ、そこは」

 キールはジルの顔を片手でつかみ、行動を制した。

「あふぉね、にいひゃん」

 今度はほっぺたを掴んでやると、涙目になってジルは両手をバタバタと動かした。

「泊めて?」

 ディンバーがにこやかに、しかも両手を組んだ形でそう言った。

「馬鹿じゃねぇの? 帰れよ。宿あるだろうが」

「……いいじゃん。泊めてよ。俺、友達の家にお泊まりとかしたことない。お泊まりしたい」

「おふぇも、でぃっふ、おとまふぃ」

「……嫌だ」

 ジルにでこピンをお見舞いしてから解放すると、ケチ、ガンコ、イトメとぶつぶつとジルが文句を言ってくる。「糸目」と言われたところで軽く尻を蹴ってやった。

「もう……じゃぁ、いいよ。ジル、泊めてくれる?」

「いいよー!」

 ジルは即答すると、ディンバーにしがみつく。

 言葉に詰まっている間に、「じゃぁ荷物を取りに行こう!」「いこー」といいながらディンバーはサクサクと扉に向かって行った。

「ちょ、ちょっと待て、お前ら!」

 慌てて後を追おうとすると、ぽんと軽く肩を叩かれた。

 ロクが困った様子で目じりを下げる。

「……すみません」

 キールはがっくりと肩を落とした。




 夕陽の中、キールはジルとディンバーの後ろをぶらぶらと歩いていた。ディンバーの手には小さな荷物が握られ、ジルの手には「手土産」と言ってディンバーが買った焼き菓子が入っている。ジルとメイが良く買っている駄菓子だ。

 キールはもろもろあきらめて、夕日に伸びる二つの影を見ていた。

 ジルも随分とディッツに懐いたものだ。

 夕日は水路の水にきらきらと反射し、眩しいほどだ。

「そう言えばさ、橋の下にはなんか、網みたいのがあるんだな」

「網? ああ、あれか」

 確かに橋の下、水が通るところには、金属でできた細い格子がついている。

「……この辺じゃ、洗いものとかもこの辺でやるからな。流されても引っかかるように、何本かに一つ、ああいうのがついてんだよ。増水したりするとゴミってか、草とか木とかで詰まっちまって面倒だけど」

 今は何も引っかかることなく流れる水に、ディンバーは目を細める。

「生活の知恵だね」

 三人はそんな格子のついた橋にさしかかった。キールは水面を見ながらぼんやりと歩を進めていたが、突然襟元を引っ張られ、二三歩後ろに後ずさる。

「な、なに!?」

 襟をひいた奴を見ようと首を持ち上げると、厳しい顔をしたロクだった。

 視線の先をたどると、ディンバーと自分の間に誰かが立っている。ロクはすぐに欄干を踏み台にして白い影に飛びかかった。

 そのすきにディンバーがジルをかばうようにして後ずさった。

「キール、こっちに!」

 切羽詰まった、ディンバーには似つかわしくない声に、反射的に走り出す。ロクが相手の両腕を抑えていたが、白い影が不意に反転すると、ロクの身体は欄干に叩きつけられた。腕は離されなかったらしく、おかしな方向にねじ曲がり、打った頭からは血が流れる。

「ディンバー、行きなさい!」

 ロクがそう言うも白い影はロクの顎のあたりを蹴り飛ばした。腕を固定されたままで顎を蹴られたロクの口からは、白いものが飛び散った。

 歯が砕けたのか。

 一瞬のためらいが明暗を分けた。

 白い影はあっという間にディンバーのもとへやってくると、鞭のように腕を伸ばす。身体を引いてそれを避けると、ディンバーはジルを後ろへ突き飛ばした。

「キール。逃げろ! これの目的は俺だから」

「ふふ。そうですよ。目的はあなた。私の仕事はディンバー公子を物理的に消すことです。ので。こっちを人質とかにとったら楽ちんかな」

 キールはジルの手を掴もうと腕をのばしたが、その手は白い影に踏みつぶされた。ゴリゴリと嫌な音がして、手の甲から指の骨が容赦なく踏み砕かれる。何か、靴に仕掛けがなされているようだった。

 視界の隅ではロクがぐったりと倒れているのが、ディンバーが駆け寄ってくるのが見える。しかし、その手を踏まれたまま、キールはロクと同じように顎のあたりに迫る靴をも見ることができた。このままでは顎を砕かれる。

 精一杯身体をのけぞらせると、肩に激痛が走った。脱臼したようだ。振りあげられた足を避けたのが精いっぱいで、返すように振り下ろされた足をよけることはできなかった。たまたまなのか、わざとなのか、相手の足はキールの脱臼した肩を直撃し、さらに嫌な音を立てる。痛みよりは衝撃で胃の中身がせりあがり、息をするに合わせて唾液と吐しゃ物が口から洩れる。

「ぐ……ぅ」

 うめいたのは自分だろうか。滲む視界に、再び振りあげられた足が見えた。

 そして、振り下ろされるのを覚悟したところで、不意に身体の上から重みが消える。なんとか身体を起こすと、ディンバーが体当たりをしたのだろう、少し先に膝をついた白い人影が見えるた。しかし、それをしっかりと確認するより早くキールは無理やりに立ちあがらされた。そして。

「ディ……」

 迫ってくる白い影に、反射的に身がまえたとき。

 キールの身体は橋の欄干を超えていた。


 ジルも、落ちてる。


 やけにゆっくりと過ぎていく時間の中で、自分の隣で落下するジルが見えた。




 水に落ちても、すぐには状況は呑み込めなかった。流されると思ったが、すぐに何かに背中が当たる。その何かにしがみついて顔を水面から持ち上げ水をのみこまないようにしながら目を開ける。

 橋よりも上流側に落ちたのだ。あの、網に引っ掛かっているということか。

 キールが当たりを見回すと、ジルも何とか自力で網にしがみついた。

「に、にいひゃん……。兄ちゃん…」

「大丈夫だ。そっちに渡れるか。ちょっとずつでいいから」

 水の中を移動してジルを支えてやりながら、岸にたどり着くまではあまり時間は経っていない。しかし、気が遠くなるほどじりじりとした。

 岸に上がるとキールは橋の下を通って堀から上がる段差を見つけると、ついてきたジルを上にあげる。

「!! -!!」

 橋の上からの声に、視線を上にあげると、ちょうど金色の頭が欄干を背に、首のあたりをぐいぐいと押されるようにしているのが見えた。

「やめろ!」

 叫んでも白い影は止まらない。ディンバーの手が相手の手を何とかどかそうと動いているが、その手は夕日の中にあってもなお赤い。

 何度かもみ合ったが、ディンバーの身体は欄干をこえ、水の中に落ちた。白いシャツの腹のあたりが赤い。ディンバーはキールたちが落ちたのとは違い、下流側に放り出された。

何度か浮いては沈みながら流されていく。 

 キールは全力でそれを追いかけた。

「手を、手を出せ。こっちだ」

 なんとか引っ張り上げようと、浮き上がったところを狙って頭から地面に滑り込んで手を伸ばす。右手の先がディンバーの指先に触れたが掴むことはできなかった。

 そのままディンバーの姿は水の中に埋もれて見えなくなる。

「あ……ああ!!」

 水だけをつかんだキールの手には、ディンバーの指の感触だけが残っていた。

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