第五歩 ラーメンの悲劇
ディンバーたちが朝食を採ったのも、着替えるために立ち寄ったのも、鉄板焼きを食べたのも全て城下町にある、もっとも栄えた商店街でのことだった。
聖エダル・ディンクス公国とやらは、この世界で最もよく使われている中央大陸地図で見ると西側の大陸の約半分を占める国である。中央大陸地図の、まさしく中央には「帝国」、砂漠を経て西側には「将国」があり、いくつかの小さな自治区を挟んだ南側にはディンバーのいる「公国」がある。
公国は国土こそ広大だが、山脈を抱える地形のため移動には小さな馬車を連ねたキャラバンが必要となる。公国の商店のほとんどはキャラバンを母体としたテント張りであった。
公国の中でも西側にあるこの町では、日の出が少々遅くなる。それでも薄暗いうちに開門鐘が鳴ると、商店街の南門と北門が開けられ、荷台があわただしく道を行き来しながら朝の開店準備をし始めるのだ。
そんな色とりどりのテントがひしめく中、堅牢ではあるが飾り気のない石造りの建物から、ディンバーとキールは外の活気を見下ろす羽目になっていた。
空気を読まずに、きゅるるとディンバーの腹の虫が鳴く。
「不思議だよね。昨日の晩にあれだけ、もう、吐くかと思うくらい食べたのに、また腹が減る。なんかに呪われてるんじゃなかろうか」
「いいからちょっと黙っててくれ。これ以上心証悪くしたら、今日一日ここにお泊まりだぞ」
腹をさすりながら、だらしなく椅子に座るディンバーとは対照的に、キールは素早くあたりを観察しながら何とかしてここから出る方法はないかと考えていた。
ことの発端は、大層くだらない。
昨晩、夕飯を食べて宿にディンバーを送り届けた後、キールは一人家へと帰った。家族に簡単に事情を説明して、数日帰らないかもしれないからと一番年上の弟にあれこれと指示を出すためだ。
そんなに時間はかからなかった。曲がり角にある、得体のしれないアルコールを出す店先の親父の姿勢だって変わっていなかったのだから、本当に、本当に短時間目を離しただけだ。それなのに。
「なんで、捕まってくれちゃってんのかな、このあほ王子」
ディンバーのために用意したのは、下が大衆食堂になっている一般的な宿だ。それでもいろいろと考えて階段は二つついているところにしたし、窓ガラスには格子がついているところにした。念のため飲み水等も購入したものを持ちこませたし、宿帳にはキールの名前と適当な住所を記入した。
これだけやっているのに。
危険を排除して、町の暗がりからは遠ざけて、何とか無事に家に帰してやろうと思っているのに。
「よりによって……ラーメン……ラーメンかよ」
そうなのだ。この公子様は、もう食えないとか何とか言ってベッドに倒れこんでいたはずなのに、あろうことかキールが出かけた直後に「屋台のラーメンが食べてみたい」とかいう理由で夜の街をふらふらしていたというのだ。そしてみごとに美女に手をひかれて、あらぬ場所へと連れ去られ、女性が半裸になったところでタイミング良く突っ込んできた警備員に取り押さえられるという……いまどき、どんな田舎者でも引っかからないであろう美人局に引っかかりやがったのだ。
挙句の果てに、支払いにもたついたせいなのか「料金不払い」で警察にしょっ引かれる始末。
はたしてキールはこの町を納める領主の息子の身柄引受人となっているのだ。
もう、ため息以外に何も出ない。
「まぁ、そんなに怒らないで」
「あんたが言うなって!」
キールは肩を落とした。
ちょうどその時、部屋に一人の警官が入ってきた。長身で精悍な顔つきの男だ。年はディンバーよりも少々上だろうか。それでも三十には届いていないように見える。
警官はじろじろとディンバーを観察し、キールの顔を見てから何事かを持っていた書類に書き込んだ。
「ディッツ・シュゼットさんね。キール・シュゼット君も。君ら……ミラー邸でのストーカー行為の被害届が出てるね。お話、きかせてもらえるよね」
警官は太い眉をさらにぐっとひそめて、まるで汚いものでも見るかのように二人を見下ろした。椅子に座ったままその姿を見上げながら、キールは警官の言葉を反芻する。
ストーカー?
ディンバーの無銭飲食っていうか、そんなことを言われると思っていただけに、ストーカーの一言と今の状況が結びつかない。
「は?」
最終的にキールの口から出たのは、情けない一音だけだった。
「だから、ストーカー。ミラーさんのお宅に大量の手紙を送り続けただけでなく、昨日は屋敷の外を徘徊したんだってね。ミラーさんの所から被害届が出てるよ。二人組の男で、一人はぼさっとした金髪でひょろい。もう一人はごわっとした黒髪でちっこい」
「何なの!? その悪意に満ちた外観所見!? 俺そんなにちっこくねぇし!」
気にしていることを突っ込まれ、キールもくだらない部分につっこんだ。
「いや、会ってるでしょ。そっちの兄さん俺と同じくらいの身長だよね。ぼさっとした金髪だし。きみは、まぁ、それよりは小さいでしょ、ごわっとした黒髪だし。照合結果は黒だね。ストーカーだね」
「いや、ちょっと待てよ。なんでストーカーなんだよ。こいつがラーメン食べに夜中にふらふらしたあげく、ねぇちゃんに引っかかってぼられたくせに金払わなかったってことじゃねぇの?」
「……やけに説明的に、どうも」
警官は人のことは言えそうにない、ごわっとした茶髪をペンの尻で掻いた。
「ラーメン食べに出たって言うけど、屋台なんかこの時期出てないことくらい子供でもしってるでしょ。欠月祭(クーラーン)は来月だよ」
キールはぐっと言葉に詰まった。
そうなのだ。通常夕方に閉門鐘が鳴れば商店街は軒並み閉店となる。一部の登録飲食店は営業しているし、薬局や医師などは請われれば店を開けることも許されるが、基本的には「夜は寝ろ」というのがこの町の方針なのだ。もちろん飲み屋に繰り出すものも多いが一度門が閉まると、町を出るには東西の細い道を迷わずに進み、スラムを抜けて行かなくてはならなくなる。
自然、町の外に住む者は閉門の鐘の前には店をたたみ、閉門の鐘に間に合わなかった者は一晩飲み屋で過ごすという形になる。
そのためか登録飲食店になる条件は、「健全な」宿泊施設を伴っていることとなっていた。
一時期、一気に町の人口が減ったこともあり、夜警に割く人員不足ということで屋台営業等は欠月祭(クーラーン)と満月祭(フーラーン)の二月の間だけ許されるようになり、また外部から興業者が来た場合には警備の人員を出すことを理由に祭と同様に夜間の営業を許可するという体制だ。
そして今は平常運転。つまり屋台などどこにもない……もとい、スラムまで出なければ屋台などはやってないというのは、子供でも知っている常識だ。
スラムはスラムなので、あれこれと自由だ。もちろん自己責任で、だが。
「それに、彼が泊ってるのは金木亭でしょ。一階でラーメン食べれるじゃない」
「そ、ソウデスネ。俺もわかんないんすよ。ちょっと目を離したら、部屋にいないし。あわてて外に出たら、暗がりで上のシャツ脱がされて、ズボンを下ろされるかどうかの瀬戸際で。見つけた時、こんな格好だったんですよ、こう」
そう言いながらキールは自分のズボンの腰のあたりをぐっと掴んで上に持ち上げる。
どうやらディンバーはズボンは脱がされまいと抵抗したらしい。
ディンバーは隣の椅子でぼんやりと二人のやりとりを見ている。うつろな目は、ショックだったから……ではなく、ただ眠いだけだろう。
キールがディンバーの頭をはたいた。そのままぐっと頭を押さえつけて自分も頭を下げる。
「ほんと、お騒がせしてすみません。夜中に徘徊しないように。コイツ……じゃなくて、兄にはちゃんと言っておきますから」
なんとかこのまま押し切って、ストーカーについてはうやむやにするしかないとキールは何度も頭を下げる。
公子の頭をはたき倒す、頭を下げさせる、ちょっと前には締めあげたり、あほだとかなんだとか言い倒しているが、ばれたら殺されるかなと思わないでもなかった。多分ディンバーはそういうことはしなさそうだが。
そんなことを考えながらも、自然と口は謝罪の言葉を紡いでいく。こうなったら土下座かなと膝を折りかけたその時、ぐっと襟を掴まれた。
つかんだのがディンバーだとわかると、お前のせいだろと腹が立ち、じろりとディンバーをにらみ返した。
しかし、そこにあったのは、あの瞳だった。時折見せる、むっとした表情。
仕方なく膝を折ることはせずにそろそろと頭をあげる。
「んー。その件については、あっちも無許可営業だろうしね。でも、こっちはさ、被害届でてるからね。ちょっと、なんでストーカー行為に出たのかを根掘り葉掘り聞かせてもらおうかな」
警官はストーカー行為とやらに本腰を入れているらしく、逃れられそうにない。
「とりあえず、ミラーさんもきっちり事情が聞きたいってことだから。これからミラーさんの家に行って聞かせてもらうよ。はい、手錠付けるから手出して」
「手錠!?」
「そうだよ。犯人連れて行くのに暴れられたりしたら困るからね。あれこれ見られるのも困るから目隠しもするよ。人権とか言い出しても無駄だからね。ソフトな手錠でソフトな素材の目隠しするから」
「そ、そこか!? 問題はそこなのか!?」
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