Ep.28 覚悟〜Preparedness〜

 雪が目を開けてみると、輸送車はもう旧市街に到着していた。


「ん、起きたかい? もうすぐ着くってさ」


 隣に座っているウィルが雪に優しく語りかける。

 ちなみに、もうすぐ着くのは『輸送車を停めておくスペース』である。そこからは少し歩かなければならない――特に今回の場合、ゲリラ戦のために隠れる場所を探す必要がある以上、いつもより距離があるはずだ。


「……そうですか。緊張しますね」

「適度な緊張感は大事だよ――まあ、しすぎも問題だけどね」


 不安げな雪に、ウィルがフォローする。

 ――まあ、言っていること自体は限りなく普通な事なのだが、やはり言い方と人柄のせいか、妙に安心するものだ。

 などと言っているうちに、輸送用装甲車が鈍い音を立てながら急停車した――停め方に若干違和感はあったが、周囲の様子を見るにどうやら到着のようだ。


「さて、行こうか。覚悟はいいかな、ユキちゃん」


 ウィルがそう言いながらふと時計に目をやる。

 時刻はもう既に、三時を回っていた。


 * * * * *


「……作戦位置に到着しました」

『了解、これで準備は完了かな』


 無線の向こうから、ウィルの声とともに金属の接触音が聞こえる。


『それじゃ、僕が合図をしたら三人で囲むように突撃。上手くいかなかったらまた身を隠す――って事で』

「分かりました。ノエルさんの方はどうでした? あの人、なんか今朝から変なんですよね」

『よく分からないけど、なんだかんだで言われた事はちゃんとやる子だからね。大丈夫じゃないかな』


 ウィルの少し不安そうな声。信じてはいるのだろうが、今回は例外も例外、つまり、かなり特殊な状況だ。いつもなら安定した戦闘能力を発揮してくれる彼女にもイレギュラーというものはあり得るかもしれない。

 ちなみに、今の雪の位置からではノエルと連絡を取る事はできない。機械に疎い雪には良くはわからなかったが、ウィルが言うにはどうやら隠れる場所の問題らしい。


『あと二十秒後に視認範囲に入るよ――そこで動かずに、合図を待っててね』

「……了解です」


 束の間の静寂――それは確かに時間としてはたったの二十秒であったが、雪にはまるで一分か、あるいは一時間かのようにも思えた。そのためか、壊れかけた建物の影から『それ』の姿が現れた時、雪にはまるで夢から醒めたかのような感覚があった。

 それの姿は、まさに『人型』と呼ぶに相応しい物だった。

 しゃなりとした女性型、とでも言うのだろうか。その細い手足には血の気というものがなく、まるでアルビノ種のように、白かった。ただ、他にも一つ、明らかに人と違う部分があるとするならば――その眼が、瞳孔のない真っ白なものであった、というところであろう。その眼光は虚空を見つめたまま、一切動こうとはしない。まるでそれは、何かを見つめているかのようでもあった。

 『人型』が脚部を引きずりながら、小さく呻き声を上げる。その口から漏れるその声は、やはり人のものではなかった。

 異形――と言うには流石に言い過ぎだが、それでもあれは間違いなく……。


『――今だっ!』


 耳に取り付けた受信機から響くウィルの合図とともに雪が物陰から飛び出し、人型へと突撃する。

 ゲリラ戦――そう言うからにはやはり、速度が重要なのだ。敵の対応しきれない速度で一撃をかまし、逃げ去る必要があるのだから。


「敵の位置を確認して、最短ルートで――」


 不意に、右側から細い触手のような物体が雪に向かって襲いかかってきた。


「――っ!?」


 慌てて急ブレーキをかけ、上に飛び上がる雪。それを避けること自体は出来たのだが、敵の方から再び同様の攻撃が飛んでくる。

 ……今は空中。さすがに、避けられなかった。


 雪が黒い触手状の物体に弾き飛ばされ、壁に打ち付けられる。

 どうにか痛みをこらえて目を開くと、そこにはもう、「人型」であったはずの敵はもう居なかった。


 背中から何本も飛び出ている黒い触腕のような物体。

 腕から無数に突き出している針のようなもの。

 文字通り「刃」へと変幻した手刀。

 そして、真っ黒に染まった眼球――


「ユキちゃん! 右!」


 ウィルの叫び声で、はっと我に帰る雪。慌てて体勢を立て直し、右方向から鞭のように迫る触腕を避けて、再び駈け出す。

 ――もはや、相手に完全に動きは読まれている。再び隠れても意味がないだろう。この場合、ゲリラ戦は諦めた方が無難かもしれない。


「じゃあ、このまま決めきるしか……っ!」


 刀を握る腕に一層力を入れ、ジグザグに走りながら敵へと近づいてみる。

 だが、近くなればなるほどさらに大量の触腕が襲ってくる――まさにジレンマだ。


「横がダメなら……また上から!」


 足に思い切り力を込め、敵の頭上へと飛び上がる。先程のように少し触腕は避けにくくなるが、空間的に攻められれば相手も調子が狂うはずだ。

 敵の周囲では、ウィルが手に持った大槍――近距離戦闘及び投擲用の副武装である――で、襲い来る触腕を次々と薙ぎはらっている。だが、それでも防戦一方のようだ。

 ノエルの姿は――どこにも見えない。


「ノエルさんが……いない……!?」


 自分が空中にいるということすら忘れ、辺りの様子を見てみる雪――だが、やはりノエルの姿はない。

 そのまま敵を飛び越えて着地し、くるりと振り返る――刹那、触腕が雪の右頬を掠めていく。敵も狙っていない様子だったので、おそらく流れ弾だろう。


「っ、危な――」


 言葉を言おうとした途端に再び、雪の左を掠め飛ぶ触腕。今度は、確実に狙われている。

 ――今の力でダメなら、この電撃でさらに力押しするしかない。

 雪が、刀の握り手についたスイッチを入れると、直ぐに刀の刃部分が赤くなっていき、バチリ、バチリと音を立て始めた。


「あの気持ち悪い腕を切り刻んで、一本道で曲がらずに特攻……しか、ないかな」


 雪が頰についた血を袖口でぐいと拭い、刀を構える。そして――一気に、敵に向かって跳ね飛んだ。


 * * * * *


 彼女は諦めていた。

 彼女は悩んでいた。

 彼女は迷っていた。

 そして、彼女は――


「ダメだなぁ、私って。まだ動けないなんてさ」


 鉄骨が半分ほど剥き出しになったビルの柱にもたれかかったまま、ノエルが呟く。


「まあ、ヒーローは遅れて出て行かないとね……」


 ――いや、駄目だ。動かなければ。可能な限り、少しでも早く。

 だが、今の彼女にはそれが出来なかった。


 恐怖。

 絶望。

 無感情。


 あの時――以前に人型ヒューマノイドタイプと戦った時の記憶が、何度も頭の中にフラッシュバックする。


 鳴り響く爆音。

 周囲に転がる仲間達の屍。

 黒い瞳でこちらを見つめる敵。


「……勝てる訳ない、か」


 薄暗い中で、ノエルがそう呟く。その顔にはいつものような活気はなく、血の気すらもない。

 そして再び、彼女の脳内に現れる記憶たち――今度は、より鮮明だった。


 赤い液体とともに散らばる肉片。

 硝煙と血の匂い。

 目の前に立ちはだかる〈黒い悪魔〉。

 炎の中に消えて行く、敵の姿。


「――でも、あいつだけには、絶対に勝たないと」


 でも、どうやって――そう思いながら無意識に動かした手に、冷たい金属が触れる。今朝改造した新型武装だ。

 ――そうだ。いま戦うためでなかったら、何のために自分は、この武装を作ったのか。

 答えは否、それ以外に理由など、ある訳はないのだ。


「そっか、お前がいたんだっけ。すっかり忘れてたよ」


 ふふ、とノエルの顔に微笑が浮かぶ。

 その顔には、少しずつ血色が戻り始めている。


「……さて、行ってくるとしますか。仲間たちの為にも」


 ノエルは再び決意を目に宿した。

 純粋なる勝利――ただ、それだけを目指して。


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