30 「さて、このキャラクターの名前を決めないとですね」

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 伊吹が伊河市に訪れてから二週間が過ぎていた。


 期日通りに伊河市キャラクターイラストが出来上がり、台詞も作成完了したのである。

 台詞の方は、平岡が七割ほど作成してしまった。

 平岡曰く――


「あ、あのキャラクターイラストを見ていたら、自然と、台詞が思い浮かんだよ」


 平岡のクリエイティブ思考を刺激したのか、滞り無く順調に作業を進行し、あまつさえ幸一の分も作成してくれていたのである。

 そして幸一たちは、現スケジュールで重大な作業に取り掛かっていた。


「さて、このキャラクターの名前を決めないとですね」


 薫は小会議室に備えられているホワイトボードの前に立ち、司会進行を務めていた。そしてホワイトボードには『伊河市キャラクター、名前決定会議』と書かれている。


 声の収録までに、キャラクターの名前を決めなければいけなかった。

 その理由は、平岡が作成した台詞には、そのキャラクターの自己紹介や台詞の中にキャラクターの名前を言う箇所があったからだ。


 とりあえず幸一たちは三週間程前に、伊河市のサイトや市報でキャラクターイラストを添えて名前の公募をしていた。

 本日、公募した名前の選定会が開かれていた。


「最終的に名前は、どのくらい集まったのかな……」


 幸一が尋ねると、担当の薫が答える。


「五十一通です」


「それは……全体で?」


「はい。全体で、です」


 その数は、多いとみるか少ないと見るか――市報などで、市についての意見や要望などを募集しており、送ってくれた方には抽選で粗品を贈っている。それらと比べれば、


「多い、と言えば多いけど。もうちょっと、あるかなと思っていたんだけどな……」


 萌えキャラやゆるキャラの威光で、普段よりも数倍の応募があるのではと期待を膨らませていた幸一だった。


「仕方ないですよ。学生さんたち若い子は、市役所のサイトや市報とか見ないですからね」


 名前を応募してくれた人達は千差万別だったが、平均年令は若干高く、女性が多かった。これは、サイトを観覧する利用者が年配で女性が多いと判断できる。


 それに、出身地も地元伊河市民だけではなく、県外の人達も居た。

 観光地である伊河市のサイトは、観光客も訪れているということである。


 幸一たちは応募された名前が一覧に印刷された紙を手に取り、書かれている名前に目を通していく。

 名前は、適当に考えられたものから、伊河市の観光地を踏まえたものと様々であった。


「やっぱり、伊河市の何かに絡めたものが多いね」


 伊河市は温泉が有名である。そのためか「温泉」「湯」といった漢字が用いられている名前が多く目に付く。


「そうですよね。こういったキャラクターの名前付けって、そういうものが基本ですからね。でも中には、そういったことを無視したものも結構ありますね。見てください、これ」


 薫は該当する名前に指差した。


「“桃太郎”? なんで?」


「多分、お猿ちゃんがいるからじゃないですか。それで、桃太郎と無理やり結びつけたんじゃないですかね。もう、女の子キャラなのに、なんで男の子の名前を……」


 今まで黙していた平岡が口を開く。


「で、でも、最近だとそういうのは、あんまり関係無く、なっている感じではあるけどね」


「関係無く?」


「ほ、ほら。戦国の武将が女人化したりして、名前がそのままだったりするけど、なんとなく、自然に受け入れてくれる、みたいだし……」


「にょ、にんか?」


 謎ワードに薫が首を傾げる。平岡は、どう説明しようかと狼狽えていた。


 幸一は余所に、名前を確認していると、ある名前に目が止まる。そして何気なく、その名前に赤ペンで丸っと囲った。


 幸一たちはキャラクターの名前に相応しい名前を選出して、薫がホワイトボードに書き出していく。真湯、湯乃亜、湯里愛、美湯などなど。


「さて、どうやって決めますか? ここは民主主義に則って無難に多数決で決めますか?」


「飯島さんは、お勧めの名前は有ったりする?」


「そうですね……。私的にピンッときたのは、お猿ちゃんなら“ホット・スプリング”で、女の子の方は“真湯”ですかね」


「ホット・スピリング……って、温泉って意味だよね。猿に英語の名前か……」


「如何にもペットっぽい名前じゃないですか。ホットちゃん、ってなんか響きが可愛いし」


 男性と女性の感性は、当然ながら違う。

「「可愛いかな?」」と幸一と平岡は内心思ったが、口に出さなかった。


「それで、真湯の方は?」


「それは適当です」


「飯島さん……」


「あ、いえ。“湯”という名前が入っていれば、どれでも良いかな~って。響き的にも意味的にも合っていると思うし。そういう、高野先輩はどれが良いと思います」


 ふと視線を先ほど赤丸を書いた場所に移す。


「ああ。猿の名前は特に無いけど。キャラクターの名前は、これかな……」


 そう言いつつ幸一が示した名前は、


「美湯? どうしてですか?」


「そ、それはね……」


 本音を言えば、妹(美幸)の名前に似ていたから。そして、美湯の名前を見た途端、伊吹まどかのことが思い浮かんだのである。

 しかし、流石にそれをそのまま伝えるのは恣意的部分が強すぎるので、


「ほら。美って、綺麗とかの意味があるじゃない。伊河市の温泉が綺麗、美しいということを表して、女性の人達にも良い印象を与えられると思って……」


 それなりの理由を言い繕った。


「なるほど……。確かに、美湯って聞くと美肌に効きそうな効能があるみたいですよね。ミユと言う響きも、今っぽい名前ですし、イメージは確かに良いですね」


 どうやら薫を納得させることが出来た。

 続けて薫は、平岡にも尋ねる。


「そ、そうだね。僕は……湯里愛かな。意味的にも相応しいし…」


 幸一たちは意見を申し合い、徹底的に話し合ってはキャラクター名を絞り込んでいく。

 そして、最終的な決定は、幸一たちが選出した名前を市役所で働く人たちに投票して貰い、多かったものにすることで決まった。


   ~~~


 数日後、キャラクターたちの名前が決定した。一応、村井課長や稲尾市長の意見を訊いたが、民主主義の基本である多数決の結果に異論は無かった。


 キャラクターの名前が入った台詞原稿が正式に完成し、後はこれを元に声を収録するだけである。

 幸一はいつもの休憩場所で、スケジュール表に目を通していた。


「そういえば……」


 肝心の声を収録する場所……アフレコスタジオは何処だと具体的なことを、志郎から知らされていなかった。レコーディング予定日は、あと十日後に迫っていた。


「とりあえず、今日中には確認をしておかないとな。伊吹さんたちにも連絡してかないといけないし……。もし、この声録りがご破綻になったら、全てがご破綻になってしまうからな。あと、確認をしとかないといけないのは……」


 今後のスケジュールを確認しつつ、缶コーヒーを一気飲みして席を立った。

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