26 『はい。今私、伊河市に来ているんです』

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「うーん、どうしようか……。えーと……」


 幸一は、自室にて頭を抱えて悩んでいた。家に仕事を持ち帰り、休日にも関わらず午前中から業務に取り掛かっていた。何をやっているかと言うと、


「“ここは、伊河タワーです。全長百メートルジャストで、伊河市のランドマーク……”」


 キャラクターの台詞を考えていたのである。


「また、お役所的なお固い文章になっているな。これじゃ、また飯島さんに怒られるな……」


 幸一は大きく溜息を吐いた。人には向き不向きはある。仕事柄、それなりに文章を書くことは慣れてはいるが、こういったキャラクター口調の台詞というものに未だ慣れずにいた。


 幸一たちは、キャラクターの台詞作成に取り掛かっていた。

 台詞内容は、伊河市の観光名所を、そのキャラクター口調で解説するといったものだ。だが、淡々と語るだけでは芸が無く、飽きがきてしまう。なので薫は言う。


『もう少し遊び的な要素を入れた方が良いですよ。ただ、観光名所を語っているだけじゃ、学校の校長とかの朝会の挨拶と一緒ですよ』


 その遊び要素とは何かと首傾げながら、再び幸一は悩み行くのだった。


 幸一は机の上に置いていた紙を手に取り、じっくりと眺める。


 それは先日、野原から送られてきた、ほぼ決定稿に近いキャラクターイラストだった。萌えキャラの顔、格好などの服装や色も塗られていた。

 後は、細かな修正などの手直し箇所が有れば指摘するだけの完成度だった。


 そしてゆるキャラの方は、こちらが指定した“猿”を元にデザインしているが、もちろんただの猿ではなく、ゆるキャラらしく微笑ましく愛らしいデザインに仕上がっている。

 これなら女性や子供に人気になってくれそうな手応えを感じていた。


 萌えキャラの方は、こちらは猿の要素は少ないものの、明朗活発な雰囲気が醸し出すデザインで、猿の尻尾がアクセサリーみたいに飾り付けられていたりと、若い男性などの大きい友達を虜にしてくれるだろうと、志郎が太鼓判を押してくれた。


「キャラクターデザインも上がってきたし、台詞の方も早く仕上げないとな」


 壁に掛けられているカレンダーの方に視線を向ける。台詞はあと二週間で作成しなければならなかった。締め切りも迫ってきている。


「よしっ、やるか!」


 気合を入れ直して、作業を再開しようとすると、幸一の携帯電話が鳴り出した。そのメロディは、登録されていない相手からの着信音だった。


 ディスプレイに表示される電話番号も見覚えがなかった。首を傾げつつ、幸一は電話に出た。


「はい、高野です。どちら様でしょうか?」


『もしもし、高野さんの携帯でよろしかったでしょうか?』


 第一声が聴こえたと共に、幸一は瞬時に電話の相手が誰か解った。


「その声は、伊吹さん?」


『あ、は、はい。そうです。い、伊吹まどかです』


 突然言い当てられてしまい、伊吹まどかは、思わず動揺した声を出してしまった。


『す、すみません。突然、電話してしまいまして……。もしかして、お忙しかったですか?』


「いえいえ、気にしないでください。どうしましたか? あ、もしかして仕事の件に関してですか?」


『あ、いえ。今日は、もの凄くプライベートな事で、電話をかけてしまいまして……』


「プライベート?」


『はい。今私、伊河市に来ているんです』


 ~~~


 伊河駅――

 伊河市主要駅の(メインステーション)であり、一日の平均五千人近くの利用がある。東京駅と比べたら小ぢんまりとしていて、そう簡単に迷うことは無いほどシンプルな構造物である。


 市民の足として利用されている以外にも、全国から訪れる観光客を迎い入れる玄関口でもあった。その駅から伊吹まどか(桑井園子)が出てきて、伊河市の地に一歩踏み入れた。


 つい数年前に駅は改築されたので、外見や構内は整備されて素適だった。そして駅の外壁に竹が張られているのが特徴的である。東京から遠い地に降り立った伊吹は、キョロキョロと辺りを見回していると、あるモノに目が留まってしまう。


 それは、外の広場の真ん中に建てられている一体の銅像だった。


 年配の老人が、誰かを驚かせようと両手を挙げているといった、ひょうきん(奇妙)なポーズをしていた。その姿に思わず伊吹は笑いが出てしまった。


 銅像近くに備えられた説明板には、この銅像の人物が油谷熊七であり、伊河市の観光の礎を作った人だと書かれていた。


 伊吹が「へー」と関心を示していると、


「あ、伊吹さーん!」


 自分の芸名が呼ばれてしまい、口から心臓が飛び出すようでドキっとしてしまった。


 こんな遠い地で自分の芸名を知っていて、かつ顔を知っているというのは、余程の声優ファンなのではと考えをめぐらせたが、声をかけてきた相手は――


「高野さん」


「すみません。お待たせしました」


「いえ、そんな。わざわざ来てくださるなんて……」


 伊吹が幸一に電話したのは、伊河市の観光名所を訊きたかっただけだったのだが、幸一は気を効かせて観光案内を申し出てくれたのだった。もちろん、伊吹は丁重に断ったのだが、幸一は頑なに譲らず、無理強いしてきたのであった。


 流石の伊吹も根負けてしまい、折れてしまったのである。だが、地元民……しかも、その手のプロ(観光課の職員)が案内してくれる機会というのは、滅多に訪れるものではない。


「でも、本当に伊河市の観光名所を教えてくださるだけで宜しかったのに……」


「いえいえ。わざわざ東京から、ここまでお越しくださったのですから、ここは一肌を脱がさせてください」


「そうですか……。それでは、ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いいたします」


 伊吹は深々と頭を下げて、幸一の申し出を受け入れた。幸一は幸一で、美幸(妹)の声でお礼を言われるのに、変な違和感があった。


「そういえば、油谷像を興味津々と見ていましたね」


「ええ。駅から出たら、すぐに目に入ってしまって……」


「この像は、油谷熊七という人の像で。油谷さんは、伊河観光の父とも呼ばれる人なんです」


「みたいですね。ここに書いてありますね」


 伊吹は、先ほど自分が見ていた説明板を指していた。それに対して幸一は、「あっ」と声を漏らし、照れ笑いを浮かべた。


「そ、それじゃ、さっそくですが行きましょうか。あっちに車を停めているので、そちらに」


「あ、はい」


 幸一は伊吹の荷物を自然と手に取り、まずは自分の車……といっても、家族が所有している(母親の名義の)車へと案内したのであった。

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