*着信

 ベリルは着信を震えて伝える携帯端末をバックポケットから取り出し通話アイコンをスライドした。

「ベリルだ──そうか。了解した」

「依頼?」

 端末を仕舞うベリルを見つめてダグラスが問いかけた。

「護衛だそうだ」

「へえ」

 彼の端末にかかってるもののほとんどは仕事の関係だ。それほど頼りにされているという事なのだが、ダグラスを引き取ってから大きなもの以外は引き受ける依頼を減らしている。もちろん、子供を一人にするという治安面での事を優先的に考慮してのものだ。

 ベリルは立ち上がり、準備を始める。護衛の仕事は軽い装備でよいため準備も早い。そうして、オレンジレッドのピックアップトラックはシドニーを目指した。

 ダグラスは黒のパンツに水色のシャツにグレーのベスト、ベリルはソフトジーンズに白のシャツと青い前開きのシャツを羽織っている。

 先ほどの依頼電話は仲介屋からのものだ。ベリルのような傭兵には、仕事を仲介する人間が数人ついている。

 依頼人の中には直接、ベリルの端末にかけてくる者もいるが大抵は仲介役を間に挟む。

「脅迫状?」

 ベリルは移動中の車内でダグラスに詳細を説明した。

「うむ」

 眉をひそめる少年に説明を続けた。

 護衛の相手はミーナ・マクスウェル十五歳。父親は大手外資系の社長を務めている。

 その父の会社がとある企業の買収を計画しているのだが先日、脅迫状が自宅に届けられた。

「その企業を買収したら娘を殺すって? だったら犯人すぐ捕まるんじゃないの?」

「そう思っていたようだが、特定出来ずに捜査は難航しているようだ」

 社員五十人というIT系の会社らしいのだが、全員を洗ってもめぼしい人物が浮上してこない。

「で、その間の護衛を依頼してきたって訳だね」

 ダグラスが解ったように相づちを打つ。

 丁度ベリルがダーウィンで休暇を取っていたため、紹介屋はベリルを紹介しモリス・マクスウェルにベリルにつながる仲介屋を紹介した。

 間に紹介屋やら仲介屋からが挟まって面倒にも思えるが、信用と信頼のためには多少は必要な事でもある。

「危険な職業」というのも理由の一つだ。特にベリルに至っては、不死という点においても慎重になる必要性がある。

「その会社の買収を止めるとかは出来ないの?」

「買収の話を持ちかけたのは相手からだ」

「へ? そうなの?」

 経営がおぼつかなくなり、今の内に買収された方が会社のためでもある。

「社員全てをそのまま雇用する」という条件で話は進められていた。

「あれ? だったら全然、問題ないじゃない」

「何か事情があるのかもしれんな」

 しかし、『脅迫』という方法はいただけない。

「単なる勘違いなんじゃないの?」

 ダグラスが薄笑いで発した、確かにそういう事もあり得る。犯人の脅迫理由が掴めない今、あらゆる方向を推察し考慮していく事が重要だ。

 とはいえ、ベリルたちの仕事は護衛であって捜査ではない。

 そちらは警察に任せる事にしてシドニーに向かう。

 ダーウィンからシドニーまで、およそ四千キロメートルの旅は車で一日以上かかる。ダグラスもベリルも長距離の移動は嫌いじゃない、故にこの道程を大いに楽しむ事が出来た。

 車で移動するのは馴れた自分の車があった方が何かと便利だからだ。飛行機での空輸も考えたが、ベリルたちを受け入れる向こうの準備もあるため一日欲しいという事でそれならばとドライブを楽しむ事にしたのである。


 途中で給油を行い、ベリルたちはシドニーに到着した。

 同国最大の世界都市、オーストラリア南東部に位置するニューサウスウェールズ州の州都シドニー──世界遺産のオペラハウスを臨む、世界で最も美しいといわれる都市のひとつである。夜ともなれば幻想的な夜景を海から眺める事が出来る。

 ベリルたちは一軒の家の前に車を駐めた。

 よくある現代建築と整った芝生が家庭の円満さを物語っているように見える。白い壁にシャッターの降りた駐車スペースは大型の車も入りそうだ。

 呼び鈴を鳴らしたが返答はなく、しばらく待ってみた。すると、扉の向こうに気配を感じチェーン越しに小さく隙間が開く。

「……どなた?」

 女性の声が少し震えているように聞こえた。

「護衛を頼まれてた者です」

 微笑んで気さくな態度を見せるベリルにダグラスは苦笑いを浮かべた。相手に警戒されないためとはいえ、普段は見せない姿に可笑しくなる。こんなベリルもたまにはいいかなと思った。

「本当に……?」

「はい、本当です」

 ベリルの隣にいたダグラスが気さくな笑みを浮かべて答えた。少年は百七十四センチのベリルに身長が近付きつつある。

 セシエルから受け継いだ「天使の微笑み」は絶大な効果を発揮したようで、女性は静かに入り口を開いた。子どもが一緒だという事も相手の警戒心を和らげた理由の一つなのだろう。

 女性は四十代ほどで、年に見合った花柄のワンピースを着ている。背中までのブロンドは緩いカールがかかっていて、薄手のカーティガンを羽織っていた。

 怯えていた女性は扉を開いて息を呑んだ。ベリルの姿は、アイスコープを覗いた時よりも鮮烈に目に飛び込んできた。

 それは強烈な存在感とでも言おうか。その瞳を見た途端、何かに圧倒されたように言葉を詰まらせる。

 ダグラスは見慣れた光景に頭をポリポリとかいた。男女を問わずベリルの持つ独特の雰囲気と整った容姿に一瞬、誰もが喉を詰まらせる。女性は特に惹かれてしまう。

「ベリルです。こっちがダグラス」

「あ、ああ。リサよ、入って」

 我に返った女性は握手を交わし家の中に二人を促した。

 整頓された室内がベリルたちを迎え、どうぞとリビングのソファを示される。

 ベリルが室内を見回すと、暗めのスーツを着た一人のガードと目が合う。襟元にある小さなバッジは、護衛専門の会社のものだ。

 リビングに一人という事は外に二人ほどかと視線を外しながら推測する。基本的な人数だろう。

 ベリルを呼んだのは脅迫状の件でガードだけでなく、娘に専属の護衛を雇いたいという事だろう。普通のガードでは娘が怖がるので、違ったイメージの人間をと要請があったのだとか。

 確かにベリルなら傭兵の方でもそのイメージとはほど遠い。

「娘さんは」

「部屋にいるわ」

「同じ年代同士でまず馴染んだ方が良い」

 立ち上がって階段に向かうダグラスにリサは少し戸惑ったが、ベリルが軽く手で制止した。

「そうですわね」

 女性は見事なブロンドをかきあげ、飲み物をベリルの前に差し出した。

「主人はまだ会社なの」

「いつ帰られますか」

「二~三時間もすれば帰ってくると思うわ」

 答えた女性に頷く。丁寧な物言いに慣れていないベリルは口調を戻すタイミングを見計らっていた。幼少に受けた教育で尊大な物言いが定着しているベリルには、一般人と接する口調がとても苦手なのだ。

 そういった意味でも彼が護衛の仕事を受ける事は稀である。

「ミーナ?」

 二階に上がったダグラスは、ここだろうと思うドアをノックした。

「だれ?」

 ドアの向こうから聞こえる女の子の声は、少し怯えているようだ。

「僕、ダグ。君の護衛で来たよ」

 なるべく怖がらせないように、ゆっくりと口を開く。すると、ドアの鍵が解除される音がした。

 相手を驚かせないように静かにドアを開き、笑顔を見せたあと部屋に入る。

「あなたがあたしのガード?」

 同じような年齢のダグラスに少女は驚いて問いかけた。

 母親ゆずりの綺麗なブロンドに青く大きな瞳、そして小さな鼻と形の良い唇。淡い水色のシャツに、膝よりもやや短めのフレアスカートが愛らしい。

 ダグラスは一瞬、言葉を詰まらせた。心臓がドキンと高鳴り、瞳孔が開くのが自分でも解るほどに目の前の少女に反応した。

「正確にいえば僕の師匠だけどね」

 そんな感情を悟られないように震えそうな声を必死に抑えた。

「師匠?」

 少女が首をかしげるその仕草がたまらなく可愛く思えた。

「僕はまだ弟子なんだ。傭兵の」

「傭兵? ガードじゃないの?」

 顔に見合った可愛い声で問いかける。傭兵を目にするのは初めてなのだろう、その目は好奇心に満ちていた。

 おおよそ、彼女のイメージとは真逆に位置しているベリルを見た時の彼女の顔が思い浮かんでダグラスは心の中で笑った。

「じゃあ、あとで下に来て。紹介するから」

「うん、わかった」

 可愛い子だな、ダグラスは素直にそう思った。

 まあ、ベリルは何の反応も示さないんだろうけどと薄く笑う。彼の側にいて解った事は、恋愛感情やそっち方面にはとんでもなく鈍いという事だ。あれだけの容姿なら、女性をはべらせていてもいいだろうに。

 十六歳の少年が考えるような事でもないような気がしないでもないが、一緒に暮らし始めた当初、ダグラスはそう思っていた。

 ちょっと背は低い気はするけど。もうしばらくしたら僕、追い越しちゃうもんね。などと鼻を鳴らす。

 ベリルは二階から降りてくるダグラスを視界に捉えアイスティの入れられた透明のグラスに手を伸ばした。カランと小さく音を立てて氷が傾く。

「どうだ」

「降りてくるって」

 応えて隣に腰掛け、自分の分であろうグラスを手に取る。リサはクッキーを皿に乗せベリルの前に置き、向かいのソファに腰を落とした。

「お気遣い無く~」

 ダグラスが子供らしい笑みを返す。ベリルはこういう事が苦手だと知っているため、自分が応対するようにしていた。

 彼がまともに応えたら、逆に相手が気を遣ってしまうからだ。どうせ、「うむ」とか言うだけで愛想笑いなんか全然しないんだろう。

 何か気に入らない事でもあるんだろうかって気にするじゃないか。とはいえ、この顔で愛想良くてもチャラくなるだけか。ある意味、これがベリルの正しい態度なんだなと妙な納得を覚えた。

 そうこうしているうちに階段の方から足音が聞こえてきて、少年は自然と口角を緩める。さあ、彼女はベリルにどう反応するのかな?

 ダグラスはワクワクした。

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