第四十九話:費やされる命の意味は

 エネスレイク王国は、大襲来以外の戦争を百年以上経験していない。

 だからこそ、他国に名の知れている機兵騎士はオルギオ・ザッファを除いて他にない。一方で、この三世代を戦争に明け暮れてきた帝国の機兵騎士で、主だった者の名は他国にも広く知られている。

 エイジを含めたエネスレイク歴代の宰相は努めて自国の機兵騎士を世に知られないように腐心してきた。

 エネスレイクはレオス帝国の勃興前にはグロウィリア公国を、勃興後には帝国を仮想敵国として捉えていたためである。今でこそグロウィリアは対帝国に欠かせない戦力であるが、かつては唯一活動している王機兵を運用している国として周辺諸国から警戒されていたのだ。それはエネスレイクも例外ではなかった。

 前回の大襲来の時には、当時十五歳のオルギオ・ザッファが大魔獣討伐という大功を上げ大陸に名を轟かせたが、当然ながらエネスレイクには他にも多くの機兵騎士がいる。彼らも大襲来では果敢に戦ったものの、その勇名が他国に知られることはなかった。

 エネスレイクは天騎士オルギオ・ザッファを擁してはいるが、永き平穏によって人材には乏しい。

 そんな世評をエネスレイクという国は苦心して造り上げた。

 そして、その世評こそがエネスレイク最大の武器である。当代のエネスレイク宰相であるエイジ・エント・グランニールは累代の宰相が隠し続けたこの刃を、今日この地で振るうことをためらわなかった。






 モルフォス・ヴェントラはエネスレイクの北方、天魔大教会領との境界近くにある砦に勤めている機兵騎士である。

 エネスレイクを襲った過去の大襲来においては、無役の機兵騎士として大魔獣と戦っており、僚機と共に奮戦して魔獣の進路上にあった街を護り切っている。

 機兵の損傷激しく追撃までは出来なかったが、進路を変えた魔獣は後にオルギオによって仕留められた。

 その功績を称えられて昇進したが、オルギオほどには声望を高めなかった。

 とはいえ、護った街の者たちからは感謝され、結婚相手も終の棲家もその街で手に入れている。


「さて。エネスレイクにはザッファ以外にも腕利きの機兵騎士がいることを、帝国ばらに教育してやるとしようか」


 退役まであと少し。彼が勤めていた砦は天魔大教会領が敵に回らない限り戦地にならない、ある意味では僻地である。

 一方で命の危険は少なく、十分な給金が渡される。モルフォスは自分の境遇に不満などは一度も持っていなかった。

 今回の戦争についてもだ。帝国とはいつか戦うことになると、エネスレイクの軍人ならば誰もが弁えていた。それが自分が現役の間にそうなるか、ならないかというだけで。


『閣下。それでは私たちは手筈通りに』

「閣下はやめてくだされ、指揮官殿。わしは指揮官殿ほど大層な者ではありませんでな」

『ご謙遜を』


 モルフォス・ヴェントラ将軍。

 その業績を知る者は少ないが、その少ない者たちは天騎士と呼ばれるオルギオに比肩して彼のことを地騎士と呼ぶ。公式な称号ではないが、国王であるディナスや当のオルギオでさえプライベートな場ではそう呼ぶのだから、半ば以上公式のものであると言って良いだろう。

 そしてその誰もが、宰相の意を汲んで彼を公式な場で称えることはなかった。モルフォスもその配下もまた、その意味を強く理解している。

 モルフォスが率いる騎士団の機兵は何の変哲もないエゼ級の量産機だ。見た目だけは。

 エネスレイクに於いてもっとも堅牢な騎士団は、エナと共に策を完成させつつあった。






 ナルエトスとラケスの緑獣は、立ち上がったエトスライアに追撃することなく背を向けた。

 背後からの追撃を一切気にしていない、完全な反転である。


『なっ』

「貴方の相手は飽きました。それではごきげんよう」

『は?』


 ラケスの緑獣は武器を腰部に格納し、四つ足で。ナルエトスは足の裏に仕込んだローラーで、それぞれ一目散に走り出した。

 あっけに取られていた様子のラトリバードだったが、次の瞬間には怒号を上げて二機を追い始める。

 周囲にいたモルフォスたちの機兵のことは眼中にないらしい。彼らもまたエトスライアに攻撃を加えるでもなく、その進路を悠々と開ける。


『ふざけるな、てめぇぇっ!』


 エトスライアは猛烈な勢いで駆けるものの、徐々に二機との距離は開いていく。

 本来ならばエトスライアもナルエトスのように足を動かさずに駆ける機能があるのだが、正式な乗り手ではないラトリバードにはそれを使うことは出来ない。

 そしてエナとティモンはまるでラトリバードを煽るかのように、左右に機兵を揺らしたりわざわざ交差してみせたりとやりたい放題だ。


『待てコラぁ!』


 どうにか追いつこうと、エトスライアは更に速度を上げる。機兵が全力で足を動かすと、何やらとても滑稽に見えるのだと無駄な知識を仕入れたエナだ。。

 エナとティモンは何度となく無意味な交差を繰り返し、エトスライアとの距離を一定以上に広がらないように保つ。こちらを諦めて戻られては困るからだ。


『コケにしやがってェ!』


 しばらく追いかけっこをしたところで、エナとティモンは大きくカーブしながら交差して足を止めた。

 振り返ると、追いかけてきたエトスライアが勢いのままに突っ込んでくるのが見える。


「しつこい男は嫌われますよ?」

『うるせぇ! これ以上は逃げねえのか、あァ!?』

「仕方ありません。これ以上逃げると、本陣が見えてしまいますからね」

『ようやく諦めたか! お前らの次は本陣だ、思う存分蹂躙してやるよ! そうしたら俺こそが王機兵の乗り手だ!』


 わざとらしく溜息をつくエナ。

 その一つひとつの所作が、ラトリバードを苛立たせる目的だと本人は分かっているだろうか。


「下品、しつこい、機兵の操作が下手なってない。王機兵の性能だけを頼りに偉ぶっているというのがまる分かりですね」

『まだ言いやがるか!』

「ご自身が王機兵の付属品だという自覚はあるみたいですね? それで、王機兵がなかったらあなたの帝国での価値はどの程度なのです?」

『その口を閉じろ!』

「頭が良くないのは今までの様子でよく分かりました。意外と帝国の方ではあなたとエトスライアを戦力として考えてないのかもしれませんね?」

『黙れぇぇぇぇっ!』


 エトスライアが更に加速した。エナの言葉は思った以上にラトリバードの心に刺さっているようだ。まだそれなりに距離があるが、最早ナルエトスしか見えていないのだろう、前のめりに突っ込んでくる。

 エナは思った以上に上手く行ったことに、思わず苦笑を漏らす。


「ま、今日ばかりはその頭の悪さに感謝しかありませんけど」

『この――』


 エトスライアの足が、地面にめり込んだ。

 放射状にひびが入り、一気に崩れる。

 エトスライアは成すすべもなく、前のめりに転げ落ちていった。声すらない。


『……ここまで上手くいくとはねえ、お嬢』

「さ、皆さんよろしくお願いします」

『了解しました!』


 二機の背後に伏せていた歩兵が立ち上がる。数日前からこちらの穴を掘っていた工兵たちだ。

 それぞれが杖をかざすと、すり鉢状に掘られている穴の底に向けて流水が迸った。


『このまま水没させれば、あいつも終わりじゃないですかね』

「どうでしょう? 皆さんの魔力が保つかしら」

『地面に吸われてしまうので、そこまではちょっと無理ですよ。それに、あいつが泳げたらどうします』

『重王機っていうくらいだし、浮かないんじゃないか?』


 ティモンと兵士が益体もない話を続けている。

 と、穴の底でエトスライアが立ち上がった。何が起こったのか分かっていないようで、辺りを見回している。

 上げた顔と、目が合った。


『この、小細工を!』

「気づいたようですよ。予定どおりに行きましょう」

『ですね。おおい、急いでくれ!』


 見つからないよう、少し遠くに伏せていた四機の機兵がようやく穴の縁にやってくる。穴を囲むようにして杖をかざすと、歩兵たちの流していた水が音を立てて凍り始めた。

 エトスライアが走り出す。

 凍りついた坂を踏み割りながら半ばまで上がってきたところで、ずるりと足を滑らせた。流水に押されるようにして、底まで滑り落ちて行くエトスライア。


『この、くそっ! 卑怯な!』

「……エトスリオの民としては、こんなに無様なエトスライアは見たくありませんでしたね」

『同感です、お嬢』


 策が上手く運んだことを喜ぶべきか、エナには判断出来なかった。

 溜息をつきながら通信を飛ばす。相手は勿論――


『モルフォス閣下、エトスライアは押さえました。後はご存分に』

『了解した、指揮官殿! ふふ、腕が鳴りますな』







 リエネスの士官学校が、機兵に包囲されている様子がバルコニーから見える。

 周辺住民たちには避難するよう指示が出され、ほどなく解除された。王機兵が自分から主の所に飛んできたのだ、と校長から説明があったからだ。

 士官学校に向かった機兵は戻ってきていない。乗り手たちが講堂で生徒たちと議論を繰り広げているという。


「……そうか、ルロウが」


 王城でルッツからの情報を受け取ったフィリアは、複雑な胸中を押し殺すように息を吐いた。

 場所は謁見の間だ。ディナスを筆頭に、エイジ以外の王族が全員揃っている。


「して、新たに王機兵の乗り手となったフォーリ殿は何と?」

「王機兵クルツィアは、ルウ殿との戦闘で深刻なダメージを受けており、そのまま戦闘を行うのは難しいそうです。なのでどのように動けば良いか、士官学校の者たちと協議したいと」

「ふむ?」

「フォーリ殿はこの国を出るつもりは今のところないと。そして自分の頭では戦えない王機兵をどう使えばいいか分からないから意見を聞きたいと仰っておられます」

「フォーリ殿らしいというか、何というか」


 ディナスがまた複雑な表情で首を捻っている。

 流狼、ルース、ミリスベリア、そしてフォーリ。王機兵の乗り手に選ばれる条件を思い浮かべているような。


「どうにかして私が乗り手に選ばれることはないものだろうか……」


 やっぱり。本心を漏らしたディナスに、周囲から何とも冷ややかな視線が向けられる。唯一苦笑しているのは元乗り手のルナルドーレだけだ。

 うっかり内心を口に出してしまったことに今更気づいたらしく、わざとらしく咳払いをひとつ。


「そっ、それにしても! ルウ殿が元の世界に送られてしまったとは。アル殿とラナ殿が一緒だというのは心強くはあるが、前線は困っていような」

「父上、話題逸らしが露骨すぎます」

「ぐむっ」


 王太子であるコートが冷ややかな顔で言えば、ディナスはそっと視線を逸らした。その視線の先にフィリアがいたのは偶然だったのかどうか。

 フィリアの表情を見たディナスが、静かに笑いかけてくる。


「それ程心配せずとも、ルウ殿はきっと帰ってくるとも」

「っ」


 その言葉に、フィリアは思わず俯いた。俯かずにいられなかったのだ。

 流狼が元の世界に戻ったと聞いた時に胸に沸いた感情の数々。

 本来ならば、彼が居るべき場所はあちらなのだ。そのまま戻って来なくて良いと思う気持ちと、手の届く場所に彼がいない不安、そして自分の下に戻ってきて欲しいという気持ちが混ざり合って。

 胸の奥で、色々と流狼が戻ってこなくてはならない理由が湧いてくるのだ。アルカシードの乗り手だから、こちらに同郷の者を残しているから。だが不思議と、自分が戻ってきて欲しいと願うことが許されないことである気がして。


「私は……。ルロウに戻って来て欲しいと願っていいのでしょうか」

「ん」

「私たちは、不当に彼らから日常を取り上げてしまいました。ルロウだけでも元の世界に戻って元の暮らしを取り戻せるのなら、それでいいのではないかとも思えるのです」


 それは確かに本心だった。ただし、半分だけ。

 何故だろうか、自分がただ戻ってきて欲しいという想いだけは、口をついて出てこなかった。

 ディナスは俯いたままのフィリアに、優しく声をかけてくる。


「それはその通りだな。だが、それでも私はルウ殿に戻って来て欲しいと思っているよ」

「何故、ですか」

「自分の意志で帰ったわけではないからさ。ルウ殿は私たちの今を放り捨てて帰るような人ではないと、私は信じている」

「それは、私だって」

「だろう?」


 平穏な日常に戻って欲しい。でも自分の傍にもいて欲しい。相反する感情が制御できず、フィリアは顔を上げられない。

 と、部屋の外で何やら騒ぐ声が聞こえる。

 声の主には覚えがあった。何故かとても焦っている様子だ。


「オリガ殿か。構わん、入ってもらえ」


 扉が開かれると、蒼白な顔をしたオリガが飛び込んできた。


「どうされた、オリガ殿?」

「る、ルローが。送還陣で飛ばされたって聞いて」

「その通りだ。元の世界に戻されたようだが、私たちは彼が必ず戻って来てくれると信じている」


 ディナスの言葉に、オリガは怒ったような表情で首を振った。

 何やら強い焦燥感と危機感を感じる。何か自分たちが理解していない情報でもあるのかと訝しむフィリアだったが、オリガもどうやらこちらが感情を共有していないと理解したようで、こちらを睨むようにしながら説明を始める。


「私はこの世界がどういう形になっているかは知らない。でも、ルローがいた世界は私の世界と同じだったと聞いている」

「それが?」

「分かりやすく言う。その世界では、生物が生存出来る場所は世界全体の中のほんのわずか。アカグマとルローがそんな場所に出られるのは奇跡でもないと無理!」

「!?」


 その言葉に、場が凍りついた。

 言うべき言葉を言い終えたオリガのぜえぜえという呼吸の音だけが室内に響く。

 痛いほどの静寂の中、ぽつりと誰かが言葉を漏らした。


「召喚陣……」


 全員の視線がこちらに向いたことで、フィリアは呟いたのが誰かではなく自分だったと理解する。

 召喚陣。あれならば、流狼をこちらに呼び戻せる可能性がある。何しろ実際に一度彼を呼び出しているのだ。

 同じく理解したらしいディナスが、立ち上がって声を荒らげた。


「フィリア。今すぐルウ殿を召喚した神殿へ向かえ!」

「は、はい!」

「確かあちらの転移陣は破損していたな。エネスリリアで行け、戦地とは離れているはずだが油断は禁物だぞ!」


 もはや返事をする時間も惜しい。

 走り出そうとしたところで、腕が掴まれる。


「何をする!?」

「私も、行く」


 邪魔をするなと掴む手を振り払いながらそちらを見れば。

 オリガが、フィリアの顔をただ真っすぐに見つめていた。






 流狼はふと、自分が意識を失っていたことに気づいた。


『起きた? マスター』

「アル、俺は……?」

『居眠りしてたみたいだね。仕方ないよ。流石にこの景色ばかりだと飽きるさ』


 アルの言葉はずっと優しい。しかし流狼には、その言葉を鵜呑みにすることは出来なかった。

 アルとラナの話を聞いてから、気を張って外を見ていたはずなのだ。いつ意識を喪失したのか、記憶にない。

 ひとつ大きく深呼吸。まだ呼吸は出来る。


「あと、どれくらい保つんだ?」

『えっ』


 こういう時、アルの反応は分かりやすい。

 流狼はラナの方に聞くことにする。


「ラナ。俺が死ぬまでの間に、魔術陣を描けるような岩に巡り合える可能性は?」

『残念だけど、ゼロよ』

「だよな」

『ラナ!』


 悲鳴を上げるアルに、流狼は静かに首を振った。


「済まなかったな、アル。お前が何となくそれを隠そうとしていたのは分かっていたよ」

『マスター!?』

「となると、他に方法があるのか?」

『そうね。私たちのどちらかが外に出て、アカグマの装甲に魔術陣を刻み付けて起動するって方法はあるわ』

「リスクは?」

『このボディの出力だと、アカグマの装甲には多分傷をつけられないってことかしらね』

「二人でやるのは?」

『生命維持機能のサポートにどちらかは残らないといけないんだ。アカグマは宇宙空間での運用を想定していないから』


 なるほど、命を代価に賭けを打つには分が悪すぎる話だ。今の時点で行動に移していない理由を理解する。

 流狼が考えつく程度のことは、アルやラナは既に検討済みのはずだ。静かに腕を組み、目を閉じる。


『マスター?』

「俺は二人を信じている」

『え?』

「この状態で行動に移っていないってことは、二人にはまだそれ以外に勝算があるってことだろ? なら、俺は出来るだけ静かにそれを待つことにするさ」

『助かるわ。説明は必要?』

「できれば」

『生命維持機能のサポートが難しくなった時点で、私がアルとルロウさんを送還の魔術で元の世界に飛ばします』

「それまで待つ理由は?」

『宇宙空間から人だけを元の世界に送還した実験なんてしていないからよ。世界を跳躍している間に酸素が拡散してしまう可能性もあるから、ルロウさんの命を保障できないの』

「そう、か」


 どうやら、どうあっても命を抵当に入れないとこの難局を突破することは出来そうにない。

 生きて戻れれば引き分けと言えるのだろうが、それでもどうやらアルから大切な存在を奪うことになってしまいそうだ。

 戦うにおいて、感情に振り回されてはならない。師でもある父から最初に仕込まれた基本中の基本を守れなかったことが原因であるのなら。


「済まなかったな、アル」

『マスター?』

「俺の未熟に、お前たちを巻き込んだ。本当に――」


 瞬間。

 何の前触れもなく、操縦席が揺れた。






 エネスレイク王国軍は、控えめに見ても順調に戦況を進めていた。

 北側の戦地ではオルギオがエキトゥを足止めし、南側ではエトスライアをエナとティモンが押し留めている。両側は最小限の戦力で最大級の結果を出していると言って良かった。

 しかし、兵力の大多数がぶつかっている中央の戦地は、帝国の戦力が持ち直す兆しを見せていた。

 機兵戦力が浸透衝撃を防ぎ、混乱したところに歩兵たちが痛撃を与える。

 その戦術は間違っていなかった。

 しかし、帝国の参謀たちも馬鹿ではない。

 帝国の機兵は、すぐに浸透衝撃以外の魔術を駆使し始める。

 元より機兵の数は帝国の方が圧倒的に多いのだ。歩兵たちは機兵の合間を縫って帝国軍の前線に浸透しつつあるが、混乱から回復した機兵相手には分が悪い。

 同士討ちを避けるためか、魔術で蹴散らされているということはないようだが、だからこそ歩兵たちはもっと残酷な形で命を散らしているとも言えた。


「閣下! 前線を押し上げましょう!」

「まだです」


 エイジは血の滲む唇を拭いながら、冷厳に告げた。

 彼の立てた戦略は、当初からすでに破綻していた。

 本来は、中央戦線には流狼を配しているはずだったのだ。彼を囮として中央の機兵を誘引し、帝国軍とアルズベックの選択肢を制限する。

 エトスライアの奪取が上手く行けば良し、上手く行かなければ一時的に彼を南下させ、アルの力でエトスライアの精霊を起こすところまで想定していた。

 当初はエネスレイクには流狼、帝国にはアルズベックという明確なシンボルがあった。両国はそれぞれ標的を奪うか殺すかさえすれば、相手の戦意を叩き潰すことが出来た。

 おそらく、クルツィアの介入は帝国の参謀たちも予想外のことだったろう。

 日が沈もうとしている今でも、流狼とアルズベックの消息は不明のままだ。両国は互いに適当な落としどころが見出せない状況で戦いを続けている。

 戦争を終わらせるには、それなりの結果が求められる。

 エイジが見る限り、結果のハードルが低いのは明らかに帝国軍だった。


「転移陣の破棄の準備をしておきなさい」

「閣下!?」


 中央を突破し、エネスレイク本土に侵攻する。

 転移陣を破棄されることも想定しているだろうが、その場合は王族であるエイジを略取、あるいは殺害する。

 帝国は数に任せて力押しをするだけでいいのだ。分かりやすい。

 一方、エネスレイクには帝国領に侵攻する意味が直接的には存在しない。帝国を制圧するには戦力が不足しているし、侵攻を止めさせるに足る勝利条件がアルズベックの命以外に存在しないのだ。

 歩兵隊の命を浪費しながら、エイジは唇を噛みながら機を待つ。

 そしてその忍耐が報われる瞬間は、エネスレイクに先にやってきた。


「閣下! 南方から報告!」

「何ですか!」

「ブルヴォーニ将軍が王機兵を陥穽かんせいに嵌められたとのこと! ヴェントラ将軍が隊を率いて前線に出られました!」

「よし!」


 思わず力強く拳を握る。

 エトスライアを落とし穴で無力化するという案は、アルとエイジが不測の事態に備えて用意していた策でもあった。

 アカグマが大破して流狼とアルがエネスレイクに転移しているか、中央戦線からアカグマが抜けられない状態が続いていることを想定してのものだったのだが。


「前線に伝令」

「はっ!」

「敵南面が混乱すると同時に、前線を押し上げます!」

「御意!」


 命令を託された兵士たちが我先にと走り出す。

 流狼とアルズベックが一騎打ちに入った時点で、エイジは敵司令部への強攻を企図している。敵司令部を壊滅状態にすれば、前線は当然ながら混乱する。オルギオと対峙しているエキトゥが戻って軍を統率するか、撤退するかの判断は五分といったところだ。

 しかし、エイジがこの状況で勝ち筋を見出すには、その状況を作り出すほかに手がないのも事実だった。


「閣下!」


 前線を押し上げるべく機兵たちが走り出してから少し経ったところで、後方から伝令兵が駆けてくる。

 振り返ると、困惑した表情の兵士がこちらを見上げていた。


「どうしましたか」

「リエネスから連絡が入りました。その、閣下のお知恵を借りたいと」

「何ごとです? まさか、トラヴィート方面から敵の増援でも来ましたか!」

「いえ、そうではありません」

「では何だと言うのですか」


 想定された最悪の事態ではなかったことに安堵しつつ、状況の緊迫を察していないとしか思えない王都の誰かに苛立つエイジ。


「翼の生えた王機兵が、フォーリ・セロ殿を主とすべく飛来したとの由」

「……は?」


 兵士の口から告げられたその言葉は、エイジであっても一度では咀嚼できない衝撃的なものだった。

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