第三十六話:精霊が語るには

『やったな、ルロウ!』

「うああ。聞いてた、よね? フィリアさん」

『うむ、ばっちり見ていたぞ。……とても凛々しかった』


 何やら顔を赤らめるフィリアの様子を見て、何だかいたたまれない気持ちになる流狼である。

 と、びきびきと、何やら不穏当な音が聞こえてきた。


「アル?」

『うん、マスター。アルカシードの外装が悲鳴を上げているね。一旦降ろすよ』

「ああ」


 視界が瞬き、ふわりと地面に降り立つ。

 続いてフィリアが現れ、アルと先ほどのラナヴェルを小型にしたような機体が最後に二人の前に姿を見せる。


『本当に驚いたわ。まさか助かるなんて思わなかった』

「ラナ、でいいのかな」

『ええ、ルロウさん。奪王機ラナヴェルのAI、ラナよ。肝心の機体は壊れちゃったけれど、本体が完成するまではアルと一緒にあなたのサポートを担当させてもらうわね』

「ありがとう。アル?」

『うん。アルカシードの保有している空間にラナヴェルのコアは安全に隔離してある。ラナの外部デバイスはちょっと、アルカシードの中の資材の残りを使わせてもらっちゃった。アルカシードはこのまま、エネスレイクに転送しちゃうね』


 アルカシードを見上げると、関節の辺りから所々にヒビが走っている。元々オリジナルの状態だった拳から二の腕にかけては完璧に無傷なのは流石と言うべきだろうか。

 流狼がまばたきをする間に、アルカシードの姿が消え失せた。アルもずいぶん急いだようだが、果たして。


「どういう状態なんだ?」

『さすがにちょーっと無茶させちゃったからね。たぶん第二外装と第三外装の遊離が起きかかってるんだと思う。一旦戻して、一度外装を分解しないとまずいかなあ』

「ふむ」

『それにラナヴェルの再建造もある、フィリア、エネスレイクにもう一機王機兵が増えるからさ、ちょっと鉱山をもうひとつ使わせてもらえると嬉しいんだけど』

「ええ、それは問題なく父に伝えておきましょう。……さて」


 と、フィリアが視線を横に向けた。

 流狼もその視線を追うと、帝国の王機兵から乗り手たちが降りるところだった。

 ミリスベリアとルースも降りてきたようで、気配が増える。


「お疲れ様です、ルルォ様。とても素晴らしいお働きでした」

「いえ、助かりましたミリスさん、ルビィ」

『姉様!』


 ミリスベリアの横にいたルビィが、ラナに飛びつく。


『久しぶりね、ルビィ。頑張ってくれていたのね』

『はい、姉様。ご無事で良かったです』


 複雑な表情でその様子を見守るミリスベリア。

 流狼の視線に気づくと、微妙な微笑みを浮かべてみせた。


「あのような姉様の姿、きっと歴代の乗り手の誰も見たことないと思います」

『だろうね。まさか今の今までこじらせていたとは』


 溜息をつくような様子のアル。

 と。


「どうにも俺の扱いが雑であるように思うのだ」

「あ、ああごめん。ルースさんも助かったよ。ルースさんの手助けがなければこうまで上手くはいかなかったと思う」

『助かったよルース。ありがとう』


 素直に頭を下げると、拗ねていた様子のルースが途端に得意満面になって頷いた。


「そうだろうそうだろう。フニルのやつはどうにもつれなくてな。流石は義弟とアルだ! こうでなくてはいかん」

「……義弟、だと?」


 聞こえてきた声は背後からだった。底冷えするような、何かに耐えているような。振り返るまでもない、アルズベックだ。

 ルースは動じるでもなく、うむと頷いて言い放つ。


「そうだ! 正当な王機兵の乗り手の後輩だからな。うちの妹を嫁がせて義弟にしようと思っているが、それが何か?」

「その男はエネスレイク王国に所属している。貴国とは敵国だぞ」

「王機兵の乗り手は国に縛られない。それが原因でエネスレイク王国と揉めるようなら、四領連合に引っさらうだけの話さ」

「そのようなことを許すと思うか!」


 激高するアルズベックだが、ルースは冷ややかなものだ。


「貴国の者ではないだろう?」

「ぐっ! だが、同盟国ではあるのだ。みすみす敵国にやるのを黙っておく道理もない」

「確かにな。どうだろう、フィリア王女。この際エネスレイク王国を含めて、五領連合をやるというのは」

『待たんか馬鹿モン』


 すぱぁん、と音を立ててルースの後頭部をひっぱたいたのはフニルだ。

 綺麗な回転とスピードで振り抜かれた尻尾の一撃の後、何やら焦げ臭さが漂ってくる。ルースは後頭部を押さえて蹲った。


「い……ってぇなフニル!? 焦げた、焦げたぞ後頭部! 何てことしやがる!」

『馬鹿を止めるにはそれくらいしないといかんだろう。帝国の皇子を挑発するのは勝手だがな、それによってルロウ殿とフィリア王女に迷惑をかけるのは許さんぞ』

「む」


 涙目でフニルに食ってかかったルースだったが、フニルから論破されて言葉に詰まる。


『済まんな、帝国の皇子よ。これは口が軽く、無軌道でな。今こいつが言い出したことは戯言と聞き流してくれると助かる』

「……ふざけるな、数々の暴言、許せるものか」

『ならば一戦交えるだけだ。こちらとしてはエネスレイクの二人に累が及びさえしなければ、別段そちらに嫌われても一向にかまわんのだ』


 ルース以上に辛辣なフニルを睨みつけるアルズベック。

 だが、確かに敵国同士である両者が歩み寄る必要性もここにはない。アルズベックがこちらに視線を向けてくるが、流狼はそれをあえて無視した。


「さて、フィリアさん。帰ろうか」

「うむ、そうだな。ここに長居すると政治的にややこしいことになりそうだ。痛くもない腹を探られる必要性もない。アル殿、ラナ殿、積もる話は国に戻ってゆっくりと」

『それは困るわ! もう少し姉様と話す時間を所望する!』

『もう、通信くらい出来る距離なんでしょ?』


 しがみついたルビィの我儘を、余裕たっぷりにたしなめるラナ。

 アルは呼吸する機能もないくせに溜息をつく所作をして、やれやれと首を振った。


『ルビィ。君ね、本人のいないところではラナと呼び捨てにするくせにだね、なんでこう――』

『アル、そういうことを言うから貴方は人の心が察せられないと言われるのよ』

『むぐ』


 一言ぴしゃりと言い切られ、アルも口をつぐむ。なるほど、アルもルビィもラナには弱いということのようだ。

 流狼は少しだけ考えると、ミリスベリアに折衷案を出すことにした。


「帰り際、ルナルドーレさんに挨拶して行く?」


 と。


「良いのです?」

「良い訳がないだろう――」

「王機兵の乗り手は、国家や権力に左右されない立場なのでしょう?」


 流狼はアルズベックの言葉を遮り、そして完璧に無視する。

 そして、結局大教会を後にするまで、アルズベックに対して意識を向けることも声をかけることもなかった。






 勝利を祝う宴を再三に亘って固辞し、帰途についたエネスレイクとグロウィリアの一行。二人がいないならとルースも帰ることにしたようで、見送りは大教会の者が総出で行われた。

 反面、アルズベックたちは追い出されるように大教会領を後にすることとなった。

 彼らに対する大教会の扱いは終始一貫してひどいものだった。シー・グもラトリバードも憤慨しているが、アルズベックにしてみればそれどころではなかった。

 今まで軌道に乗っていた、あるいはそう思っていた『王機兵超え』の計画が、幻想に過ぎなかったことを理解したからだ。

 進歩は確かにある。今のまま進んでも、現在の懸案事項である『タウラント攻略』は間違いなく成功する。

 だが、エネスレイクの王機兵が見せたものは、彼の自信を粉微塵に打ち砕いて余りあるものだった。

 それに。


「あの男が兄上を狙っているというのか」


 帝国領に入り、王機兵三体を運搬車両に乗せた後も、アルズベックの心は沈んだままだ。

 あのおぞましい生物からの攻撃を、圧倒的な速さで避け、そしてこちらの魔術がひとつも効かなかった生物の体をずたずたに斬り裂いて見せた。

 リーングリーン・ザイン四領連合の王機兵は、確かにイージエルドを敵と見定めたと聞いた。

 このままでは、戦端が開けば間違いなく兄は殺される。

 焦りと、不安と、恐怖と、そして渇望。

 アルズベックの精神は、皇子として育ってきた今までに抱いたことのない感情に振り回されていた。


「殿下! 天魔大教会領なんて、叩き潰してしまいましょう!」

「そうだ! あれ程の侮辱を受けたのは初めてだ! 許せねえ!」


 だが、アルズベックの感じている危機感などを気にも留めず、自分たちが受けた扱いの悪さばかりを口にするのみだ。

 自分と危機感を共有しようともしない二人に軽い失望を感じつつアルズベックがふと横を見れば、隣に座っている陽与もまた不機嫌を隠そうともしていないことに気づいた。


「どうしたのだ、ヒヨ」

「アルズベック様。いいえ、特になにも」

「そうか……?」


 普段は自分に見せないような硬い表情で首を振る陽与。理由は明らかだった。エネスレイクに渡った王機兵の乗り手、その男を説得してくると出て、戻ってきたらこの調子だったからだ。

 フィリアの様子を見れば、間違いなく何かあったのは分かった。恐らく手ひどく断られたのだろうが、アルズベックは密かにそこに安堵を感じていた。

 王機兵の力は欲しい。しかし同時に、あの男が近くにいることで陽与の心がそちらに戻ってしまうのではないかと不安にならないとも限らない。

 ともあれ、国に戻ったら計画を一から作り直さなくてはいけない。

 停戦期間の終わりまではまだ少し時間があるが、このままではまるで足りない。


「急がなければ。さもなくば、兄上が」


 リンコルドはタウラント大鉱床の奪取をもって、大陸制覇の足を一度止めると定めた。ならば出来る限りの速さでタウラントを獲り、イージエルドがあの王機兵に狙われる前に停戦に持ち込まなくてはならない。

 今までとは別種の使命感を持って、アルズベックはそう心に定めるのだった。






 エネスレイク王国に戻った一行は、直接リエネスには戻らなかった。

 アルカシードの修理の段取りをしなくてはならなかったからだ。ベルフォースも含めて一旦鉱山に移動し、流狼はそこでアカグマに乗り換えている。

 ラナヴェルについてもここで作業をすることに決まり、作り直されるまではラナもアカグマに乗り込むこととなった。


『あちゃあ……これ、だいぶかかるなぁ』


 アルがぼやくが、その声に後悔の色はない。

 当初の目的は果たせたのだ。ラナヴェルを永久に失う可能性があったことを考えれば、故障で済むなら安いものだろう。


『ごめんよ、マスター。しばらくはアカグマで我慢してほしい』

「構わないさ。ま、アカグマが役立つような場面にならないのが一番だけどな」

『うん、そうだね』


 頷きながら、アルカシードの修理作業を開始するアル。周囲から光の粒子が現れてアルカシードに吸い込まれていく。

 一方でラナも、少し離れた場所で作業を開始していた。


「ラナ、そちらは順調か?」

『そうね、もうすぐ素体建造の準備は終わるわね。アルカシードの隣、使わせてもらうけどいいかしら』

「ああ、もちろんだ。素体か……どれくらいかかるんだ?」

『ざっと一年くらいかな』

「一年もかかるのか」

『短い方だよ。王機兵を素体から作り直せるのはボクとラナだけだからね。協力してかかれるから一年で済むんだよ。外装まで含めると、更に二ヶ月くらいかな』

『アル?』

『オリガの件もある、そろそろちゃんと聞いてもらった方がいい』

『そう』


 何やら緊迫感の漂う二人の会話。

 流狼は話題を変える意味も含めて、アルに問いかけた。


「アルカシードの外装と比べると、ラナヴェルの外装は短く済むんだな?」

『素体を作っている間に外装も作るからね』

「ああ、なるほど」


 考えてみれば当たり前のことを答えてくるアル。

 と、作業を終えたらしく、アルとラナは流狼の乗るアカグマの操縦席に転移してきた。

 隣にはベルフォースが立っている。乗り換える際にフィリアにはベルフォースのゲストスペースに移ってもらった。


「待たせたね、ミリスさん、フィリアさん、ルビィ。ではリエネスに戻るとしよう」

『王機兵の修理を見たのは初めてですけれど、とても素敵な光景なのね』


 粒子化された資材が、光を放ちながらアルカシードに群がる姿は、初めて見れば確かに目を奪われる美しさだ。

 そう言えばディナスとオルギオも同じように目を輝かせていたな、と思い出しながら、流狼はアカグマを歩かせる。

 アルカシードの隣には、複雑な魔術陣が大量に刻み込まれていた。これらが周囲の魔力――感応波を少しずつ吸い上げながら自動起動し続け、王機兵の素体を作り上げるのだという。

 作業が始まったばかりで、魔術陣はまだ明滅を繰り返すばかりだ。






 王都リエネスでは、アルカシードの破損についてはすでに報告が届いていた。

 同時に全員の無事と、ベルフォースが立ち寄ることも伝わってきている。

 勝報には喜びながらも、ディナスは複雑な表情で呟いた。


「決裂は避けられないか」

「でしょうね。まあ、長く保ったほうではないでしょうか」


 応じるのはエイジだ。オルギオも頷き、ルナルドーレは平然としている。


「建前としては王機兵の乗り手は国家にその立場を左右されない……というようになってはいますけれど、帝国はそうは思わないでしょうね」

「思わないでしょうな。とは言え、姫様とルウが許可した以上、ミリスベリア殿をリエネスに入れないというわけにもいかないでしょう」

「元々そのつもりはないよオルギオ。エイジ、帝国ならばどんな難癖をつけてくるかな」

「そうですね。義姉上の輿入れから、帝国は我々とグロウィリアが裏で繋がっていると考えているでしょう。今回の件で、おそらくそれを確信すると思います。ですので、敵対の意志なくば、エネスレイクの王機兵を寄越せ――とは言えないでしょうから、貸し出せという辺りですかね」

「修理中だと突っぱねる手があるが」

「それが妥当でしょうが、帝国に無用な情報を与えてしまうことになりませんか?」

「帝国は信じないでしょう」


 エイジは小さく首を振った。

 ルナルドーレは小さく口元を緩めた。同意見であるらしい。


「だろう、な。連中のことだ、機体はいいから乗り手だけでもと言い出すだろうな」

「ええ。そして最悪、ルウ殿は暗殺の対象になる」

「戦争になるな」

「スーデリオンの時から、民も覚悟しています。すでに郊外の村や街も自主的に備えを始めておりますよ」

「なに?」


 エイジの報告に、眉根を寄せるディナス。

 その表情から察してか、エイジは首を横に振った。


「スーデリオンをはじめとして、嘆願が多数来ております。大襲来も終わり、当面海側に危険はなくなったからでしょうね、帝国との戦に備え、機兵の整備をしたいと」

「スーデリオンの組合からも、機兵工場の建設を始めたいと連絡が来ておりますな。エイジ殿、その件については?」

「すでに許可を出しております。南側はトラヴィートと接していますからね、現在あの国は帝国の同盟国、ケオストス殿は帝国の機兵を素通りさせるでしょうし――」

「待たれよエイジ殿。トラヴィートはこちらにはつかないと?」

「こちらに攻撃はしてこないでしょう。しかし、内戦と大襲来で傷ついたトラヴィートに対して、我々と共に帝国と戦えなどとは言えませんよ」

「確かにそうだな」


 ディナスは両眼を閉じて、ゆるゆると息を吐いた。

 自分の不明を恥じるとともに、頼もしい臣下と民の様子がありがたく思える。


「ルウ殿が来てくれて、私は少し浮かれていたのかもしれん」

「陛下」

「ルウ殿とアル殿があれば、国の護りは万全になると思ってしまっていた。そうではないのだな。エネスレイクに住む皆が、ルウ殿に頼るのではなく自分たちの力で国を守ろうと思ってくれている。私は何よりそれが嬉しい」


 そしてディナスは、王機兵が使えなくとも、流狼は国を護る為に力を貸してくれるだろうことを確信していた。

 だからこそ、決断を下す。


「民が国を守るならば、国もまた民を護らなくてはならない。ルウ殿もまた、エネスレイクの民であるよ。私はどれ程苦しくとも、他国に自分の民は売らない」

「御意。ならばその意向であることを伝えておきましょう。みな喜びます」


 エイジの言葉にしっかりと頷き、ディナスははっきりと口にした。


「帝国との戦に備える。ただし、出来うる限り時を稼ぐ。準備は水面下で密に行うことを徹底せよ」

「御意」


 エイジとオルギオが応じ、ルナルドーレが満足そうに微笑んだ。

 この日をもって、エネスレイク王国ははっきりとレオス帝国を敵と見定めたのである。






 天魔大教会領、封印の間。

 もはや用を為さなくなったこの部屋は、近く開放されて、神兵撃破の碑を置く予定になっている。部屋の上部に刻みつけられた巨大な痕跡こそが、王機兵の威徳を示す史跡になるはずだ。

 夜の闇の中、動く影が二つあった。


「あぅ……うあぅ……ああぅぁ」


 意味の分からない言葉をうわごとのように繰り返しながら、ふらふらと歩く人影とその後ろをゆったりとした歩調で歩く、一回り小柄な影。


「ここでが吹き飛んだのですね」


 小柄な影は感慨深げに呟く。

 視線を巡らすが、あるのは闇ばかりで何も見えない。

 そう、その影以外には。


「ふむ。王機兵はこれ程の」


 ふいに歩調を速め、まっすぐに目当ての場所に向かう。

 王機兵が飛び回れるほどの空間だけあって、それなりの距離がある。


「残ったのはこれだけですか」


 言いながら拾い上げたのは、人影の腕程の大きさの、何かの残骸だった。

 不気味に蠢くその残骸は、それがまだ命を失っていないことを表していた。


「やはり王機兵は恐ろしい。……しかし、その一体はもういないのですね?」

「あー」


 がくんがくんと頷くもうひとつの人影。

 小柄な人影は、残骸を撫でつけながらひどく冷たい声を上げた。


「上位命令――思考パターン消去」


 残骸がのたうち、そして動きを止めた。


「ふむ。受け入れましたか。さすがにこれだけ入念に自我を壊された挙句、体まで吹き飛べば私を上位者と認識するようですね」

「うー」

「では行きましょう。ここにはもう用はありません」

「えぁーぃ」


 きびすを返して歩き出す小柄な人影と、それをのったりのったりと追いかけるもうひとつ。

 誰に見つかることもなく、大教会の敷地を出る二人。

 星明りに照らされて、その顔が露わになる。

 男女ともつかない、中世的な顔立ちの、小柄な人物。

 そして、知性のかけらもない、呆けた顔の女。天魔大教会の職員の礼服を着ているが。


「うああうあ、あいえおうあ」

「ふむ。……ちょうど良いかもしれませんね。上位命令、捕食。のち擬態」


 小柄な人物が呟くと、その抱えていた銀色の塊が、視線の先に居る女の顔に向けて跳ねた。


「もぶぐ。ぐもぶぐぶぶぶ」


 強引に口の中に入り込み、その喉奥へとずるりずるりと這いずっていく。

 女はひどく苦しそうな音を漏らしながらも、呆けた顔と力の抜けた全身はその侵入を受け入れていた。


「……しばらく時間がかかりますか。まあいいでしょう、ついてきなさい」

「こひゅー」


 強引に入り込んだ塊に声帯でもやられたのか、出てきたのは声ではなく音だけだった。


「耳障りな音を聞かなくて済む……それだけでもまずは良いとしましょう」


 小柄な人物はそれだけ言うと、夜道をすたすたと歩き出した。

 最早用はないと、後ろは振り向かなかった。



 ――この件は、一人の職員が失踪したとしてだけ記録され、天魔大教会の誰にも事件としては認識されなかった。

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