第二十四話:取り敢えず殴ってはみたが
アルカシードの左拳で巨体を掬い上げるように殴る。思いのほか反発を感じずに浮き上がる巨体に、もう一度、今度は右拳を叩き込む。
シンプルな打撃だが、随分と遠くまで飛んでいく。
サイズと重量比からすると考えられない威力だ。目を円くする流狼に、アルが呆れたように声を上げた。
『だから言ったじゃない、マスター。アルカシードは王機兵なんだから、普通の機兵と比較しないでくれって』
「ああ、そりゃ聞いていたけどさ」
『四十パーセントの修理しか終わってないけど、機体の運動性能を優先的に仕上げたからね。向こうの攻撃を素直に受けなければ、互角に殴り合うくらい造作もないよ』
「そりゃすげえや」
流狼は事ここに至り、アルの言葉を疑うのをやめた。
地響きを上げて二度、三度と地面をバウンドした巨大魔獣は、海岸すれすれまで転がって止まった。
唸りを上げて転がり戻ってくる魔獣。このままアルカシードを轢き潰そうというつもりか。
『ああ、随分と腹を減らしているようだね。動きが切羽詰まっているよ』
「あの巨体じゃなあ。なあアル、このまま避けると後ろが危ないんだが」
『はいはい、殴るつもりなんでしょ? 少しばかり感応波を餌にしてでも、こちらへの衝撃を殺しておけば――』
拳を強く握る。
アカグマでは出来なかったが、氣を練ってみれば生身と同じくらいに自然な形で拳の先に熱が集う。
『マスター? このエネルギーは一体』
「氣を練ったのさ。流石はアルカシード、上手い事出来そうだな。あいつに魔術は効かないって話だったろ? ならばこっちだ」
『ああ、うん。それはそうだけど』
「こいつは飛猷流では基本中の基本だが」
右拳を腰溜めに構え、タイミングを測る。
加速を更に続ける魔獣の動きに憤怒を見る。こちらの反撃など気にしてもいないようだ。
「まあ、所詮は本能に支配されたけだものか」
『マスター!?』
「しっかり解析しておいてくれよ」
巨体が迫る。こちらの間合いは狭いのだ。
パチパチと、機体の表面に弾かれた土やら石やらがぶつかる音。
「かっ!」
強く息を吐いて、右拳を打ち込む。
何かを砕いた破砕音が響く。衝撃に魔獣の体が再び跳ね上がった。アルカシードの真上だ。右拳を引き、大きく背後へ跳ぶ。
地面に落下してきた魔獣の甲殻、その一部がひび割れている。
「『
『ま、アルカシードの拳はあの程度の質量じゃびくともしないよ。踏まれてもボディはともかく拳は傷つかない』
「それ、本末転倒じゃないかね」
『ボクもまだスクラップにはなりたくないから、出来れば潰されないでねマスター』
気の抜けた応援をしてくるアルに呆れ返りつつも、流狼は油断なく魔獣に向けて構えを取る。
そこで突き付けられたある事実に、流狼は軽く眉をひそめた。
「さて、困ったぞ」
『おや、どうしたんだいマスター』
「ここからどうしようか」
『……あー』
アルカシードの打撃は、魔獣の甲殻や重量に負けていない。
威力も甲殻を砕く事が出来ている。しかし、しかしだ。
「これじゃあ全体から見ると小さいわな」
『そうだねえ』
甲殻に走るヒビは、決して小さいものではなかった。しかし、魔獣の巨体から比較すれば微々たる大きさでしかない。
そして、それ以上に検討すべき事実があった。
「どうやって急所まで効かせたものかね」
トラヴィートの王城は低く見積もっても百メートルはあるだろう。流狼の世界の常識的な古い城の高さからすれば半ば信じられないほど高い――これはエネスレイクの王城もそうなのだが――が、問題はそこではない。
機兵という存在が実在する事を考えれば城の大型化も理解は出来るのだ。魔術という超技術もあるのだし、と流狼は自分の常識と折り合いをつけている。
問題なのはそれと同等の大きさを持つ巨大生物にある。アルカシードの全高は十二メートル程度。巨大な手甲をつけていても、拳の大きさは二メートルにも満たない。腕の長さを六メートル弱とすると、魔獣を相手にするには小さすぎて短すぎるのだ。
「質問。あの甲殻を突き破ったとして、本体に有効な打撃は通せるか?」
『流石に大きさが違い過ぎるかなあ』
「質問その二。あれの体内に潜り込んだ場合、どうなる?」
『多分急所を探し出す前に溶けるんじゃないかな』
「やっぱりか」
呟きながら、不気味に動きを止めていた魔獣の方から飛来する何かを回避する。
アルが視界の端に形状を見せてくれた。やはり針の類であったようだ。それなりに太いが、高速で飛来するから避けるのは普通の機兵には難しいだろう。
「掴んで止めた方が良かったか?」
『いや、別にいいよ。成分分析は済んだから』
「やはり毒かね?」
『揮発性や水溶性の高いやつだね。発生したガスも有毒。即死させる毒性じゃなくて神経系を麻痺させるタイプ。生物の場合は刺さっても有毒、水に溶けだしたものやガスを吸ったらまず呼吸器が駄目になる』
「えげつねえな」
『多分機兵を貝殻か何かだと思っているんじゃないかな』
「つまりあいつと同類だって? ぞっとしないねえ」
続けざまに飛んでくる針を避け続ける。数は多いが、直線の動きばかりなので避けるのは容易だ。思った通りに動いてくれるだけでなく、気配すらリアルに感じ取れるアルカシードの性能に感謝しつつ、ゆるやかな動きでじわじわと距離を縮めていく。
「どうやら氣なら吸収できないみたいだし、出来るだけ殻を壊していくとしようか」
『中身もそういう力を持っていたらどうする? マスター』
「その時は改めて考える」
『それもそうだね』
殻に魔力を吸収する力があるとして、中身はどうだろうか。吸収する力があったら仕方なし。なければ後ろに控える機兵達に一斉に魔術を叩き込んでもらえば良い。
何にしろ、動かなければ状況は動かない。甲殻を破壊する事が問題を解決するか悪化させるかは試してから気にする事にして、流狼はゆっくりと自らの間合いに入った。
「ふむ、毒針を撃っている間は動けないのか」
どうやら毒針はどこからでも撃てるというものではないらしい。
何を材料にしているのかは知らないが、噴出孔はどうにかしておいた方がいいだろう。
「アル、噴出孔はどの辺りだ?」
『いくつかあるけど、一番近くのやつはその辺り』
器用にも紅い丸を視界に現してくれるアル。視界を弄られている感覚になんとも妙な違和感を感じつつも、流狼は噴出孔への距離を一瞬で詰めるべく氣を練り上げる。
噴出孔に針をセットし、狙いを定めて、撃ち出す。
流れるような作業ではあったが、手間を三つもかけていては時間がかかり過ぎていると言わざるを得ない。
「十歩無音」
アルカシードがその噴出孔の射線に身を晒した時には、既に打撃の準備は整っていた。
噴出孔そのものを叩いた拳の先端に針がぶつかり、刺さる事も出来ずに内部で圧し折れる。
自分の体内で精製した毒物なのだろうから、どうせ本体には通用しないだろう。不快感を与えるのが精々だと思っていたが、予想に反して反応は劇的だった。
「おっと」
流狼がアルカシードを退かせたのは、魔獣が甲殻を不気味に蠢かせたからだ。
ぼこりと噴出孔付近の殻が開かれ、折れた針らしきものを吐き出す。
その後もひどく神経質に地面に何度も部位を擦りつけてから、魔獣は殻を閉じた。
「普通、自分で作りだした毒は効かないってのが相場だと思うが」
『ものすごく味が悪いんじゃない?』
「ああ、苦いのか」
再び近づこうと足を進めると、魔獣がびくりと反応した。
今までにない反応だ。
何だか怯えているようにも見えるが。
「む」
『転がるのも駄目、踏み潰すのも駄目、毒針も駄目。あっちにしてみたら天敵にでも遭った気分なのかもしれないね』
「そうすると、次の手は」
『腹を減らしているのは間違いないところだからね。強引にアルカシードを消化しようとかかるか、あるいは』
アルが周囲の反応を確認したのが分かった。
『とにかく餓えをどうにかする為に、別の獲物を取り敢えず襲うか――』
トラヴィート王国の機兵達は必死に後退しているが、魔獣の転がる速度と比べてはあまりに遅い。
『まずい!』
魔獣がアルカシードから逃れるように、平原の方に転がり始めたのだ。
慌てて追いかけるが、転がる巨体と比べては速度があまりに足りない。
流狼が十歩無音の連続使用で追いつこうかと走りながら氣を練るのとほぼ時を同じくして――
『まったく、詰めが甘いな兄弟』
更に東から地面を凄まじい勢いで駆けてきた何かが、魔獣の巨体に無謀とも思える体当たりを敢行したのだった。
時間はわずかに遡る。
大襲来の報によって波が引くように去っていった帝国軍を一瞥する事もなく、ミリスベリアはトラヴィート王国の方に銃を構えていた。
『感応波を吸収するってのはタチが悪いね。ベルフォースとは相性が悪すぎる』
「強引に撃ち抜く事は出来ませんか? 姉様」
『そうだねえ』
ミリスベリアの問いに、ルビィからの反応は冴えない。
『不可能ではないだろうね。体が大きいぶん、容量も桁違いに大きいのが難点だけど、ベルフォースのポテンシャルを使い切れば不可能ではないよ』
「なら今すぐにでも!」
向こう一年は帝国も手出しをしてこない。
打てる手段があるのならば、打つべきだというミリスベリアの意見を、ルビィも否定はしなかった。
『やるかい? でもね、撃ち抜くまでに周囲は相当の被害を受ける事になるよ』
「相当の被害、と言いますと」
『地形が変わるね。奴は本能で生きているから合理的だ。感応波を取り込めなくなると思ったら吐き出すだろうね。こちらに撃ち返しては来れないだろうから、吐き出す場所は自分の周りさ』
つまり、ベルフォースの攻撃が間接的にトラヴィートの兵達に降りかかる事になる。
『ん。ルロウの奴、アルカシードを出したのか。中々見どころがあるよ』
「ルルォ様が」
『ああ。流石にアルカシードだ、あの程度の魔獣相手なら危なげがないね』
「では?」
『そうだね。全力狙撃は一旦却下だね。おや?』
ルビィが怪訝そうな声を上げた。気になったミリスベリアが声を上げる前に、視界の一部に様子を映し出してくれる。
そこには、攻めあぐねている様子のアルカシードの姿が。
ルビィが遠慮なくアルカシード――の中にいるアルに通信を繋ぐ。
『ああ、あのサイズ差だと打撃だけでは手出しが難しいだろうねえ。えぇ、アル? まだ本調子じゃないのかい』
『今、マスターと方法を検討している所だよ。まだ四十パーセントしか機能が回復していなくてね。忙しいんだけど、何か用かい?』
『つれないねえ。まあいい、一カ所分かりやすく穴を開けておくれ。その内部にしっかりと一撃を叩きこんでやるよ?』
『中身まで感応波を吸収する性質がないかどうか、確認してからにしてくれないか。向こう見ずはマスターだけでお腹いっぱいだよ』
『はいはい。しょうがないね。準備が出来たら呼んどくれ』
突き放すような調子のアルに、ルビィは愉快そうに応じた。
どちらにしても、甲殻を破壊するまでは手の打ちようがないという事実については共通理解が出来ているようだ。
「では姉様。撃つタイミングを待ちます」
『察しが良くて助かるよ、ベリア。……ん?』
再び、ルビィが何かに気付いたらしい。
今度は何があったのかと思っていると、唐突に視界が流れた。
『ああ、済まないねベリア。あの馬鹿っ!』
「どうしたんですか? 姉さ、ま」
首を突然動かしたのはルビィであったらしい。驚いたミリスベリアも、ベルフォースの視界が捉えた様子に言葉を失う。
東方に、巨大な土煙が立ち上っていた。
『フニルッ! あんた何暴走してるんだい!?』
『む、ルビィか。トラヴィートに急がねばならんのでな』
『後ろを見てごらん! 地面が削れているじゃないか!』
『人里は避けてきているから大丈夫だとも。どうせ帝国の領土だ、少しぐらい嫌がらせをしても罰はあたるまい?』
『あたし達に土砂を浴びせたら魔獣の前にあんたを撃つからね』
『気をつけるとも』
言ったが早いか、土煙の原因が国境の門の前を駆け抜けていく。
その先頭に獣の姿が一瞬だけ見えたが、すぐに追いかけてきた土煙に隠れ、そしてそのまま過ぎ去って行った。
「姉様、一体何が」
『フニルグニルが駆けているのさ。全力を出したら音の速さを越えて衝撃波を生むから、まだまだ余力を残しているね、あれは』
「あの勢いで帝国領を横断してきたのでしょうか」
『ありゃあトラヴィートについても減速するかねえ。ま、今のアルカシードには心強い味方がついたって事にしとこうか』
視線をトラヴィート方面に戻し、再び魔獣を狙う姿勢を取る。
アルカシードは魔獣を圧倒している。
甲殻が割れたとして、回転中ではいかにベルフォースでも狙う事は出来ないだろう。いや、あるいはルビィの力をもってすれば可能なのかもしれないが。
「姉様。狙いを定めたとしても、魔獣が転がり始めてしまえば当てられないのではありませんか?」
『まあね。あの回転中に何の補助もなく一カ所を狙うのはあたしでも難しい。でも、目印さえつけてもらえればそう難しい事じゃあないさ』
「目印」
『アルカシードもそうだけれど、王機兵はそれぞれが攻撃した位置を目印にする方法を持っているんだ。まさかアルのやつ、その機能まで後回しにしてないだろうね』
『失敬な。ボクだって今のアルカシードが単独で倒せる相手じゃない事くらいは理解してる!』
こちらの会話を聞いていたらしく、アルが突然割り込んできた。
どうやらプライドをいたく刺激してしまったようだ。
『はいはい、悪かったね。そうそう、フニルの奴が向かっているよ。少しは助けになるだろうさ』
『ふん、もう暫く待っているんだね。魔術が通ると分かったらたくさん働いてもらうよ!』
何とも不機嫌な様子で通信を打ち切るアルに、ミリスベリアは苦笑いを漏らした。
何というか、子どもっぽいのだ。ルビィに同じような雰囲気を感じる事もあるが、今のアルには年の離れた弟――立場上は次期大公となる――を思わせる空気があった。
『まったく、変なところで意地を張る』
「姉様もたまにあんな様子ですよ?」
『なっ!?』
「王機兵の精霊とは、皆さん子どものような部分があるのでしょうかね?」
『さあね。まったく、言うようになったじゃないのさ』
言葉の調子だけで、ルビィも機嫌を損ねた様子なのが分かった。
だが、ミリスベリアは特に口を出さなかった。
敬愛する『姉』が、アルと同じようなところがあると言われた事を内心では喜んでいると分かっていたからだ。
全力で転がっていた魔獣の勢いが止められ、逆に押し返される。
その様子に、流狼は体当たりをしたものが何であったかを理解した。
「王機兵か!」
『正解。地上では最速の王機兵、獣王機フニルグニルだよ』
『その通り! そして最速であるという事は最強であるという事よ!』
燃え上がる自信に溢れた声が、大音量で響いてきた。
同時に視界の端に映ったのは、獣と人の中間であるような顔つきの青年だった。
顔立ちはほとんど人間のそれだが耳の位置が高く、そして何というか、毛深い。
「あんたが乗り手か」
『おう! ルース・ノーエネミーだ。お前は?』
「ルロウ・トバカリだ。好きに呼んでくれ」
『ルロウ・トバカリだな! よし、
「義弟!?」
この男は何を言っているのだろうか。確かに好きに呼べとは言ったが。
そして話題は既に魔獣のそれに移っていた。細かい話は後という点だけは同意できたので、ひとまず疑問を横に置く。
魔獣はフニルグニルに吹き飛ばされてこちらに向かって転がってきている。
走る勢いに任せて跳ね上がり、押さえつけるように掌打を放つ。
「
魔獣の勢いが止まる。掌にまるで受け止められたようだが、威力はそのような生易しいものではなかった。
二度にわたる衝突に重ね、撃ち込まれた衝撃が魔獣の体内を縦横無尽に通り抜ける。わずかに時間を置いて、突拍子もないところから破裂音とともに大量の体液が吐き出された。
『あれ、マスターがさっきヒビを入れた場所だね』
「少しは効いていてくれるといいんだけどな」
着地すると同時に、アルカシードの右肘の部分から爆発するような音が放たれた。
「何だ?」
『衝撃を逃がしたのさ。それにしてもあの質量相手によくこの程度で』
「衝撃を逃がすというのがよく分からないが。ひとまず機体に負担がなくなるのは良い事だな」
『本当にマスターの体術って常識を逸脱しているよね』
「非常識なテクノロジーの塊に言われたくはないぞ」
アルの言葉に言い返したところで、動きを止めていた魔獣が体を蠢かせた。
すぐに活動を再開しなかったのは体がダメージを受けているからと信じたいが。
流狼は魔獣を挟んで反対側にいるルースに声をかけた。
「ルースさん。奴の殻は感応波を吸収するそうだ。まずは殻の中の本体に魔術が通るかどうか調べたい」
『うむ、良い判断だ! よしフニル、行くぞ!』
『待たんか馬鹿者。お初にお目にかかる、アルカシードのマスター殿。私はフニル。この馬鹿の
「はあ。よろしくお願いします」
『うむ。それでだな』
「はい」
『フニルグニルは今の激突でしばらく身動きが取れないのだ』
「……は?」
『え?』
衝撃的な発言に、流狼だけでなくルースまでもが言葉を失う。
アルからは反応がなかった辺り、予想していたか確認済みだったか。
『この馬鹿が考えなしに走った所為でな。普段は感応波を先に当てて相手の勢いを殺してからぶつかるのだが、今回の相手は君の言った通り、感応波を消してしまうわけで』
「ああ、なるほど」
『乗り手は馬鹿でも王機兵だ。これで機体が破損するほど柔ではないんだが、衝撃の影響で少しばかりエラーが出ている。済まんがサポートを頼みたい』
本来は魔力で衝突の反動を軽減していたのだろうが、その為の魔力が食われてしまった為に衝撃を全て受けてしまった、と理解する。
『多分マスターの認識で間違っていないと思うな』
「フニルさん、ではアルカシードはそちらが動けるようになるまでそちらの援護に回るとするよ」
『ど、どういう事だフニル! 俺は義弟にフニルグニルの格好いいところをだな』
『やかましい。お前の蛮行の所為でフニルグニルは早速格好悪いところを晒しているのだ。少しは反省しろ』
苦言を呈するフニルに、ぐうの音も出ない様子のルース。
と。向こう側から複数の女性の騒がしい声が響いてきた。
『フニル! ルースに対してちょっと言い過ぎよ!』
『そうよ!』
『自分の主には少しは敬意を持ちなさい!』
「何だぁ!?」
アルが変な電波でも拾ってしまったかと慌てるが、それ以上に慌てていたのは向こう側のルースであるらしかった。
『うわあああ! す、済まん義弟! 聞かないでくれ! フニルっ!』
『……もう二度とお前はルロウ殿から尊敬はされないと思うぞ』
ぷつり、とわざとらしい音を立ててフニルグニルとの通信が途絶える。
何がなんだかよく分からないが、取り敢えず流狼は魔獣の注意を引くべく魔獣の殻を小突くのだった。
ディナスとルナルドーレの後を追うように塔を登ったフィリアは、扉を開けた先に居た人物を見て息を呑んだ。
「レフ、叔父様?」
「ふふ。ふはは……ルナぁ……♪」
正気を喪っている様子の叔父。ルナルドーレに懸想していたとも、流狼に敗れて心のバランスを崩したとも聞いていたが、まさかこれ程とは。
ディナスも痛ましい様子でその姿を見ていたが、唯一ルナルドーレだけは違った。
「この忙しい時に。何を遊んでいるのですか、レフ!」
先ほどフィリアを怒鳴りつけた時のディナスの剣幕など、比にもならないような声でレフを怒鳴りつけたのだ。
「ルナ。る、な?」
怒鳴りつけられたレフは何とも間の抜けた顔でルナルドーレを見た。
徐々に焦点が合っていく。混乱しているのか、周囲を見回して口を開いた。
「こ、ここは。ルナ、ディナス? それにフィリアも」
「レフ、よくお聞きなさい」
「な、何だね?」
「貴方がぼんやりしている間に、私はディナス様に嫁ぎました」
と、ディナスの腕に自らの腕を絡めるルナルドーレ。
レフはその様子にこの世の終わりのような顔をしたが、今度は正気を手放すような事もなく、すぐに真剣な表情を取り戻す。
「成程、私の恋は今度こそ破れたか。ディナスが相手ならばそれも仕方ないな。で、ディナスよ。何があった? 私はどうしてここに居るのか」
「帝国との和平。そしてそれを望まん者達とケオストスとの内乱だ」
「ケオストスが? そうか。それではケオストスに味方してやらねばならん」
憑き物が落ちた様子のレフ。フィリアが今までに見た事のないような表情だ。
彼女の知るレフは、いつでも猛々しく威圧感を放っている王だった。或いは覇気の少ない父よりもレフの方を王の中の王として尊敬していたかもしれない。
だが、今は違った。父と同様理知的で、帝国との和平を覆してまで攻め込もうと考えたという人物と同一人物には見えない。
「内乱は終わった。最悪の形でな」
「ケオストスが死んだか?」
「いや、大襲来だ」
「何!?」
レフは立ち上がろうとして、ふらりと倒れ掛かった。
慌ててベッドに腰を下ろすが、思うようにならない体の様子に疑問を抱いたらしい。ディナスが説明をはぐらかしたので、今度はルナルドーレに聞く。
「ルナ。私がぼんやりしていると言っていたな。私はどうしたのだ?」
「貴方は私への恋慕をこじらせた挙句、グロウィリアの為にと帝国との和平よりも王機兵を使っての反攻を企図しました。それをケオストス殿に止められて心を病んだ結果ここにいます」
「ああ、うん。身も蓋もない説明をありがとう。君らしいよ」
頬を引き攣らせたレフは、改めてディナスに問うた。
「場所は?」
「ガルゴッソだ。ケオストスが兵を率いてよく防いでいたが、そう長くは保たないだろう」
「ケオストスのル・カルヴィノで攻め切れんとは。オルギオでも無理か?」
「無理だろうな。王機兵の精霊殿の言葉を借りるならば、外殻が魔力を奪うそうだ。サイズも違い過ぎる、ケオストスの古代機兵でも魔術を封じられては手の打ちようがないようだ」
「そうか」
レフは莞爾とした笑みを浮かべ、体をふわりと宙に浮かべた。
上手く歩けないのならば空を飛べば良いという事なのかもしれないが、飛翔の魔術は制御が困難だ。機兵では成功例が一つもなく、生身でも使いこなせる者は数える程しかいない術なのだが。
改めて、レフという王が術にかけては掛け値なしの天才である事を知る。
「ル・マナーハ!」
愛機である古代機兵を呼んだレフの体が宙を滑り、部屋を出ていく。そのままエネスリリアの傍に現れたル・マナーハの元へと飛翔していった。
フィリアは浮かない顔でそれを見送る。
横を通り過ぎる時に、レフが漏らした呟きが微かに聞こえていたからだ。
「どうやら良い死に場所を得られそうだ」
程なく動き出したル・マナーハが転移陣に乗り、その姿を消す。
「ルナ様。叔父様の事は」
「そうですね。ディナス様と巡り会えなかったならば嫁ぐのも良いかなと思う程度には」
「叔父様は、もしかして」
「ええ。民を慈しみ臣を愛し、彼らを護る為にその命を費やすでしょう」
ディナスもルナルドーレもこうなると分かっていたのだ。
フィリアはそれ以上、何を言う事も出来なかった。
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