第四話 妖気断つ一刀

 その感覚が襲ってきた途端、書斎にいた兄妹は先を争うように裏庭の見える窓に殺到した。

 兵士として日々訓練を積んでいるダスティンより遙かに速い反応である。


「すごい魔力です兄様! 例の魔方陣の影響でしょうか!!」


「いやいや、この感覚は昨日魔方陣が現れたときとはまるで違うよ! 同じく未知の感覚ではあるが属性はまるで別さ!!」


「ああ! なんてことでしょう。謎の魔方陣にタダツグさんと来て、さらに新たなテーマが生まれました!!」


「まったくだ!! それもこの量! 感覚だけなら儀式魔術クラスだ心が躍る!!」


「お二方!! どんな危険があるか分からんのです! 少し離れていてください!!」


 興奮する二人を、ようやく精神が状況に追い付いたダスティンが、二人の襟首を掴んで窓から引き離す。


「放したまえ騎士ダスティン。知恵の神が我々を呼んでいる!!」


「幻聴です!! っていうかあの辺りってさっきから魔術を打ちまくってる場所じゃないですか!! 危険すぎます!!」


「危険を恐れていては何もできませんよダスティンさん! すべて発見は危険のるつぼから生まれるのです!!」


「そうだともよく言った妹よ! というか騎士ダスティン、そもそも話がここまで拗れたのは君が考えもなく【空拳弾≪エアブロー≫】なんか使って、彼を窓から放り出すようなまねをしたからだろう? さあ、責任を感じるならその手を放したまえ!!」


「それとこれとは話が別です! 後でどのようなお叱りでも受けますから、とにかく今はここに――」


「隙あり!!」


「あっ!!」


 自身の主人の一人が自分の腕をすり抜けたのを知覚し、ダスティンは慌ててエミリアの方に目を向ける。

 自身の注意が兄に向いているうちに素早く脱出したその手口に舌を巻くと同時に、エミリアが逃れた先には窓しかないのを見て、まだ間に合うと判断した。部屋の扉は自身の背後。通り抜ける前に捕まえられる、と。

 だがエミリアはまるで躊躇することもなく、窓から裏庭に飛び降りた。


「ちょっ!!」


 慌ててエルヴィスを捕らえたまま窓に駆け寄ると、地上に無事降り立ったエミリアが先ほどの魔力のもとへと走っていくのが見える。どうやら何らかの魔術で無事に着地したらしい。主二人が自分たちで興味の向くままに新たな魔術を開発していることを考えれば、この程度予想するべきだったかもしれない。


「おのれエミリアァ!! 兄を、たった一人の兄を見捨てて行くというのかぁ!!」


 劇場でやれば大層な名演技になりそうな主人の悲鳴を聞き流し、ダスティンは内心頭を抱える。どうして自分たちの主人はここまで危険を危険と思わないのか、と。


「あの、旦那さま、団長」


「む?」


「ん?」


 背後の声に振り返ると、困惑した表情のメイドが入り口付近に立っていた。ダスティン自身は名前も知らなかったが、確か最近雇った人間のはずだ。


「どうした?」


「あの、今正門の方に帝国騎士団の方がお見えになっているんですけど……。騒ぎと今の魔力にただ事ではないと感じたらしく……」


「実験の最中だと言って追い返せ」


「多角的変形合体術式による、魔力構造の高次変換術の実験だと言えばたぶん帰ってくれるよ侍女アイラ」


「は、はい」


 二人の慣れた対応に顔を引きつらせたメイドが走り去るのを見て、ダスティンは一つため息をついた。どうやら自身もかなりこの家に毒されているらしい。


「……ところで、今の多角的なんとかって何です?」


「思い付いた言葉を適当に並べただけだけど?」


 悪びれもなく言ってのけた主に、ダスティンは再びため息をついた。






 水の牢獄を斬り捨てて地面に着地した忠継は、自分の服が急速に乾いていくと言う事態、さらには飲んでしまったはずの水が体の中で消滅すると言う感覚に不気味なものを覚えた。やはり今の水はまっとうな水ではなかったようだ。


「おい、なぜ【水賊監≪アクアリム≫】を解除した!? まだ捕縛できるような状態ではないぞ!?」


「そ、それが、こちらは維持しようとしていたはずなのに、いきなり術自体が消滅してしまって……!!」


 周囲で慌てふためく天狗たちの声に内心でほくそ笑みながら、忠継は自身の右腕と両手で握る刀に注目していた。刀には彼らが放つ物とはまた違った妖気がまとわりついており、その源らしい大きな妖気が右腕から発せられている。ちらりと右腕を確認すると、妖気の特に集中する腕に刀の刀身状の紋様が輝いているのが見えた。斬れなかった水の檻が斬れたのはこれのせいかもしれない。


(いよいよ話が御伽草子じみてきたな……。まさか本当に俺も妖怪化しかけているんじゃないだろうな?)


 相次ぐ自身の変化に、忠継は大きな不安を覚える。だが、すぐにその不安を心の片隅に追いやった。今は目の前の天狗達を相手にするのが先だ。

 見れば、天狗の数はさっきよりもさらに増え七人に上っている。しかも取り囲まれているとなれば、とても考え事をしている余裕はない。


「とにかく捕えろ!!」


 忠継が刀を構えなおすと同時に、周りの天狗達も一斉に動いた。次々に手の先に図形と文字を展開し、妖気を発して半透明の鎖を飛ばしてくる。


「えぁあああ!!」


 四方から襲ってくる鎖を、刀のひと振りで弾き飛ばす。そう目論んで放たれた一刀は、しかし豆腐か何かを切るような軽い感触によって裏切られた。

 火花をあげて弾き飛ばされるはずだった鎖は、鉄とは思えないあまりに軽い手ごたえと共に斬り捨てられ、空気のはぜるような音と共に跡形もなく消滅する。


「なにぃ!?」


 一人剣を抜き、忠継に向かって走り寄っていた天狗の顔が驚愕に染まる。恐らく鎖で捕らえたところを攻撃するつもりだったのだろうが、その目論見は忠継にさえ予想できなかった形で裏切られてしまった。

 ならばと、そのまま剣によって制圧しようと振り下ろされた剣はしかし、忠継の刀に横から叩かれてあっさりとその軌道を変える。


「うおっ!?」


 大きく体勢を崩しながら、天狗は再び驚きの悲鳴を上げる。そして、その隙を見逃す忠継ではない。がら空きになった天狗の胴体に狙いを定めると、右足を振り上げて思い切り蹴りを叩き込んだ。

 直後、響いた音はおよそ人間の蹴りによるものとは思えないものだった。


「ぐぼぉっ!!」


 腹から根こそぎ空気を吐き出し、天狗の体が重力を超える。

 金属の鎧を歪めるほどの蹴りは、そのまま天狗の大柄な体を吹き飛ばし、背後の天狗を巻き込んでその後ろの木に叩きつけた。

 一瞬誰もが我を忘れるようなでたらめな威力。現実をバカにしたようなでたらめな飛距離。しかしそれに対する天狗達の対応もまた早かった。


「大人しく、しろォ!!」


 天狗の一人が図形を上に差し向け、再び忠継の頭上から影がさす。見上げるまでもない、その頭上には先ほど忠継の動きを奪った水の檻が、天狗の手元から鎌首をもたげる蛇のように迫っていた。

 だがそれすらも振るわれた忠継の一閃で消滅する。


(妖気だ……!!)


 追撃をかけようと背後から迫る妖気の感覚を、迫りくる空気の砲弾を振り向きざまに斬り捨てて忠継は確信する。


(妖気を放つものが斬れるのだ……!!)


 先ほど天狗の剣をはじいたとき、忠継の刀は確かにその刃で相手の剣を打っていた。だが、結果として剣は折れることもなく、いまだ地面に投げ出される形で存在している。

 対して先ほどの鎖は明らかに金属のようなものであったはずなのに、忠継の刀にいともた易く斬り捨てられている。この二つの間にある差は何か。


(理屈は分からんがこの刀、妖術や妖気を斬れるらしい。理屈はまるで分からんが――)


 次々に飛んでくる多種多様な妖術を片っ端から斬って捨て、忠継は周囲の中で最も包囲が手薄な個所に疾走する。


(――この場を斬り開けるなら何でもいい!!)


 先ほど文字どおり蹴り飛ばした天狗の抜けた穴を、周囲の天狗を蹴散らす形で強引に通り抜け、忠継は真っ直ぐに森の奥を目指して走る。

だが、


(くぅ! さっきからの騒ぎで天狗どもが群がっているのか!?)


 付近から響く男たちの声、そして忠継に向かってくる妖気の数々に歯噛みする。忠継に届く妖術こそ少ないが、それでも注意深く回避し、斬り捨てなければならないこの状況は長時間維持できるものではなかった。


(前にもか!!)


 次々と打ち込まれる妖術の数々をかわしながら、忠継は前方に一塊になっている数人の天狗たちの姿を見つけた。だがこの天狗達は、ほかの天狗とは装いが違い、白一色の奇妙な服を着て、皆一様にこちらに気づいて恐怖の表情を浮かべている。どうやら訓練を受けた兵士という訳ではないらしい。


「そこをどけぇえええ!!」


 ならばとばかりに忠継は声を上げ、白衣の天狗達を威嚇する。案の定白衣の天狗達は声によって我を失い、あるいは正気に戻って蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 これで忠継の走りを阻むものはいない。周囲の天狗達も背後に置き去りにしている。このままいけばほどなく巻けるだろう。

 だがそう考えたとき、忠継の足元からこれまでとは比べ物にならない巨大な妖気が噴き出した。


「なっ!!」


 驚き、忠継は自身の足を急停止させる。見れば忠継の周囲の地面が、上に生えた植物の下で発光し、線と図形と文字を大量に形作っていた。


「くぅっ!!」


 慌てて光の範囲から逃れようと飛び退くが、それと同時に忠継の目の前、ちょうど円を描く光の中心にあたる場所に、黒い穴がぽっかりと口をあけていた。

 そう認識した瞬間、穴が拡大して忠継に向けて急速に接近する。まるで口をあけ、忠継を飲み込まんとするかのように。


「飲まれて――」


 対する忠継はそれに刀でもって答える。


「――たまるかぁ!!」


 空中で刀を握り、着地と同時に穴に向けて思い切り叩きつけた。

 瞬間、莫大な妖気の奔流が周囲に向かって吹き荒れる。


「ぐっ、ううううう!!」


 覚えたばかりの妖気の感覚を強烈に刺激され、忠継は強烈な目眩に似た感覚を覚える。周囲でも天狗達が動きを止め、その感覚に耐えているのが分かった。どうやら彼らにとってもこの感覚は良いものではないらしい。


「……ハァ、……ハァ、……ハァ。フゥー……、フゥー……、フゥー……!!」


 どうにか妖気の奔流が収まった後も、忠継は猛烈な嘔吐感に襲われる。息が荒くなり、膝が笑い始めているのがわかる。どうやら今の感覚によって体に変調をきたしたらしい。足元にあった光も穴も消えているが、すでに忠継の体は走れるような体調にはなかった。


(く、そ……!! 罠だとしたらたいしたものだ。……いや、何人かの天狗どもも同じような状態のところを見ると、罠ではないのか?)


 ふらつく体でそう考えながら、忠継は必死に体をもち直そうと歯を食いしばる。四肢にはほとんど力が入らないが、それでも刀だけは手放さなかった。最悪でも刀さえあれば戦って死ねる。

 しかし、忠継がそう覚悟を決めたとき、目の前の天狗の群れの中から場違いに明るい声が聞こえてきた。


「皆さん!! さっきのすごい魔力は何ですか!? ほとんど大型の儀式魔術並の魔力量でしたけど……、って皆さん! 魔力酔いになってるじゃないですか!!」


 天狗の群れをかき分け、現れたのは同じく天狗の女、エミリアだった。着ている小奇麗な服にあちこち木の葉をつけたエミリアは、周囲にいる天狗の制止を無視して地面に膝をつく天狗達に駆け寄り、頭や手首に触れ始める。


「これはしばらく休まないと治りませんね。そっちの……ってタダツグさん?あなた顔が真っ青ですよ!!」


「来るな!!」


 忠継を見つけて駆け寄ろうとするエミリアに、しかし忠継は刀を突き付けて威嚇する。


「何を……、する気だ……!?」


「何って診察ですよ!! 見たところあなたがこの中でも一番ひどい症状です。診察して手当てしないと」


「手当てしてどうする?」


「へ?」


「その後とり殺すのか!?」


 キョトンとするエミリアに忠継はなおも言葉を叩きつける。そこで忠継は最初のときもこの女とは会話がかみ合わなかったなと思った。


「答えろ女! 俺をどうすつもりだ? お前達は俺を捕えて何がしたい?」


「別に何がしたいって訳ではないですけど……」


 そう言ってエミリアはあごに手を当て考え始める。その表情には邪悪なものはなにも感じられず、奇妙な無邪気さだけがそこにあった。


「強いて言うならあなたのことがもっと知りたいです!」


「……なに?」


「あなたの国のこと、さっきの魔力のこと、他にもいろいろ、あなたにすごく興味があります。あなたに関わることが全部知りたいです」


「……」


 放たれた言葉に毒気を抜かれ、忠継はしばし呆然と立ち尽くす。見れば、周囲にいる天狗達も同じような顔をしていた。中には呆れたように頭を抱えるものまで出始めている。


(なんだこれは……? 俺が斬り結んでいたのはこんな滑稽な連中だったのか?)


 同時に、忠継の中で兄が以前言っていた言葉が蘇る。

 『見た目が違い、言葉が違い、使う技術が違っても異人は同じ人。だからこそ私は彼らのことが知りたいのだ』という言葉が。

見た目が違い、妖術を使う時点で忠継には目の前の者達が人とは思えない。

だが、一方で相手のことを知りたがる気持には自分たちと似たものが感じられる。

 ならば、異人と自分、天狗と人の差異とはいったいなんなのか。


「……いいだろう。勝手にしろ」


「はい?」


「刀を収めると言っているんだ。……どうせ俺には、天狗といえども女は斬れん」


 答えが出ないまま、しかしそう言って忠継は持っていた刀を鞘に収める。パチンという音とともに刀が鞘に隠れると、急に体の力が抜けていくのを感じた。


「煮るなり焼くなり好きにしろ……」


 口からは悪態をつきながら、忠継の意識は急激に闇へと落ちていく。

 だが一方で忠継は、自身の中に自棄とは違う悪くない感情が芽生えるのを感じていた。

 自分の知らないこの場への、期待という感情が。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る