在るべきか在らざるべきか

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 ぺらり、と本をめくる。読み進めているのは歴史書だ。私は、神は存在しないと思う。こんな不可思議現象を経験しておいて何を、といわれるかもしれないが神様、といわれると反射的に胡散臭いと思ってしまうのだ。信仰や宗教を馬鹿にするつもりはない。システムとしてとてもよくできていると感心している……等というと信者の方々には怒られてしまうな。ふむ。まぁ良いか。

 ところがこの世界では違う。私はどうやら本当に愛し子という生物らしい。記憶力はよくなっているし、腕力は……比較対象がもともと非力な女性だったから何とも言えないがかなり強いと思うのだ。そうなると私からしてみると、この世界に【愛し子】という新種の生物が発生しようとしているのではないかと考える。人類から特別変異で愛し子が生まれている。現状特別変異だが、傾向は似通っている。ならば愛し子同士で集まって、子を成し続ければ愛し子しか生まれなくなるのではないか、と。

 だが、この世界の常識で言うと、愛し子は創世の女神に愛された子供。別種のイキモノというわけではないようだ。ま、そりゃそうか。そもそもこの世界で進化論が存在するわけではないようだし。そもそも進化論が正しいという証拠も、地球にあったわけではない。ミッシングリンクとか浪漫だったよな……いや、異世界で地球の生物進化の謎に思いを馳せてもちょっとあれだな。やめておこう。


 歴史書を読んでなぜ私がこんな益体もつかないような神様や進化や生物発生について考えているかというと、歴史書が神話であるかのようだからだ。日本書紀だって最初は神様の話から始めているわけでからおかしいってほどじゃないけど。統治者に権威を持たせるために始まりに神、という存在を置いて、その末裔もしくは全権をゆだねられた一族、としておくのは理屈に合っている。私だってもし権力者になるなら宗教を利用しようと努力するさ。できるできないは別として。




 いま読んでいるのはこの国が出来て中ごろ、詳しくはわからないが800年ほど前のことのようだ。愛し子の中でも特に女神に愛されたとされる女性が、落ちぶれかけていた王家に嫁いで盛りたてたってのが流れだが。中興の祖って感じだね。それでも神の奇跡、愛し子の奇跡みたいな表現は多い。魔法も普通に現存するようだし。

 読み進めながら手を伸ばして、紅茶を一口。目をやらずにカップをソーサーに戻したところでこの体にも慣れたなぁ、と感慨深く思う。保護されてひと月。面白いことにこの世界……いや、国か。統一された暦は存在しないようだから。この国の暦はほぼ私が慣れ親しんでいるものと同じだ。一年は12の月に分けられ、それぞれに30の日が属している。時間にはあまりこだわらないようで、朝日が昇る時、正午、日が暮れる時の三回だけ、鐘が鳴らされる。まぁ時計のような複雑な機構は必要ないと言えばないか。

 この一カ月で慣れてしまったな、本当に。悲しいのか、残念なのか……何とも言えない気分で歴史書を脇に寄せて、窓から外を見る。軽いため息をついてから、また紅茶を一口。手の長さ、顔の位置。そんなものを全く意識せずに普通に行動できる。むしろ、ここまで来てしまったら元の私の体に戻ったときに感覚を戻すのが大変そうだ。それが、悲しいような。残念なような。

 もともとの私の女性としての体。日本での生活。取り戻そうにも方法がさっぱりわからない。ファンタジーなどの異世界召喚物語では主人公を呼び出す存在があったのに、私は仮に呼ばれたのだとしても接触していない。だからこそ余計に困る。何をすればいいのかがわからない。


 諦めるつもりはないのだ。私は女で、太陽系第三惑星地球の日本という国での自分の立場を、手放すつもりはないのだから。


 色々と現状を理解できるようになってきたからこそ、困るのだ。

 私は一体、何をするべきなんだろう?

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