あなたの頭、お作りします! 〜デュラハン防具職人の業務日誌〜

遠野さつき

第1部

1話 非日常は突然に

 人生には退いてはいけないときがある。


 今がそのときだ。


 下にいる仲間たちはすでに疲労困憊。みんなの未来はこの手にかかっている。


 もうもうと立ち込める霧の中、アルティは兜を振りかぶった。


「行け! アルティ!」


 眼下に向かって、バルバトスが手を離す。落下するアルティに気づき、コバルトブルーの鎧に身を包んだデュラハンがこちらを見上げた。


 兜がないので赤目は見えない。けれど、確かに目が合ったような気がした。


「あなたの頭――」


 耳元でひゅうひゅうと風が鳴る。それに負けないよう、全力で叫ぶ。


「お作りしました!」


 確かな手応えを感じた瞬間、脳裏に眩い太陽の光が閃いた。


 あの夏の日が、全ての始まりだったのだ。






「ただいま帰ったぞ、弟子よ!」


 玄関のドアが勢いよく開き、何かが外で落ちた音がした。


 容赦のないクリフの腕力に負けて、店のあちこちが悲鳴を上げる。ドアベルがうるさく鳴り響く中、頭上の魔石灯から買ったばかりの人工魔石が床に転げ落ち、アルティはカウンターで頭を抱えた。


「師匠! うるさい! ドアは静かに開けてって何回言わせるんですか!」

「何を言うとる。心身を鍛えてやろうという師匠心じゃろ」


 しれっとした顔で、真っ白な髪と髭を揺らしながら、ずかずかと近寄ってくるクリフに内心ため息をつく。いつだってこうだ。人の話なんて、ちっとも聞きゃしないんだから。


「相変わらず賑やかだね」


 拾い上げた魔石を魔石灯にセットし直してくれたデュラハンが笑みを漏らした。


 ラドクリフという名の常連のお客さまだ。立派な男性体である彼は、他の種族よりも頭一つ分は高い。納品したばかりの、ルビーみたいに鮮やかな赤の鎧兜が、窓から入る夏の日差しによく映えていた。


「一応、確認してくれる? 魔法紋は問題ないし、壊れてはないと思うけど」


 魔石灯から垂れ下がった紐を引くと、白い光が明滅してぱっと点いた。


 どこのご家庭にもある安物だが、魔法を使えないものにとっては大事な資産だ。ほっと胸を撫で下ろすアルティに、ラドクリフが可笑しそうに肩を揺らす。


「じゃあ、俺はこれで。また来るよ」

「ありがとうございました! またご贔屓に!」


 外に出たラドクリフのあとを追いかけ、愛想のいい笑みを浮かべて深くお辞儀をする。客商売の基本は挨拶だ。少しでも好印象を残して次回の受注に繋げなくてはならない。


 そんな商売っ気を知らぬラドクリフは、相場より少し多めのチップを握らせると、手を振って雑踏の中に足を踏み出した。


 弾む足取りを見る限り、今回の仕事もご満足頂けたようだ。作った本人は店の中でふんぞり返っているけど。


「ああ、もう……。大事な看板が……」


 いただいたチップを作業着のポケットにしまい、地面に転がった看板を拾い上げる。


 ストロディウム鋼を使った銀色の一枚板だ。鉄より軽いといえど、両手でしっかりと持たなければいけない程度には厚い。


 金槌と風切り羽をかたどった屋号紋の下には、癖のある金釘文字で『デュラハン専用鎧・兜製作 シュトライザー工房』と彫り込まれている。


 そう、ここは天下のラスタ王国の首都、グリムバルドに店を構える老舗の工房だ。


 顧客はデュラハン一択のニッチな商売の割に、八十年の長きに渡り地域の皆さまに愛されてきた。現店主はクリフ・シュトライザーというハーフドワーフの老人で、ラスタ中に名を轟かせる腕利きの職人である。


 アルティはその弟子として、日々修行と雑務に明け暮れている。


 帳簿づけや業務日誌の作成、資材の発注、掃除、洗濯、食事作り……全てがアルティの仕事だ。その日のうちに終わらずに夜を明かすことも多い。


 明らかな過重労働だが、残念ながらこの工房にはクリフとアルティの二人しかいない。クリフの厳しさに耐えかねて、他の弟子は全て逃げ出してしまったのだ。おかげでまだ十八歳なのに、すっかり所帯染みている。


 奉公に出されたときから覚悟はしていたが、なかなかブラックな職場である。


「いつになったら一人前になれるんだろ……」


 隣の工房の壁に立てかけてあった脚立を拝借し、看板を取り付ける。


 磨きすぎて鏡みたいになった表面には、つんつんした赤茶色の髪と古びた煉瓦色の瞳が映り込んでいる。


 相変わらずしまりのない顔だ。威厳と貫禄のあるクリフとは違って、少し垂れ目気味の幼い顔がアルティは嫌いだった。


 大家族の貧困家庭で育ったからか、歳の割に体だって小さい。せめて、もう少し筋力があれば、金槌を振るうのも苦にはならないだろうに。


 傷だらけの手のひらに目を落とす。マメやタコができて多少硬くなったとはいえ、まだまだだ。この工房に来て六年が過ぎたが、とてもクリフの足元にも及ばない。


 口減らしで送られた身の上だ。家族仲が悪いわけではないが、故郷に戻る選択肢はない。なんとかクリフから技術を受け継ぎ、独り立ちする。それがアルティの目下の目標だった。


「アルティ!」

「はーい! すぐ戻ります! ……まったく忙しないんだから」


 脚立を返し、店のドアを開くと埃の匂いが鼻をついた。よく見ると、隅に結構な量が溜まっている。ここ最近、工房にこもりきりだった弊害だ。


 玄関から向かって右側には鎧がずらりと並び、左側の棚にはつやつやと輝く兜が整然と置かれている。昼間はともかく、夜に見ると生首が並んでいるみたいで少し怖い。


 一番奥に設置したカウンターのスイングドアの向こうには、工房に続く入り口がある。クリフは工房に引っ込んだようだった。


「師匠、ラドクリフさま、満足して帰られましたよ」

「……ラドクリフ?」

「さっきいらしたでしょ。イフリート鋼を使った、赤い鎧兜の男性体のお客さまですよ」


 ラドクリフ、クリフと名前は被っているが性格は全然似ていない。あの穏やかさと気前のよさを少しは見習ってほしい。


「ああ、マルグリテ伯爵家のボンボンか。そういや、今日が納品日じゃったな。ドラゴニュートとタイマンなんて張るから鎧が溶けるんじゃ、あの馬鹿たれ」

「……まあ、耐熱仕様にしたので次からは大丈夫でしょう」


 クリフにかかれば貴族も形無しだ。この客商売に向かない性格のせいで、アルティが顧客対応を一挙に引き受ける羽目になっている。


「それより師匠、その両手の荷物はなんです?」


 さっきはスルーしたが、日夜ゴツい金槌を振るう両腕には大きな紙袋が抱えられている。一体何を買ってきたのだろうか。日用品や食料品の買い出しはアルティの担当だ。在庫を切らしていたものはなかったはずだが。


「明日から旅に出るんでな。その準備じゃ」

「は?」


 また何を言い出すのか、この老人は。


 食い入るように見つめるアルティに、クリフは白く輝く歯を剥き出して笑った。


「北方のウィンストンで新しい鉱物が発見されたそうでな。ちょっくら行ってくる!」

「いや北方って、この間までラグドールと戦争やってたじゃないですか! さすがに危険すぎます! やめてください!」


 このラスタ王国は首都を中心として、ややだ円状に国土が広がっている。東、西、南の隣国とはそれなりにうまくやっているが、北方のラグドール公国とは数百年に渡って仲が悪い。ついこの間も派手にドンぱちやらかしたばかりだ。


 半年前に着任した新しい将軍の手腕によって、長きに渡る因縁にもようやく終止符が打たれたばかりだが、まだ治安は回復していないだろう。たとえクリフが人よりタフだといえども、五体満足で行って戻ってこられる保証はない。


「それに、店どうするんです! 師匠がいなきゃ……」

「アルティよ」


 アルティの言葉を遮って、クリフが神妙に頷く。


「人はいずれ巣立たんといかん。これは絶好のチャンスだと思わんか?」

「思いませんよ!」


 即座に切り返すアルティにクリフが小さく舌打ちをする。その顔は悪事を咎められた不良老人そのものだった。


「うるさいのう、お前は。仕方ないじゃろ。まだ見ぬ鉱物がワシを呼んどるんじゃ。同業者に全部持ってかれてもいいんか? これが今よりも有用な鉱物じゃったら、シェアを奪われるかもしれんぞ」


 ぐっと言葉を飲み込む。技術の進歩は日進月歩だ。今はトップを走っていても、少しの油断で陥落することはよくある。


 黙り込んだアルティにクリフがにやっと笑う。


「まあ、大丈夫じゃ。今は新規の製作依頼は入っとらんし、くるとしても修復依頼ぐらいじゃろ。お前の腕なら、それぐらいは対応できる。いい加減、自信を持て」


 そう言って、怯むアルティを尻目にクリフは明朝旅立っていった。

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