ひかうき

みうら

1.雪哉という男について

「りょーよーさんって、絵へただよね」


雪哉せつやが、そう言って笑った。


奥村涼陽りょうよう

奥村、あるいは奥村さんと呼ばれている私を下の名前で呼ぶのは雪弥だけである。


「急にどうした、仮にも上官に対して失礼な……。まあ、でもそうだな、私は絵が下手だ」


ため息をついて首肯した。自分の絵の色使いの奇特さであったり、輪郭の汚さであったりは自覚している。


絵を描くことは好きでない。小さい頃、友人たちに笑われたからだ。

それ以降、すすんで絵筆をとったことはなかった。


「でも、俺は個性があっていいと思うよ、りょーよーさんの絵。この馬なんか芸術的じゃん」


と、紙を指差した雪哉に、どうして急にそんなことを言い出したのか合点がいった。


「あのなあ……これはシャラとうの地図だ。私が藝術の講義以外で絵を描くわけがないだろう」


「あ、これ地図なんだ。ゴメン、俺の無教養だわ」


雪哉がケラケラと笑った。


こんないい加減な男だが、銃を持たせたら百人力である。


戦いにはめっぽう強いが、上下関係や規律を軽んじるところがある。戦法や地理などの基礎知識の方はからっきしであり、それを恥じようともしない。


そんな事情から後方にまわされてくすぶっていた雪哉を、卒業後すぐ自分の隊を持つこととなったときに拾った。学生時代、少しばかり関わりがあったため、彼の射撃の正確さはよく知っていたのだ。


私は元々民間で働いていたから、根っこからの軍人よりかは上下関係に厳しくない。


──ともかく、人に地形を正確に伝えるのは、本営の不手際で地図がまわってこないことの多いこの国の軍人として必要不可欠な能力である、らしい。

従って、製図についてはある程度のレベルには達している。

どうしても、苦手意識は持ってしまうが。


特に、「次の派遣先」にはつい最近併合した島や敵国の島が多く、末端の将校である私達には地図が全くまわってきていない。各隊ごとの行動が重要になってくる群島での作戦でそれは死活問題であり、地形情報の共有は必須であった。


本営の無能さにはため息をつくしかない。噂によると、貴族のボンボンが幅をきかせているとか。


「しゃら…って、どこだっけ?」

「この島から真南に64キロ、今の前線になっている島だ。軍事学校で習ったはずだが?」

「ん〜、覚えてない。うちの領土なのかすら分からないな」


でも、どうせ小島だろうし行く機会もないでしょ、と欠伸を噛み殺しながら答える雪哉。


「馬鹿。今回の遠征先だぞ」

「マジで?……てか前線って言ったよね。結成したばっかでまだ練兵も終わってないりょーよーさんの隊じゃ、大勢死ぬよ」


真顔で言われる。


「そうだな……悲しいが、それが本営の判断だ。仕方ない」

「仕方なくはないよ。下手すりゃ俺も、りょーよーさんだって危ない」

「仕方ないんだよ。それが軍隊で、戦争だ」

「俺、りょーよーさんのそういう所、嫌い」


そう言い、雪哉が私の頬に唇を落とした。

猫のような男だ、と思う。


見目も良く、愛想もいい。軍人とはあまりうまくやっていけるたちではないと思うが、若い女とならそんなことはないだろう。

本当に、わけの分からぬ男である。


「元商社マンのえりいとが、なんでこんな血生臭いところに来たの?」


半笑いでそう聞いてきたあの日から、雪哉はこうして、私に気まぐれにキスをする。

単に勉強ができるだけの私と違い、ひたすら実戦で研ぎ澄まされてきた彼。


「離しなさい。もう、自分の部屋に戻れ」


なぜか拒否感を覚えない私自身が、ときどき怖い。

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