10days of the HITMAN
登美丘 丈
ヒットマン誕生?
相手には何の恨みもなかった。
俺は、アパートと散髪屋の間の路地で息を殺していた。
ナイフがうまく握れない。おまけに緊張のせいで汗をかき、そのため滑り落としそうだ。汗をかくのは掌だけだった。真冬だ。路地だ。風が吹き抜けていく。寒い。緊張の脂汗。
それでも何とか標的に神経を集中させる。とにかく仕事を成功させることしか考えていなかった。
俺はチンピラだ。いや、チンピラ予備軍だ。だが、この仕事をきっかけに、ヤクザへの道を歩むつもりでいた。
だからとにかく今は、標的を刺すことしか考えていなかった。相手がどんな人間でどういう過去を背負い、何を考え、誰と人生を歩んでいようが関係なかった。そう自分に言い聞かせた。
「しかし……それにしても、ヒットマンなのに、道具がナイフとはな……情けねえよ。まあ、でも、仕方ないか。俺は組員でもなければ、組の準構成員でもないんだからな……」
風俗の呼び込みをしているところを、スカウトされた。地回りのヤクザに声をかけられたのだ。
「いつまでもそんな仕事してねえで、一発勝負して、大きくならねえか?」
俺は、仕事の内容も聞かずに、二つ返事で「やります!」と答えていた。
大きくなるというセリフにグッときたのだ。
そして……仕事内容は、ヒットマンだった。
しかし、人を殺す仕事だと聞かされても、俺の決心は変わらなかった。それどころか、ビッグになれるという確信が湧いてきたほどだ。
ただ、言わば部外者の俺には、拳銃を与えられることはなかった。今、コートの内ポケットで握り締めているナイフも、俺が近くの金物屋で、自分で選んで買ったものだ。
三千円もした。俺にとっては大金だったが、それでもヤクザへの道が拓けるのだと思うと、安いものだと思った。
暴排条例とやらで、ヤクザの衰退が叫ばれて久しいが、俺のようなハンパな人間にとって、ヤクザはやっぱり憧れの的だ。
ヤクザでは食えないとよく言われるが、ヤクザという職業に憧れていた。稼ぎが少なくても好きだから仕事を続けています、世の中には、そういう人間が山ほどいる。俺もその一人だ。
出来の悪いガキだった。
勉強もスポーツもダメ、チビで小太り、顔は不細工、友達もいなかった。
それにひきかえ、ふたつ下の弟は、何もかも俺と正反対だった。
まわりは、俺と弟を、何かと比較した。俺は、そんなまわりの目に耐えられず、拗ね、弟を妬み、中学に上がると、ワルと呼ばれるグループに入り、非行に走った。
元々、気が小さく、喧嘩も弱く、グループに入ったといっても使いっ走りで、いつも誰かの影に隠れてコソコソ悪事を働いていた。
だから大した罪を犯したわけではなかったが、要領が悪い俺は警察に何度も捕まり、少年院にも入った。
両親は迎えにきてくれたが、俺の更生を期待していないことは肌で感じたし、弟にすべての期待をかけていることも理解していた。
俺はいつしか、そんな両親と一切会話をしなくなっていった。会話は常に一方通行だった。ふた言目には、「もっとしっかりしろ!」だの、「勉強していて損はないから、学校へ行け」だの、「煙草はやめろ」だの、小言ばかり言われたということもある。そして、弟には一切そんな小言を言わなかったということも、俺は面白くなかった。弟の場合、注意されるようなことをしていなかったからだが……。
俺は親に小言を言われれば言われるほど、反発し、俺の心はどんどん離れていった。
高校も中退した。そして家を出た。
俺の実家は小さなスーパーを営んでいた。ガキの頃、俺は自分の家の商売が好きで、誇りに思っていた。朝早くから新鮮な魚や野菜を仕入れに行き、夜遅くまで働く両親。学校から帰ると、いつも家に両親がいるという安心感。真面目な両親の背中を見て育った俺は、幼心にも幸せを感じていた。
だが、いつしかそれがダサいと思うようになった。お洒落なコンビニができたり、再開発によって大きなショッピングセンターが建ち並ぶと、途端、実家のスーパーがみすぼらしく見えたのだ。真面目に生きる両親をダサいと思ったのだ。
もちろん、全く期待されないことへの反発もあった。
そして、このままブラブラしていたら、跡を継がされる羽目になるかもしれないと思った俺は、家を出たのだ。
家業を継ぐのは嫌だった。俺はもっとデカイことをしたかったのだ。
風の便りに、店は弟が継ぐことになったと聞いた。全てにおいて小ぢんまりした弟にはピッタリな仕事だと思う。両親も真面目な弟が継いでくれて安心だろう。
今思うと、あのまま家にいても、俺が跡を継ぐことはなかったに違いない。両親が、俺のような奴を跡継ぎに指名するはずもない。
ただ、俺はこれで完全に家族との縁が切れたと思った。
元々体の弱かった父親も跡継ぎができてひと安心だろうし、母親も俺のような馬鹿息子より、弟が店を切り盛りする方が安心だろう。俺のことなんて、死んだものだと考えているに違いない。それが証拠に、家出人捜索願を出した気配もないし、俺を探した様子もないからだ。
家を出たその足で、俺は都心のヤクザの組を訪ねた。とにかくデカイ男になりたかった。
学歴もない、何かをする資金もない、コネもない俺は、ヤクザになるしかないと思ったのだ。いい女を連れ、いい車に乗り、金をばらまく男になりたいと思った。それが当時の俺にとってはデカイことであり、デカイ男だったのだ。
俺は、組員にしてくれとお願いした。だが、もちろんすぐに組員になれるわけもなく、俺は住み込みで下働きをすることになった。
想像していた世界とは違った。俺はまるで奴隷のような扱いを受け、兄貴分たちの鬱憤を晴らすためのサンドバッグにされ、メシは食わせてもらえたが給料はもらえず、俺はすぐに逃げ出していた。
それからの俺は、その日を生きるために、色々な仕事をした。
現場仕事、清掃、バーテン、新聞配達員……仕事がない時には万引きをして食いつないだ。新聞配達をしていた時以外は住所不定、敢えて言うなら住所は公園だった。
そんな生活を約八年続けた俺は、風俗の呼び込みの仕事にありつき、その最中、ヤクザにヒットマンとしてスカウトされたのだった。
話を持ちかけてきた男はまだ若く、俺と変わらない年齢のようだった。だが、弟分を連れており、羽振りが良さそうだった。
毎日、絵に描いたように同じ行動パターンをする標的を殺してくれと、男は言った。
標的は、敵対する組織の人間ではなく、不動産会社経営の男だった。組との間に、何かトラブルがあったのか、敵対関係にあるのか知らないが、とにかく殺してくれというものだった。
詳しいことは教えてくれなかった。当然だろう。俺は部外者だ。
翌日、俺は下見に行った。標的は、八十は軽く越えているであろう爺さんだった。あんな老人なら、何も俺に頼まなくてもと思ったが、逆にやる気が出てきた。あんな爺さんなら間違っても逆襲にあうことはない。それに、一度も撃ったことのない拳銃よりも、ナイフの方が確実に仕事を成功させることができると判断した俺は、その足で金物屋に行き、ナイフを購入した。
俺に仕事を依頼したヤクザは言った。
「成功すれば少しばかり刑務所に入ることになるかもしれないが、俺たち組織のことをゲロせず、無事刑期を勤め上げれば、おまえを幹部として迎え入れてやるよ」
「ほ、本当ですか?」
俺の目の前に、明るい未来が広がった。
「ああ、もしかしたら、俺の兄貴分になるかもしれないな」
「……」
兄貴分……兄貴……俺には弟がいるが、まわりは弟の方がしっかりしていて、弟の方が兄だという目で見ていた。そんな屈辱を想い、また、そんな俺が誰かの兄貴分になるのかと思うと、昂奮と感動が押し寄せてきて、思わず目頭が熱くなっていた。
「羨ましいよ、おまえが。本当は俺がやりたいんだけどな……暴対法の施行以来、ヤクザが一般人を殺すと死刑になるケースが増えていてな……その点おまえは一般人だ。一人殺したくらいじゃ、死刑にはならねえよ。だから頑張れ!」
「はい!」
うまく丸め込まれているなんて露ほども思わず、俺は納得し、仕事にかかることにした。
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