大学寮の偽夫婦~住居のために偽装結婚はじめました~

石田空

偽夫婦、はじめました

第1話

『お世話になっております、くも上出版うえしゅっぱん佐々木ささきですけれど、先日の企画書ですが』

「あ、はい」


 今まで何度も何度もやり取りをしている編集の佐々木さんと、かつてここまで緊張感のある電話応対をしたことがあっただろうか、いやない。

 俺は背筋を伸ばして、佐々木さんの言葉の続きを待った。

 この数年のストレスのせいで、酒の量が増えた。長めの缶を潰しても潰しても外にほとんど出ない上に曜日間隔が麻痺しているのが災いして、なかなか不燃ごみの回収日に出せないで、台所の隅で溜まっていく一方だ。

 部屋の棚はこれでも大分量を減らしたとはいえども、それでも大量に資料が積まれている。いつ使うのかわからないけどいつか使うだろうと買った古本で詰まっている。これを二束三文で売り払うのはあまりに惜しいけれど、倉庫を借りるお金もない。

 佐々木さんは厳粛な声色で、通告を出した。


『大変申し訳ありませんけど、こちらの企画は没です』

「マジですかぁ……」


 俺はがっくりとうな垂れた。これで性格が悪い人であったら、そのままネットで炎上芸のひとつやふたつ行うものの、残念ながら佐々木さんは性格がすこぶるいい方だと思う。少なくとも、炎上芸を行うのを憚れるような言動を取るから、頭のいい編集さんなんだろう。


『くろばやし先生のキャラクターの持ち味は、熱血じゃないですか。今回の企画書はどうもそれが上滑りしていると指摘があり、自分もそれに同意しています』

「で、ですけど……そんな暑苦しいキャラクターじゃ、ラブコメになんかならないじゃないですか」

『はい、はっきり言って、キャラクターと話がちっとも噛み合っていません』


 きっぱりと言い切った佐々木さんに、俺はまたもこうべを下げる。この人の言っていることも編集部の指摘ももっともだったからだ。


『出てくる女の子が、あまりラブコメに没入できるキャラクターじゃないんですよね。これがファンタジーものでしたら、この世界の女の子はこういう性格なんだなと納得できそうなんですけれど、現代日本を生きている女の子というには、あまりにも薄っぺらくて、ラブコメに集中できるキャラクターではありません。具体的に言うと、全然魅力のない主人公の太鼓持ちが過ぎて、自分がありません』

「うっ」

『今は主人公がどうしてモテるのかっていうのを、一行でもいいから入れなかったら入れないと読んでいるほうが納得しません。くろばやし先生の熱血主人公の場合は、周りを明るくさせる、俺は前に進むぞというタイプのキャラで、女の子たちにモテても納得ができるだけの下地があったんですよね。現代日本が舞台のラブコメでも、それは同じです』

「うううっ」


 グサッグサッと佐々木さんの言葉が胸に突き刺さる。

 佐々木さんは気遣わし気に提案をする。


『もしキャラクターをもうちょっと今風のラブコメに合うように変えてくれるんでしたら、話自体は面白そうですので、企画も通りやすくなるかと思いますが、どうなさいますか?』

「いえ、いいです。自分本当に向いてないジャンルに手を出したなと思っていましたんで。新しい企画ができるまで待ってください」

『……自分は、くろばやし先生の作品好きですよ。ぜひとも次の傑作をお待ちしております』

「どうもー」


 そうやり取りをして、スマホの通話を切った。スマホの液晶画面に視線を落としながら、俺は机をダンッと叩く。

 俺の馬鹿、ほんっとうに馬鹿、佐々木さん言ってただろ、キャラさえ今風にすれば企画通せるって! 乗っとけばいいじゃん、金ないんだし、後ないんだし、このところ鳴かず飛ばずなんだからさあ……!

 そう自分を罵倒する声と一緒に、冷静な俺のツッコミが入る。

 いや、無理でしょ。最近はラブコメ人気だからラブコメ書きましょうって言ってもさ。俺そもそも彼女いない歴イコール年齢だし? そもそもこの業界に入ってから、彼女どころか女の人とすらコンビニとスーパーの会計以外で話したことないし? 今風がなんなのかまるで見当もつかないし?

 無理だろ。全っ然無理だろ。でもどうすんだよ、俺の馬鹿ぁー!

 ひとりで悶絶していても、なにも状況は変わらないのだ。俺は溜息をついて卓上カレンダーを見た。


【立ち退き予定日】


 そう赤字がしっかりと書いてある。うちのアパートが区画整理に巻き込まれることになり、取り壊しが決まっていたのだ。それまでに次の仕事さえ見つけていたら、俺もさっさと引っ越しを決められていたのに、本当にどうすんだよ!

 本当にやるせなくなって、昼からでも酒でも飲まないとやってられないと冷蔵庫を開けたけれど、ちょうど昨日の晩酌で酒がなくなったことを思い出し、渋々コンビニまで出ることにした。

 コンビニに向かう道には桜の花びらが落ちている。どこかから桜の花びらが飛んで来たんだろう。思えばこの数年、仕事で家に籠もりっきりで、お盆や年末くらいしか季節を感じることがなかったなと振り返る。花見だって最後にしたのはいつだったか。

 俺の人生、どうしてこうなった。思い返してみても、行き当たりばったり過ぎるために、どれかひとつだけが悪いんじゃなく、大体運が悪かったように思えた。

 昼間は人が仕事に行っていて、道を歩いている人なんていない。俺は「はあ」と溜息ついて、少しだけ自分の人生を振り返っていた。


****


『おめでとうございます、くろばやし先生。大賞です!』

「えっ」


 携帯電話にかかってきた電話に、俺の第一印象は「詐欺じゃないのか?」だったから、電話でやり取りをしたあと、そそくさとネットでかかってきた電話番号を調べた。

 今思っても捻くれた頭でっかちの中学生だった俺は、これが正真正銘本物の出版社からの電話だったと知るや否や、調子に乗った。

 親からは「詐欺じゃないの?」「今時本なんて売れないから」と止めてきたものの、俺は出版社に言われるがままに本を書き続けていた。最初は【最年少作家と言っておけば売れるから】とか【どうせ一発屋】とかさんざん周りから言われたせいで、俺もムキになって書き続けていたけれど。高校に入ってから、俺の本はアニメ化まで決まった。

 そりゃもう、今思っても恥ずかしいくらいに調子に乗っていた。イキり倒した結果、親にも堂々と「進学するより仕事する!」と言って、大学進学を辞めたくらいだった。受験勉強をしている同級生が、あまりにも目が死んでいるのを見て嫌気が差したというのもあるし、本当に勉強が嫌いだったのもある。

 今だったら「せめて大学くらいは行けよ」「大学の図書館タダだろ。悪いことは言わないから行っておけよ」と言っただろうが、当時は普通の高校生だったら手が出せないくらいの金を得て、完全に天狗になっていた。あのときはなにを言っても聞かなかっただろうなと諦めるしかない。

 転機が訪れたのは、デビュー作が飛ぶように売れ、アニメ化も果たし、いよいよ続いた小説を完結させた後だった。

 ……次のシリーズが、ちっとも売れなかったのである。

 俺がシリーズを終わらせた頃には、当時書いていたジャンルも下火になってしまい、次の流行が来ていた。その次の流行の話を、俺はちっとも書けなかったのだ。

 既に俺の世話をしてくれる編集さんも代替わりし、今の佐々木さんになっても、シリーズ化の定着ができずにいた。

 それでも未だにデビュー作の印税が入ってきてくれるおかげで、どうにか売れていた当時よりも貧乏にはなっても生きてこられた。けど、俺は切実に金が必要になっていた。ぶっちゃけ次のアパートへの引っ越し資金だった。

 どうするよ、金がない、仕事がないに続いて、とうとう家まで失おうとしている。

「働け」と鼻で笑う奴もいるだろうが。小説家は人が思っているよりもずっと心身使っている仕事だ。特に売れているときなんて、ほとんど毎日がなにかの締切なせいで、小説書く以外のことができないから、今まで外で働いたことなんて一度もない。


「……なんて、そろそろ言ってもいられないよなあ……」


 コンビニに到着すると、顔見知りになった店員が「いらっしゃいませ」と会釈してくれた。それに会釈を返しながら、俺は酒と一緒に新聞をひとつ買ってみることにした。新聞の求人広告を見てみることにしたのだ。求人フリーペーパーはあることにはあるけれど、そこの求人情報はあまりにもピンからキリまでだから、そこは最終手段で取っておくことにした。

 家に帰り、買ったばかりの酒の缶を開けるかどうかを悩んで、先に求人広告を探すことにして、新聞をめくりはじめた。

 ペラリとめくってみると、案の定そこそこいい企業の広告が載っている。でも資格が必要なものばかりで、高卒で運転免許以外持っていない俺には厳しい。無資格でもできる仕事、できる仕事……と思ったところで「おっ」と声を上げた。


【大学寮の管理人募集中。住み込みで学生の世話をする仕事です】


 住み込み。そこに俺は食いついた。

 少なくとも、住むところさえあればなんとかなるし、貯金が貯まったら管理人を辞めて次の家を探せばいいんだから、楽勝だろう。おまけに。

 佐々木さんに何度も苦言を言われたことを思い返す。俺がまともに女子としゃべったことがあるのは高校までで、それ以降は本当に女性としゃべったことがない。大学の学生寮だったら、若い女子もいるだろうし、寮生を観察すれば今まで通らなかった企画だって通るんじゃないか。

 俺は急いで書かれている電話番号に電話をする。


「すみません、新聞の広告を読みました! 管理人募集とのことなんですが……はい、はい」


 すぐに面接の約束を取り付けた俺は、急いで再びコンビニへと向かっていった。履歴書のための写真プリントをするためだ。

 生まれて初めての就職活動に、何故かテンションが上がっていた。酒は就職までお預けだ

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