つぼみの彼女に桂冠を

こはる

第1章 家を追い出された〜

第1話 結果、惨敗

 劇場の大きな窓の外を見ると、雪がちらついていた。


 わたしは「あぁ〜あ」、と思いながら、その雪をじっと見ていた。

 ここフォルストブルク共和国は、大陸の中央にあり、南側の国境には万年雪まんねんゆきをかぶった険しい山脈がある。そのせいか、冬は雪が降りやすい。

 だからって。今日降らなくたって。

 窓にへばりついて、わたしはそのままずるずると床にへたりこんだ。

 きっと今日も失敗するだろう。今日は、有名なヴァイオリン奏者と演奏する、大口の仕事だったんだけどなあ。


 わたしはローレル・アッヘンヴァル、二十一歳。夫はいない。仕事はピアノ奏者をしている。ほこるべきことに、このフォルストブルクでは女でピアノ奏者をしている人間なんか、ほとんどいない。

 仲間がいないのはひどく淋しいと思うこともあるが、我が道を行くのは悪い気分ではない。それよりもわたしは目下の問題のほうがきつい。


 客が入らない。客が入ったことがない。しかもここ最近はミスが続き、失敗ばかりだ。


 今日は何ヶ月かぶりに、ようやくピアノ四重奏曲の伴奏のお仕事が入ったというのに。

 雪。絶対、客足が遠くなる。


「……っ」


 胃が痛くなってきた。


 ほとんどいざりながら楽屋へ向かう。余裕そうなヴァイオリン奏者が、弦の調整をしていた。彼は世界を股にかけるヴァイオリン奏者で、この演奏会も彼のために企画されたものだ。彼はわたしを認めると、ほほえんできた。


「ローレルさん、よろしくお願いします。そのせつはお父さまには大変お世話になりました」


 卑屈になっているせいか、イヤミに聞こえた。十四歳で死んだわたしの父は、このヴァイオリニストよりはるかに有名なピアノ奏者だった。娘のひいき目ではなく、神がこの世に与えた天才だったのだ。

 お前なんかそんな父親の足もとにも及ばないだろう、と鼻で笑われた気がする。


「……父には、その、及びませんが、がんばります」


 頭を下げる。わたしは話すのが苦手だ。

 だが。

 わたしの直感は、ほとんど当たらないが、今回、当たってしまった。ヴァイオリン奏者はため息をついたのだ。


「早死にしたお父さまのみがわりとして、こうしてピアノ演奏をつづけるのもいいですが、あなたは女性でしょう。そろそろ、ご家庭に入るのもよろしいのではないかな。お父さまもそれを望まれているはずだ。君はアッヘンヴァルの演奏とほど遠い。どなたかと結婚なさって、あなたが産んだ男の子が、アッヘンヴァルの演奏を継ぐことを願っています」


 違う。わたしはお父さんのみがわりで演奏をしてるんじゃない。女だっていいじゃない。わたしはお父さんじゃない。そう叫びそうになった。


 ぐっとこらえていると、もっとすごいことをささやかれた。


「私のところに来てくれてもいいんですよ」


 冗談だ。耐えなくては。ぶるぶると首を横に振ると、ヴァイオリン奏者が大笑いした。

 音楽を奏でるということは、神経をはりつめなくてはいけない。

 わたしはここではりつめた神経の糸を、ぷっつりと切られた。


 結果。

 惨敗した。

 雪だったので客は来ず、わたしのピアノはずたずたで、ヴァイオリン奏者は笑いだし、ヴィオラ奏者も、チェロ奏者も、こめかみを押さえていた。 

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