人の味を覚えた寿司職人

まだ温かい

勝鮨

勝鮨まさるずしは目黒にある寿司屋だ。

美味い寿司を食わせてくれて、心配りも申し分ない。

だから人気があって、皆が席を予約する。

誰もケチをつけられない名店だ。


勝鮨の店主は匠の技を持つ。

30年以上職人をやっていて、元は割烹の出だという。

吸い物なんかをさせてもやたら上手い。

もちろん握りは格別だ。


店主の名前は神田勝かんだまさるだ。

人柄が良く一本筋が通っていて、自分の仕事に誇りを持っている。

だから決しておごった態度はとらない。

皆が親しみを込めてマサルさんという。


マサルは鎌倉の生まれで、父は漁師だった。

船の出し方から魚の取り方まで、父に教わった。

魚を使った料理は、母に教わった。

だから、子供のころから魚に詳しかった。


マサルは父の手伝いをしながら成長していった。

マサルの家は裕福ではなかったが、高校までは通わせてもらえた。

勉強が出来るほうではなかったが、特別ばかでもなかった。

ここまで面倒を見てくれた両親には感謝している。


マサルが寿司屋をはじめたのは、父を助けるためだった。

鎌倉の港で上がった魚を使えば父の助けになるはずだ。

だから、両親への感謝と独り立ちの証明に職人を目指した。

その一心で腕を磨いてきたと言っても過言ではない。


マサルは真面目に取り組んできたので、腕の良い職人になれた。

父のために寿司を握って食べさせた時、おいしいと言わせることができたので、

マサルは自分で自分の腕を信じられるようになった。

世話になった割烹をやめて、自分の城を持つ決心がついた。


マサルが持った城こそ寿司を食わせる店、勝鮨だ。

この店の最初はそこまで繁盛しなかったが、長くやってるうちに知られてきた。

知られてくると人が集まって、集まった人らの口から店の事が広まった。

マサルの腕と鎌倉の魚の味が良かったので、皆が勝鮨を気に入った。


マサルとその店が順風満帆となった頃、マサルの父が倒れた。

現役で漁をやっていたのだが、さすがに年が年だった。

本当はもっとマサルのために魚を取りたいと思っていたが、マサルに止められた。

父のために始めた事が負担になっては本末転倒だと言われたのだ。

マサルの父は頑固だったが、我が子の優しさにはすぐ折れた。

悪い所を治したら隠居すると決めた。


しかし、マサルの父は死んだ。

医者が言うには容態の急変だったが、マサルは不自然に思った。


マサルの母は悲しんだが、お医者様も一生懸命やってくれたと納得した。

母が納得しているならと、マサルも不信を飲み込んだ。

父の葬式が終わった。


マサルが店を開く日を考えていた所、

父が入院していた病院で働く看護師がやって来た。

曰く、医療ミスがあった。

父に対する責任を持っていた医者の名前はイズモだという。

もともと不審に思っていたマサルは、それに確信を得た。

母には知らせないようにだけ念を押して看護師を返した。


マサルは葬儀屋に話を聞くことにした。

すると、焼いた後の遺骨の中に金属部品が混じっていたという。

イズモという男に金を握らされて隠したのだと白状された。

マサルは、葬儀の時には母を思って不信を飲み込んでいたので、

葬儀屋がこのことを隠していた事に怒りは感じなかった。


看護師も葬儀屋も、マサルとその父母に対して何か気持ちがあったから、

こうして各々の心の裁量にゆだねて真実を伝える決断をした。

マサルにはそれがわかった。


本当に許せないのはイズモという医者だ。

父を死なせるだけでなく、それを隠そうとした。

それなのに母は、その医者を信じて疑わない。

マサルにとってはそれが不憫で不憫で仕方が無かった。

悲しむ母の様子を見るのが辛かった。


父を亡くした悲しみや、真実を隠す医者への怒りよりも、

自分で自分に対する、何か、得も言われぬ感情を強く持った。


これ以上母を苦しませたくないので、真実を教えるわけにはいかない。

しかし、その騙されたままの母を見る事が自分にとって辛いので、

最早その解決は医者に求める他なかった。

どうすれば解決できるのか、マサルにもわからない。

それでもどうにもやるしかないと思った。


マサルはイズモに手紙を出した。

内容を要約すると、次の通りだ。


父のために尽力してくれてありがとう。

結果は残念だったが、きっと運命なのだと納得している。

お礼がしたいので、店に食べに来てほしい。


果たしてイズモが勝鮨にやってきた。

ここは予約必須な目黒の名店、しかしマサルの城である。

この日は、おひとり様の貸し切りだ。

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