栃木怪談

栃木妖怪研究所

第1話

 私は転勤が多い仕事で、色々な地方を経験させて頂きました。早い時は1年で転勤という年もあり、辞令も転勤数日前等という年もあって、受け入れる転入先の総務担当者も、地元の不動産会社と情報を交換していないと、バタバタと大変な事になるのだそうです。


 その年も、3月20日過ぎに、都内から栃木県某市への転勤が命じられました。4月1日付け赴任となり、毎度恒例の、てんやわんやの引越しとなりました。受け入れ側の総務担当者も相当苦労したのでしょう。普通のアパートやマンションではなく、築40年か50年か、と思われる程古い、壁が木の板のままの小さな平家の戸建住宅を見つけてくれました。職場から2キロ程度離れた小高い丘の上に小学校があり、その小学校の正門を出て直ぐ右手角に有る忘れ去られたような空家で、しばらくは人も住んでいなかった様です。小学校の正門を挟んだ反対側は、ログハウス風の平家で、高齢者のご夫婦が住んでいて、時々庭の手入れ等をされている様でした。


 良心的な不動産会社が、一週間で畳も入れ替え、建物の内外も綺麗に清掃してくれてましたので、引越しをした時には自分の梱包したまま積み上がった荷物を退かして、布団だけ敷ける空間を作れば、直ぐに生活をする事が出来ました。借家には門と庭がありました。門とは、私が呼んでいるだけで、住宅の東側にある灯台躑躅の生垣の切れ目が門の代わりでした。門の切れ目からまた40センチ程の灯台躑躅があり、その木から道の角まで生垣が切れて車が庭に入れるようになっておりました。庭は、車一台分だけコンクリートで舗装され、普通車を庭に入れても一坪程度は西側奥に余裕があり、都会のアパートに住んでいた私は、小さな家庭菜園も作れるな。と楽しみにしておりました。

 門から玄関まで数歩分の敷石があり、玄関も昔ながらの引戸で、靴を三足も置くと一杯になってしまう小さな土間が玄関で、入って直ぐ右手がトイレ。玄関から真っ直ぐに廊下のような板の間があり、トイレの奥隣が壁に張り付いた流し台とガス台。突き当たりにドアがあって、開けると脱衣所兼洗濯機置き場。その奥が風呂。左手側は南側となり、四畳半二つに六畳間一つに押入れだけ。全ての部屋が畳で南側の庭に面しているという、最近では中々見かけない文化住宅と呼ばれた時代の建物が一件だけ取り壊し忘れられた様なイメージでした。車一台分の幅の庭は南側から西側まで柘植の生垣で、南側の生垣の外は舗装された道となり、その向かい側は病院の裏手になっておりました。南から丘を上がってくると、病院と私の借家が左手の角地となり、北に進めば学校の正門で突き当たり、丘からは東西に下がっていく舗装された細い道で、西手間が病院。西奥が我が家。我が家の西隣からは、在来工法の木造建築で大谷石の塀で囲まれた家が続きます。学校の手間で右に曲がると、ログハウスの家が学校の正門の角となり、東に下る坂にそって大手住宅メーカーの作ったアパートや住宅、在来工法の木造家屋が並ぶ閑静な住宅地となっておりました。


 引越しが4月だったため、北隣の小学校は桜が満開で、私の借家の上にも大きな桜の枝が何本も張り出し、まるで豪雪の様に桜吹雪が舞っておりました。


 私は毎朝、流し台で歯を磨きながら、流し台正面にある小窓を開けて、空気の入れ替えをしておりました。我が家の北側は、プロパンガスのボンベを交換できる程度の幅があり、家の反対側は、高さ150センチ程度の小学校のコンクリートの塀になっており、その上が60センチ程度の金網の塀となっておりました。丁度その時間には、沢山の小学生が、皆黄色い帽子に、色とりどりのランドセルを背負って、校門から校舎に向かっていくのがよく見えました。大量の小鳥の囀りの様に、何か夢中で話ながら、みな校内に消えて行きます。校舎の方からもワイワイガヤガヤと声が聞こえはじめ、学校が眠りから覚めたのだな。等と考えながら、簡単な朝食を取り、私も出勤して行く毎日でした。

 

 職場が近いので、雨でも降らない限りは、徒歩で勤務先に通っておりましたが、自転車でも買おうかな。等と思っているうちに、季節は梅雨になってしまいました。

 一人暮らしは気楽ですが、雨の時期の洗濯は大変です。近くにコインランドリーがなかった為、家中室内干しの洗濯物だらけ。日中晴れても、中々洗濯物を干したり取込みに戻れる程暇もなく、ジメジメとした湿度が充満した家で、引越ししてから最初に取り付けたエアコンの除湿を全開にしながら、梅雨開けを待っておりました。


 やがて雨の日が少なくなり、梅雨明け宣言が出されました。でも、栃木県は油断が出来ません。県のほぼ中央にある県都宇都宮辺りから南は東京湾に至るまで、大関東平野となり、南からの湿度を持った風が北に向かいます。北部は、日光、那須の山々が連なり、湿った夏の空気は、山に当たって急上昇。あっという間に積乱雲となって、平野部に戻って来ます。今まで、カラッとした晴天だったのに、僅か数十分後には、スコールと落雷が毎日来る事も珍しくない。その為、宇都宮市は別名、雷都「らいと」と言われるそうです。その為、真夏でも、小窓等を開けて出かけるなど持っての他。夜も深夜に雷が来る事も有るので、暑くても窓は全て閉めて、エアコンだけで過ごす事になります。


 仕事が終わって帰宅する頃は、もう小学校の正門は閉まっています。静かで、正門を照らす街灯の明かりが、我が家の門も照らしていました。


 そんな毎日を過ごしていた頃、何となく気になった事が有りました。

 私が出勤する時間には、もう子供達の通学は終わっています。でも、毎日、2、3年生位の女の子が、1人、正門に向かって丘を上がって来るのです。最初は全然気にしなかったのですが、意識してみると、梅雨の時期も薄暗い雨の中を東から上がって来ます。夏になっても毎日遅刻して来るのです。その時は、何か事情があるのかな。程度に思っておりました。


 その日は休日でした。休日でも平日と同じ時間に起きる私は、また、流し台で小窓を開けて、歯を磨いておりました。学校は静かです。夏休みになったようです。歯を磨き終わって、さてと、今日は小さい庭に作った家庭菜園で出来たミニトマトでも朝飯に頂くか。と、庭に出ようと玄関を開けたところ、何時も遅れて来る女の子が、東からの道を上がって来るのです。東から上がると、私の家の門に向かって歩いて来て、家の前で右折して小学校の正門になります。あれ、夏休みだよな。学校閉まっているし。と思いながら、何となく見ておりましたら、私の目の前を通って、正門へ。でも正門は閉まっています。何か忘れ物かな。等と思いましたが、これじゃ入れなくて困るだろうと思い、玄関に居たままで、声をかけました。

「どうしたの。学校、夏休みじゃないの。門、閉まっているよ。」

すると、びっくりした様な顔で私を見上げた女の子。その時、初めて気づいたのですが、今は真夏なのに、その子は薄汚れたピンク色のダウンジャケットを着ているのです。下も厚手の生地の緑色のタータンチェック柄のズボンを履いて、やはり薄汚れたピンクの運動靴を履いていました。いや、雨の日も傘さしてなかったんじゃないかな。これは・・・何か本人か家庭に問題がある子なのでは。と、咄嗟に考えておりましたら、その子が私を見上げてニコッと笑ったのです。そして私を見つめて、嬉しそうに言ったのです。「おじさん、私が見えるの。」え、っと思った瞬間、夏の朝の強烈な光の中、その子の身体はスーッと透き通り始め、日差しの中に消えてしまいました。


 その後、二度とその子を見かける事もなく、また直ぐに、同じ県内ですが、別の地域に転勤してしまった為、その子の事も、その借家がまだあるかも、今では分かりません。  了

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