二十年のち

柊圭介

「おじいちゃん、今度はあれに乗ろうよ!」


 孫が弾んだ声で向こうの回転木馬を指差した。

 天気のよい昼下がりである。孫にせがまれ、アロガンは新しくオープンした遊園地へやってきた。週末ということもあって園内はたくさんの人でにぎわっている。すでに色んなアトラクションを制覇した孫は、それでもまだ遊び足りないようだ。六歳の男の子ともなると疲れ知らずなのだろう。あたたかくて少し湿った手に導かれ、アロガンは思わず頬が緩む。孫が無邪気に楽しんでいる様子を見ると、思いきり甘やかしてやろうと張り切って連れてきた甲斐がある。


 八十歳という年齢にしてはかくしゃくとしている。一般人に紛れ、サングラスで顔を隠してごく軽装で歩き回っていれば、孫を連れた普通の老人にしか見えない。お忍びで来ていることは周囲にも分からないらしい。アロガン自身、引退して息子に同じ道を継がせてからは、公の場に顔を出す機会もなくなった。そのために気がつく人もいないのだろう。


 小さな手になかば引っ張られるようにして回転木馬へと歩きながら、アロガンは感慨深い目で周囲を見渡した。


 この遊園地ができたのも自分の功績だ。

 あの頃はまだ瓦礫の山だった一帯を活気ある住宅地にして、埋め立て地には人々が楽しめる一大レジャー施設を建設しようと計画した。遊園地のとなりには大型のカジノもある。五つ星のホテルも軒を並べている。外資系の企業も多く誘致して、この土地の復興産業に力を入れた。


 海底には豊富な油田。天然ガスにも恵まれている。建国から百年にも満たない小さな国ではあるが、これでさらに財源も潤う。喉から手が出るほど欲しかった土地も晴れて我が国のものとなった。

 時間はかかったが、多くの予算を投じた一連の建設計画は、この領土が改めて我々のものであることを周囲の国に知らしめるにも、象徴的な意味がある。


 今やゴキブリどもはいない。国家安泰だ。ドリーク国の春だ。



「おじいちゃんも一緒に乗ろう」

 誘いかける幼い声でアロガンは我に返り、優しく微笑んだ。

「私はあれに乗るには大きすぎるから、お前ひとりで遊んでおいで」


 孫が嬉々として木馬にまたがるのを、アロガンは目を細めて眺めていた。軽やかな音楽とともに、回転木馬が上下しながら回り出す。

 が、その時。


 めりめりと地面を突き破るような不気味な音がしたかと思うと、何かが弾けるような爆音が響いた。一瞬にして煙が舞い上がり、回っていた木馬たちが吹き飛んだ。


「爆発だ!」


 誰かの叫び声をきっかけに場内は混乱に陥った。人々の絶叫の中、駆けつけたアロガンは息を呑んだ。

 こっぱみじんに砕けた馬の傍らに、血まみれになった小さな体が転がっていた。



 *



「それでうちへ来られたというわけですね」


 検査写真を前に座る医師は、アロガンが想像していたよりも若かった。

 隣国にある、外科治療の最先端をいく大学病院である。確かな技術で頭角を現してきたというクレマン医師は、心臓外科の分野では最も信頼できるドクターのひとりである。思ったより若いことに驚きはしたが、精悍で理知的な顔つきをしており、アロガンは初対面にもかかわらず心強いものを感じた。


「ニュース速報で見ましたよ。大変でしたね。あれだけのけが人が運び込まれたんじゃ、病院はまだ手こずっているのではないですか。その中で自分だけお孫さんを連れて抜け出し、ヘリコプターでわざわざ国境を越えて来られるとは。やはり特権階級の方は違いますね、さすがだけある」


 若い医師はにやりと笑った。

 アロガンは固い顔を崩さぬまま早口で念を押した。


「いいかね、このことは一切他言無用だ、クレマン先生。私はあなたの名前を信頼してこの国まで来たんだ」

「分かっています」

「あんなところで正体を知られるわけにはいかん。マスコミが押し寄せてとんだ恥さらしになる。私はなんとしても孫を救いたいんだ。今まで国のために仕えてきたんだから当然の権利だろう」

「権利ですか」

 医師は繰り返した。

「まるでお孫さんさえ助かればよさそうな口調ですね」

 その言葉を無視してアロガンは急かすように尋ねた。


「それで、どうなんだあの子の状態は?」


 身を乗り出すアロガンから視線を逸らし、クレマンは検査写真へ目を向けた。


「率直に言いますが、非常に危険です。吹き飛ばされたことによる胸部損傷ですが、ここを見てください。心臓のすぐ近くまで金属の破片が突き刺さっています。ぎりぎりのところで止まっているが、これがいつ大動脈を傷つけるとも限らない。そうなれば一巻の終わりです」

「そんな……!」


 アロガンは両手で頭を抱え込んだ。なんということだ。祈るような目で医師を見上げる。


「治るんだろうね。治してくれるんだろうね。かわいい孫なんだよ、私のたったひとりの孫なんだ」

「今は痛み止めを投与しながら血圧と心拍数を調整していますが──」

「頼む、今すぐに手術してやってくれ!」


 遮るように震える声で拝むアロガンを一瞥すると、クレマンは写真を見つめながら沈黙した。しばらくののち、医師はおもむろに口を開いた。


「断る、と言ったらどうしますか」


 アロガンは目を剥いた。


「断るだと? そんな答えは予期していない。君は私が誰か分かったうえで言ってるんだろうね」

「もちろんです。だからこそ訊いているんです」

「どういう意味だね?」


 医師は机上のコンピューターの画面に視線を移した。そこには数時間前の爆発の記事が写真つきで映し出されている。


「遊園地の事故はガス漏れが原因だそうですね」

「はあ?」

「場内禁煙にもかかわらず客が煙草を吸ったために引火したんだとか。無理もない。あそこには色んな廃棄物が埋められていますからね」

「それについては再調査しなければならないが、それと手術とどんな──」

「無理やり更地にした土地だから、色んな残骸がごったまぜに埋まっているのでしょう。コンクリートに瓦礫、それから……死体も」


 それを聞いた途端、アロガンは不愉快そうに眉をしかめた。


「なにを言っている?」

「なにをって。みんな知っていることじゃありませんか」

 医師は呆れたような顔で笑った。

「新築のマンションにレジャー施設、五つ星ホテル。うわべはきれいに整えても、その下には何万人もの体が埋まっている。なんの罪もない人間の、殺された体が」

「なんの話をしてるんだ君は」

「第一報を知ったとき思ったんですよ。これは呪いではないかって。侵略され無残に殺された人たちの怒りが爆発したんじゃないかと」

「なにが言いたい。冗談にしても悪趣味だぞ」

「冗談なんかじゃない。私が二十年前に光景です」

「どういう意味だ」


 険しい目で睨みつけるアロガンの顔を正面から見返し、医師は低い声でこう告げた。


「──私は、あなたに滅ぼされたナバク人の生き残りです」


 アロガンは食い入るようにクレマンの顔を見つめた。

 そんな馬鹿な。

 最先端の技術を誇る大学病院の外科医が、あのゴキブリの生き残りだとは。

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