白霧

@YA07

第1話



 太陽もまだ顔を出さない、静寂に包まれた夜明け前。聞き慣れた木を刃物で削ぎ落す音で、セフィーの意識が目を覚ました。

 音の鳴る方へ行ってみると、そこには狭い工房の中で、薄明りの下木偶を作る祖父の姿が見えた。木屑の舞う独特の匂いが鼻を刺激し、少しむせ返るような感覚でぼんやりとしていた意識が冴えていく。

 祖父の手つきには一切の集中力も伴っておらず、いつもの熟練した手つきとはまるで違かった。


「おじいちゃん?」


 声をかけてから、セフィーはしまったと後悔をした。

 寝ぼけた頭とこんな時間に起きている珍しい祖父の姿に思わず声をかけたが、普段から祖父には作業中に声をかけるなと厳しく言いつけられていたのだ。

 セフィーは祖父から叱りの声が飛んでくると思い体を縮こませたが、その予想は裏切られた。


「セフィーか」


 元気のない祖父の声に、セフィーは目を丸くした。


「……こんな時間に珍しいね」


 祖父が叱らないのなら叱られる前に、と話題を逸らしたセフィーに対して、祖父はゆっくりと口を開いた。


「ああ。先日、領主様からの呼び出しがあっただろう?」


 セフィーはうなずいた。

 昨日は一日中祖父が出かけていたので、一日自由になったな、何をしようか、などと思いながら、結局一日中魔像を作っていたという一日だったのだ。

 セフィーは祖父と共に魔像職人を営んでおり、その生活は国民の税金で成り立っている。言えば言うだけ国からお金が支給されるのでいくらでも贅沢ができるが、魔像を作ることに人生を捧げている祖父の下では、全くもって質素な生活しか許されていなかった。厳しい修行のせいで、村の中にも友達といえるような相手は存在しない。なので、祖父が居ようが居まいが、やることは魔像を作ることくらいしかなかったのだ。

 セフィーが年頃の乙女だということを考えれば嘆かわしい過ごし方だが、セフィーにとってはそれが普通であり、全てでもあった。


「その話でな……」


 祖父は手に持っていた木偶を置いて、顔をうつむかせた。


「何から話せばいいか……最近、王都の方で魔法結界の実験が行われていた話はお前も知っているな?」


 祖父はそう話を切り出すと、領主様から呼び出された件の全貌をセフィーに語り始めた。


 もともと、人間は魔力濃度の低い場所で暮らす生き物だった。生存競争の中でそのように進化し、魔法にはあまり頼らない生活を送ってきたのだ。

 しかし、人間の欲望というものは尽きることがない。魔力濃度の低い場所を支配するだけでは飽き足らず、どうにかして勢力を拡大しようと画策し始めた。そのために人間たちが始めたのが、魔物を遠ざける術の研究だったのだ。だが、当然ながらそれは容易なものではなく、誰もがその術を生み出せない中で、人間は数に物を言わせながら徐々に勢力を拡大していったといわれている。

 そんな古の時代、いつどこから現れたのか、いつの間にか現れたのが封魔術という術だった。この封魔術というものは、祖父やセフィーのように純白の髪をした『白い民』のみが作り出せる特殊な魔力の込められた木偶を燃やすことで魔物を遠ざけるというもので、当時はその効果の理由が解明されていたわけでもなく、誰がどう生み出したのかという記録すら残っていない。かろうじて伝わっているのが、白い民がその術をどこかから伝授してきたという話だけだった。

 しかし、魔法の研究が活発に行われ始めた中世以降、封魔術が人間の成長や健康にも悪影響を及ぼしているということが発見されると、これに代わる技術が日々研究され始めた。その成果として生まれてきたのが、この魔法結界というわけだ。

 これは魔物は魔力濃度の低い場所では息苦しさのようなものを感じるという性質を利用し、人里の周囲の魔力濃度を操作し極端に下げることで魔物を遠ざけるというものだ。その効果は現状のところ完璧とは言い難いが、それでも一定の効果は認められている。


 そういう時代背景もあり、セフィーたち魔像職人はその必要性が日々脅かされていた。

 祖父はそれでもまだ時間を稼げるかと思っていたが、先日の呼び出しの件でその事情がコロッと変化した。魔法結界の研究に意欲的な領主様が、その実験をセフィーたちの暮らす村やその周辺の村で行うと言い出したのだ。

 無論、反対意見も多数挙げられた。魔法結界の効果がまだ認められていない部分や、その導入で職をあぶれる者たちへの対処。村人たちへの危険や、伝統文化の損失等々。しかし領主様はそれらを全て財にものを言わせた方法で封じ込み、さらには封魔術の危険性まで訴えられては、強く反発できるものはいなかった。当の魔像職人である祖父ですら、領主様の提案する援助とセフィーの将来のことを考えれば、自分の都合だけで反対することが憚られたのだ。


 そんな祖父の話を、セフィーは眉一つ動かさずに聞いていた。


「そっか。援助っていうのは?」


 あまりに淡々としたセフィーの反応に、祖父は悲しみを浮かばせた。


「セフィー……儂は、お前に……」


 セフィーは少しむっとした。

 今日の祖父は、どこか魂が抜けているようだった。今も、セフィーの問いには答えずに何か考え込んでいるようだ。


「援助っていうのは?」


 少しばかりの怒気をはらんだセフィーの言葉に、祖父はバツが悪そうな顔を浮かべた。


「それはだな、お前には魔法学園への入学を推薦してもらえるそうだ」

「魔法学園?」


 祖父は眉を顰めた。


「お前、魔法学園も知らないのか。中央のことはさすがに知っているな?」

「真ん中にあるすごいとこ」


 セフィーのふざけた答えに、祖父は呆れたようにセフィーを見つめた。


「……わかってるよ。四王国の堺にある国から独立した都市でしょ。フェルサー教唯一の教会があるんだよね」

「ああ。四王国はどれも国教がフェルサー教だから、唯一の教会がある中央には富や力がものすごく集中していてな。その中央にある武芸・魔法・学問を専攻した三つの学園が、四王国の中でも最高峰の学園とされているんだ。その中でも魔法を専攻している学園が魔法学園だな。言わずもがな、四王国のエリートが集まってくるそうだ」

「ふーん」


 セフィーは魔像職人として魔力の扱いに長けているという自覚はあるが、魔法自体は一切使ったことがない。突然魔法学園などと言われても、セフィーにはあまりピンとこなかった。


「面倒」

「お前ならそういうとは思ったがな。それでも行っておけ。中央へ行けばいろんな道も見えてくるだろう。それに……」


 祖父はしばらく言葉を選ぶと、深く息を吐いた。


「どの道、こうなった以上いつまでもここにいるわけにはいかん。魔像職人の仕事ももうすぐになくなるだろう。魔法ならば今までの仕事と無関係というわけでもない。力さえ身に着ければどこでもやっていけるだろうさ」

「えー、興味ないんだけど」

「……しかしだな、お前には……」


 祖父は、セフィーに隠し事をしていた。それも一つや二つではなく、多くのことを、だ。

 祖父やセフィーたち『白い民』の使命や、セフィーが幼い子ころに亡くなった両親のこと。なぜセフィーを軽い軟禁状態にしてまで他人との関わりを持たせていないのか。

 そして、それらを全てセフィーに伝えてしまうことが、本当にセフィーのためになるのか。

 きっと、本来ならば、全て伝えてしまうべきなのだろう。しかし、祖父にはそれを知ったセフィーがどういう行動をとるのか、なんとなく想像ができた。それを思うと、どうしても伝えることが憚られたのだ。

 いや、もしかすると、セフィーがそんな人間に育ったことこそが、精霊様の────


「────いちゃん?……おじいちゃん?」

「おっと、すまないな」


 思考の沼に嵌まっていた祖父の意識は、セフィーの呼びかけによって現実へと戻ってきた。


「とにかく、だ。儂としてもこの話はありがたいのでな、お前に魔法学園へと行ってもらうのは決定事項だ」

「いや、そんなのおじいちゃんに決められても。私嫌なんだけど」


 二人は、静かににらみ合う。


「おじいちゃんはどうするの?」

「儂はどうせ老い先短い身だ。ここで余生を過ごさせてもらう」

「それなら私だって」

「お前はまだまだ先が長いだろう。領主様だって、いつまでも面倒を見てくれるわけじゃあないんだぞ」


 祖父の言うことは、よくわかる。

 ただ、今までずっと魔像職人として育てられてきて、魔法結界の登場だけでいきなり外に出ていけと言われるのが、どうにも納得いかないのだ。

 そもそも、魔法結界の実験が失敗に終わる可能性もあるし、魔像職人としての仕事がなくなるということも確定したわけではない。祖父は頑固な人だが、適当な人ではない。なぜいきなり意見をひっくり返したのか、祖父には何か私の知らない事情があるのではないかと、どこか引っかかる部分があって、セフィーは祖父の話を素直に呑み込めなかった。

 それに、その話を無理やり吞み込んだとしても、なぜ魔法学園なのかもわからない。エリートが集まるような場所に、自分がふさわしいなどと自惚れるほど、セフィーは自信に満ちた人間ではないのだ。

 頑なに頷かないセフィーに対して、祖父は諭すように声をかけた。


「セフィー。お前は今、何のために生きているのだ?」

「知らないよ」


 祖父はガクッと項垂れた。


「それならば今考えてみろ。まだ若いお前には、大事なことだ」


 大事なことと言われても、セフィーはその手の話があまり好きではなかった。

 適当に誤魔化したいところだが、祖父の顔つきからして、それでは許してくれないだろう。


「何のためとか、ないけど」

「では、探すべきだろう」

「……」


 もはや何を言っても、魔法学園に行けという話に結び付けられるのだろう。

 セフィーはため息をつき、この頑固者と言い合うことを諦めることにした。納得など到底していないが、それ以上に、自分自身についての関心が薄かったため、これ以上反発する方が面倒だと諦めたという形だ。


「まあいいや。行くよ、魔法学園」

「うむ……」


 何その返事、とセフィーは心の中でぼやいた。


「いつから行けばいいの?」


 祖父は少し黙ってから、重々しく声を出した。


「それが、次の月からだそうだ」

「次の?」


 随分と急な話だ。おそらく、セフィーが断るという選択肢など初めからなかったのだろう。

 これは祖父が用意した話ではないのだし、祖父も自分の意思を押し込めながら説得しているのかもしれない。援助の話を用意したのは領主様らしいが、そんな急に話を持ってくる理由が何かあるのだろうか。そもそも、領主様が魔法結界の話に意欲的でこんな話を進めていたなんてことは今まで聞いたこともなかった。魔像職人は数が少ないし、そういった動きがあったのなら祖父の耳に何か話が入ってきていたはずだ。


(……なんて邪推しても、持ち合わせてる情報がないから意味ないか)


 セフィーは、入り込みかけていた自分の思考を断ち切った。


「それじゃあ、荷物でもまとめてくるよ」


 突然の話だというのに抵抗らしい抵抗を見せなかったセフィーの背中を見て、祖父は胸が締め付けられるような気持ちを覚えた。

 傍から見れば聞き分けのいい子のように映るかもしれないが、その実セフィーは聞き分けがいいからこのような行動をとっているわけではないということが、祖父にはよくわかっていたからだ。

 そしてそんなセフィーの姿を見るたびに、祖父は、自分がセフィーのためにできることなどないのかもしれないという事実に押しつぶされそうになっていた。セフィーを他の人から遠ざけているのは、間違いなくセフィーのためを思ってのことだ。そのことを後悔することは決してないだろう。そしてまた、今までセフィーに厳しく修業をさせ続けてきたことも、必要なことだったと信じている。

 ならば、どこで間違えたのか。それとも、何も間違ってなどなく、セフィーは最初からこのような人間としてこの世に生れ落ちてきたのか。もしもセフィーが普通だったなら、どのように成長していたのか。


「セフィー」


 祖父は、自問も尽きない中、去ろうとするセフィーを半ば衝動のように呼び止めた。

 振り返るセフィーの姿が、スローモーションのように感じられた。

 セフィーのためにできること。いつかこうなる日が来ることはわかっていた。セフィーの生を願ったあの日から、覚悟していたことだ。


「お前が読み漁っていた書物は、全て学園へ持っていくといい。それと、気になるものも全てだ」


 セフィーは祖父の意図がわからず、首をかしげた。


「別に、面倒だしいいよ」

「持っていけ。お前が魔法に興味を惹かれるとは限らん。その時、暇を持て余したくはないだろう?」


 セフィーはやはり、祖父の意図がわからなかった。

 祖父の言葉は、きっと言葉通りの意味ではないだろう。

 少し考えればその意図を推察できるかもしれないが、セフィーは、そういったことを考えることが嫌いだった。

 考えたくもないし、これ以上この話をしたくもなかったので、セフィーは祖父の話を素直に受け入れることにした。


「じゃあ、持ってく。量に制限はあるの?」

「領主様に頼み込めば問題はないだろう。もともと、無理を言ってきたのは向こうなのだ」

「そっか」


 迷いや決意、様々な感情が読み取れる祖父の顔を、セフィーは無機質な瞳で見ていた。

 祖父がセフィーのために行動していることは、セフィーにも容易に理解できた。しかし、それでもセフィーは、どうでもいい、と思っていた。

 魔法学園に行かされることも、祖父の隠し事も、表情の意味も。自分のことだというのに、セフィーの心に立つ波はなく、関心が向くことはなかった。


 全てを持って生まれてくる人間など、存在しない。それは、諸行無常であるように、真に絶対的なものなど何もないからだ。それこそが、生物が繁殖し、取捨選択しながら進化していく道理でもある。すなわち、人間は誰しも何かが欠落した状態で生まれてくるのだ。

 何かが欠落した人たちが、それらを補い合うのではなく、隠し合いながら生きている。誰かの普通は、誰かの普通ではない。そんな当たり前のことも、受け入れるのは難しい。

 それはセフィーと祖父の間にも成り立つことで、一緒に暮らしている以上、どうしても目についてしまうことだ。

 それでも手を取り合いながら、歪な形を成して時間だけが流れていく。

 それらが解き放たれ、バラバラになり、自分に戻っていく感覚のことを、快感と呼びたくはないだろう。

 セフィーは、自分が感じている寂しさの理由を、知りたいとは思わなかった。



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