茶色と金色の時計

静谷 清

1章『綺麗』

「いい色してるね」


「え?」


 それ、と指さした先には俺の左手ーーーではなく右手の指に挟まる筆。そして俺の絵があった。


「和泉の絵の方がいい色だよ」そう言われたかったんだろ。回りくどい。と思ったが、


「ううん、君のほうがよっぽど綺麗だ。僕なんかのとは違って」


 なんなんだこいつ、そもそもなんで俺の隣で書き始めたんだ。久しぶりに放課後、洋画室で絵を描こうと思ったが、こうだ。どうやら俺は絵の神様にも運にも好かれていないらしい。


 隣のこいつ――和泉は、絵がうまい。美術科だから絵のうまいやつが集まってるんだろ、と思われるだろうが和泉は、その中でも飛び抜けてうまい。時々、子どものふりをした大人がきぐるみなんかを着て、学生の荒い絵を鼻で笑う為に入学したんじゃないか、と思わせるやつがいる。それがこいつだ。


 そんな和泉が、何だか知らんが俺の隣にわざわざイーゼルを置いて絵の具をベタベタ塗っている。あっちをベタベタ、こっちをベタベタ、そんなことをしていてふと、さっきあんな事を言ってきた。


 当てつけか。この野郎。想像の中で何度コイツを跳ね飛ばしたことか。大体、そんなに話さないだろ俺達。美術科は女子が多いから、男子はある程度のグループになってつるむ。俺と和泉のグループは違う。人数が少ないから、一切話さないやつなんていないが。


 ちらっと横を見た。絵を見た。


「すげぇ綺麗だな」


しまった。言葉に出てしまった。


「綺麗なんかじゃない、ただ色鮮やかなだけさ」


「はぁ?それが綺麗って言うんだろ」


「綺麗なんて言葉は、ただ単に色の鮮やかさ、まとまりでつけられるものじゃない」


 やっぱり変なやつだ。こいつ。


 次の日もその次の日も、和泉は俺の隣で絵を描いた。楽しそうに描いてる時もあれば、厭々描いてる時もあった。俺はよく、左手の時計で何時に帰るかだけを考えていた。


「水野君はなんで絵を描いてるの?」


 ふと和泉がこんなことを聞いていたときもあった。そんなことを聞いてくる時は、大抵自分が描いている絵に不満をもっているときだ。そんな時に、隣の俺に「君の色はすごくいい色だ」「僕の絵は君が描いている絵のように繊細さを帯びてない」のようなことを言ってくる。そのくせ別に俺の返答は求めてなかったかのように、急に集中して絵を描きだしたりする。


「俺は絵を描くぐらいしかできることがないから絵を描いているよ」


「それはおかしいよ」


「え?」


「君は君ができることや君にはできないことが明確に分かっているから、それはない」


「俺が絵を描く理由を、和泉は分かるのか?」


「いや、分からないよ。正確には」


「何だよ、分かんないんなら俺の答えがあってんじゃねーか」そう言うと和泉は、再び自分の絵の世界に潜り込んだ。俺は和泉の言った「君は君ができることや君にはできないことが――」の意味を考えていた。


 俺は別に得意なことも、やりたいこともなくて唯の暇つぶしのような意味で、絵を描いていると。そう自分では思っていた。けど、違うのか。俺が絵を描くその腕や、その手を動かす脳と、それらを支える胴体と足は、俺の意味もない自由意志とは切り離された思惑で、動いているのか。


 初めての感覚だった。和泉の隣で絵を描いていると、不思議な気持ちになった。安らぎや落ち着きこそ俺とは全く無縁だと考えていたが、この場の事象は俺が本当に求めていたものだったのか。


 気づいたときにはもう生徒は帰る時間で、和泉はとっくに姿を消していた。暗闇の中、街を照らすこの光は安らぎを求めて生きている人間の光なのか。


 やりたいことは特になかった。帰ってからも、特にすることはなかった。俺の足は、既に長時間イーゼルの前で立ってたおかげで、もう疲れ切ってる。家は、遠く離れてる。少なくとも自分の足だけではとぼとぼと十数分、歩くことになる。


 だから、走った。意味はなかった。でも前へ進んだ。ただ、衝動だけがあった。衝動だけが、俺の心臓をバクバク鳴らし、重いはずの鞄やうっとおしいはずの襟元を消し去った。あるのは激しい衝動と、茶色と金色の時計だけであった。


 翌朝起きると昨日の面影はなくなっていた。あるのは今日も学校へ行く事への憂鬱感と、激しい筋肉痛だった。安らぎと精神の安定のために、このまま目を閉じてこの世界から逃避したいと思う。それが無理だと頭では理解できても、実際に行動できるかはまた別の話だ。


 といっても、いつまでもここで寝そべっているわけにもいかないのでベットから出る。静かに、されども力強く今日を生きる決心をしたあと、俺は部屋を出た。


「今日は和泉、お休みだ」


 先生がそう言った時、俺は少し苛ついた。何だよ俺だけかよ。昨日はあいつだって言いたいことがあってそうしたんじゃないのかよ。


 その日は特に変わりない普通の、あるいは単純な一日を過ごした。授業、素描、昼食、掃除、そして放課後。俺は洋画選考で、和泉をのぞいては同じコースの友達はいない。だから放課後も残らず帰ろうかと思った。だが、「水野くんはなんで―――」


 放課後俺はキャンバスの前に立っていた。俺の絵は、他の人のと見比べてみてもさして優れているところは見当たらない。だけど、和泉は。和泉は、俺の色が綺麗だと言ってくれた。俺の絵が綺麗だと、言ってくれた。キャンバス一面に、所々散らばっている青の光沢が全体の色彩を統括している。他の人とはまた違う色で、優れた表現をしてみせる。


 いつの間にか、絵の隅々にある下地の黄色を残酷な色で塗りつぶしていた。絵のモチーフは羊で、毛色は消耗的な色をしている。空には青。影は僭越的で、それ以外は――。いろが、俺の世界を作り上げてくれた。綺麗なんか、間違いだ。汚れている。


 悲観的な創作は、名作を作るか?そんなの誰にだって判るもんか。なら、俺の絵は。あいつが綺麗だと言ってくれたなら、俺は俺の絵を好きにならずにいられない。


「くだらない」小声で、そう呟き俺は洋画室をあとにした。空は前より明るく、まだ校舎内には生徒がちらほら残っていた。


 恥ずかしい。帰り道、水野は思い悩んでいた。先程の頭の中で考えていた出来事、それらが和泉の影響で考え込んだということを、恥じていた。


「たかが、制作じゃないか」俺の中で燻っていた、思考や想像がさして絵に影響を与えたとして、何かが変わるわけでもあるまい。まだ、今度のことで悩むのが恥ずかしい気がしていた。


 足を止める。少しずつ、学校から離れていた足並みが、自分の道程を追い越した。周りの喧騒が、今は聞こえない位置にある。そこでは、学生たちがいつから話し始めたかわからない。意味もない会話をしている。


 俺の友達は今何をしているのだろう。まだ校舎にいるのか。まだ、絵を描いているのか。


 足を動かす。ちょっとずつ歩幅を広げて、数々の人々が踏んでいった道を、当たり前のように踏んでいった道を歩く。そうすると、ちょっとでも自分の生き方が正当化されるような気がした。


「そうだ、これが俺の普通だった」和泉に話しかけられたあの日から、俺の普通の歩き方は少しずつ道なりからそれ始めていた。


 次の日も、また次の日も和泉は学校に来なかった。先生は風邪だと言っていた。仲間内では、和泉がなんで休んだか話しても、盛り上がらなかった。俺は授業中も和泉の席を見つめていた。


 廊下を歩いていると、友達の神田に呼び止められた。


「最近何かあったか?」と言われた。


「いや特に」と返したが、嘘だとすぐ見破られただろう。神田は、察しが良いと言うか感がいいのだ。


 放課後の、製作をしに行くまでの間二人で話した。


「おまえさ、最近絵を描くの楽しそうだよな」


「前からそうだったよ」


「いやあ、違うさ。前より明確な目標みたいなのがある」鋭いな。


「まあそんなもの、あってもなくてもだ。変わらない絵を描いている」俺はそんな事を言った。神田は少し黙ると、「じゃあちょっと絵を見せてくれよ」と言い始めた。疑問は持ったが見せることにした。


 洋画室に行き、中に入ると今日の授業で既に出していた俺の絵があった。


「へぇ、羊の絵か」


「あんまじろじろ見んなよ」恥ずかしさから言ったが、そこまで悪い気分じゃなかった。


「でも、なんで毛が灰色なんだ?」


「そっちのほうがかっこいいだろ」


「複雑な色味してるな」


「真似するか?」


「しねーよ」そんな会話をして、神田は日本画室に行った。俺は会話の中心だった絵に目を移し。少し離れたあと、しばし眺めた。視界の端に、他の人の絵も入れて。


 神田は「複雑な色味してるな」と言った。共感できるような色はしていないということか。


「くっくっく」変な笑いが出た。やった。俺は俺にしか出せない色を出した。俺だけの絵を描いたぞ!さっき迄の陰鬱な気分が、全てなくなり霧散した。本当の自分が目を出して、元来の自分は死んだ。


 絵の続きを進めながら、水野は眼前に広がる絵の世界の、理解を深めようとした。絵を制作する時、水野が考えているのは自分が満足できる絵になるかどうかだった。先程「元来の自分」という表現をしたが、彼の「元来の自分」というのは、表現者でありながらもエゴイストな人間だった。そこにあるのは、創造の世界だけでなく、自身の欲望のはけ口に似た、何かだった。その何かは、手を動かす為の脳からキャンバスという媒体を通して、破滅的な演出を作り上げる。そうして、世界は完成するのだ。


 何だか落ち着かない…そう思うのは、今日が最初ではない。和泉が隣から消えたときからだ。絵を描く時の人間は、2種類に分けられる。自分の制作に没頭する者と周りの様子を見てモチベーションを操作する者だ。俺はどちらかというと後者の人間だった。そうすることで、なにか変わるわけでもないが、然し無くなってみると案外落ち着かないものである。


 創作というのは、案外地味でつまらない。少なくとも、はたから見れば。とすると、創作の何が人を惹きつけるのか。


「綺麗な絵」それを自分の絵に表そうと試みている俺は、既に創作の、いや和泉の、虜なのだろうか。間違ったことを言っているのか。それすらわからない。しかし、日々煮詰めてきた自分自身の創作への思いが、和泉との会話によって表面化してきたことについては、誤魔化しが効かない。絵を描くだけじゃなく、文を書く、像を作る、などの創作の世界に足を踏み入れた人間は、みな日々を創作について頭で考えているだろう。


 例えば、我々はなぜ創作するのか?など。この問いに対し、「初めて絵を描いた、小説を書いた時の気持ちが忘れられなくて」なんて解答をするやつは相当の天才か馬鹿だ。皆、というか人間は「初めての行い」に興奮するようにできていて、それらは回避できない。ならば、それが原動力となり今も「初めての行い」に該当したものを続けるなら、人間はすべからく失敗する。失敗だ。どうしようもない馬鹿な生き物ということになる。人の生き方というのは、誰にも操作できず変更できない。ましてや創作する理由など、誰にも判るはず無いのだ。少なくとも、本人以外には。


 ぶつぶつと頭の中で思考をし、それとは切り離された部分として、手を動かす。水野は、典型的な集中状態(もしくは入ったオタク)になっていた。


 彼は今、和泉の言葉と神田の言葉、そして自分自身の言葉と絵を描くという行為に、苦悩していた。それは苦しく、楽しい未知の事だった。彼はどこまでも制作者側の人間で、だからこそ激しく思い悩んでいた。彼の右手には、絵の具で汚れた筆があり、彼の左手には茶色と金色の時計があった。


 その両手は、深く絵の中をいじくり、変形し、ねじ回した。「綺麗」な絵を描くために、もしくは彼自身のために。

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