糸刻の葉

奈辻間宵

プロローグ

 誰も居ない、深夜零時過ぎの教室。


 静謐せいひつな空気と音とが、教卓の上に座すひとりの少女を取り巻いている。


 快晴の夜空には冴え渡る蒼月と、燐と炎える星々が浮かんでいるというのに、渦巻く銀河を瞳に宿す少女は、その壮観に目もくれない。


 室内を照す燈は不在。


 しかし、少女の持つ水平線青ホライゾン・ブルーの髪色が、燈そのものだった。


 少女は手元に、荊棘いばらに触れないようにするが如き神経を注ぐ。


 左手には、一条ひとすじの白糸。


 右手には、豪華絢爛とは対極の万年筆。


 針みたいに背筋を伸ばした糸は、宙空に静止とまっている。


 それを押さえ付けながら、一文字一文字に想いを込めて、少女は丁寧に、言葉を刻んでいく。


 少女を軸にした箱の中は、既に星月の巡る軌道。


 室内を浮遊する光は淡く輝き、観測者が息をするのも忘れるほど、魅惑的。


 ずっと観ていたいと思わせるその光景も、やがては収束していき──


「ふぅ……やっと終わりましたなのです」


  祈祷きとうの完了とともに、部屋の雰囲気は現実へと還った。


 時空間に固定されたかのようにふわりと舞っていた少女の髪も、彼女の背や肩にはらりと落ちる。


 少女の手に優しく握られた糸には、誰かの想いがつづられていた。


『私の時間を、必要としている人に譲渡してください』


 この世に生まれ落ちていながら人が望む、最も悲しい願いのひとつ。


 短冊に書くモノとは違い、糸刻の葉は絶対となる。


 誰かの望みである以上、少女は叶えざるを得ない。


 何故なら。


 少女は、織月おりつきに住まう〝神さま〟なのだから───

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