二輪の花

ブロローグ

「俺さ、実家に戻ることにしたんだ」

 交際三年目の記念日の日、おいしいディナーを食べた帰り道、あなたは突然そう言った。私の家にお泊りの予定だったから、家までふらふらと歩いている時だった。冷水をかけられたような気がした。さっきまでの、久しぶりのデートに浮かれて飲んだアルコールの気持ちよさは吹き飛んでいった。

 何とも言えない沈黙が二人の間に落ちてきて、近所の踏切の音だけが妙に鮮明に聞こえてきた。その沈黙の中で、今日のあなたが見せた気まずそうな表情や顔つきが、時折感じた違和感が、私の中にストンと落ちてきた。そっか。それでか。え、待って。私が「また行こうね」なんてのんきなことを言っていた間、あなたはずっと何を考えていたの。

「その、それで、できたらついてきて欲しいんだ」

 無理よ、と私はつぶやいた。そんなこと言わないでほしい、と思った。すると、あなたは傷ついたような顔でこちらを見つめてきた。被害者みたいな顔しないでよ。

「…ついてきてくれないのか」

 そもそも、どうして戻ることになったの。私は、何も聞いてないよ。

「ほら、一年前くらいに、親父が大けがしただろ。」

 うん。そうだね。言ってたね。

 刈り入れの作業をしていた時に、機械の誤作動で足を切ったと聞いた。足を切断するほどではなかったものの、大量に出血して、一時は命の危険まであったらしい。それを聞いて、彼は大慌てで実家に帰っていた。

「そしたらさ、両親が小さいんだ。」

……。

「なんて言ったらいいのかな……。あれ、俺の両親ってこんな小さかったけ、って思ったんだ。俺にとっての二人は、もっと大きかった。ああ、老いてきたんだな、って分かっちゃったんだ。」

 うん。

 そういう気持ちは分かる気がした。私も大学を出てから親元を離れた。久しぶりに会うと何だか親が小さくなった気がして、不安を感じる。私でそうなのだから、地方から都内の大学に進学して、それからずっと東京に住んでいる彼はもっとなのだろう。

「だから、俺、実家に帰って両親を助けようと思って。それで、実家を継ごうと思って。」

 実家って、農家だよね。

「そう。いや、心配しなくてもいい。食っていけるくらいの家だ。都会を離れて、緑に囲まれた土地で穏やかに過ごそうぜ。ほら、ビルに囲まれたアスファルトの道路も嫌になることあるだろ。ちょうどいいよ、きっと。」

 私、生まれも育ちもここだよ。嫌になったことなんてないよ。そもそも、私は仕事あるし…。親もこっちだし。

「……だから、心配すんなって。大丈夫だよ。」

 なにそれ。ねえ、私の話聞いてる。私の目を見てよ。

「……。」

 彼は俯いて、私の顔を見ようとしなかった。



 この日を境に、私と彼の関係は終わった。彼は実家に戻り、地元の子と結婚したらしい。そう、風の噂で聞いた。

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