恋せぬらぶ♡どーるちゃん!

SaJho.

前話



 恵まれている、と感じたことは殆どない。

 一方で、悪運に憑かれていると感じたことは何度かあった。


 例えば、俺は酔った勢いで逆立ちを試したことがある。

 その際に傍らにはグラスがあった。一歩間違えば大怪我もやむなき状況で、俺が間違えてはいけない一歩というのは明らかに逆立ちを敢行するという一線だった。もう越えてるヤツだった。


 畢竟、デッドエンド。

 今まで出来たことのない真似が酔っていて出来るはずもなく、俺は強かに腰を打った。ここで、俺は悪運に愛された。


 傍らのグラスである。

 当時の俺は自分を信じていたので、失敗するはずもないから周囲を片付ける必要もなかった。結果、当然のようにグラスは俺の倒壊に巻き込まれ、気付けば俺の腰の下に収まっていた。


 そう。割れているのではなく収まっていたのだ。強かに打ったはずの腰の下に。

 思うに、運が悪ければあの時の俺は半身不随くらいにはなっていたと思う。


 他にも何度か死ぬかもしれないと思った機会はあった。

 車に轢かれそうになるような即死モノから、二週間後に餓死しそうな困窮などの真綿首吊りモノまでバリエーション豊かに。


 その度に俺は、納得できる理由で生き残ってきた。

 車にギリギリで気付いた。友人がパチンコを当てた。グラスは割れなかった。という風に。


 故に悪運。俺に近付く死神のみを排除する運命力。

 恵まれているとまでは言わせてくれないツンデレである。いやなに、コイツがもう少し俺に靡いてくれれば明日にも俺は億万長者かもしれぬというのに。


 と、『ここ』に俺の発想の限界があった。


 ――『コイツがもう少し俺に靡いてくれれば明日にも俺は億万長者かもしれぬというのに』というのは、俺の常日頃の思いで間違いない。今日までに、俺は実感を理由に悪運の存在を信じ切っていた。

 オカルトを唾棄しサンタに父ちゃんと声を掛けられる程度には大人になった俺が、それでも運否天賦は信用していたわけだ。


 だから、不可分であったわけだ。

 運とは命運、宿命である。神そのものを信用はせずとも、運命や幸運を神に擬人化するのは案外身近かと思う。仮に今ここで500万拾ったら諸君らは誰に感謝する? 落とし主に感謝できるサイコ野郎はあんまり社会に出てこないでくれ。大体は神さまじゃないか?


 神はいないと思いながら神に感謝できるのがヒトである。

 乱暴な物言いという自覚はあるが、


 俺もそうだ。

 運否天賦を神と代入していた。それは、神ゆえに際限はなく、万能であり、都合よくは靡かぬ面倒なやつなのだと考えていた。ゆえに俺は、運ではなく悪運と『ソレ』をそう呼んでいた。


 これが勘違いだった。

『ソレ』には際限があった。万能ではなく、都合よく靡いてくれぬのかは今や不透明となった。


 つまり、

 俺に憑いているのは悪運ではなく、であった――






「――ってことですか?」


「その通り。あなたが腰でグラスを割らなかったのも、車に轢かれなかったのも、友人がパチで大勝ちしたのも全てはその方の賜物です」






 さて、状況を説明しよう。

 引っ越しに際し、おばあちゃんから貰ったぬいぐるみが捨てたのに戻ってきた。


 更に二、三度捨てたのに戻ってきたので引きちぎってやろうと思ったら激しい頭痛に見舞われた。ぬいぐるみに喧嘩で負けたのは初めてだった。こりゃイカンと俺は霊媒師に頼った。そしたら、開口一番が「それを捨てるなんてとんでもない」だった。


 ――場所は神社の事務室。


 筆記用具店の匂いがするビジネスライクな一室だ。神棚の代わりにコーヒーメイカーがあって、座布団の代わりには長椅子とクッション、井草の畳の代わりにあるのは、靴で叩けば高い音のする硬質なフローリング。


 こんな風情で神主のオッサンはちゃんと斎服を着ているモノだから、胡散臭い事この上ない。彼は、自分の分のコーヒーだけ用意して、俺の対面の長椅子に座った。

 


「それは生涯に渡ってあなたを助ける神霊の類ですよ。定期的に真水の手洗いで汚れを落として、行事ごとの頃には奉って差し上げて下さい」


「はぁ……?」



 手遅れだ。何度洗濯機で洗って乾かしたか数えてもいない。



「え? じゃあ自我とかもあるんですか?」


「……まぁ、場合によりますが」



 と間を置いて、オッサンがコーヒーを一口啜る。

 ……というか俺の分のコーヒーはないのか? というこちらの不躾な視線に、何やら彼は気付いた様子で。



「残念ながら、あなたは客ではないので」


「……?」



「お祓いしないでしょ? それともします?」


「あ、いえ……」



 結構。と彼はもう一口啜る。



「自我は、ある方もない方もいらっしゃいますが、その方にはあらせられるでしょうな」


「それは、どういった判断で……?」



「どうとも。仰って分かりますか?」



 ……じゃあたぶん分かんないんだろうな。



「え、ていうか待ってください。じゃあ俺の日頃の行いとかも見てたとか……?」


「その方の場合は、その通りでしょう。元来の守護霊は見えず聞こえずとも無関係にのみです。暴風壁に目も耳も必要ないでしょう? しかし、要らないから無いとも限らない」


「……、」



「実に強堅な神霊であらせられる。よほど愛されているようで」



 と言ったところで、彼は用事を終えたと視線で語る。

 平たく言えば、態度で以っての「帰れ」である。


 しかしながら俺には、それでは納得出来ぬ都合があった。



「待ってください……」


「まだ何か?」



「この春から大学生になるんです。このぬいぐるみを持ってはいけない」


「ありえない話です。持っていきなさい。あなたを守ってくださるものです。部屋が一望できる高所に居て頂くべきでしょう。と言ってもロフトのような所ではなく、あなたからも一目で見える位置です」



「それじゃダメなんだ……!」


「……はぁ?」



 そう、ダメなのだ。

 何せ俺は、――



「ようやく大学生になったんです! これからいくらだって女子を部屋に呼ぶことになるでしょう! そんな折に女子が、このぬいぐるみを見たらどう思います!? こんなきったね……、少々汚れてあらせられる(?)ぬいぐるみを見たら女の子は帰るに決まっている! そんなのはダメだ!」


「加護に勝る煩悩などありません。童貞が思うほどセックスはあなたに都合のいい行為ではありませんよ」


「やらないと分からないだろ! じゃねぇや童貞じゃねぇよ!」


「無理です。諦めなさい。インポの相が出ています。あなたは必ず失敗するでしょう」


「失敗したあとの方が主語の相が出てる! おっかねぇ! 祓えますか!?」


「軽自動車が買えるお布施になりますよ。おとなしくそのぬいぐるみに見守ってもらうとよろしい。命に係わるようなら何とかなるでしょう」


「自我あんだろ!? 見られながら出来るか!」



 あと勃起不全下振れガチャにも賭けられねぇし!



「なんかこう! せめて冷暗所に保存しても良いことにするとか、オンライン加護とか入れ物をぬいぐるみじゃないのにアップデートとかないんすか!?」


「ありますね」


「あんの!?」



 あんのかすげぇな。

 じゃあオンライン加護がいいな! 実家に置いとくのが一番楽だから!



「いや、何でもはありませんね。あと言葉を選ばないとその方に愛想を尽かされてしまいますね」


「え、愛想尽かされたらどうなりますか……?」


「残機が1になります」


「偉大過ぎんな守護霊」


「可能なのは、入れ物のアップデート。――そのぬいぐるみから別の形代にその方を移動させることです。お布施も多少良心的ですよ」


「値段のことさっきからお布施って言ってます?」


「法律上ね。で、どうします?」


「……。」



 移動、移動か……。

 と言っても、都合の良いモンなんて思いつかないな。



「なんでもいいんですか?」


「何でもとは言いません。ひとまずは、ヒト形であることが望ましいですね」


「ヒト形、ですか……」



 それって、だいぶ限られるよな?

 と俺が悩んで見せると、オッサンが口を挟んできた。



「なにも今すぐ決めろとは申しません。後日改めていらしてください。

 ――その時には、コーヒーを出して差し上げますので」


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